2.GARAGE ROCK
ミッシェルは公安警察のエースとでも言うべき存在だった。人間の生活全てがコンピュータに管理されている今を善しとしない連中が作り上げたテログループを次々に壊滅させていく。後にはぺんぺん草一つ残さない。全てを顔色一つ変えずに全うするその姿から、敵味方共に彼へ付けた綽名は『鉄の男』。家族でさえ、彼の笑みは見た事が無いと言うほどだった。
そんな彼を変えてしまったものこそが、ロックだった。『旧制度派』に分類される反体制結社を単身で叩き潰した時、スクラップの中から見つけた一枚のCD。普段なら適当に叩き割るところを、彼はうっかり興味を持った。ルネサンスは過去に対して異様な愛着を持つ集団。マザーコンピュータの設計に依らないモノ、即ちガラクタみたいな骨董品を集める為なら何でもやるような集団だった。骨董品の何が彼らを突き動かすのかを知れば、ルネサンスを迅速に叩き潰すに役立つ。そう考えたのだ。だがそれが落とし穴だった。
人生全てを棒に振ってしまうほどの落とし穴だった。
橙色に染まる薄曇りの空を仰ぎながら、ミッシェルはアウトサイドの街並みを歩いていた。コンクリートパネルで作られた粗末なアパートに、さらにガラクタで接ぎを当てられたようなのばかりが並んでいる。雨風凌げるかも怪しいものだ。
「誰か……おごってください……」
ブルーカラーの重労働に押し潰された日雇いのはぐれ労働者達が、ごみごみした通りの脇にぐったりと座り込んでいる。
「早くなさい下手くそ、アンタだけに構ってられないのよ」
「うるせえ畜生」
路地裏に目を向けると、立ちんぼが男を誘って日も暮れぬうちから情事に耽っている。その足元では、われ関せずとばかりにヘロインか何かを注射した男がごろりと横たわっている。白目を剥いて、だらだら涎を垂らしていた。
マザーコンピュータから見捨てられたこの空間は、百年前とほぼ変わらないクズったらしい雰囲気を残していた。
もちろんそれなりに暮らしている奴らもいる。格差社会に揉まれに揉まれ、疲れ果てた会社員達が中央街から戻り今夜の飲み場を探している。
「ストリップバーに行くぞ!」
「その前に酒をキメるぞ。素面で不細工なんか見れるか!」
中央街ではとても口に出来ないような下品でいやらしい言葉を繰り返し、げらげらと笑いながらミッシェルの横を通り過ぎていった。
昔のミッシェルなら、その卑しさに眉を顰めずにはいなかっただろう。雑音を撒き散らかす彼らの態度を理解できずにいただろう。だが今では、その五月蝿い様は身の内に燻る渇望の表出と理解していた。頭のてっぺんから爪先までコンピュータの生存主義に漬け込まれた彼らの心の奥に未だ潜む、ロックの顕れだと理解していた。
「よ、ミッシェル」
人通りの少ない狭い通りへと折れた時、小さな酒場の前に立っていた女がミッシェルに声を掛けてくる。擦り切れたレザーのジャケットにジーンズと、この界隈では珍しくない格好だったが、豹を思わせる鋭くも艶のある顔立ちが、彼女が只者では無い事を主張していた。ミッシェルはそんな彼女を見るなり、ふっと笑みを浮かべる。
「今日もご苦労だな、ジェニー」
「いやいやぁ。サトシくんはお金払いがいいからな。御遣いくらいちょいちょいっとこなすぜ。って事で、ほら」
ジェニーは屈託なく笑って見せると、ミッシェルの前にブリーフケースを両手で突き出した。ずっしりと重みの来るその鞄を受け取ると、ミッシェルは財布からいくつかクレジットを抜いてジェニーに手渡す。笑みは相変わらずだが、目には真面目な色を帯びていた。
「ジェニー、ついでに聞きたいんだが、爆破事件の後、カンパニー共の動静はどうなってる」
「……アイアイ。つっても、こんなには要らねえや。この金に見合うだけの情報は出せねえよ」
ジェニーはクレジットを半分突き返すと、小型のタブレットを取り出し操作し始める。
「金になると思って多少の探りは入れてみたんだが……何かよくわかんねえな。どこもかしこも大なり小なり泡食ってへろへろさ。ムシ付けたのが勿体無かったぜ。安くねえのに」
「なら取っとけよ。別に返さなくたっていいんだぞ」
クレジットをひらひらさせるミッシェルをタブレット越しに一瞥し、ジェニーはへらへら笑って首を振る。
「いやいや。いいんだ。あんたはいい客だからな。格好つけて素寒貧になられても困るんだよ」
「そう簡単に生活困るようなことにはならねえって。……まあ、という事はカンパニーお抱えの私兵がやったわけじゃなさそうだな。『破壊至上主義者』の類か」
「だろうなぁ。……ってあたしも思ってたけど、それもそれでなんかおかしいんだよな」
「おかしい?」
ジェニーは表情を陰らせる。ガムを口に入れながら、タブレットに表示された地図をミッシェルに向かって突き出した。爆破事件に見舞われたプラントを示す赤い点が、ぽつぽつと明滅している。
「ああ。考えてもみろよ。とりあえず社会に混乱撒き散らかしたいって連中だぞ。わざわざ警備が厳重なプラントを壊しに行くと思うか? あたしだったらその辺の駅に爆弾しかけて満足するぞ。その方が組織にとっちゃ安全だ」
ジェニーは中央街を巡る地下鉄の駅をとんとんと細い指で差していく。防犯カメラやら何やらで警備は固められているが、月に一度は爆弾騒ぎが起こるような場所だった。ミッシェルは困ったように顔を顰め、かりかりと頭を掻く。
「まあな。プラントなんてブッ飛ばしたら、下手すりゃ自分の首が絞まる」
「だろ? ホント勘弁だぜ。ケチくせえ奴が多くなって困る」
タブレットをポケットにしまい込み、ジェニーはミッシェルの肩を叩いてすれ違うように歩き出す。ガムをくちゃくちゃとやりながら、いかにもスれた笑みを浮かべて。
「ま、正直あんたが今回突っ込むところが犯人ってのは怪しいと思ってるけど、公安警察が何の根拠も無くターゲットを指定するとも思えねえし、せいぜい気張ってやってくれよ」
「ああ。稼げないからって、お前もあんまり無理すんなよ」
「うるせー。あんたに心配されることなんかねーよ」
ジェニーはポケットに手を突っ込んで歩き出す。笑みを潜め、社会の影に生きる者らしく、どす黒い目をして。しかし、数歩も歩かないうちに、ジェニーは思い出したように声を上げて立ち止まる。
「あ。そうだミッシェル、今度あんたの事務所に顔出すぞ。ちょっとした筋からまた新しいCD手に入れたんだ!」
「CD? また『ジャックナイフ』じゃねえだろうな」
「そうだよ! いい加減『ジャックナイフ』の良さも認めやがれ、バーカ! じゃあな!」
ミッシェルがあからさまに厭そうな顔をすると、顔を赤らめたジェニーも負けじと思い切り舌を突き出し、今度こそくるりと背を向けて歩き出した。拳をしっかりと握りしめて、肩を怒らせて、背中越しにもむっとした表情が見えるようだった。ミッシェルは苦笑して肩を竦めると、彼も彼女に背を向けのっそりと歩き出す。
「ガキめ」