蝉が鳴いたら。
この時期に咲く、綺麗な紫陽花を見てあの人は何て言っただろうか。
とても季節はずれなことを言っていた気がする。
県立病院の前に小さい公園がある。その近くのカフェを気に入り、通っていた私はその帰りよくその公園を通った。
そこで、私は公園のベンチに座る青年に声をかけられる。
カフェに行くようになってから、ずっと気になっていた人だった。その青年は、私がカフェに行った時に必ずそこに座っていた。午前は子供連れの家族でにぎわい、日が暮れると綺麗な夕日が見えるその公園のベンチで、青年は本を読んでいた。20歳くらいのその人はとてもかっこよくて、それでいてやわらかい雰囲気だった。だから、私は声をかけられたとき多分、頬を紅く染めたのだろう。夕日のようになっていただろう私の顔を見て、青年は笑った。
記憶が持たない珍しい病気だというその人は、その病気のせいで知り合いが少ないのだと語った。よく見かける私に、なんとなく声をかけたくなってしまったらしい。その時の諦めたような笑みを、私は今でも思い出す。胸が締め付けられるようだった。
思い出しているだけなのに途端、辛くなった。紛らわすように窓の外の紫陽花に目を向けた。遠くを見ると、病院が見えてしまいそうで怖かった。
それから私は声も好みだとか、そんな理由で大学の帰りには必ずその公園に寄るようになった。1ヵ月も経つころには、休日にもその公園に足を運んだ。カフェにも一緒に行った。大学生になっても、ブランコは楽しいことを知った。
その人は毎回そこにいた。いろんな話をした。
青年はその大きな病院に入院していて、記憶が落ち着いている時しか出られない。ここ数ヶ月の間、記憶がなくなっていないと、青年は嬉しそうに笑った。結局、私はあの人の心からの笑顔をその時しか見られていない気がする。
思うと、話を聞いてもらうことのほうが多かった。あの人は不満じゃなかっただろうか。
4ヵ月だけの私にとっては、あまりに短い時間であった。
それでいて、あの人にとってはとても長い時間だったのだろう。
私が今、その時間を宝物のように思っているように、あの人にも今、宝物のように思っていて欲しかった。空しくて仕方ない。私だけが覚えている。あの人と私の思い出なのに。
あの人は私に約束をした。いつか病気を治して、またここで私を待っていると。そのとき、私が変わっていても変わらず声をかけてくれると。
たとえ、私を忘れるときが来ても声をかけてみせると。
あの人の記憶が振り出しに戻って1年と少し、カフェから見えるその紫陽花はあの日と違って雨に濡れている。けれど、雨雲の向こうから少し顔を出した夕日に照らされて、頬を照らしはじめた。
すぐそこで、蝉が鳴いた気がする。
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