第8話 深層部セキュリティ
「やー、ヒーラー。男になる旅がしたいと聞いたよー?」
声は少し高く感じるが、相変わらずの棒読み口調はそのままに
手をヒラヒラと振って立ち上がるtomoさんを、口を開けてボーゼンとただ眺めながら
五条訪問の強制終了の意味に俺はようやくと気がついた。
央間に会う前に011のメンバーに会っているのだとしたら、機会は学内かオフ会しかなかったのだから、tomoさんももちろん疑い枠の中には入っていたのだが
まさか。まさか今になってtomoさんが女性の姿で現れるとは思ってもみなかった。
「行こーか。あんま時間がない」
tomoさんはシュタッと軽快に立ち上がると、のんびりとした口調に反する早足で、すぐ前の道路に止めてある黒いミニバンに乗り込んで行く。
「あの・・・・・・」
「んー?」
車の前で青くなって棒立ちになる俺にtomoさんは暢気に返事を返しながらエンジンをかけていて
「俺、この車に見覚えあるんですけど・・・・・・」
「あー!央間っちに突っ込んだ車ね!!良く覚えてるねー。すごいねー」
「気のせいじゃないんだ・・・・・・」
tomoさんは満面の笑みを浮かべるとパチパチと手を叩いて俺を褒めたたえるが、反して俺は軽い目眩に見舞われる。
「いやー最近の車は電子制御が進んでるもんでねー。遠隔操作もはかどるはかどるー」
恐ろしい言葉を新調したお掃除グッズの感想みたいに語るtomoさんに強烈な脱力感を覚えながらも
おぼつかない足取りで俺が車の助手席に乗り込むと、この凶悪な姉さんは隣で鼻歌さえ口ずさみ上機嫌の様相でいそいそとオーディオ操作パネルに手を伸ばす。そこには微塵の罪の意識も感じられない。
バスチオンの人間はみんなこんなものなんだろうと一人納得してシートベルトをカチリと締めると、
ウォウオ゛―――!!
「!?」
パンクロックの耳をつん削くような雄叫びが、力を抜きかけた俺の体をゴムで弾くかのように震わせる。
同時にtomoさんの「行くよー」の緩い声を合図に全身に重いGが伸しかかり
車は初速100kmで急発進した。
僅かにtomoさんのほうへと向けていた頭部がシートに強く押しつけられ、見えない暴風が内臓をヒュンヒュンとすり抜けていくかのようなおかしな感覚に襲われる。
そう。これはあれだ。ジェットコースターに乗った時のあの感覚だ。
気付けば車速は200kmを裕に越えていた。
「ひょ!!スピーロ!!スピーロ!!やばいれすよほれ!!」
もはや舌さえ上手く回らない。
「だいじょぶだいじょぶぅー。捕まる前に撒ききるからー」
tomoさんは新作ゲームをプレイする子供のようにキラキラとした眼差しでハンドルを握り、右へ左へと軽やかに舵を切っていく。とりあえず違法を前提で話を進める異常性についてはつっこまない方が良いのだろうか。
遊園地の絶叫マシンなら胸がすく思いに満たされる所だがレールのない絶叫マシンには恐怖心しか感じられない。
今までは思春期も手伝って世の中のレール人生に散々反発感を抱いてきたものだけれど、まったくもって俺が間違っていたのかもしれない。レール最高。レール安全。レールのもたらす心の平安を改めて肌で実感する。
まずもうカーブでタイヤの擦れる音がレースカー並なのが、すでに全然大丈夫じゃないし角曲がるたびに頬の肉がGで持ってかれるのも普通じゃなかなかないように思うんだけど
喋ったら舌を噛んで確実に死にそうなので悲鳴以外は極力上げないように努力することにした。
011はまったくもってこんな目立つ行動に走る危険人物を仲間として扱うべきじゃないと思うので今度央間に会ったら小一時間腹を割って話し合おうと思う。
「央間っちは3時間前に通常通路から潜ったみたいだからちょっと近道するねー」
「ち・・・・・・近道・・・・・・!?」
これ以上の無茶な未来予想図にジェットコースターのベルトを外されたような絶望的な暗闇につき落とされそうになるが今は満足に反論する余裕もないので開き直る方向で覚悟を決めることにする。
こんなにタイヤ痕残して大丈夫なのかとバックミラーを見てみれば道路にタイヤの痕はまったく残っておらず謎の技術に心底肝が冷えた。
「んふふー大丈夫だってー。痕は残さないように上手くやってるからさー」
むしろこのレベルで上手くやれるならレーサーを志した方が良いのではないだろうか。そもそもこれだけのスピードで運転しながらなぜ俺の動向にまで気が回るのだろう。なまじ専門の暗殺部隊を放たれるレジスタントと言うだけのことはあるのだけど
一介の高校生が並んで座るにはどうにも刺激が強過ぎて、勢いだけで踏み入ろうとしていた央間への道筋にたびたび及び腰になりそうになる。
それでも、後には戻れないと言うこの状況が、俺に開き直りと言う勇気を与えていることもまた事実で。
逃げ出したい自分を捨てるには、逃げられない道に無理矢理ねじ込むしかないように思えたから
「ふが―――!!」
恐れを払おうと雄叫びを上げるも、Gで押さえつけられ地味にシェイクされる俺の脳味噌に、慈悲なく更なるプレッシャーが追加投入される。
遠くから響く多数のパトカーのサイレン音。これは本格的にやばいのではないだろうか。
子供の頃に憧れたパトカーは、今や敵兵を狩る装甲車の如く恐ろしく感じられた。
「なんとか間にあいそー」
tomoさんは相変わらず悠長にそう言うとまた前触れもなく急カーブで極限までハンドルを切ってアクセルをベタ踏みにする。
そこにはあろうことか鋼鉄製のコンテナの巨壁がうず高く積み上がっていて、
「ひああああああーーーーーーッ!!」
もうダメだぶつかる!と女顔負けの甲高い悲鳴を吐き上げた瞬間、車は道路と歩道を区切る路側帯の傾斜部を踏み切り台にして左タイヤを勢いよく跳ね上げると
横立ちでコンテナ同士の僅かな隙間にゴリゴリと硬い音を上げながら強引に直進する。
「ぎゃああああーーーーーー!!」
「あははははははーーーーー」
もう横にいるのが女性だからとかそんなことは関係なく。
俺はすでに鼻水を垂らして情けなく泣き出していた。
凶悪なスピードでコンテナをすり抜けた車は自転車で言う所の猛スピードを出して路肩の段差から落ちた時のケツに来る衝撃を酷くしたような勢いで着地する。
「し・・・・・・心臓が物理的に口から出ちゃうかと思った・・・・・・」
「なんだー?女差し置いて可愛い表現しやがってー。
よーし、いよいよあたし専用の入り口が見えてきたぞー!」
tomoさんは遊園地に来た女子高生のようにノリノリである。。さっきの発言のどこが可愛いのかはさっぱり解らないけども「あたし専用」の響きの中には最早いやな予感しか感じられないことは間違いない。
tomoさんは更に追い打ちをかけるように縁起でもないことを吼え始める。
「覚悟決めろよヒーラー!!」
車は港湾沿いの倉庫街に入っていた。
拓けた視界には都市部ならではの緑に濁った海が広がる。
「え・・・あ・・・ちょ・・・・・・!まさか・・・・・・!?」
「ひあうぃーごぉー!!」
tomoさんの雄叫びに共鳴して車は直線でスピードメーターのMAX値を刻み込む。その値〈アタイ〉じつに340キロ。
進む先に道はなく、あるのは広い水の砂漠のみ。車はそのまま陸を踏切って高々と宙を舞い、目下に広がる波の皺。
「新記録・・・・・・来いっ!!」
車はそのまま、派手な水しぶきを上げて海中に落下した。
*
「ヒーラー?ヒーラー!!」
「はっ!」
肩を揺する細い指からは暖かな体温が伝わる。
目を開けた瞬間、tomoさんの顔が思いの外近くで俺を覗き込んでいて、反射的に背後に後ずさろうとして
頬に食い込むシートベルトの存在にここが車内であることを思い出した。
どうやら俺は一瞬だけ気を失っていたようだ。背中に冷気を伝えるドアの外に目を投げると、車窓からは細かい水の泡のような柱と怪訝そうに周囲を取り巻くお魚さん達の回遊が見えていて
「ぎゃーーーーーーー!!」
「ねー見て見てー」
再び気絶しそうになる俺の肩をtomoさんがガクガクと揺さぶりながら海底の方を指さして視線を促す。
車の前方30mほど先か、うっすらと何か黄色と赤のラインが揺らめいて見えている。
「あ・・・・・・」
黄色のラインは進行方向を縦に伸び、赤いラインは車から見て垂直に引かれその脇に小さな数字のようなものが見えてくる。
「・・・・・・道路だ・・・・・・」
車は外の水圧にも関わらずべコリともなんとも言わなかった。
足下にも海水の進入はないようだ。エンジンも未だに途切れる様子はない。
「やったー!今日は60m越えだー。央間っちに自慢しよーっと」
前タイヤが水中に敷かれた地面に大した衝撃もなく着地すると、tomoさんは再び運転席にまっすぐと座り直す。道路は下へ下へと続いていた。
「ぽちっと。」
tomoさんがインジケーターモニターの下の見たことのないいボタンを押すと、車の胴体部分からプシューッと空気漏れのような音が響き出し
サイドウインドウから車外を見てみると車体がゆっくりと下に降りてタイヤが道路に吸いついていくのが見えた。
「車体の空気は抜くけど車内はだいじょぶだからー」
そう言うと車は先程とは打って変わってゆっくりとした速度で前へ前へと進み始める。水中と言うこともあってか、さっきのような無茶なスピードは出そうとしても出すことができないのだろう。
酸素と水の密度の違いに俺は全力で感謝する。水グッジョブ!!バリグッジョブ!!と。
俺が心の中で一人歓声を上げるなか、進行方向には地面に突き刺さった新幹線のトンネルサイズの土管のようなものが見えてくる。
車がその中に差し掛かると両サイドに順次青色の電灯が俺達を招き入れるかのように灯って行き
車がそのままトンネルの突き当たりまで進んだ所で道は左に90度曲がり金属製の床の上で進行を止める。
俺が周囲をキョロキョロと見回しているとガコンと言う音を立てて車を乗せた床がゆっくりと回転し始めた。
忍者屋敷の仕掛け壁のようにぐるり回る壁と半円形の床が連動し車は真っ暗な闇の空間に閉じこめられていく。
ここは隣で鼻歌を口ずさむtomoさんを信じて、しばらくは様子を見てみようと体をシートに預けて待つことにした。
というか、俺に出来ることはそれだけしかなかったのだ。
ジュゴッ
ゴボボボボボ
床が回転を止めて30秒ほどした頃、車体の周りからは浴槽の蓋を抜いた時のような排水音が響き出す。
そこで俺はこの部屋に一体何の役割があるのかにやっと気が付いた。
ここは宇宙船で言えば酸素の供給排出が行われるような調整部屋だ。
チョロチョロと言う排水が終わる音を合図に、ソナーの音に似たブザーが鳴り響き、車体前方の重厚な金属質の隔壁が開いていく。
その先には淡いオレンジの光に照らし出された地下に続く螺旋状のトンネルが続いていた。
「ここ速度制限が厳しくてスピード出せないんだよねー」
tomoさんが不満そうに眉を顰めて愚痴をこぼしているが、俺は心からバスチオンの設計者に感謝するばかりだった。
「はは・・・・・・でも大深度地下ってかなり深いですよね・・・・・・」
「そうでもないけどねー。ここから1キロも走ればバスチオンの下部までいけるしー」
「い・・・・・・1キロって・・・・・・。」
都心の地下鉄最下層のB6階でもせいぜい40メートル程度のものなのだから、そこから更に下に潜ってやっと入り口と言う感じなんだろう。
ブツブツと頭で計算する俺を横目で眺めがら、tomoさんはしばらくは何かを考えていたようだったが、ふと思い立ったように視線を前方に戻してからぼそりと呟くように口を開いた。
「ヒーラー・・・・・・。五条に央間っちのこと聞かなかったよねー」
「・・・・・・え・・・・・・?」
こぼされた言葉を理解するのに、10秒ほど時間がかかった。
車内に満ちる沈黙に居心地が悪かったのかtomoさんは含み笑いをして俺の返事を待たずに言葉を繋げる。
「んふふー。実はねー。
あたしバスチオンのセキュリティ担当なんですのー。
君らの会話はばっちりキッチリ全て聞かせてもらっちゃってますー」
ヒッと一瞬口元がひきつって額に冷や汗が滲む。バスチオンに滞在中、内臓欲しい系女子の戸鞠にそそのかされ
グスタヴィの診察室の鍵を開けたのは恐らくこの人だと言う恐怖心が脳内を駆け抜ける。
011だけでなく五条との会話をも聞いていたと言うのなら、俺の言動はずっとこの人に監視されていたと言うことになる。
何かおかしなことを言っていなかったか、必死になって脳内スキャンをし始めるが、もはや時すでに遅し。
まさか自宅までは盗聴していないだろうけども、もしそんな暴挙が行われていたとしたなら俺の人生は終わる。終わってしまう。
ネット見ながらいちいち下らないツッコミとかしなきゃ良かった。
なんなんだこの限りなくブラックな集団は。恐ろしすぎてちびりそうになって来た。
「それが・・・・・・なにか・・・・・・」
俺はあからさまに苦笑いを口に纏わせながらも無理繰り平静を装いつつもようやく次の句を絞り出す。
tomoさんは何がおかしかったのか、前方を見つめる横顔に緩やかな笑みを広げていって。
トンネルのライトになぞられていくピンクの唇の艶めきに思わず目を逸らした。
女性としてのtomoさんは、年頃の男子には少し妖艶すぎた。怖さと色気は紙一重とはよく言ったものだけど
無論、女性に免疫の無い一介の男子高校生にはハードルが高すぎて、現状は怖さのほうが勝ってしまうのだけど。
気を取り直すために窓の外に視線を投げながら、そもそものtomoさんの質問と態度を思い起こしてみる。
―――五条に央間のことを聞かなかった訳。
央間のことは。知りたくなかったわけじゃない。
でも彼女の抱える傷が恐ろしく深いものだと言うことは、一般的な男子高校生の俺にでも予想はついたから。
何もしてやれない人間が彼女の過去を掘り出して覗き込もうとすることに、どれだけの意味があるのだろうか。
五条を前に俺の興味は口から出ることを躊躇って。いや。もしかしたら、聞いてしまうこと事態が怖かったのかもしれなくて。
自然、そんなことを考える俺の顔からも表情が消えていたんだと思う。
tomoさんは意味深に片眉をゆるりと上げて僅かに目を細めた。
こんな表情を前にも見たことがある。母さんがちょっとした表情や態度の変化から、人の心理を読みとった時にするような顔付きだった。
「聞いても、何もしてやれないって顔してるよねー」
まるでエスパーだ。
それとも、長いこと人を観察してきた分だけ予想が付きやすいというだけのことなんだろうか。
「でもねー。君が今のバスチオンに行くんなら、知っといた方が良いと思うんだー」
今のバスチオン。一気に。緊張感が背中にのし掛かる。
すでに引き返すことの出来ない場所まで来てしまっている。
『エルフ』に蹂躙された砦に乗り込むと言うこと。それはすなわち。
「あの子、『エルフ』のこと殺しちゃうかもしれないから」
一変した口調が言葉の重さを物語る。低く、冷たい。俺の知らない声に不安が行き過ぎていった。
tomoさんでさえ、笑っていられなくなるような紙一重の博打の世界。そこに今、足を踏み入れようとしている。
勝負のテーブルに載せられるのは。それぞれの命だ。
無意識に吸い上げていた胸一杯の息を、大きく吐き出して。覚悟を決めるように顔を上げると車の向かう先を見つめる。
命の賭けかたなんて知らない。多分それが、俺の強みになる。
これはゲームなんだと、怯える自分に思いこませられると思うから。
延々と続くと思われた螺旋の坂道は、先程から時折平坦と傾斜を繰り返すようになった。
平坦な道の壁には、重苦しい金属の隔壁が鎮座していて、ここがすでにバスチオンの敷地内であることを冷淡に告げていた。
「 央間っちがアフリカで死んだように処理されてしまったのは、この国の常識には彼女が生きられなかったから」
初めて央間を見つけた夜。街灯に照らし出された央間は、ひどく。現実味の無い絵の中の少女のようだった。
表情の消えたtomoさんの顔が、少し前の央間の姿と重なって心臓の辺りがしくりと傷んだ。
tomoさんの女性らしい細い指がインジケーターに並ぶ幾つかのボタンを押すと、トンネル内に電車が動き出す時のような重い機械音が響きだす。
「グスタヴィが彼女を保護した時、彼女はアリカと負傷した少年兵達を守るリーダーとして祭り上げられてたんだって。
大人達に使い捨てにされた子供たちに応急処置をするうちに、自然とそうなっちゃったみたいだけど」
それはとても。央間らしいと言えば央間らしい道筋だった。
車は目的地に近づいたのか、6度目の平坦な地面に差し掛かると、無骨な鉄格子に坂道が閉ざされる代わりに
左手の壁に填められた厚さ50センチはありそうな隔壁はすでに上方に収まって帰還者を歓迎していた。
車のタイヤはゴムが擦れる音を立てて左へと曲がっていく。
隔壁の先にはよく見る地下駐車場のような打ちっぱなしコンクリートと天井を這う無数のパイプの空間が広がっていた。
左右には6台程の丸みを帯びた車のような。恐らくは緊急時用の水陸両用車が停まっている。
俺達の乗った車はその中の空いた一画に滑り込むと、ようやくと動きを止めた。
「でも望む望まぬに関わらず、守るために彼女は血を浴び過ぎてしまった。
医師である結城夫婦の立場上、人を手にかけすぎた彼女を結城ミリアに戻すことを問題視する層の人間が現れて。
彼女は社会から、殺されることになっちゃったんだ」
「…………」
何も言えなかった。
何の言葉も、全てを奪われてしまった彼女には無意味のような気がしたから。
tomoさんが言いたいのは、だから央間がこの先何をしたのだとしても。その行動の結果ではなくて
理由の見える位置から、彼女を見て欲しいと言うことだったんだろう。
この人は央間のことが好きなのだ。それが、今ある現実の中での唯一の救いだった。
「でもねー」
くすりと。思わぬ所で溢されたtomoさんの柔らかな微笑みに、見開かれた俺の目が戸惑いを告げる。
「嬉しかったんだー。央間っちが君を連れて来た時さー」
tomoさんの口調はまたいつもの緩々な棒読みに戻っていた。
その表情は言葉通りの、嘘のない澄んだ笑顔だったように思う。
「あの子アフリカでの行方不明で変な思いこみやデマ流されることが多かったからさぁ。グスタヴィとアリカ以外の人の間に、自分の居場所を作ろうとしない感じがしてたんだよねー」
知らず、俺の首は疑問に傾いていた。
央間と過ごした距離があまりに近すぎたためか、央間からそんな壁のようなものは感じ取れなかったように思うから。
「でも、もう一人増えそうで、良かったなぁと思ってさー。ちょっと羨ましかったよー。君が」
俺が誇れることなんて何も無かった。
学校じゃおっさん扱いでクラスメイトとも距離感あるし、ゲームじゃ末端のヒーラーだし、まったくモテたことなんかないし、バスチオンではどうしようもなく無力だったし。
ずっと俺は。人を羨ましいと眺める側の人間だった。
それでも。央間が他の誰でもない俺を必要としたから。
利用するだけじゃなくて、守ろうともしてくれたから。
俺が央間にしてやれることを、全力でしたいと思った。
俺が央間にしてやれること。それは隠された傷を開いて眺める事ではなく。薄っぺらい慰めの言葉を吐くことでもなくて。
央間が自ら死地に飛び込んでいくような状況を出来る限りの力を持って打開する方法を探し出すこと、ただそれだけで。
tomoさんは車のエンジンを切ると手早くベルトを外し外に出る。俺も少しぎこちない動作ですぐにその後に続いた。
無音の空間に一挙一動の音が大げさに響き渡る。tomoさんの地面を打つヒールの音がやけに緊張を掻き立てた。
向かう先には体育館の扉ほどの両開きの隔壁。片方の扉には太い黒文字で大きく「5/6」とだけ書かれていた。
アリカ達とエレベータに乗った時に見た表示では、バスチオンは10階層であったように思うのだけど
ここがtomoさん専用の通用口であると言うのなら、疑問を抱く必要はない。
「あぁー。私も央間っちとW.インヘリターしたいわあー。したいわぁー
ぜーったいめっさかっこいい戦い方するに違いないからー。
ねーヒーラー。フレンド枠で連れて来てよー。ねーねーいーでしょーねー」
「tomoさん……。あんまペタペタ触らないでください。まるで免疫がないので……」
これから決戦の時を迎えるとはとても思えない酔っ払いのようなノリを振りまいて、W.インヘリターの猛者が俺の腕を掴んでブンブンと振り回す。
こんな状況に身を置くだなんて、2ヶ月前の俺には考えられないことだった。
今でも実は夢を見ているんじゃないかなんて思いが拭えないし。今は拭う必要もないんだろう。
tomoさんは気を取り直したかのように隔壁の横の網膜認証と指紋認証、そしてパスワードをほんの数秒で流れるように済ませると
襖を引く程度の音を立てて開いた隔壁の前で、俺の前進を促した。
扉の奥には水槽のトンネルの廊下とその終わりに据えられたパネル状のバルコニーから僅かに覗く映画館のような大型のモニターの切れ端が見えて。
俺は鼻から大きく息を吸い込んでから蓋をするように息を留め気合を入れる。
上空を泳ぐ魚達がこの闘いを見守っている。簡単に捕まって食べられてしまうような魚達にも、ただたゆたうだけに映る膨大な水達も。この砦では重要な警備兵だ。
非常時の食料になることもあれば爆発の衝撃を緩和することもできる。いざと言う時はマザーシステムの息の根を止めることすらもできるかもしれない。
お前などに何ができると笑われても、それぞれにはできることがある。
だから大丈夫。きっと迎えに行ける。俺のすることを何一つ央間が望んでいなかったとしても。
彼女に命の順番は守って欲しいから。
水槽のトンネルを抜けたバルコニーに立つと、1階部分のコンソールが一望できた。一般的な管制センターとなんら変わらない装いの広い空間にある席はデルタ状に前に1つ。後ろに2つの計3つのみ。
あとは大量のモニターがその周囲を取り囲んでいる。
バルコニーはロフト洋の形で中二階にあり、左右には人一人が行き来できる程度の階段と天井まで伸びる金属製の縦長ポストのような収納庫が並んでいた。
その中の一番下部に並ぶ引き出しをtomoさんが何かしらの操作で開錠するといくつか開けてこちらにその中身を放り投げてきた。
M16A4。W.インへリター内で二年間使い続けた俺の愛用アサルトライフル。モデルガンの気持ちで受け取ろうとして、重さの違いに思わず取り落としそうになる。今年の始めにお年玉で手に入れたモデルガンよりも…こっちのほうが少し軽い気がする。
手のひらに伝わるアルミ合金の冷たい感触。
「……これが……本物なんだ……」
これが、央間の住む世界なのか。
ほんの少し近づこうとするだけでこのプレッシャーと言うのは今から先が思いやられて、思わず自嘲の笑みが零れてしまう。
続けて足元に投げられる011メンバーの標準装備、防弾チョッキと官給ベルト。
「ヒーラー。ベレッタとグロックならどっちが良いー?」
昔ネットの動画で見ただけのつたない手つきで防具を身につける俺に
tomoさんの逃避を許さぬ容赦ない質問が投げられる。未だ心の整理がつけられないまま多少うろたえながらも差し出された2つの銃から9ミリ口径グロックの方へ手を伸ばすと
tomoさんはもう片方の手からライフルのオプションパーツと各種弾薬、CQCナイフを一つづつ俺の手に渡してくる。
官給ベルトのホルダーも申し訳程度に付けた防弾チョッキのポケットもすぐにいっぱいになった。
重量としては結構なものだと思う。普段から自転車通学で足を鍛えておいて心底良かったと思う。
「怖い?」
tomoさんが自分のガンホルダーにベレッタを収めながら聞くまでも無いことを聞いてくる。
人の気持ちを読める人がこんなことを聞く時は多分質問ではなくて確認がしたいんだと思う。
「tomoさんは怖くないんですか?」
だからつい聞き返してしまった。tomoさんの質問への返答は、かけられた言葉に対する態度だけで充分だと思うから。
tomoさんは質問に質問で返されたことをさして気にする風でも無く笑って答えてくれる。
「爆発から脱出した時にさー、君の言ってた事について考えてみたんだー。」
爆発からの脱出。どこかの部屋に投げ出されて気を失う前に、俺は確かに誰かにエルフへの執念を搾り出した。
今思えば、俺達を拾って家まで送り届けてくれたのはtomoさんだったように思える。というよりこんな物騒な場所であんな喋り方をする人はこの人以外にあまりいない。
「確かにエルフには弱点があるかもしれないねー。と思って対策練ってみたんだー。
これは協力クエストだよヒーラー。乗るかーい?」
「乗ります!!」
無論即答必至だった。そもそもW.インへリターの内で一番エルフについての情報を集めていたのはtomoさんだ。
俺が出した結論も元はと言えばtomoさんの動画データを見て導き出したものだった。
tomoさんと協力して事態に当たれると言うのならこれほど心強い味方はいない。
真っ暗だった道筋に一筋の光が射してきた。さっきまで背中にずっしりと覆いかぶさっていた見えない重荷が、ドスリと音を立てて軽快するようだった。
「いい顔になったね。さて。じゃあまぁ作戦会議は資料を見ながら下で行うことにしてー」
「えぇ。早速!……と行きたいのは山々なんですけど……」
遮られた会話に不思議そうな目を向けられながら、俺は背負い込んでいたアサルトライフルをバルコニーの半透明なパネルに立てかけると、少しモジモジと揺らめきながら視線を床に落としつつ無駄に元気な声で用件を投げかけてみた。
「とりあえずエルフ戦でちびらないようにトイレをお借りしてもいいでしょうか!」
ぱちぱちと無言でしばたかれるtomoさんの眼差しが、ここ数十分で僅かばかりに上昇した俺の男としての評価ゲージが急速に低下していることを窺わせてやまなかった。