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西王母の桃

作者: ピーチぷりりん

古い話を持ってきました。

西王母の桃が手に入った。


不老不死の秘薬などと言われているが、本当のところはわからない。正月の餅細工のような色をしていて、指三本の上に乗るくらいだからさほど大きくは無い。みずみずしく高雅な香りが漂い、遠い仙境の風を運んできてくれる。しばらく弄ぶうち、どうしても食べたくなってきてしまった。いけない、何が起こるかわからない、と思っても喉が鳴る。


どうした、何だそれ。


背後の声に飛び上がるほど驚いた。振り向くと友人がいる。物欲しそうな目で桃を見ている。嫌な奴に会った。こいつに食われるくらいなら…私は即座にがぶりといった。


桃が、噛み跡を中心にばっと“開いた”…ひまわりの花のように。果皮が風呂敷みたいに大きく広がる。あっという間に私の頭を包みこんだ。苦しい。もがけばもがくほど、ずるずる引き込まれてゆく。やがて全身が、ぬめぬめとした果肉に包まれていった。


私は一面黄色い世界に浮いていた。背後には赤い壁があり、どこまでも続いている。触れるとぷよぷよして、突き破れそうなほど柔らかい。しかし実際に体当たりしてみると、体の形にへこむだけで、少しも割れない。黄色い世界は半透明のゼリーに満たされていて、辛うじて呼吸はできるものの、強烈な甘い香りに頭がくらくらしてくる。


 どうやら桃に飲まれてしまったらしい。


 さすが西王母の桃だ。


しかしどうやって脱出すればいいんだ。


途方に暮れる私の目に、遠く丸い影が映った。目を凝らすと薄明かりの差し込む果肉越しに、黒い物体が透けて見える。とりあえずあそこまで泳いで行こう。手を掻い出し足を蛙のようにして、果肉をじゃくじゃく掻き分けていく。百掻きもすると、全貌がはっきりとしてきた。それは紛れも無く桃の種だった。


この種さえあれば、西王母の桃を量産できる。やあ、大金持ちだ。私は小躍りして喜んだが、いざ着いてみると種は余りに巨大だった。小さな星のようだった。さざ波のような襞に覆われた固い表面に降り立つと、やっと人心地がついた。やはり地面があるというのは落ち着くものだ。少し休憩して、一周してみることにした。


しばらく歩くと、地平線のむこうに、細長くうねるモノが見えた。目を凝らすと、灰色の体に、伸び縮みする青い内臓が透けて見える。桃虫だった。桃虫なら桃のエキスパートだから、脱出の仕方も知っているだろう。


少し希望がわいてきた。


私は大声で桃虫の名を呼んだ。果肉を掘り進んでいた桃虫は、ぴうっと縮んで、マッチ棒くらいになったと思うと、体を反らせ、こちらを向く。


やあ、お仲間だね。


オナカマという言葉に抵抗を感じたが、とりあえず挨拶を返して、事情を説明した。


 それはそれは。


桃虫は、にやっと笑った。


覚悟しなきゃな。


どういう意味なのだろうか…


 桃虫さん、ここから出たいんだけど、どうすればいいでしょうか。


おまえは桃を食ったろう。


私は肯いた。


だったら出る事は許されぬ。


許されぬって…それは一生ここで暮らせ、ということですか。


 恐れていた通りだった。食うんじゃなかった。しばし言葉を失う。桃虫は、私の顔色の変化を確かめるように、次の言葉を口にした。


だが、おまえは選ぶことができる。


選択ですか。一生ここで暮らすか、もしくはどうなるんですか。


生まれ変わるのだ。


生まれ変わる…


赤ん坊から、人生をやり直すのだ。


…死ねということですか。


絶望が目を充血させる。


死ねというのではない。生まれ変われと言ったのだ。おまえは違う人間として出直すことになる。しかし、ただ生まれ変わるのではない。おまえには、希なる「英雄」としての、新しい一生が授けられる。歴史に名を残し、後世の誰もが知っている人物になる。全てが約束された人生が与えられるのだ。


そんなの嫌です。他に方法はないのですか。


桃虫は少し間を置いて言った。


 嫌なら、待つがよい。いつになるかわからんが…他の誰かが入ってきたら、


 誰かが入ってきたら、どうなるんですか。


生まれ変われるのは、ひとりだけだからな。その者が承諾すれば、外界へ戻されるだろう。


 桃虫はそう言い残すと、すれ違いに去っていった。


私は腹をくくった。座り込み、待ちの体勢に入った。友人のことを思い出す。腹の減ったあいつなら、あんな事件を目にしても、結局拾って食う気がする。ひょっとすると、もうとっくにこの世界へ来ているんじゃないか。美味しそうな桃だから、他の誰かが拾う可能性だってある。気長に、気長に待とう。寝転んで、目を閉じた。


…しかし。


しかし考えてもみよ。今まで私の人生は平穏だったが、ありふれたつまらない日々の繰り返しだった。今までそうだったのだから、これから先も、そのままの一生なんじゃないか。そんな人生など有って無いようなものじゃないか。幼い頃は偉くなって、人々に尊敬されるような人間になりたかったものだ。金持ちになりたいなんてことは二の次だった。でも今の私は、尊敬もされなければ金持ちでもない。せめて金持ちになるということしか頭に無い。こんな人生には、私には、価値はあるのだろうか。…天帝の桃に棲む桃虫は言った。確かに言った。生まれ変わらせてやると。歴史に名を轟かす程の大人物に、生れ変わらせてやると。


あいつに取られてなるものか。


私は立ち上がり、踵を返して走った。桃虫にはすぐに追いついた。


誰も来てませんよね。


桃虫は肯いた。


私を生まれ変わらせてください。


桃虫は、にたりと笑うと、種の一角を指差した。そこは表皮が欠けていて、人一人やっと潜り抜けられるくらいの穴があいていた。桃虫は、ひょろ長い体をちゅっと縮めたかと思うと、見えなくなってしまった。


穴まで行くと、泉のように清冽な水を湛えていた。この中に入れというのだ。体中がエキスでべとべとの状態だから、さっさと入って洗いたいと思った。無理に体を押しいれようとする。やっと抜けた頃には、全身の服が脱げてしまった。ちゃぽんと入ると、体が小さくなったような気がした。はずみで髪がぞろっと抜けた。暖かい水の中でぼうっとしているうちに、そんなことどうでもよくなっていた。親指を咥えてみると丁度具合が良い。そのまま咥えていた。一番落着くのは、身を守るように丸まった体勢だ。まるでかぶと虫の幼虫のようだ、と苦笑していると、腹のあたりがむずがゆい。見ると、臍がにゅうと伸びて、内壁にへばりついた。やがて腹中に美味しい液体が流れ込んできた。口も手も使わないでこんなに美味しいものを頂けるなんて、ものぐさになってしまうな、と思ったが、生来ものぐさなのだし、今更しょうがない。両の瞼が重たくなってきて、肌色の光景はだんだんと遠のいていった。


子供の頃であるらしい。誰かの背中に揺られていた。


起こしてしまったかね。


懐かしい、もうずうっと聞いていなかった声だった。眠気を堪えながら、精いっぱいの笑顔をした。姉は振り向いて、にっこりと笑った。赤い頬をしていた。遠い昔に亡くなったはずだった。でも姉の背は暖かく、すうすう寝息が出てしまう。ふと額に何かがとまった。手を伸ばすが届かない。頭を振ると、飛立ったのはとんぼうだった。赤とんぼうを目で追うと、田圃むこうの丘に沈む、真赤な夕日に行き当った。夕焼けを見ながら、懐かしさでもう胸が一杯だった。無数のとんぼうがシルエットとなって、夕陽の前を横切っていく。私は声にならない声をあげた。姉の背が揺れた。姉は肩越しに風車を突き出した。私はその色に見覚えがあった。黄色と橙の色紙で出来た風車に、思い出せない想い出があった。からからと鳴る素朴な風車を北風にさらしながら、はっきりした言葉にならない奥底から込み上げるものがあって、胸が張り裂けんばかりだった。想いは、峠道のむこうにあらわれた人影を見たとき頂点に達した。姉は駆け出していた。


おかあちゃん。


…夢の中で、声に出して泣いた。こんな声が出るのかというくらいだった。涙が出て止まらない。一滴一滴に何か大切なものが入っているような気がして、それを思うとますます悲しくなってきた。叫ぶように泣き続けた。


ふと気がつくと、目の前には老夫婦がいて、こちらを覗き込んでいた。奇妙な帽子を被った老夫は、鉈を片手に唖然としていた。白髪交じりの老女は、皺だらけの笑みを浮かべていた。桃は割れて粉々になっていたが、非道い感傷の中にいた私は、そのまま大声で泣き続けた。泣くうちに、忘れていった。


おう、よしよし。泣かない泣かない。


老女が何やら言っているのが聞えたが、もう意味を理解できなかった。


 桃太郎と名づけましょう。


老女は手を伸ばしてきた。脳裏には、かすかかに“後悔”の二文字が浮かんだが、抱き上げられ、あやされながら、もう全部忘れた。


(1999/4)

錆びついてたでしょう。誰だ安吾だとか言ったの。向こうさんに失礼。

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