ガードレールの呼び声
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
あ〜、ほらほら見てくださいよ、あれ! ガードレールの柵に絵が描かれているの、見えますか? あれ、正面から見たカエルくんの顔ですよね?
う〜ん、ほんの数年前はなんの変哲もない、ただの白い柵だったような覚えがあるんですが……これも町おこしとやらの一種なのでしょうか?
私、けっこう好きなんですよね、ああいう絵って。少し前にありませんでしたか? 角度によって見える絵が変わる、「レンチキュラー」でしたっけ。何本か持っていますよ、あの手の絵柄が入った定規。
こんなガードレールの絵柄って、こうして車の中から見ると印象的なんですけど、いざ現場を歩いてみると、いまいち絵が浮き上がって見えてこないから、ちょっとがっかりです。
同じ場所、同じ距離ばかりからしか、ものを見ないし関わらない。これじゃあ、分からない部分もあって当然ですよね。かといって、知っていることが必ずしもいいこととは限らないのですが。
……ちょうどいい機会です。ガードレールをめぐったお話、聞いてみる気はありませんか?
私の地元はですねえ、取水施設まで真っすぐに敷かれた水道管に沿う形で、道路があちらこちらに伸びているんです。社会で習いませんでしたか? 碁盤の目状に張り巡らされた都大路の仕組みとやらを。あれのね、真逆なんですよ真逆。
もう斜めにズドンと、すがすがしいまでに無数の道路を横断しています。おかげさまで、国道、県道、へんぴな道まで一直線なんですよ。
全長数キロの道のりで、十数年くらいの文化レベルの差を感じられるという、なんともバリューなセットが楽しめるロードとして、私の家近に君臨しています。複数の学区もぶった切る形ですから、つい通学路にも指定されてしまうんですね、これが。
私が小学校の高学年の時。水道道路の中で最も「時代遅れな」田園が広がる部分。近くに工業団地が作られた影響か、道路にほど近い田んぼを埋めて、コンビニと駐車場にしようという動きがあったのです。
それまでは軽トラック同士、すれ違うのがせいぜいの道幅。かつ歩行者用の歩道代わりに設けられている側溝の蓋より先は、柵ひとつなく、田んぼに直接つながっています。
そののどかな風景が、青いシートの向こう側でセメント漬けにされていく風景。まるでそこだけ、失われた十年間を急激に取り返し始めたかのような、奇妙な有様でしたよ。
いくら見た目を装ったところで、見えないものまでは変わらない。いや、変わったことによってかえって、誰も気づいていなかった箇所の影が、取り払われたのかもしれません。
数ヶ月後には、全国でも有名なコンビニエンスストアと、乗用車十台程度と、大型トラックが数台駐車できるような、大規模駐車場が出来上がっていました。そして駐車場の外回り含め、店から半径数十メートル離れたところまで、ガードレールの柵がびっしりと取り付けられましたね。
なんだかんだで便利だから、利用者は順調に増えていきました。
その休日は、たまたま店の中で友達と一緒になりました。つがいを求めるセミの声がうるさい、夏休み間近の日曜日です。
私が漫画雑誌を立ち読みしていると、店の中に入って来たんですよ。日が少しかげってきたから、散歩をお願いされたとのこと。その最中にちょっと水分補給をしたくて、ここに立ち寄ったというわけです。
私の読んでいた部分は、ちょうど友達も読んでいた漫画の最新話。当時はまだ立ち読みに関して、店はうるさくなかったこともあり、友達と一緒に雑誌を読みふけっていましたね。
店の外からかすかにですが、「カン、カン」と金属がこすれあう音がします。ちょっとのぞいてみると、友達の飼い犬と思しき二ホンテリアが、店近くのガードレールの柵につながれていました。「ニホン」とついていますが、日本国内では珍しい種です。
お店の入り口から数メートル離れていますが、出入りするお客の姿を見るたびに、そちらへ向かおうとして、そのたびにつないだリードが食い止める。その際に先っぽの金具が柵にぶつかって、音を立てているようでした。
「若いあの子を放り出し、自分は内で好き放題とか、ひどい飼い主さんもいたものね」
私が肩をすくめながら雑誌を棚に戻すと、友達は決まり悪そうに舌を出して、店の外に出て行っちゃいました。ちゃっかり飲み物は買っていきましたけどね。
私は涼むのが目的でしたから、さしてとどまる意味がありません。後を追うようにして外に出ると、すでに友達は飼い犬のリードを外して歩き出していました。私に手を振りながら、遠ざかっていきます。
私も家に帰ろうとしましたが、ふと、先ほどの「カン、カン」という音が、また耳に届きました。思わず、先ほどまでテリアがつながれていた柵を見ましたが、すでにそこには何もありません。
カン、カン……。音はそれからも、何度か続きます。
店から出てくるお客さんも、かすかに頭を巡らせている様子を見るに、聞こえてはいるようですが、すぐに進行方向へ向き直ってしまいます。「興味ない」ってところでしょうか。
私も何度か聞くうちに、正体は分かりませんが、出どころの見当がつき始めましたよ。音はどうやら柵からではなく、その向こうの、青い稲の茂る田んぼ側から聞こえてくる、とね。
翌日の学校。朝はあいにくの雨降りで、長い傘を持ち歩く必要がありましたが、帰り際にはすっかり雨が止んで、青空がのぞいていました。
昨日、お店で出会った友達と一緒に、通学路にもなっている水道道路の上を歩く私たち。少し前方では、傘でチャンバラをする男子たち。そのうちの何人かは、新しくできたガードレールの格子に傘をねじ込み、歩きながらどんどん鳴らしていきます。
木琴、鉄琴の連打にはほど遠い下品な音でしたが、好きな人は好きですよねえ。あの「ダラララ」とマシンガンのように音を奏でるの。
「ホント、男子はああいうのしたがるよねえ」と、私は友達と顔を見合わせて苦笑いをしていたのですが、ほどなくその余裕を引っ込めざるを得なくなります。
お察しの通り、聞こえてきたんですよ。ええ。
男子たちの演奏に続いて、同じような音で「ダラララ」とね。奏者である当人たちは気にしている様子はありませんでしたが、私たちには聞こえていました。周囲を見回すと、同じようにガードレールを楽器にしている人たちがいましたが、やはり出どころは人影のない田んぼの中です。
何かいるのかと、私たちはますます背丈を伸ばす稲の間を眺めましたが、周りと同化した色のカエルがいるばかり。彼らに同じような音が出せるとは、とうてい思えませんでした。
何かが田んぼの中に潜んでいる。私は家に帰ると、そのことを家族に話してみることにしたのです。
そうめんをすすりながらの夕食で、私の言葉に反応してくれたのは、おばあちゃんでした。
おばあちゃん曰く、実はこの辺りの水道道路ができる前、川からここまで、直に空気にさらされながら灌漑用の水が引かれていた頃、この一帯には小さい部落があったらしいのです。おばあちゃん自身も話に聞いただけで、実際に目にしたわけではないとのことですが。
そしてその集落では、まともに口を聞けず、文字も書けない人たちが、身を寄せ合っていたらしいのです。
そんな彼らが重視したのが音。彼らは独自に加工した打楽器を持ち、集落全体の告知から、個々人の会話や感情の伝達まで、すべてを音に落とし込むことで、生活を成り立たせていたとか。
明治維新を境に、彼らの姿はぱったりと見えなくなり、扱っていた楽器というものもついには見つからず、今となっては口伝の中でのみ存在が語られる者たちなのだそうです。
「彼らが扱っていた音は、未だに全容が掴めていないと聞くな。今回の一件、もしかすると彼らの中では、特別な意味を持つ音だったのかも知れないのう。だから応答したのかもなあ。この大地が」
両親はおばあちゃんの作り話だと笑っていましたが、実際に耳にした私は、内心びくびくしていましたよ。あの音に、どのような意味が込められていたのかと。
それから休日を挟んで数日後。まず友達からもたらされたのは、思いもよらぬ報でした。
今朝起きてみると、あのニホンテリアが、自分の乳房を子供に吸わせていたとのことです。その子供は母親の毛に顔をうずめたまま、こちらを見ようとしません。
いつ生まれたか、相手が誰なのか、家族全員がまったく把握していないという事態。無理やり取り上げようとすると、牙を剥いて怒り出し、手がつけられない状態なのだとか。
次に、クラス内であの傘で演奏をしていた男子たちが、一様に日焼けをしていたのです。そして私たちの目の前で、焼けた皮をむき始めたんですね。そのうえ、めいめいで剥いた皮の中で、一番大きいのを机の上に並べて品評会をするものですから、女子たちの評価はガタ落ちですよ、ええ。
そのあと、移動教室だったこともあって、みんなそろって準備を始めたんですが、私がふと顔を向けると、さっきまで大いに展開されていた皮たちの姿が、全然見当たりません。
ですがちらりと視線を落とすと、その先の床にいましたよ。偶然落ちたにしては、大きめの皮の上に、小さい皮がきれいに乗っかっているんです。それぞれペアになってね。
それらはくっついたまま、開いていた教室の窓に吸い込まれるように、飛んで行ってしまいましたよ。風は確か、逆側に吹いていたにも関わらず、仲良くです。その様子は、まるで交尾をしている生き物を思わせました。
そして例のテリアにくっついていた子供。五日ほど経つと、姿が見えなくなってしまったらしいです。元より顔が分かりませんし、家族というわけでもありませんから、結局は放置したとのことですが。
ただ、その年の田んぼの収穫は、冷害や日照りなどのマイナス要素がなかった割に、例年に比べて稲穂の実り具合は芳しくなかった、と聞いていますね。