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満月の約束

作者: 結月勝道

【プロローグ】


満月の夜は必ず思い出すことがあるの。静寂に包まれた一人きりの時間。

まぶたを閉じると映画やドラマのシーンでも見ているかのように、はっきりと目に浮かぶの。


このまちで、思い出と共に時代は流れても、変わらない景色。


市役所の3階、東側の窓に切りとられた情景は、私たちが、そうだったように、公園を走り回る子供たちが今も写し出される。

縁取られた緑豊かな景色の中、大きなクスの木がそびえ立っている。

今も昔も変わらずに、この場所で見守っていてくれている。変わらないまちのシンボルとして。


受話器の向こう側のあなたの声、


「なぁ~リン、おれ死んだら泣いてくれるか?」


「もちろんよ。でも、どうして?」


「別に、ただ聞いてみたかっただけ・・・。」


当然の答えを、さも意味ありげに問いかけるものだから、何かあるのかと思うじゃない。

でも、あなたはいつもそうだったわ。


「やっぱいいや」って。


言いたくても言わないあなたなりの優しさ。

でもね、その優しさをわたしにはかけて欲しくはなかったの。

あなたにとって特別な存在でありたかったし、本当のあなたを受け止めたかったから・・・。

いつものことと先に聞いてみたの。


「また、やっぱいいやって言うんでしょ?」


「う、うん、ただ、必ず約束は守るよ。」


そう答えたあなたの声と


「必ず約束は守る」って言葉は、


今でも脳裏に焼きついたままなの。


永遠という約束。あなたがいない未来に永遠はあるの?

繰り返し繰り返しその意味を考えながら、眠りにつくような日々を送ってきたの。


あれからどれくらいの月日が流れたのかしら?

平凡だけれど振り返れば私の人生、家族や友人、お友達、みんながいてくれて、とてもしあわせだったわ。ただ、形のない本当のしあわせに彩りを加えてくれたのはあなただったの。

最初で最後の永遠という恋心。初恋。誰にもいえない秘事。


自称シンガーソングライターというあなた。

久しぶりにあなたの歌声を聴いてみたわ。

動画サイトにオリジナル曲がアップロードされていたから。

オンライン上で世界中のどこででも会える、繋がっている。

もしも願いが叶うなら、同じ時間に同じ動画をみていたいと思うトキメキ。

二人で思い描いていた日常を、私への思いをあなたがうたってくれていたものだったから。

不思議ね、今でもこうして目を瞑り、あの頃のあなたの歌声を聞いていると、時間が止まっているかのように思えるわ。

そしてこの思いも変わらず私の心に残っているの。

人生のほんの短い間の出来事だったけれど、たとえそれが流れ星のような一瞬の輝きでも、私には永遠に感じられたの。


そうだったのね。あなたはあの時もう、約束を叶えてくれていたのね。

今、夜空に満面とひまわりのように咲く満月にあなたを思うの。


この宇宙そらの下、どこかで今も歌っているあなたの声が聞こえる・・・・!


【出会い】


富士山のふもとにあるここ裾野市で、私たちは出会った。

このまちは富士山をはじめ、箱根山、愛鷹山のふもとにあり、南北に黄瀬川が流れ、その周囲の平地に市街地が広がる。

静岡県東部のベッドタウンという位置づけで紹介されている。

大手企業の研究所は、このまちの柱。

私の父はそこで働く研究者。

ここ裾野市には、小学5年生の頃、愛知県から移転してきた。

研究者だった父。仕事への情熱は、幼い頃からずっとすごいと思っていたけれど、母に対する愛情、家庭、子育て、すべてまかせっきりの父。

高度成長期の真っ只中、どこの家庭も同じようなもなのかもしれないけれど、母は、仕事一筋に生きる父を受け止められなかったこと、さみしかったことは、一番つらいことと、今の私には理解できる。

離婚し、実家の愛知県で暮らしていることだけは、聞かされていた。


移転先の裾野市では、借家に住む父と私。

古い木造作り、一階に車庫がある2階建。

洗濯物干場となる屋上もあり、見た目よりは機能的。

裾野駅からまっすぐ西へ続く駅前通りには、たくさんのお店が並ぶ。

レコード屋さん、自転車屋さん、宝石・時計屋さん、八百屋さん、魚屋さん・・・・・。

全てがこの通りにあった。

新聞配達を一手に請け負う本屋さんを過ぎたところで、横断歩道を渡り、北にのぼる市役所へと続く道。

その道の左手に電気屋さん、その隣にあるのが私たちの借家。

さらに隣にはラーメン屋さんにピアノ教室がある。


小柄沢川を分岐する雑木林は、まちなかに立地する商店街の環境と相まって、そのままの自然が残されている緑豊かな場所。

川のせせらぎ、鳥のさえずり、ピアノのしらべ。

駅前通りを走る車の音、商店街のにぎわう声。

耳を澄まして聞き取る景色は、どれも都会とは違う。


それが私の越してきた『まち』だと思った。


引っ越しの最中、大きな段ボール箱を運ぶ私に向かって、ひとりの小学生が、ブロック塀の陰から声をあげる。


「お、重そうだな!」


「大丈夫よ、ありがとう。」


そういうと、


「女は甘えてりゃいいんだよ!」


急いで駆け寄り、段ボール箱を奪うように、小さな小学生は精一杯の力で運んでくれた。

その小学生は、私の借家の真向かいに住んでいる勝道だった。

歳は私のほうが3つ年上。

人見知りのくせに、やんちゃな勝道。

年下のくせに、生意気だとは思わなかった。

引っ越してきたばかりで、誰の助けもない中、頼りになる小学生に、安心感を抱いていた。


勝道の両親は、駅前通りでスナックを営んでいる。

帰りの遅い私の父、そして勝道も夜は一人きり。


「リンちゃん、勝道お願いね。」


「ママ、任せといて!」


ママと呼ぶのは商店街のみんながそう呼んでいたから。

このまちの近所付き合いはとても仲良く、家族のようだった。

助け合いも当り前のことだった。

父子家庭ということもあって、ママがいつも夕食を用意してくれていた。

二人きりで過ごす夜は、必然だった。

一人っ子の私にとって、本当の弟ができたように思えて、とてもうれしかった。


転校して初めての登校。いわゆる田舎のガキ大将は近所の同級生、Kちゃん。絶対にイジメさせない大将の懐は、もう子供ながらにして大きな器を感じる。おかげで、転校生にありがちなイジメは一度たりともなかった。


毎朝、Kちゃんのリードで、安心して学校に行けることは、本当に頼もしい限り。

田んぼの中の一本道。小さな小川に、キラキラとした子魚が群れをなしている。

とても近くに見える富士山、大きくクチを開けているかのような宝永の噴火口と宝永山、

このまちからみえる富士山の形はとても美しい。

毎日みることのできる富士山。子供ながらに感動したことを覚えている。


勝道も私も、ガキ大将たちに連れられて、すぐ近くの小柄沢川にオイカワを釣りにいった。

釣りをするには餌が必要。

川の中の石をひっくり返し、くろかわ虫とやらを捕まえる。

他には、地蜘蛛という土の中に袋状の巣を作る蜘蛛を巣ごとそっと引出し、捕まえる。

その蜘蛛も餌にしていた。


とてもきれいな川だった。

カワトンボ、タニシやタマムシ、カワセミも時折その鮮やかな姿を見せてくれていた。ほんの十数メートル先には、このまちのメインストリートがあるとは思えない。

初夏には、ホタルも飛んでいた。

薄暗い夕暮れ、勝道に連れられてホタルを見に行く。


「リン、あの光なんだかわかるか?」


「わぁ~きれいね。ホタルが二匹ならんでる。」


「バカ、ありゃヘビだよ。」


懐中電灯の明かりに並列の緑かかった光、本当にヘビの目だった。

自然の中で出くわす本当のこと。この環境で育ち暮らしてきた彼らの体験談はすべて真実だった。


「あの木の一番上にいる、シャーシャーって鳴き声は、クマゼミ。


メスのセミは鳴かないんだぜ。」


「へぇ~、ツクツクボウシは知ってるけどね・・・勝道、昆虫博士みたいね。」


「まったくバカだな、昆虫ってセミだけじゃないだろ。カブトムシやクワガタ、カナブンとかさ。知ってるか、樹液にはゴキブリだって群がるんだぜ。」


「わぁ~気持ち悪いよ~。」


「イモリもヒキガエルも、アメリカザリガニだって卵から育ててんだ、おれ。」


犬も猫も生きるものすべてを見守ってきたかのように、実際に育て体験をしている。

ニンニンゼミはニイニイゼミで図鑑通りの学者さんとは違う、勝道の知識として残っていることは、このまちらしさを物語るような、方言や風習といったものと、そう変わらないものだと思う。


ママに教えてもらった勝道の一遍。

ネズミ取りに捕まった子ネズミを飼いたいと言っていたそうだ。

勝道は、そのネズミが川で溺死させられることを知っていた。

野生の王国を支配する百獣の王は、どんな小さな命をも守る。

勝道が勝道である人格形成は、もうこの時すでにできていたと思う。

やさしさと厳しさを持つ器は、持って生まれたものよりも、体験する人生で大きくなるものだと私は思う。クチでいうほど、強くもないくせに、見栄っ張りということは、誰が見てもわかるのに・・・。そこがまた憎めないことが憎らしいのでけれど・・・。


私たちの通っていた小学校はもともと借家のすぐ北側にあった。

広大なグラウンド、キャッチボールを良くしていた大将たち。

運動があまり得意ではなかったから、いつも藤棚の下のベンチで座ってそっと見ているだけ。

それでも、転校したての私にとっては、一番安らげる場所。

そして、大将や勝道たち仲間とのコミュニケーションは、共にする時間と、経験、キャッチボール、言葉にしなくても伝わるものがあったように思った。


そうそう、自転車に乗れるようになった場所でもあったわ。

何度も何度もよろけながら、ようやく乗れるようになったのも、しっかり後ろで支えてくれた大将たちのおかげ。


「やればできるじゃん」


照れくさそうに笑顔で送られた言葉。

みんな、自慢げに仲間の成功を祝ってくれたのは、今でも忘れないでいるの。


小学校の跡地には市役所が建設されている。

勝道たちにとっては、恰好の遊び場所となった建設中の市役所。


大暴れ。


市役所の地下駐車場へ下るスロープ。

ゆっくりと下りながら、徐々に高さを増していくボコボコした白い壁。

下りきった一番高い場所を勝道は指差して、上からのぞき込んでいる。

3mくらいの見上げる壁。


「リン、下で見てて!」


パッと姿が消えたと思ったら、突然、つつじの植え込みから、ジャンプ。


とっさに助けなきゃ・・・そう思っても体は恐ろしくて動かずに息を飲む。


「ダ~ン!」


地下駐車場のホールに響き渡る着地音。


「おぉ~足がシビれる~、見た見た、リン、すげぇ~ら、おれ!」


心配する私の思いなど、一切関係なく得意げに話しかける。


「バカじゃないの?」


少々むきになって怒る。


「だっておれ、バカだもん!」


いっつもハラハラ、ドキドキさせられっぱなし。

そんな勝道の日焼けした真っ黒な顔は、ひまわりのように誇らしげにいつも笑っていた。


小柄沢川の林の中には、勝道たちの秘密基地、ツリーハウスらしきものが作られていた。

らしきものとは、屋根や壁があるわけではなく、単にデッキのような床ともいえない隙間だらけのスペース。どこから持ち寄ったのか?

大工道具や材木も、それなりに扱いなれている。


川沿いの道路から丸見えでも、秘密基地なのだといっていた。

秘密基地への入り口は、川を渡る。

川を渡るには、高い木のうえから落ちるツタを使って、ターザンのように渡らなければならない。


「リン、やってみな!」


「やだ、ほかに方法ないの?」


「ない。う~んと、そうそう、こんな川、ジャンプすればいいんだよ。」


「無理だよ・・・」


にっこり笑って、助走もとれない場所からのジャンプ。ではなく、ダイブ。


「ドボン!」


やっぱり落ちた。

対岸に届いたものの、のけぞり、川に落ちる。そして、


「おし~いじゃん。もう一回。」


結局成功したけれど、基地を守るための川ごえ戦略は、自ら壊してゆく。

守る側と攻める側、どちらも体験している。


それにしても、どうして男の子たちは泥まみれになりたいのかな?

違うのね。結果として、泥まみれになってるだけなのね。

ママに叱られるのは、私なのかな?


どうにかたどり着いた城塞というストーリー。

ボロボロの廃材で作られたツリーハウスは、勝道たち仲間4人で登った瞬間に見事に崩れ落ちた。

小学生の技量でできる代物では無いにせよ、想像から創造し、つくりあげる行為は立派。

鉄棒にぶら下がるように、木の枝につかまっていた勝道たちは、大笑い。


失敗を恐れない彼らは、まったく面白い。


大将と勝道のチャレンジは続く。


近くの製材所から、小学生二人でよく運んだと思える材木。

巾60cm、厚さ5cm、長さ4m。それを棺桶のような船に仕上げた。

釘とG7というボンドだけで・・・。


「Kちゃん、浮かべよう!」


よ~く考えてみましょうね。ひざまで達しないその水深で、浮かぶわけがないでしょ。

木と木の接地面。コーキングしたつもりのボンドもジャブジャブ漏れる。

あっという間に沈没。みてて恥ずかしいくらい単純なオチ。


「バカねぇ~。近所のおじさんたちに叱られても私、知らないからねぇ~」


両手でメガホンのようにクチを囲んで、対岸にいる勝道たちへ、そして近所のおじさんたちに

叱ってほしくて、意地悪で叫んでみたり。


「あぁ~、聞こえねぇ~なぁ~。あっ、後ろ!」


振り返ると、ご近所のラーメン屋さんのおじさんが、すぐ後ろに。


「あいつら、バカだな!」


ニコニコ笑ってつぶやくおじさんの言葉。

苦笑いの私の顔を見て、ほっとけと言わんばかりでくわえた煙草に火をつけている。


「おじさん、どうして叱らないの?滅茶苦茶だよ、勝道たち!」


「男の子は、あんなもんだろ!」


田舎町のやんちゃぶりに、いささか疑問は感じるけれど、感じたことのない感覚。


ふと思うの。この川の生物たちは、どんな思いで彼らをみていたのだろうって?

いい迷惑かもしれない・・・と思っていたがそれも違う様子。


市内一斉の河川清掃の時。

上流でセギがされ、一気に水位が下がる。

取り残された水たまりには、いろんな水生生物がたまっている。

自然の中の淡水水族館。

そんな水族館をのぞく探究心を大人が、網ですくいあげていく。

勝道たちの思いとはまったく違う大人の行動に、きっと憤りを感じていたはず。

共存とする価値。


この川も、この林も、勝道たちと一緒に息づいていると思った。


繰り返される私の日常から、勝道たちとの冒険の日々。

かくれんぼ、おにごっこ、缶けり、だるまさんが転んだ・・・。

一見にして野蛮な大将たちとの行動は、女の子たちからは理解されていないようでも、

私にとっては大切な仲間。いつも笑顔でいる大将たちが、さみしい私の心を癒してくれていることなど、多分誰にも分らないし、誰にも告げていない。


市役所の東側入口の大きなクスの木は、そんな昭和の遊びを、私たちを、ずっと見守ってきてくれたと思う。


隣の地区、子供たちの縄張り争いも多少なりあった。

私たちは西地区、隣は東地区。

通りを挟み、5対5で言い争う大将と勝道たち。

男の子たちの縄張り争いは、私たち女子には理解できなかったけれど、

少なくとも連れ立って一緒にいる私を守ってくれていることはわかる。

ちょっとしたお姫様気分も悪くないかなとほくそ笑む私。


「おい、そこのブス、なに笑ってんだよ!」


「お前、ぶっ飛ばすぞ!」


大将は、胸ぐらをつかみ、右の拳を振り上げる。

パチンコ店のある駐車場から、のぞきこむ大人。


「行こうぜ!」


誰かが放ったその言葉に、走り出すみんな。

思いっきり走るみんなの後ろ姿は、本当に誇らしかった。

振り返って、私の手をとる勝道の顔は、やっぱりひまわりのように誇らしげだった。


だから一緒にいた。


屋上の屋根に寝転びながら二人、星空をみて、流れ星を数える。


「一瞬で消えちゃうね。流れ星に3回お願いをしないと、本当に叶わないのかな?」


「信じて何回でも星に願えばいいじゃん。」


「満月のときはどうするの?」


「おれのこと、思えばいいじゃん。おれ、ずっとこのまま、リンといたいな。」


勝道、私も一緒なの。ずっと忘れない。ずっと、永遠に・・・。

この気持ちは、タイムカプセルにしまっておくね。


大将たちとの遠征。とてもドキドキ、ワクワク。

富岡地区、佐野川の上流にある景ケ島渓谷。

富士山の噴火で玄武岩が急速に固まった岩肌の織り成す屏風岩。

至る所から湧き出す小さな水面に揺れる輪の中心には、

とても冷たく、無機質な液状なもの、でも、脈々と波打つ鼓動のように

トクトクあふれ出る。


富士山の恵みである水。


静岡県東部の柿田川湧水、トクトクというよりコンコンと湧き出る美しい水は、

私たちの住むまちから望む富士山から、地下水脈を通り、

どのくらいの時間を経てたどり着いているのだろうと考える。

自然の循環による濾過された、濾過とする表現も少々違うような気もするけれど、

人の手を加えた濾過水とは、やはり違うものなのだろうと思う。


過去から未来へ譲り受ける時空を超えた贈り物、タイムマシーン?


夕食の片づけが終わると、必ず二人でラジオを聞いていた。

パーソナリティーの近況やハガキでのお便り情報、はやりの音楽。

私は、お便りの恋愛相談が大好きだった。

リスナーからの相談に、パーソナリティーの人生を通してのコメント。

正解は10人10色だけど、そんな相談に応えられる人間になりたいと思った。

ママのように田舎町のスナックでも、人生相談を担うことができることを私は知っていた。

大人の愚痴や文句ほど、子供の耳には毒。

どこのうちのご夫婦が何をして、どうなったとか。噂話が大好き。

どうせなら、しあわせな恋愛相談のほうがとっても魅力的。


勝道は、ラジオから流れる音楽に夢中だった。

市内に住む勝道の従兄は、たっちゃん。

スナックのマスターである勝道のお父さんの趣味で、大きなオーディオと呼ばれる機械があった。

ステレオ音声、左右にスピーカー、真ん中にあるラジオチューナーと、上面を開けるとレコードプレイヤーがあった。

たっちゃんは、ビートルズが大好きで、LPというレコード盤はもっているけれど、プレーヤがなかったために、よく自転車で勝道の家に聞きに来ていた。

33回転のおよそ30cmの黒い回転盤に、そ~と針を置く。

プツッという音、細~い溝から針を通して増幅されるビート。


私も勝道も、たっちゃんから教えてもらった舶来物の音楽に魅了されていた。


初めて買ったドーナツ盤のシングルレコードは、ビートルズのHEY JUDE。

一生懸命に学校で習う文法英語にはない、本物の英語。

いまでもその歌詞は覚えている。


忘れられない思い出には、必ずその景色に音楽が流れているように、

私の景色には、ずっとビートルズの音楽が色あせないで流れている。


中学生の頃、80年代前半。

このまちではいろんなものが建設される。

北に位置する須山に開園する動物公園は、富士山の恵みとする恩恵、地下水への影響を懸念し、

開発許可の取り消し訴訟等もあり、大騒ぎしていたことも覚えている。

私たち子供にとっては、バスやマイカーでの入場ができ、間近に見ることができる動物園は楽しみだった。


夏の風物詩は、私の通う中学のグラウンドで開催される夏まつり、

そして、高校生の頃には、駅周辺の活性化事業ということで、日本の伝統的情緒である『阿波おどり大会』が行われるようになった。

商店街のみんなは露店を出し、私もママと一緒に提灯の飾りつけや準備のお手伝いをさせてもらった。

主催する側からの楽しみ。たくさんの人がこの提灯に照らされ、踊る人、見つめる人をあたたかく迎えてくれることを願った。

なんとか連などといったグループに属さなくても、飛び込みで踊ることができる。この時ばかりは、ただ楽しむ、踊る阿呆に見る阿呆として、大人も子供の暑い夜を踊り過ごした。


私が高校へ通う頃、勝道は中学生。

やんちゃな性格に生意気さが加わると、どうしようもないのね。

まったく、言うことはきかないし。

さすがに一緒にいる二人きりの夕食時。

乙女のダイエットなど気にもせず大飯を食らう勝道に、


「そんなにあわてて食べると消化に悪いでしょ!もっとゆっくり・・・。」


言い終わる前に返す言葉は、


「うるせ~ババア~!」


多感な時期には、何を言ってもダメということを覚えたのは、私のその後の人生の子育てに、十分に役立っている。それにしても、ママの気持ちを考えるとそれなりに大変だったと子供ながらに感じていた。


「ママ、いつも大変よね。勝道、全然言うこと聞かないの!」


「ごめんね、リンちゃん。あたしからもキツク言ってるんだけど、まったく人の話、聞かないのよ。もう、ひっぱたいてもかまわないからね!」


ママ、無責任よ、母親でしょ、私、勝道のおもりじゃないんだから!

そう心で思っていても、大人の事情、そして現実。

私とて、親のお世話になっている以上、口応えもできないし・・・。

一人っ子の私に、弟ができたのは、ママのおかげ。それはそれで感謝している。


もっと、しっかりしなきゃ!


夜の自由は、勝道にとって恰好の逃げ場であり、溜り場になっていた。

類は友を呼ぶ。

仲間は集まり、当時では画期的だった家庭用コンピュータゲームは、

TVのある居間を独占し、深夜まで響き渡る笑い声。

ギターという楽器をかき鳴らし、大声で歌う声。

少しずつ、その夜の残響が恐ろしく感じていた。


勝道、いつまでも、子供じゃいられないのに・・・。

ずっと背伸びをしていた私は、一人、さみしかった。


【旅立ち】


私は、隣まちにある私立の進学校へ通っていた。

どちらかといえば、落ち着いているしっかり者と思われていた。

母がそばにいたわけではなく、甘えることさえできなかったから、その環境が今の私の礎になっていると思う。

料理、洗濯、家事をこなすことは当り前。

今では勝道との夕食は、私が作っていた。

学生である本分を忘れてはいないけれど、部活や放課後のサークル活動、友達とファーストフード店でおしゃべり、これといった趣味だとか、自分の時間を設けることさえもできずにいた高校生時代。

仕方が無い、そう割り切っていたつもり。

本当は誰かに甘えたい、その思いは今も消えない。

時折見せる勝道の顔は、だんだんと大人びて行く男らしさと同時にさみしさを感じる。

親心なのか姉心なのか・・・心の奥底に封じ込めていた淡い思いはずっとそのままで・・・・。


ある日の夕食時。


「勝道、私ね、東京の大学へ進学しようと思うの・・・。」


「そっか、メシどうすっかな?」


「ねぇ~、ほかに言うことないの、さみしくなるとか?」


「リンが決めたことだろ、おれはリンが決めたことを信じる。」


「信じるってなによ?」


「必ずここに帰ってくる・・・やっぱいいや。」


思いがけない勝道の言葉。『信じる』『ここに帰ってくる』って言葉。

うれしかった。

自己中な弟から、こんな言葉が出てくるなんて・・・。


「そうよね、私が決めたこと。勝道、待ってられる?」


「バ~カ、メシぐらい自分で作れるわ。」


いつものようにほおばる食べっぷりにも、照れ隠しで、がっついているように見える。


ありがとう、勝道。


父は相変わらずの仕事男。

私の進学のことも、好きにすればいいさ程度のことしか話をしてくれない。

女子寮とはいえ保護者の同意がいるはずなのに、勝手にやっとけと実印を渡されている。

契約書への署名は、書道を習っていた勝道がいかにも大人の男性が書いたかのように代筆してくれた。

学校の手続きもすべて・・・一人でちゃんとしなくちゃ。


ママには、少し後ろめたさはあったけれど、東京の大学へ進学することはきちんと伝えた。


「リンちゃん、すごいのね!将来は一流企業のOLさんね。社長秘書にでもなれるわ、がんばってね。

おばちゃんね、勝道のこと、本当に感謝しているの。

あの子も、もう子供じゃないんだからどうにかなるでしょ。

気にしないで、自分の人生をしっかり歩んで行ってちょうだいね。」


「ママ、私ね、いつも夜一人だったから、勝道と一緒にいられてすごく安心していたの。

だけど、いざ、ひとり暮らしとなると、さみしさがよくわかるわ。

最初はなんで私が面倒みなくちゃいけないのよ!って思っていたけど、

今はとても感謝してるの。ママ、本当にありがとう!」


「リンちゃん、お願いがあるの。勝道のお嫁さんになってくれない?」


突然のお願い。ママらしい冗談なの?

ずっと閉じ込めておいた心の扉が開きはじめていた・・・。




3月、引越し屋さんにすべてを任せていたから、何の苦労もなかった。

旅立ちの日。

御殿場線裾野駅からあさぎりに乗って新宿までおよそ2時間。

駅のホームで見送ってくれたのは、

父と、久しぶりに会うマスター、そして大好きなママ。

勝道はいなかった。


「リンちゃん、おばちゃん、待ってるから・・・。」


両手で私の右手を強く握る。

ガサガサになっているその手に、華やかさとは違う大人の人生が感じ取れた。


「ママ、必ず帰ってくるから、体は大事にしてね。」


「リンちゃん・・・。」


わが子を送り出す母のように、ボロボロになって恥じらいもなく泣いているママ。

発車のベルが鳴る・・・。

2時間ドラマのよくあるシーンを思い浮かべている。

大きな声で、大きく手を振ってくれているみんな。

そこまでしなくてもと、案外冷静な18歳。かわいくないのね、私。

そう思いながらも、深々と頭をさげ、新宿へと向かうこの列車の中で思うことは、勝道のこと。


「大丈夫かしら・・・」


その思いは勝道へ半分、自分自身へ向けた半分だった。




女子大生とはいいながらも、深夜番組で人気を集めるオールナイトTV、バブルの象徴でもあるディスコのお立ち台に登るようなタイプではなかった。文学には多少の興味はあり、心理学に関する書物は割と好んで読んでいたけれど、趣味の延長。心理学通りのパターンを引用する恋占いに、女子寮の友達も大喜び。

ただの方程式に、人はこんなにも一喜一憂するものかと、どこかでさげすんでいるかのような冷静さは、何も変わっていないと自己診断もする。


成りたい自分の人生設計ができていたわけでもなく、敷かれたレールの上をただただ進むような現実。あらがいもせず、刺激を求めるわけでもない。

フル加速して行く時代を追いかけるような若者のファッションやトレンディドラマも私の心は、求めていなかった。よしも○ばなな、林○理子の黄金時代の小説にも、ピントは、ずれている私。恋に花咲く青春とは縁遠く、特別な彼がいたわけでもない。

世の中がどう変わっていっても、私の中にあるものは、田舎のまちで育まれた人格。私の理想は、やはりママだった。


成人式、大人になるための儀式とは思っていなかった。

自炊、洗濯、家事、家計、育児?

ママに教わった経験で、十分大人のキレイごと、嘘、本当は知っていたから、なにもこの時ばかりと着物を新調し、作り笑顔の記念写真にも興味はなかった。


一人、この都会の曇り空のように、グレーな立ち位置で、理想と現実、本の世界と大学との往復に時間を費やしていた。

大人になることと、社会人になることは違うと私は思う。

大人とは精神、社会人とは現実。

私にとってその両方をバランスよく持っているママは、素敵な人だった。


ママとは時折、電話でのやり取りはしていた。

私が大学4年、勝道もどこかの大学へ進学したとママから聞いた。


「あのやんちゃな悪ガキが、大学生?ふ~ん。」


鼻で笑ってしまう私は、親や姉弟の、家族によくある風景を少し先行く大人として演じている。

もう4年も会っていない私のことなど、忘れているのかな?

バブルの全盛期、就職の内定は都内でも既にいくつかいただいている。

地元静岡へのUターン就職も想定して、面接を受け内定していた。

引く手あまたの時代。女性とて社会での地位、世界へと羽ばたける時代。

何者にでもなれる未来と何者でもない今の私。一度きりの人生。


どうしようかな?


娘の心配は、家族である父がするべきなのではと思っていても、現実は違う。私の母であった人の気持ちは、よ~くわかった。

父は、何の連絡もなく、今度は単身で愛知へと戻っていた。

50歳とはいえ、もう若くはない体のことは心配していたけれど、大手企業だけに、健康管理や福利厚生、社宅もそれなりの環境にあるわけだし、きっと大丈夫。

私とて、もう父を親としてみずに、とっくに一人の男として手放している。

互いの自由を認め合っているのだから、切れない絆さえ繋がっていれば、どこにいても家族には違いない。それだけで十分だった。


だれかに、相談したい。そんな時、一番頼りになるのはやはりママ。電話をする。


「もしもし・・・結月です。」


すぐにその声の主が、勝道であることはわかった。


「もしもし、結月だけど!」


相変わらず生意気。


「勝道?」


「おおお、リンかよ、すっげ~久しぶりじゃん、なになに?」


「ママは?」


「ん、わかんねぇ~。」


「そう、じゃ~また電話するね。」


「なんだよ、せっかく電話してきてるのにもう切るのかよ。」


「そうね、元気だった、勝道。」


「おうよ、リンは?」


「全然変わらないかな、たぶん。」


「つまんねぇ~なぁ~、おれさ、バンドやってんだ。アマチュアだけどさ。

この前、ローカルだけどラジオに出たんだよ。よくラジオ二人で聴いてたじゃん。

でさ、アナウンサーのねぇ~ちゃんが、プロにはならないか?って聞いたもんで、

~自己満足にも達していない~とか言っちゃったわけよ。

おれ、かっこよくない?」


「へぇ~、すごいよ、かっこいい。勝道はやりたいことがあるんだね。」


「リンはないの?」


「わかんない・・・。」


「彼氏とかさ、いないだろ。」


「そのとおりよ、いけない?」


「じゃぁ~おれが嫁にしてやるよ。」


「バカじゃないの・・・。」


「ははは、おれさ、練習あるから、またな!」


「がんばってね。」


「あ、今度、聴いてよ、おれのうた。」


「うん、楽しみにしてるね、いつ・・・。」


プープープー。


いつ、どうやって聞くの?その約束の前に勝道は電話を切っていた。

もう、まったく自己中。

だけど、なぜか、楽しかった。

ずっと心の中に閉じ込めていた懐かしい恋心が湧いてくる。

赤面している、心臓の鼓動が少し早い、心が踊っている。


勝道・・・会いたい。


【真実】


はじめて勝道から声をかけられたとき、

その裏側にある勝道の優しさと勇気を私は知らなかった。

ママに聞いた話、


「向かいに引っ越してくるおねぇさんがいるから、ちゃんと優しくするのよ。男の子は女の子に優しくするのは当り前のことだからねって、勝道に言っといたのよ!あたしも知らなかったのよね、あの子が手伝ってたなんて・・・。」


「勝道、本当はやさしいもん。」


「たぶん、本当の勝道を知っているのはリンちゃん以外にはいないと思うの。あの子ね、お隣のKちゃんがお兄ちゃんで、お姉ちゃんはなんでいないんだって、ずっと言ってたのよ。弟や妹は自分で見つけられるんだとかいって。ないものねだり、一人っ子のわがままね。

そんなときだったから、リンちゃんが引っ越してきたのが・・・。

本当に勝道もうれしかったと思うの。リンちゃんもそうだったでしょ?」


「私も一人っ子だったから良くわかるわ。知らなかった。

きっと声をかけるのには、すごい勇気がいたと思うの。

なんか私、もう偶然とは思えない。」


「リンちゃん、もうわかってるわよね、本当の気持ち。

おばちゃん、いろんなお客さんを見てきたし、いろんなお話聞いてるからわかるの。

リンちゃんの気持ち、東京へ出る前からずっと。覚えてる?勝道のお嫁さんになってっていったの。

今も変わってないから・・・。」


「勝道のこと・・・ずっと大好き。でも、今まで姉として、家族として接してきた自分の心の壁が壊せないでいるの。私もわかってる。どうしたらいいの、ママ。」


「あわてないでいいのよ。リンちゃんの心が自然と動き出すから・・・。」


「ごめんね、ママ。私、お母さんって呼べないかもしれない・・・。」


「バカねぇ、いいのよ、そんなこと。あ、リンちゃんのお父さんにも、この話してあるからね。」


「ちょっとやだ。ママ、先走りすぎよ、もう。」


「照れないで、もう、自分の気持ちに気づいているんだから、正直にね。勝道もきっと、待ってるわよ。」


「そうかしら・・・!?」


思い出す勝道の言葉。


~信じる~ここに帰ってくる~


勝道自身もわかっていたのかもしれない。

私と同じように苦しんでいたのかもしれない。

傷つけないように優しくオブラートで包みこむようにしてきた自分の心を、

解放しようと決意した。



華やかな都会は、私には馴染まなかった。

地元に帰ることも想定していたから、思い切って市役所へ勤めることにした。

郷土愛というよりも、このまちの人、自然が大好きだから。

就職の報告を言い訳に、思い切って勝道に電話しようと思ったとき、

偶然にも電話が鳴る。


「はい・・・勝道?」


「おおお、すげぇ~なんでわかんの?」


「バカねぇ、勝道のことぐらいなんでもわかるのよ。」


「はぁ~!?」


「で、なんなのよ?」


「なんかさ、声を聞きたくなった。」


「え、ほんと?」


「なにマジになってんだよ。」


「バカ!あのね、私ね、地元に帰って市役所に勤めることにしたの。」


「おおおお、マジか、すげぇ~じゃん。」


「ねぇ~勝道は将来どうするの?」


「全然わかんねぇ~よ。リンだって東京へでるとき、わかんねぇ~って言ってたじゃん。でもさ、うたはうたい続けると思うよ。」


「まったく子供なんだから・・・それじゃぁ~食べていけないでしょ。」


「いやいや、ヒモにでもなるさ。必ずビックになる。今はさ、時代がおれに付いてきてないんだよ。

ヤ○ハのポ○コンって知ってんだろ。バンド○クスプロージョンっていうんだけど、まあ、コンテストな。全部落ちまくり・・・でも、負けない。」


「その自信とやらの証は、どうすれば聞けるのですかね?」


「カセットテープしかないんだよ。自主制作でCD作るのには金がかかんだよ。カセットでよきゃ、聞かしてやるよ。」


「そんな言い方じゃ、ファンなんかできなわよ。」


「いいんだ。ファンなんかいなくても。おれの思いが届く人に届けばいい。」


「じゃぁ、私が会員ナンバー1のファンね。」


「いや、リンはバンドでもソロでも、おれのスタッフだから会員にはなれないんだ。」


「なにそれ?」


「曲も聞いてないくせにファンとか言うなよ、とにかく聞け!」


「わかった。じゃぁ~楽しみにしてるね。」


「とりあえず、就職先があってよかったな!」


「あ・り・が・と。まったく一言余計よ。とりあえずはいらないでしょ、もう!」


「なぁ~リン、おれ死んだら泣いてくれるか?」


「もちろんよ。でも、どうして?」


「別に、ただ聞いてみたかっただけ・・・。」


「ねぇ~なんなの?教えてよ。あ、ちょっと待って、また、やっぱいいやって言うんでしょ?」


「う、うん、ただ、必ず約束は守るよ。」


「約束ね。はいはい、何の約束なんだか。」


「じゃぁ~またな。がんばれよ!」


「ありがとう、勝道。」


「リン」


「なぁ~に?」


「ありがとう。」


久しぶりの会話でも、とても充実した、色濃い会話だったような気がする。

ねぇ~勝道。この気持ち、届いてるの?

自分の思いで、精一杯だった。何も知らなかった。

封書で届いたカセットテープ。住所は書いてなかった。

すぐに聞けなかった。

どこか勝道が遠い存在のように思えたから。

夢がある、成りたい自分が見えている勝道への嫉妬。

私のところに帰ってこないかもしれないという不安。

社会人になる4月からは、なかなか会えない。


必ず、会い行く。愛する人のところへ。


帰省し、真っ先にママへ報告。


「ママ、私、勝道に会ってくる。」


「え、ダメよ。ダメ、ダメ。」


「え、あんなに応援してくれてたのに、なんでダメなの。」


「ごめんね、リンちゃん。おばちゃん、うそつきなの。」


「ねぇ~、うそでもなんでもいいから、もったいぶらないでちゃんと教えてよ。」


「驚かないでね、ね。勝道、もう、助からないの。」


「もう、からかわないでよ、ママ!」


精一杯の笑顔を作っいるママ。涙がこぼれている。


「ごめんね、ごめんね、リンちゃん。勝道、死んじゃうの、もう、あと少し・・・。」


泣き崩れ、両手を地面に付いて、土下座をするように、何度も何度も謝るママ。

うそつきは、この話がうそなの?

ママ、演技してるの?

勝道、死んじゃうの?

こんな時でも冷静に客観視している自分が、とにかく嫌い。


「ママ、本当のことを教えて!」


ママの両肩をつかみ、人の心の扉をこじ開けるように、声を荒げ聞き出す。

勝道はがんだった。もう、いたるところに・・・なす術はない。

自宅にいる。

元の借家は父の転勤とともに引き渡され、

私は市内の南に位置する伊豆島田地区にアパートを借りていた。

勝道のことは、みんなで私にわからないようにしていたと後で聞く。

真実を聞いたその夜に、忽然と勝道は逝ってしまった。


何も言わず・・・。


あの時の電話が最後なの。


~じゃぁ~おれが嫁にしてやるよ~


お願い、約束をかなえて・・・・・。


勝道のうた、当時の思いは、追悼の意と、真実の物語として仲間の手によって動画サイトに投稿されている。

封を開けられないままのカセットテープは、今も大切に持っている。

聴かなくても、勝道の思いや歌声は、心に届いているから・・・。


【エピローグ】


この宇宙そらの下、どこかで今もうたっているあなたの声が聞こえる・・・。


あなたの永遠はタブレットの中の動画ではなく、今もわたしの心に響いているの。

あなたの思いが永遠を感じさせているのね。

自分でもわからないうちに口ずさんでいるあのうたは、忘れないわ。


夏の風物詩、祭りのあと。

イベントごとの反省会をひとり終えた午後10時。

この時間では市役所の西側にある裏口からの退庁。

守衛さんから、


「遅くまでがんばるね。」


「守衛さんもね。」


にっこり微笑み返してくれる守衛さん。

警備員としての貫録はないけれど、この優しい笑顔に癒される。


にぎわいの後の静寂は、一層のさみしさを増す。

駐車場とは反対方向。わざわざ遠回りをし、庁舎の正面玄関をすぎ、あの木の前にたたずむ。


ふと、この木に宿る思いを感じた。

安らぎに似た感覚。タイムカプセルが、開いた。

まぶたを閉じて、あなたを思う。


小柄沢公園として、木製だった橋から、立派な化粧を施された近代的な橋になっても変わらない場所。


橋の上まで歩く。


手を伸ばせば届きそうな満月は、遠く届かない。


月の見えない夜は、星の数ほどあふれ出すあなたとの思い出。


あなたは何ていうのかな?


「女は甘えてればいい」


寄り添うわたしの目を見つめて、あの時と同じような瞳で伝えるの。


ねぇ~届いている?


しあわせのいっぱいの瞳で伝えたい。一滴の流れ落ちた星。


今でもあなたを・・・。


小柄沢川の水面に映る満月は、キラキラ滲んでいた。


【もしも僕が君と出会っていなかったら】


もしも僕が君と出会って いなかったら

どんな人生を歩いていたんだろう

もしも僕が君と出会って いなかったら

どんな風に 笑っていたんだろう


もしも僕が君と出会って いなかったら

君の隣には誰が いたんだろう

もしも僕が君と出会って いなかったら

こんな夜は 誰を思ってたんだろう


出会っていたから

わかっている思いがある

出会っていないなら

何もわからないことすらわからない


もしも僕が君と出会って いなかったら

こんな風に思いを 伝えただろうか

もしも僕が君と出会って いなかったら

夜空を見上げることもなかっただろう


もしも僕が君と出会って いなかったら

こんな歌を歌ってはいないだろう

もしも僕が君と出会って いなかったら

こんなことは考えなくていいよね


出会っていたから

わかっている思いがある

出会っていないなら

何もわからないことすらわからない


僕の記憶にはね いつも君がいたんだ

君のいない人生なんか 最初からどこにもなかったんだ


I miss you,

I need you,

I love you baby

ずっと 一緒だよね

ずっとずっと永遠に


ありがとう 伝えたい

僕が最初に伝える思い

ありがとう 伝えたい

僕の最後に伝える言葉


もしも僕が君と出会って いなかったら

どんな人生を歩いていたんだろうか・・・?

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