16
それから1年が経ち、9歳になったある日、僕は父に呼ばれて侯爵家の執務室に向かった。
「お呼びでしょうか?父上」
執務室に入ると父が1つの封筒を机に置いたので、それを手に取り中にさっと目を通した。
「王宮でお茶会…ですか?」
「王家に王子が2人と王女がいるのは知っているな?」
「ええ、もちろん」
「恐らく側近、学友、婚約者候補の選定だろう。お前、側近になってこい」
「………………善処します」
かなり間を開けて答えたのが気に障ったのかピクリと眉を上げた父が、こちらを見据えて問う。
「まずはどれに付くかは判断させてください。第一でも第二でも、気が合わなかったら後々障害にしかなりませんし。ところで家としては?」
「立場的には第一だな。第二は周りがややこしくてかなわん」
「とりあえず会ってみますよ」
「婚約者は連れて行くのか?」
「もちろん僕の特権ですから」
にっこり笑み返した僕に、ふんと鼻を鳴らして下がるよう手を振った父に、一礼して執務室を後にした。
***
「…と言うわけで、ドレスは僕が用意するから、それを着てね?フランシーヌ」
「どう言うわけかは分かりませんが、気を遣わなくても、ドレスはありますわよ?」
週末に訪れた伯爵邸の庭で、二人でお茶会をしているときに、前振りなく話を持ち出してみた僕に、素気無く断りを入れるフランシーヌ。いや、ここは是が非でも受け入れてもらわねば。
「いや、気にせず是非贈らせて?
そういえばチャーリーも行くのかな?礼服はどうなってるの?」
「何着かは作らせてありますから、問題ありませんわ」
「そうか、それなら良かった。マナーとかはどうかな?」
「何とか形になっておりますわ。偶に言葉が粗野になる事は有りますけれど、滅多なことでは戻りませんし大丈夫かと思いますわ」
「(滅多な事ねぇ…)それじゃ当日迎えに来るし、チャーリーも一緒に乗って行こうよ」
「良いのですか?」
「もちろんだよ。一人で行くのは緊張するし心許ないだろう?」
「クスクス…そうですわね、お言葉に甘えさせていただきますわ」
フランシーヌは僕が一人で…と勘違いしたようだが、違うよ?フランシーヌを離さない僕が、会場で一人になるわけないじゃないか。なるとしたらチャールズが一人になるんじゃないかな。それは良くないよね?まぁ口にしないけど。
ついでに有耶無耶にドレスの許可も取ったところで、その日はお暇して、翌日に母が懇意にしている仕立て屋のデザイナーを向かわせて、採寸とデザイン案を描いてもらった。
僕が色々と提案したら、なんだか「腕が鳴ります!」と言い出したので、よしとした。
***
そしてあっという間に時は過ぎて、お茶会当日。
迎えに上がった僕は、ホールに降りてきたフランシーヌを目にして崩れ落ちてしまった。
藤色のワンピースには蔦や葉っぱの刺繍が所々に施されていて、その上を全体を透明に近い白のオーガンジーで覆い、色とりどりの小花柄の刺繍を所々アクセントになるように入れてもらった。袖はオーガンジーで長めのハンカチーフスリーブ。
スクエアカットの首元には、僕の瞳と同じ、タンザナイトのネックレス。
動くたびにオーガンジーに施された花が動き、まるで花が服の上をヒラヒラと流れて舞っているような仕上がりだ。
予想はしてたのだけどっっこんなに力を入れたら、そりゃ僕はこうなるだろうさと…!
僕と一緒に待ち受けていたチャールズは、僕の肩に手を置くと「ハンカチ?それともどっか抓る?」と半目になって聞いてきた。
この一年で僕の扱いに慣れてきたようで何よりだよ、チャールズ君。
「大丈夫ですの?エリオット様?」と駆け寄るフランシーヌに、気合で持ち直した僕は、笑顔でフランシーヌに向き合った。
「大丈夫だよフランシーヌ、余りにも素敵でまるで花の精霊のようだ。似合い過ぎていて、誰にも見せずに独り占めしたいよ」
「まぁエリオット様、お上手ですこと。頂きましたドレス、大変素敵で着こなせるか心配でしたの。着てみると一層素敵でとってもお気に入りですわ!」
ひらりと回って見せてくれたフランシーヌ。
今日の可愛いの化身様は神がかり的な早技で、僕の心臓を撃ち抜いてくる。僕の婚約者が素敵過ぎて辛い。
そうこうしているうちに、時間も差し迫り、馬車に乗って王宮へ向かった。
***
王宮へ着くと、“夏の庭園”と呼ばれるところへ案内された。今日の会場だそうだ。
会場についた僕達は、何だか人目を感じたが気にせず辺りを見回して、隅にあるテーブルを目指して移動した。
木の柱と白い布で作られたガセボの下なので陽に当たらず、後は植栽で人が通ることはなさそうだ。全体を見渡せる位置だし、幸い誰も居なかったのでそこへ進みフランシーヌを真ん中の椅子、両隣に僕とチャールズが座った。
「なんか見られてるね」
とチャールズが視線だけで周りを見て、居心地悪そうにそう溢す。
「フランシーヌが素敵すぎるから、仕方ないよ。誰よりも美しいものは仕方ない」
「あーはいはい」と軽く流すチャールズ。
そこへ照れたように白いレースの扇子で顔半分を隠しながら、フランシーヌが口を開いた。
「何を仰いますの。皆様エリオットとチャーリーに釘付けですわ」
見てごらんなさいと、扇子で周りをクルッと示すフランシーヌ。言われた通りにクルッと周りを見渡せば、そこかしこで「キャア」っと声があがる。
「ん?誰も目に入らないな」
「そりゃ、姉上至上主義なエリオット様ですから」
「僕はフランシーヌの虜だからね。識別しろと言われたらそれも吝かではないけれど?」
「もう、おふざけが過ぎますわ」と少し赤くなった頬を扇子で隠すフランシーヌしか目に映らないんだよね。きっとこれも化身様の御技なんだね。
そんな取り止めのない話をしていると、お茶会の開催を王妃様が告げられ、テーブルにはお菓子が運ばれ、一層華やかになる。
「エリオット様は、誰かにご挨拶なさいませんの?」
「今日はフランシーヌの側から離れないと決めているからね。必要になったら一緒に来てくれると嬉しいな」
「ええ、私はかまいませんわ」
和やかに、歓談していると暫くして騒めきが一層強くなった。視線を向けるとドレスの人だかりができていた。「落ち着いてからで良いか」と呟き、フランシーヌとの会話に戻った。
最近の話題といえば、もちろん孤児院の話だ。僕も行ける時には同行しているが、僕が行けない時にはチャールズが付いててくれている。気づいたことを話し合っていると、フランシーヌとは反対側から、大きな声で話に割って入られた。
「オースティン様、お久しぶりでございますわ、ご機嫌麗しゅうございますっ。宜しければあちらで私共とお話し致しませんこと?」
突然の割り込みにも、鉄壁の微笑みを崩さずに視線を向けると、派手なピンク色が目に痛いドレスを身に纏った縦巻きロールな人物が扇子をはためかせながら身をくねらせていた。
なんだコレは。
あの時の僕の目は、まるで道端の汚物でも見たようだったよとはチャールズ後日談。
「失礼、君は?」
「まぁ、エフローティナ=フレイシュでございますわ。半年前に公爵様のサロン会で、父とご挨拶させていただきましたわ」
「……そう。僕はここで良い」
「あちらの方が楽しいですわ。先程から孤児など下賤な者の話をして、気を引く卑しい人など放っておけばよろしいじゃありませんか」
「おやフランシーヌ、僕の気を引いてくれるなんて。そんな事しなくても、君の婚約者は君しか目に入っていないよ?なんて可愛い人だ」
大袈裟にフランシーヌへ笑顔を向けて手を取れば、困り顔のフランシーヌが目に入る。
「エリオット様、気を引くために話していた訳ではございませんわ」
うん、知ってる。けどそういう想像してしまったら止まらなくてつい大袈裟になってしまったんだよ。
「オースティン様っこちらにっ」
急にピンク色が僕の腕を引いたので、思わず振り払ってしまった。ピンク色な令嬢はさも傷つきましたと言わんばかりの顔を向けて「なっ酷いですわ!」と喚き出した。
僕は微笑みを貼り付けたまま、その令嬢に言い放つ。
「僕は君に挨拶した覚えも、言葉をかけた覚えもないな。馴れ馴れしくしないでもらえるかな?それにフレイシュ伯といえば、市井官長では?君のいう“下賤”な者の声を拾うのが“お役目”であったと記憶しているけれど?」
名前を聞くまで忘れていたが、確かに公爵家で開かれたサロンに連れて行かれ、顔を覚えるようにと言われて父の後ろをついてまわったんだよね。
必要があるときだけ父は僕に挨拶させていた。挨拶した中に、娘連れの人はいなかったから間違いないんだよ。だから”僕は彼女と知り合いでは無い“のだ。
貴族というのは、お互い家名をきちんと名乗り互いに挨拶をして初めて”知り合い”となる。基本的なマナーだ。もちろん、今後とも名乗り返す気は全く起きないのだが。
「良い加減下がってくれないかな?君は名乗りもしていない、婚約者のいる人の腕を掴んでどこへ連れて行こうというの?」
言外に節操なしの阿婆擦れと言うと、見る見るうちに真っ赤な顔で怒りを露わにして去っていった。
「やれやれ。気を取り直して冷たい飲み物でも頂くとしようかな」
僕は近くの給仕を呼び寄せて、冷たい果実水をお願いした。