20
翌週、僕は王宮の前にいた。
荘厳な建物を見上げると、今後の厄介事を考えてため息が自然と漏れた。
気を取り直して、僕は送られてきた封筒を騎士に見せると、約束の場所まで案内をしてくれる。
先導する騎士について廊下を歩いていると、ある部屋の前で止まった。騎士は「少々お待ちください」とだけ告げて、戸を叩こうとしたのだが躊躇っているようだった。
それもそうだろう。約束通りに案内されてやってきたはずが、室内から聞こえる甲高い声にどうしたものかと僕でさえ逡巡しているのだから。
僕は騎士を止めて、携帯用のペンを取り出すと、持ってきた封筒から中身を取り出して懐にしまい、メモ用にと持っていた紙を取り出した。
少し考えた後にサラサラと書き込んで、封筒に入れると騎士に殿下へ渡すようにお願いした。
騎士は一つ頷くと、封筒を受け取った。ノックを軽くして、少し開かれたドアから見えた使用人(執事かな?)に封筒を渡して、「お返事をここでお待ちします」とだけ言い添える。
僕は申し訳なさそうにする騎士に、気にしないでと苦笑を返して返事を待った。
暫くするとドアが開き、封筒が返ってきたので騎士から受け取ると、僕はその場で開いて中を確認した。
それを見てから、騎士とドア前を守る近衛に声をかけた。
「殿下が庭に散策へ出られるようです。警護用に数人用意してもらえますか?それと出られた後は戻ってこないと思いますので、時間を置いた後に清掃を入れてください。一応中の殿下専属の執事に、この紙を読んで処分するように伝えてください」
僕はそう言うと、取り出していた中身をそのまま騎士に渡した。
ドア前に立っていた近衛の一人が指示を聞くと警護要員について口にした。
「中に2名おりますので、退出とともに付いて出てくるでしょう。我々もドアが閉まったことを確認してからすぐに警護にあたりますので、人数は問題ないかと思われます」
「そうですか。ではお手洗いまでの間で、しばし待つとしましょう」
そしておそらく面倒な場面を持つであろう騎士に目をやると、「まぁ…気にせず毅然と?なんとか?頑張って?」と労い、手洗い方向へ足を向けた。
***
ゆっくり時間をかけて歩いていると、後ろから数人の足音が迫ってくるのが聞こえた。
振り返ると、そこには第二王子マティアス殿下が近衛騎士を連れてやってきていた。
マティアス殿下は眉間にシワを寄せながら
「すまない。助かった」と言い、そのままの速度で近づいてきた。僕は合わせて横に並んで歩き出す。
「あのお茶会からの候補者ですか?」
僕は庭までの道すがら尋ねてみた。マティアス殿下は、さらにシワを深くしてから「自称だがな」と忌々しそうに答えた。
「これから私用があると何度言っても下がらんし、まとわりつくわ騒ぐわ…」
「では気分転換がてら、噴水や川のあるとこへ行きませんか?庭園でどこにあるかご存じですか?」
「……ああ、ついて来い」
そのままマティアス殿下と共に、庭園中程にある小さな滝と池のある場所まで来ると、近衛に少し下がるよう伝えた。
僕は近衛騎士に1つお願いをすると、心得ましたと頷かれたので、マティアス殿下の側へ戻る。
池の近くに置かれたベンチへ座ると、暫く無言で滝の水音を聴きながら目の前の風景を眺めた。
ややあって僕は口を開いた。
「石でも投げます?」
「は?」
ちょっと和らいだ眉間のシワが復活した。しょうがないので徐に立ち上がった僕は、なるべく平たい石を探して手に持つと、池に近寄って低い位置で思いっきり池の中心に向かって投げた。
投げた石は水面を2回跳ねてから水中へ落ちた。
「なんだそれは」
「僕の婚約者が、出会ったときにやっていたんです」
「貴族の娘がそんなことするのか?」
「そうですよね。僕も初めて目にした時は吃驚しました。もう2年も前の話なんですがね」
「信じられん」
「そうなんです、信じられないくらい可愛いんです」
「……」
なぜ?空気が白けたぞ?真顔で見つめ続けると、マティアス殿下は盛大に笑い出した。
「面白いやつだな!」
「ありがたく?まぁさておき投げてみませんか?意外と難しいんですよコレ」
「手が汚れる」
「か弱い坊ちゃんですもんね〜。心配でしたら洗って差し上げますけれど?」
「なんだと!」
「出来ないなら別に良いですってば」
「貸してみろっ!……フン!」
大きく振りかぶった石は、天高く上って弧を描き池に落ちた。
僕はあまりの結果に、声を出して笑ってしまった。マティアス殿下は顔を赤くして「笑うな!」と怒っていた。
「まぁ手が滑ったんじゃ仕方ないですよ。
低い位置を意識して切るように投げるんですよ。こんな風にっっ」
「おお、こうか?っっ!」
マティアス殿下の投げた石は水を2度切って進み落ちた。それを見た僕は正直に感想を口にした。
「覚えが早いですね。さすがです」
得意げになったマティアス殿下は、石を投げながら問うてきた。
「お前、私の側近になるか?」
僕は片眉を上げて、石を投げてから答えた。
「てっきり『なれ』と言ってくると思ってましたよ」
「そう言って素直になるような奴に見えないんだが?」
「まぁその通りですね」
苦笑して「やっぱりな」と言ったマティアス殿下は幾分発散できたのか、和らいだ顔をしていた。
「正直に言うと、誰についても面倒でもあり面白そうでもあるので、側近になることに抵抗はありません。
ただ…」
「なんだ?」
手を止めて、こちらを振り返ったマティアス殿下の目をじっと探るように見つめてから尋ねた。
「あなたは何になりたいのですか?」
僕の言葉にマティアス殿下は息を飲み、瞳を揺らす。
「お…れは…」
「あなたは何を選んでも良い位置にいます。どこに進んでも悪いことなんてありません。内側を憂いますか?それとも外へ羽ばたきたいですか?それでも1つの座が欲しいならそれでも良いでしょう。僕はつくなら、覚悟を持って突き進む人のもとに従いたい」
「俺は1つの座以外を望んでも良いのか…?」
「誰が咎められましょう?もちろん、国に養われている以上、国に還元できる答えであることが最低条件ですがね?そこさえ踏まえれば、あなたの人生だ。好きに選んだら良いんですよ」
「…お前は何か決めている事が有るのか?」
「もちろん。僕の婚約者と結婚して、幸せな人生を余すところなく堪能する事ですね」
マティアス殿下は面食らったような顔をした後、また声を上げて笑った。
失敬な。僕の人生の命題だというのに。
暫く談笑していると、王宮の侍女やメイドが数名やってきた。敷物と籠を受け取ると、下がるように指示した。
「なんだ?」
「こんな潤いにもならないのが相手で申し訳ないのですが、ピクニックでも如何かなと」
「意外と寛げるものですよ」と受け取った敷物を柔らかそうな芝の上に広げて整えると、真ん中に籠を置いた。
僕は敷物の上にどっかりとあぐらをかいて座ると空いている場所をさぁどうぞ?と示してみた。
「お前普段そんな事しているのか?」
おずおずと真似して座るマティアス殿下に、僕は笑顔で「これも婚約者の受け売りですよ」と返す。
籠の中には濡れたハンカチと布巾、サンドイッチとチーズ、瓶に入った果実水と、保温効果のある筒に入った紅茶、お皿とカトラリーが入っていた。
さすが王宮、咄嗟にこれだけ準備ができるとは大したものだなと感心してしまう。
僕は手を清めてから、一通り手早くちぎって皿に乗せて毒見した。もちろん果実水と紅茶もだ。
それを目の前で見ていたマティアス殿下が、目を瞠ってから「お前が毒味してどうする!」と怒っていた。
え?ココでマティアス殿下に何かあったら、困るのは僕ですよね?これで僕が倒れても、マティアス殿下より面倒ごとが減ると思いませんか?と不思議そうに見返したら。
「お前次期侯爵だろう!俺もだがお前になにかあってもダメだろ!」
「…おお、意外とお優しいのですね」
「や…!優しくなんてあるか!今後毒味はするな!いいな?!」
「はいはい。んじゃまぁ問題なさそうので食べましょう。僕、お腹空きました」
「おまっ聞いてないだろ?!」
「聞いてますってば。早くしないと無くなりますよー」
「なにっ!」
「あ、手はこちらで汚れを拭ってから、布巾をどうぞ。あ、僕がやるんでしたっけ?」
「自分でやるっっ!」
「美味しいっ!流石王宮料理人は違いますねぇ!」
「先に食うやつがあるか!」
「はぁ、食事中に怒鳴らないでください。はいどうぞ、果実水ですよー」
「…お前、馬鹿にしてるだろ」
「いえ、滅相もないです」
「そっぽを向いて言うな。説得力がないわ」
一頻り食事をした後、紅茶を飲みながら景色を眺めていた。
「まぁ時間はまだ有りますし、如何なさりたいかはじっくり考えてください。それと、兄君とも相談する事をお勧めします」
「兄上と?」
訝しげにこちらを向いたマティアス殿下に、視線を合わせて答えた。
「兄君は敵では有りません。あの方なりにお考えや悩みもありましょう。意見が合うなら、早々に手を組んだ方が楽ですしね」
「兄上が…」
「大いに悩んで、楽しい結果が出たら教えてください。僕は首を長くして待ってますよ」
「お前やっぱり馬鹿にしてるだろ」と苦笑するマティアス殿下は、それまでとは違って眉間のシワが取れて、肩の力が抜けたようだった。
結構な時間が過ぎていたので、この日はここでお開きになった。