1話 音楽係は納豆の狂信者集団?
「よし、できた」
かき混ぜていた"それ"を機械の上に乗せた。その横には少し前に完成した"それ"も置かれている。これでどちらに転んでもすぐに対応できるだろう。
今度こそ大丈夫。
覚悟を決め、正面の巨大スクリーンを見る。
『はっ、くっそ……!』
『はぁ、はぁ……』
スクリーンには勇者と魔王の激戦が映し出されていた。両者ともに肩で息をしており、そろそろ決着がつきそうだ。
勇者様、頑張ってください。声に出すことはせず、心の中で勇者に声援を送る。
彼らの攻防をはらはらしながら見守っていると、とうとうその時が来た。
『死ね! イケメン野郎!』
褒めているとも取れる罵倒と共に繰り出された魔王の右ストレート。それは吸い込まれるように綺麗に勇者の顔面に決まった。
『グホッ!』
勇者が血を吐き出し倒れ込む。先程までの喧騒が嘘のように静まり返り、無音になった。
スクリーンの端に目を向けると、勇者のHPが見る間に減っていっていた。そしてとうとうゼロになる。
ああ、勇者様の負けだ。バッドエンドか。
残念に思いながら、私は先程かき混ぜた"それ"を機械の投入口に入れる。続けて横のスイッチを押した。
――瞬間、無音を切り裂くように流れ出したのは軽快なレベルアップの曲。
『……は?』
これには思わず、倒れていた勇者から驚きの声が上がった。魔王も動揺しているのか、ワタワタと動き回っている。あっ。
『グッ!?』
ああー、魔王が勇者様の顔を踏んじゃった。あれは痛そう。
『喧嘩売ってんのか!?』
勇者が瞬時に魔王の足をどかして立ち上がると、魔王の胸ぐらを掴む。
『ちっ、違うよ! ムカつく顔が地べたに転がってるなって思ったら体が勝手に! 無意識だったんだ! 気がついたらいつの間にか不快なものを消し去ろうと動いていただけなんだよ!』
『やっぱお前喧嘩売ってんだろ!』
勇者の怒りの炎を鎮火しようと魔王が言葉を連ねる。が、しかし全然できていない。むしろ火に油を注いでいる。わざとだろうか。いや、あの魔王のことだから天然かな。
『おいおい、何だよ今の曲。またか? もしかしてまたやり直しなのか!?』
大量の雑魚を相手にするために魔王戦前に別れた剣士が、嬉々として勇者と魔王のもとへと駆け寄っていく。
何故嬉しそうなんですが、馬鹿野郎。人のミスを嬉しがらないでください。
というか、何で今出てくるんですか。出番は今じゃないでしょう。さっさと引っ込んでください、引っ叩きますよ。
そこまで考えて、いやだめだと自分の意見を否定する。
そんなことしたら変態な剣士は喜んでしまう。ああもう、ドMは扱いが難しいな。
『大丈夫ですか勇者さん!』
剣士の後ろから、同様の理由で別れていた白魔道士が慌てた様子で走ってきた。
勇者のもとにたどり着くと、すぐさま治療を開始する。どんどん勇者の傷が塞がっている。さすがだ。
あ、いや違う、感心している場合じゃない。待ってください、白魔道士さん。今はまだ治療する時じゃないんです。シナリオにない行動をされると困るんですよ。
て、あー、いや、まあ、うん。最初にシナリオをぶっ壊した私が言っても説得力ないよなー。そもそも声に出してないし、出してても私の声はあっちに聞こえないもんなー。
思わず遠い目をしてしまった。
さて、そろそろ現実逃避も止めだ。しっかりと現実を見なければ。
と、いうことで。
「あああああああッ! やってしまった! またやってしまったッ!! ごめんなさいいいいいいいいいい!!」
絶叫である。
本来、この場面で流すべきは重々しいバッドエンドの曲だ。だというのに実際に流れたのは重々しさなんて欠片もない、軽快なレベルアップの曲。場違い感が半端ない。
その曲を流してしまったものとして、非常に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
だが信じてほしい。私は決して、意図的にその曲を流したのではない。私はちゃんとバッドエンドの曲を流そうとしていた。だが何故か実際に流れたのはレベルアップの曲だったのだ。
それもこれも――。
先程私が操作した機械をキッと睨みつける。
あの機械は私たち音楽係の必須アイテム――音楽を掛けるための機械だ。投入口に燃料を入れ、投入口の横にあるスイッチを押すことで曲が流れる。
操作は至ってシンプルだが、扱えるものは少ない。
あの機械は納豆を原動力として動く。選曲方法は納豆の甘みやネバネバ感、香りなどを踏まえた味の総合評価。感知機能が高く、ほんの少しの違いも認識する。そのため数多くの曲を流せるのだ。
だがその代わり、加えるタレの味はもちろん、かき混ぜる回数、速さ、さらには室内の温度や湿度が1メモリ違うだけでも流れる曲が変わってしまう。
そのため音楽係は様々な要素を見極め、狙った曲を流せるよう納豆をかき混ぜる必要があるのだ。
修行を積んでいないと音すら出せないが、ベテランにもなるとたった1回で100回かき混ぜたような評価を得られるらしい。怖い。音楽係って何だっけ? 納豆の狂信者集団?
ちなみに原動力が納豆なのは、アレの開発者が無類の納豆狂いだから、だそうだ。開発者も怖い。
それにしてもなんて面倒くさいものを作ってくれたんだ。もっと万人が扱えるものを開発してよ。そうだったら、こんな――……いや、違う。
アレのせいにするのはお門違いだ。全ては自分の力不足ゆえ。思考を振り払うように頭を振る。
とにかく今はこの状況をどうにかしなければ。
スクリーンにまた目を向ける。
『ぐふっ!』
ちょうど魔王を殴ろうとした勇者の拳を、剣士が顔面で受け止めているシーンだった。剣士は恍惚とした表情を浮かべている。非常に気持ち悪い。
白魔道士が剣士を回復しようとするが、怪我した本人に止められて困惑していた。
『えっ、えっ!?』
『気にするな白魔道士。こいつは変態だから。こいつに使う魔力が勿体ない。無視しろ』
『わ、わかりました、勇者さん』
『いい……、いいぞ。勇者。もっとだ。もっと俺に暴虐の限りを尽くしてくれ……!』
『やらねぇよ変態剣士! その表情をやめろ! 気色悪いんだよ!』
『ああ! いい!』
『喜ぶな!』
『どうして勇者たちが仲間割れをしているんだろう……? 僕が敵足り得ないから? そうだ。魔王なんて誰でもできる敵役すら全うできない僕が悪いんだ。全部僕の所為……』
『魔王も魔王で突然ネガティブになるな!』
『うわっ、仲間にも暴力を振るう凶暴な勇者が怒鳴ってきた。凶暴勇者だ。怖い。あいつこそ魔王だよ』
『……なあ魔王、その喧嘩いくらだ? 言い値で買ってやる』
うん、カオスだ。
どうしたらいいだろうか。もはやこの状況を正常のシナリオに戻すことは不可能だ。とにかく今は事態の収拾を図るべきだろう。しかしどうやって? また彼の力を借りるしかないのか?
考えながらぐるぐる歩き回っていると、ぽすりと誰かに抱きとめられた。誰か、といったもののこの場にいるのは私を除くと1人しかいない。
のろのろと顔を上げて相手を確認する。予想通りだった。背中をポンポンと優しく叩かれ、じわりと涙がにじむ。
なだめられている。また私はこの人に助けてもらうのか。情けない。……でも。
「大丈夫。任せて」
彼は私に向かって微笑むと、耳元に口を寄せそっと囁いた。
……でも、安心、するのだ。
私を抱きしめたまま、彼はマイクの電源を入れると私に対するものとはうって変わって無機質な声で語りだした。
「――魔王のレベルが上がった!」
『――魔王のレベルが上がった!』
彼の口から出た声とスクリーンの中の声が重なる。
『はあああああ!?』
『あああああっ!!』
勇者と魔王の絶叫がスクリーンを飛び越えこちらの部屋全体に響き渡った。
――申し訳ございません、勇者様。勇者様が魔王を倒すのはもう少し先になりそうです。