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それからは怒涛のような日々だった。
気がつけば隣国との境の治水工事へ、殿下のお供として行く事になり、帰ってきてすぐ学校の視察、話し合いに、王太子宣下の儀を受ける殿下の側にいた。
誇らしい気持ちを胸に、自分はこの方を主人と定めて、お守りすると心に決めて、護衛で付いている近衛騎士に話しかけたり、警護の報告書を受け取ってハリソン殿下に手渡していた。
学園に入るとハリソン殿下が生徒会役員に選ばれていたので、自分も側にいるために空いている庶務へと立候補した。
翌年に同じ側近候補であるエリオットが入学し、ハリソン殿下が会計へと誘った。
ここでも顔ぶれが揃ってしまった事に、小さな不満を感じつつ、学園の警護に気を配った。
その中で出会った、平民の生徒であるエミリー=クラスターは、明るい笑顔が印象的な親しみやすそうな女性だった。
時々差し入れをもらったり、朝練を見にきては褒めてくれたり、貴族から嫌がらせを受けているのかドレスに濡れたシミを作っていても、明るく跳ね除ける姿にゆっくりと惹かれていった。
何処かで自分がハリソン殿下の側にいなくても大丈夫だと言う気持ちがあったのだろう、エミリーに惹かれる気持ちのまま行動し出した。
一度顔を出さずにいると気が引けたが、何も言われないこともあり、ハリソン殿下の側にいないことが増えていった。
このまま伯爵位を継ぐにあたり、周りに反対されるかもしれないが、いずれ側近になる自分は重宝されると信じて、エミリーが居る明るく優しい未来に胸を躍らせていた。
それがあっけなく崩れたのは、定期試験直後のことだった。
試験が終わり、帰り支度をした後に教室を出ようとすると、出入り口に同じ生徒会書記のウィズリーが立っていた。
「オルレイン殿、どうかされましたか?」
「プロバースド様、お忙しいところ申し訳ございません。一応ご伝言をと思いまして。本日生徒会の活動はございません。皆早々にお帰りでございます」
「そうか。それは態々ありがとう。
その……同じクラスのエミリー嬢はまだ教室に居られたか?」
「……いいえ、私が出る時には、男子生徒しか見えませんでした。皆初めての試験が終わった事で、お疲れなのでしょう」
「そう……か。残念だ。では私も早々に帰るとしよう」
軽く一礼をしたウィズリーに目礼を返して、馬車止めに向かった。
いつも通りに馬車に乗り込むと、試験で疲れたこともあり、ぼんやりエミリーの事に想いを馳せていた。
馬車がゆっくりと止まり、扉が開かれたので外に出ると、見慣れない景色が広がっていた。
見覚えのない景色を見回していると、エリオットが建物から現れた。
「ようこそ、ニコラウス殿。歓迎いたします。ここではなんですから、応接室へどうぞ?」
何か口を開く前に挨拶をするエリオットを見遣り、ここで騒いでも仕方ないかと促されるままに屋敷内に入っていった。
通された応接室では、衝撃的な話が続いた。
候補はあくまで候補であり、何の権限も持たない事。
ニコラウスとは違い、エリオットは側近であり、ちゃんと鉄製の身分証がある事。
プロバースド伯爵位の次期当主はまだ指名されておらず、弟に当たる可能性がある事。
日々の目に余る行動に、やる気がないなら辞退しろと言い切られた。
あまりの衝撃的な内容から、エリオットへ憤るまま言葉をぶつけた。
「きっっっ貴様に我が家に口出しする権利はっっっっ」
立ち去ろうと立ち上がりかけた時、眼前に父上からの書状を掲げられた。
ヒュッと息を飲む間に、王妃様からの認可証もついでとばかりに見せられる。
「なっっっ!」
書類をエリオットからひったくるように奪い、手に持つと食い入るように見つめた。
「これで理解されましたか?伯爵様と王妃様に口出しを容認された、殿下の側近である私は、これでも『関係がない』と?いつまでも『面白いことを仰る』のですね?それで、あなた、どうしたいのです?」
何も言えずにいると、エミリーとの未来はなく、もし添い遂げたいと思うなら平民になり、平騎士からなればいいと言い放たれた。
『おれ…が平民?何も持たず、常に前線に出て命令を受ける立場に…?』
カッとなってテーブルを叩き、大声で反論した。
「ふざけるなっっ!一介の騎士風情になれと言うのか?!」
「はい。どっちかさっさと選んでください。爵位ですか?自由ですか?」
それはエミリーか、爵位ひいてはハリソン殿下かを聞かれているように感じた。
尊敬か恋情か。
何と酷い選択肢なのだと、目の前が暗くなる思いがして、何も言えなくなった。
「答えが出るまでは、こちらから出ないでください。ではまた明日」
連れて行かれた客室で虚な目で灯された光を見つめた。
── 平民か貴族か
──エミリーか殿下か
貴族であれば、迷わずハリソン殿下を選ぶべきとは頭では分かっていながらも、エミリーにしがみつく自分がいる。
きっと初恋なのだ。
温かく優しく強い彼女を手放すイメージが湧かないが、ハリソン殿下という忠誠を捧げた主人を振り切ることも出来ない。
平民である自分……許容できない。
悶々と考え更けていく夜。気がつけば天井に光の筋が見えだした。
ベッドに腰かけたまま窓に目をやれば、僅かに開いたカーテンから青白い朝の光が入ってきていた。
恨めしげに見つめていると、エリオットが挨拶をしながら入ってきて、ソファーへどうぞと示された。ひどい顔であろうが、そのまま晒して座ると早速とばかりに答えを求められる。
ずっと考え続けた中でどうしても譲れなかった事を思い、苦しいながらも口にした。
「……私は、平民にはなれない。貴族でありたい。これまで通り……いや、これまでとは違い爵位を継承できるように目指したい」
『エミリー、すまない…!』
悔しさにギュッと瞼を閉じれば、「分かりました」と静かに答えたエリオットは、急に手を打ち鳴らした。
「皆、本人が了承したっ!本日これよりオースティン家特製訓練メニューを実施する!全員これへ!」
寝不足の頭によく響くそれは、思考が低下しているからか、振り返るといつの間にか10名以上が現れた。エリオットが明瞭な声で予定を告げ、その集団は綺麗に礼を取った。
直後数名に囲まれ立たされると、手を体の横へ沿うようにただされた。
何か発言する間もなく、足払いされて横に倒されるかと衝撃に身を硬くしたが、衝撃は来ず、ガシガシっと力強くホールドされる感覚に驚いた。
気がつくとニコラウスは、数名によって小脇に抱えられて運ばれていた。
このままではまずいと感じて、何とか抱えられたままではあるが、待つように叫んだ。
「こんな扱いは許されない!俺は帰るっっ帰るぞっ!書状は昨日握り潰したから無効だっ!!分かったらさっさと離せ!降ろせーー!!」
しかし、笑顔を崩さないエリオットは懐から昨日の書状を出すと、サッと引いて綺麗に畳んでしまい込む。
「昨日のは“写し”ですよ。当たり前でしょう?」
なんて事だ…!そう思っているうちにエリオットは冷たい声色で「行け」と命じ、そのままの体勢で地下へと運ばれて行ったのであった。