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「…では侯爵家主体で工房の研修制度を?」
「ええ、まぁ。始めたのは祖父の代ですが」
「よければ、あと半年ほどウズヴェリアの各所を回っていく予定なのですが、お伺いしても?」
「……どうでしょうか?父に聞いてお返事いたしますよ」
「私も是非お伺いしたいですわ。結局幼少の頃に一度だけお伺いしたきりでしたもの」
「マリア、行けたら是非一緒に行こう。馬も良いな。乗れる?」
「もちろんよマシュー。競争してみる?」
「良いね、楽しそうだ」
紅茶を口にしながら、そっと冷めた目で2人を見つめるスタンドールに気づかず、楽しげに笑うマティアスとマリアンデール。
それを壁際で観察するセリは、その光景を「コレはもしやジュリ姉が言っていた…スパイス要因と言うやつ……?!」と小さく呟いていたのであった。
***
お茶の時間も終わり、スタンドールを見送るためにエントランスに向かう。その途中でマリアンデールが、薬学研究の機器に関する資料を持ってくると言い、いったん分かれてエントランスでまた落ち合う事となった。
白とレンガ色の大きなタイルでモザイク柄に彩られた廊下を、2人分の足音が響く。
スタンドールはスッとマティアスの前を遮ると、なんの感情も読めない表情で突然切り出した。
「どういうおつもりかは知りませんが…もうすぐ別の領地に、立たれるのですよね?」
「ああ。そう…ですね。予定では1ヶ月ほど」
「随分とマリアと仲が宜しいのですね?」
「……色々と案内してもらったりしていますから。何です?」
先がわからない質問を投げかけられ、怪訝な顔で見返してしまうマティアスに、読めない顔を向けていたスタンドールは、片端だけ口角を上げて、嘲るように告げた。
「アレでも彼女は私の婚約者です。あまり馴れ馴れしくしないで貰いたいのですよ」
その言葉の衝撃たるや。
「…!……婚約…者?」
なんとか驚愕を顔に出さずに、眉を顰めるに留められたのは、頑張ったと言いたいくらいだった。
そんな内心を見透かすように、スタンドールは続けて言葉を刺すように放つ。
「ご存じなかったようですね。親同士が決めたものですが。そういう事なので、常識の範囲内で仲良くなさって下さい。では、また機会がございましたら」
そう言うと、靴を鳴らしながら、廊下を進んでいくスタンドール。
なんでもない顔をして、後をついてエントランスまで行けば良いのに、その背から目が逸らせず、足は持ち上がりそうにないほど重く沈むようだった。
見えなくなると、視線は自然に下がっていく。
重さに耐えかねたように、壁に手を伸ばせばそのままもたれ掛かるように壁に背を預ける。
何をそんなに…何がこんなに重いのか分からない。
分からないが、胸に走る抉られたような痛みだけは確かだった。
あれから気がついた時にはセリに先導されて部屋に戻り、リビングのソファに深く沈み込んでいた。
無言で出されたお茶の湯気を目で追い、時折走る痛みに眉根を寄せていると、セリが見かねて声をかけてくれた。
「どういうご事情か分りかねますが……そんなに欲しいなら横から取ってしまわれないのですか?」
「何を……」
「……。えっと流石にお気づきになられたんじゃ…?」
「何が……」
「えっっえっっ?」
嘘でしょ?とモゴモゴ呟きながら焦り出すセリに、眉根を寄せたまま見ると、咳払いをして目を閉じて一呼吸おいた。
パチっと勢いよく開くと、ぺこりと頭を下げてそのまま謝罪した。
「失礼に値するかもしれないので、先に謝ります」
「なんで…」
「主様のアドバイスです。『先に謝れば相手は怒りにくくなる』だそうなので」
久々にエリオットの話題を聞いて、寄せていた眉も勝手に解放され、なんだか脱力してしまった。
「ああ。なんだ。もう良いから言いたいことがあるならさっさと言え」
「はいっ」
ピョコンと頭を元気よく上げたセリは、淡々と話し出した。
「初めてのお出掛…ではなく、外交を含む旅で出会った、まともで聡明で偏った選民意識を持たない、美しい年上の女性にゆっくりと深く心惹かれたマティアス殿下。
初恋拗らせる前に、横からかっさらうなり思いを告げて砕けてみるなりしないのですか?」
「……はぁ?はつ??え??はつこい?俺が?マリアンデール嬢に?」
「まだそんな事を…」
呆れたようにため息を隠さずに吐くセリに、マティアスは対抗意識が燃えて言い返した。
「外に来たからと出会ったマリアをす…すす…好きになるとか…如何にも女が好きそうな物語だな」
「はぁ。セリは一言も年上の女性を、マリアンデール様だとは申し上げておりませーん」
「!!!」
「その条件でしたら夫人も当てはまりますしぃ?何だったら、ここまでに何人かお会いした誰かって言う可能性もあるはずじゃないですか?即答した時点でもう落ちていたのでは?」
「!!!!」
「ジュリ姉も言っていました。気付いた後に取る手段は早ければ早いほど良いと。……ちょっと何が良いかは分かんないんですけども。またジュリ姉に飛ばして聞いてみなくっちゃ」
「俺が…マリアに?そんなまさか…」
「はぁ、まだそこですか?はい、こちら手鏡でございます」
セリがサッと取り出した小さな手鏡には、真っ赤に染まった自分の顔が映っていた。
その事にも衝撃を受け、凝視したまま固まってしまった。
「セリはあの男、気に入りません。マリアンデール様を“アレでも”って言いましたし、お茶会でも一番遠い席に態々座ってました。なのに牽制するってチグハグで気持ち悪いです。それが“政略”だって言うなら何も言えませんが。マティアス殿下は一応王子様なんですし、横から入っちゃえるんじゃないんですか?
……その様子じゃあまり耳に入らなそうですね。ここまでにしておきますので、どうぞごゆっくりなさって下さい。他の同行者には自由に回ってもらうように言っておきますね。では」
またペコリと頭を下げてから出て行くセリに、マティアスは目もくれずに見開いたまま「俺が…恋?」と呟いていたのだった。