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翌日からマティアスの奇行は始まった。
ふとモゴモゴと口の中で「俺が…そんなわけ…」と言ったり、マリアンデールと物理的に距離を取り、眉根を寄せながら微笑みを向けたり、柱や曲がり角からマリアンデールを見つめては頭を振ったり。
もちろんその奇行の全てを、半目になりながらもサラサラと小さな紙に書きつけるのは、セリだ。
侍従としてついてきていたトビーは、その両方の様子に呆れ顔だ。
屋根の上でうつ伏せになっていた体を転がして上に向ければ、1羽の鳥が飛んでくるのが見える。
全体的に茶色に白の斑模様の羽を持つその鳥は、最近導入した伝書鳥だ。国を越えての長距離の使用は今回が初となるのだが、この公爵家にきて頻度が増していた。
好物の果物を片手に腕を差し出せば、ゆっくりと降下してきてとまる。足にくくりつけた書簡を取り外して、暫く自由にさせた。
「今回も長いな。はぁ……ご愁傷様です」
トビーは書簡の到着をセリに合図で知らせてから、他領への調査へ繰り出していった。
****
すっかり邸内ストーカーと化しつつあるマティアスの後ろに降り立ったセリは、両手を口端に立ててマティアスの肩上辺りに寄って静かに声をかけた。
「危ない人ですよマティアス様」
「ぅおあっっ!……驚かせるなっセリっ」
「ちょっとココでは何なので、柱の影にでも寄っていただけますか?」
「ぉ、おう。……これで良いか?」
「有難うございます。それで、青ざめながら頬を赤くするなんて器用な顔の殿下、ご自覚なさいました?」
「いや……その…」
「はぁ、ではセリはマリアンデール様の幸せのため、ひいては殿下の未練を断ち切るために、あのいけ好かないスタンドール様を躾けて仲を進め、結婚秒読みまで頑張りますね。
では、失礼しま「待て待て待て待て待て、待てーー!」往生際が悪いです。殿下」
マティアスはセリの指摘に苦しげに顔を歪め、思わず引き留めるために掴んでいた手に気付いて緩める。
「認める、認めるが……認めた瞬間に終わる辛さがだな……」
「殿下は思った以上に臆病なのですね…」
「お前はどうなんだっ!他人事だからって好き放題言いやがってっっ」
「セリは落ちて砕ける前に、全力で走り込んで掴む努力をします。走って間に合わなかったとしても、目の前で砕けたとしても、すんごい悔しくても諦めて次に行けます」
トビーが聞いていたら、それって反射神経を鍛えるトレーニングメニューのことだよね?と言いそうだが、セリはマティアスの目をしっかり見つめながら断言した。
その言葉にグッと喉をつまらせて、また悩んでしまうマティアスは、「部屋に帰る」というと、俯き加減で歩いて行ったのだった。
***
ぼんやりと窓から外を眺める姿が固定化されそうなマティアスは、マリアンデールとの出会いから今までを、景色の中に浮かべてはゆっくり瞬きをする。その中をスタンドールの言葉が被さる。
『随分マリアとー……』
……。
『アレでも彼女はー……』
……ィラっ
『馴れ馴れしくしないで貰いたい』
……ィラっィラ
『彼女は私の婚約者です』
……ィラっィラィラィラィラ∞
「っっっっっっだーーー!!!!いいさ、砕ける?やってやるよっ!くそっ!」
座っていた椅子を大きな音を立てて倒し、足音を大きく鳴らして出て行こうとするマティアスの前を遮り、扉前を塞いだセリは落ち着かせるように「どぅどう」と両掌を向ける。
「馬じゃ無いぞっ!お前が言ったんだろっ!お望み通り砕かれに行ってくるっ!そこを退け!!」
「はぁ、まぁ落ち着いてください。吸ってー、吐いてー。止めてっ吐くー」
「できるかっ……なんなんだよっ」
なんだか残念なものを見るような目で、マティアスを見やったセリは、取り敢えずソファーへ「お座りください?」と促した。マティアスを座らせると、お茶の準備を始める。
広がる香りに少し心を落ち着かせたマティアスは、一応とばかりに淹れられたお茶に口をつけた。
頃合いを見て、マティアスの近くに背筋を伸ばして立ったセリは、ゆっくりと口を開く。
「今の状況で駆け寄って、何て仰るつもりだったんですか?」
「何って……す……す……すっっきだと……キッパリいうんだろっ」
キッパリ、言えてませんよ?と視線で告げるも、顔を逸らして見ないフリで答えたマティアスをため息で責める。
「セリには目に浮かぶようです。今から突撃して、驚いたマリアンデール様が咄嗟に断り、枕を濡らした殿下が、残り3週間弱の滞在日程中、マリアンデール様を避けに避けて自己嫌悪に陥り、傷が癒えるまで頭にキノコでも生やす勢いでいじける様が」
「……そこまでっ「無いと言いきれますか?」ぐっっ」
「逆にまだ時間がありますから、マリアンデール様にアピールしましょう。いっぱい見てもらって、それで最後の日に想いを告げれば、結果がどうあれ納得できるのでは?」
「な、なるほど…アピール…どうするんだ?」
そう尋ねたマティアスに、ニンマリ微笑み、「まずはですね…」と口を開くセリの後ろに回った手には、いつぞやに届いた書簡が握られていた。
****
その日の午後から、マティアスは積極的にマリアンデールと時間を共にした。
薬草園を手伝い、馬に乗り、ピクニックをし、街に出ては小さな贈り物、花を毎日1輪贈るなどなど。
「いいですか?ありきたりでも、やらないよりやって貰った方が印象は良くなります。
気安くてもエスコートは忘れない。勢いで手を握っていっそそのままで。どんな危険からも守る気持ちが大事だそうです」
「気のせいか?伝言みたいな言い方だな」
「…。次行きますよ、次!あ、殿下、汗っぽいので湯あみしてください。四の五の言っていると水浴びにしますよ」
「おまっ鬼かっっ!くそッさっさと準備しろっ」
***
マティアスの、マリアンデールへのアピールはジワジワと効果を発していた。
マリアンデールは自室に戻ると、お気に入りのソファに腰掛けて、テーブルに置かれた花瓶の花を見つめた。
今まで父親か、薬草園を手伝う高齢の庭師くらいしか話が合わず、あのスタンドールさえ退屈そうにするのに、面白そうに聞いてくる。
「貴族の女が土いじりなど」「恥ずかしげもなく荒れた手や焼けた肌を晒せるものだな」なんて事は言わない。
一緒に手伝って、日に焼けた鼻を笑い合った。毎日くれる花が、全て自分の髪と同じ茜色だと気づいたのは、花瓶に挿していった花が小さなブーケになるくらいになった頃。
自分より少し背の低いマティアスを弟のように接していたはずなのに…
じんわりと胸の真ん中が温かくなる気がして、花瓶ごとベッドサイドに移してからベッドに潜り込む。
もうすぐお別れになると思うと、手先が冷えた気がしてキュッと握り、温まった胸に当てた。
そうして夢に落ちるように、ゆっくりと目を閉じた。