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第6話 あの頃の笑顔

 トーストとベーコンと目玉焼き。そして少しのサラダと3つで99円のヨーグルト。

 コップには冷たい麦茶が注がれていた。

 食器には特にこだわりはない。

 だから父さんの食器だけ別物が使われていたところで今まではさして気にもならなかった。

 ただ今は白い食器たちにポツリと混じる濃緑の器が

 どうにも目に留まってしまってしょうがない。

「・・・・・・治」


「ん・・・・・・?」


 新聞で表情を隠しながら、父さんが遠慮がちに話を振ってくる。

「・・・・・・その・・・・・・。あの子は・・・・・・

 まだ目を覚まさないのか・・・・・・?」

 食卓には、父さんと、俺と、母さんと、もう一人分の朝食が用意されている。床では、黒猫のヒゲ蔵が旨そうにささみを食らっていた。


「・・・・・・うん」


 俺が央間に拉致られた日、仕事で遅く帰ってきた親達は自宅のテーブルに置かれた「何日か友達の所に泊まってくる」と言う俺の名の入った書き置きを見て、高校生になって最初の夏休みだからと言うことも手伝ってか、何の疑いも持たずにそれを信じていたらしい。

 だけど何日経ってもメールの返信が返ってこないことや、いつの間にか自転車置き場に俺の自転車だけが帰ってきてたこと。

 自転車の鍵がポストに入れられていたことなどが続いたために

 さすがに何か様子がおかしいんじゃないかと俺の安否を疑い始めたらしい。

 そんな中銀行口座に振り込まれた五条太秦からの大金と、県からの俺を送り届ける旨の電話。

 そして怪しい黒のミニバンで眠ったまま自宅に運び込まれるなんて異様すぎる形での帰宅を果たした実の息子の姿を見て

 父さんも母さんも仕事に夢中になり過ぎたことで、俺の異常に気づくのが遅れたことがかなり堪えたらしく

 俺の帰宅後は失踪時のことは何も聞かない代わりに、思春期の息子との距離間に気を使いながらも、以前より取り留めない会話を積極的に交わすようになっていた。


 失踪から一週間目の朝は、自室に敷かれた布団の中でヒゲ蔵に敷かれた状態で目が覚めた。

 見慣れた小太りの黒猫は、布団の上から俺とその金色の目を合わすと「ぶみゃあ」と(シワガ)れた声で嬉しそうに鳴く。

 収納の足りない6畳一間の和室の至る所にはゲームや漫画やラノベやフィギュアが積み上がっていて

 唯一こぎれいに片づけてあるノートパソコンの乗った座卓には、バスチオンでは取り上げられていたシルバーの格安スマホが乗っていた。

 毎日のように使っていた代物も、多少手放しているうちに自分のものではないみたいに新鮮に映るものだなぁなんて一人感慨に耽ってしまう。

 思い起こしてみれば、ネット環境から一週間も離れたことなんて、携帯を手にした時から一度もなかったんじゃないだろうか。

 そんなことをぼんやり考えるうちにトントンと部屋の引き戸がノックされて、俺が「んあ?」とやる気なくそれに答えると

 引き戸は一気に引き開けられ、目に驚きを広げた母さんが見慣れない真新しい服を抱えたまましばらく固まってあんぐりと大きな口を開け、俺の顔を凝視していた。

「ああ・・・・・・!!お・・・・・・おはよう・・・・・・!!起きたなら何か作りますね!!」

 なんて、持って来た服を入口の床に置くとやたら他人行儀な態度を振りまいて、早々と下の階へと降りて行く。

 その理由は、食後両親に案内された2階の私室の隣にある洋室に足を踏み入れた瞬間に知ることとなった。

 つい先週までは父さんの仕事部屋として使われていたはずの6畳間にはいつの間にか女性用のベットが搬入されていて

 ピッチリと張られた目新しい白のシーツの上には、央間が若葉色の葉柄の肌がけを抱え、スースーと小さな寝息をたてて眠っていた。

 無論一切の武装はしておらず、新調した桜色のパジャマを着せられて転がる彼女の姿からは、つい先日までの張りつめた緊張感は一切見受けられない。

 眉を緩めた今の央真の姿はまるで幼いアリカの姿にすら重なって見えて、およそこの小さく細い指に銃器が握られていただなんて、いささか信じられない思いでいた。

 両親には、身よりのない子供をしばらく預かって欲しいと言う手紙と共に、五条太秦の名義で家一件が買えるくらいの大金が振り込まれていたらしい。

 それだけの金額を簡単にかけられるくらい、央間と五条には近しい繋がりがあったのだと言うことなのだろうか。

 央間が目覚めたら詳しく聞いてみたいなと思いつつ、

 困惑顔の両親には央間は事故に遭いそうになった俺を助けて怪我をしてしまったんだとだけ伝えていた。

 両親は無論、怪我をさせてしまった上に大金までもらってしまったなんておかしな事態に戸惑ってはいたのだが

 俺がたいしたことはないだろうとぞんざいに告げると、安心したように央間の身の回りの品を買い集めに出かけて行った。

 しかし央間にはこの状況をどう説明すれば良いのかと、夕食を終えた食卓でポツリと呟いた俺に母さんは封のされていない白い封筒をそっと俺の手元に差し出してくる。

 見ても良いものかどうか決めあぐねていると、母さんがそれは俺たちを搬送してきた県職員に央間の世話を頼まれた際に堅苦しい書面と、共に渡された央間の保護者からの依頼状なのだと言う。

 央間を預かることになった以上、俺も彼女の保護者についての情報は知っていても良いだろうと、封が開いたままのその上品な白い封筒を手に取って二つに折り畳まれた手紙の中身をゆっくりと引き出して広げた。

 そこにはPCフォントのような整った字でシンプルに、子供をお願いしますと言う保護者らしい文面と、央間への人様の家ではくれぐれも無礼の無いようにと言った極一般的な諸注意が二つ三つ綴られていた。

 ただ央間への注意書きについてはひらがなと簡単な漢字のみで書かれていたことに、俺は多少なりとも違和感と言うか、不安のようなものを感じ取っていたような気がする。

 差出人の名前は「結城彩香」。

 ネットで検索すると結城彩香は出て来なかったものの、ふと思い立って結城ミリアで検索し直すと数件のニュース記事がヒットした。

 8年前アフリカ中部にある複数の国に医療支援で入国していた結城医師夫妻が、地元有力者との晩餐会への出席後、空港に向かう途中で反政府武装組織によって惨殺され

 翌日その遺体が発見されたと言うものだった。少年兵の社会復帰への投資を呼びかける目的の会議に参加するため一日だけ現地を訪れていた娘、結城ミリアは半年後消息を絶った街の近くで遺体となって発見されたのだと言う。 

 尚、夫妻が訪問先で保護した生後5ヶ月の女児も姿を消しており、地元警察当局の発表では反政府組織の活動が活発な今、子供の誘拐が多発しており行方不明者の発見は困難を極めるとのことだった。

 俺はパソコンの電源を落とすと、座椅子にもたれかかって一つ大きなため息をつく。

 結城ミリアは死亡しているという。


「・・・・・・じゃあ・・・・・・。央間ミリアは・・・・・・?」


 央間は幽霊だとでも言いたいんだろうか。ただの他人の空似で片付けるには央間と結城ミリアは似すぎているし筋が通り過ぎている。

 俺はもう一度パソコンに手を伸ばしかけて、しばらく迷ってからパソコンの電源を落としてもう一度息をついた。

 これ以上。この道を辿って行ってはいけないような気がしていた。

 しばらくそうして呆けていると背後の引き戸の隙間をガジガジとこじ開けてヒゲ蔵が俺の部屋に進入してくる。

 ヒゲ蔵は俺のあぐらの中に身を収めて、こちらを振り扇ぐと「ヘコんでんの?」とでも言いたげな顔をして目をゆっくりとしばたかせた。

 さっきまで廊下でカリカリと隣のドアを掻く音を響かせていたのだから

 おそらく本当にヒゲ蔵が行きたかったのは俺の元なんかじゃなくて央間のところだったんだろう。


「・・・・・・弱ってる人間はお前の餌じゃねーぞ」


 するとヒゲ蔵は「やだなぁ」とでも言いたげにニャーンと鳴いた。

 十中八九、このニュース記事の少女が央間ミリアだろうと確信していた。

 医師免許を持ちながら「例外」としてバスチオン入った恐れを知らない豪傑な少女。

 銃弾の中にためらいもなく身を投じ、爆破の迫る環境下に置かれても冷静にその任務を遂行する。

 見たところバスチオンの中では一番の若手医師と見られたのだが、その能力は不自然な程に洗練されていて、他の医師達にも引けはとらない。

 そして央間が両親の形見とするアリカの存在。

 八年前失踪した乳児が今も生きているとするならば、彼女の年齢や行動にも辻褄があっていた。

「ニャーン」

 そんな考えを巡らせているとヒゲ蔵がもう一度俺の顔を見上げ呼びかけてくる。

「・・・・・・なんだよ。央間の部屋に行きたいのか?」

 黒い毛玉の頭を撫でようとすると、ヒゲ蔵はスルリと俺の膝の中から抜け出して引き戸の前で誘うように振り返り、隣の洋室へと歩いていく。

 俺が座椅子から気だるげに立ち上がると、ヒゲ蔵は一足先に隣の部屋の扉の前で腰を下ろし「開けろよ」と小さく鳴いた。

 さすがに無断で女の子の部屋に入るのは気が引けたのだけどヒゲ蔵は軋む音を立てて開いた扉の隙間に容赦なくおはぎのようなまん丸い巨体をねじ込んで扉を開放してしまったので、なんとなく後に引けなくなる。

 洋室はベージュや緑、銀の小物などの明るい色のインテリアで揃えられ、まるで人の家に遊びに来たような感覚にさせられる景観に変わっていた。

 以前から女の子が欲しいと口癖のように呟いていた母さんが無駄に可愛い小物を見つけては買い込んで部屋を彩ったようだった。

 自然、女子の部屋になんか招かれたことの無い俺の全身はムズムズと落ち着かずざわめいていて

 頬も僅かに紅潮したような熱さに見舞われている。

 それでも気を取り直すかのように顔面に両手のひらを何度か擦りつけると俺は唇を噛みしめて央間のベットの横へとぎこちなく歩み寄る。 

 女の子色全開の部屋に横たわる央間はまるで、他の女子となんら変わりのない普通の子のように見えた。

 俺の足下にいたヒゲ蔵は穏やかな顔をして眠る央間のタオルケットの上に無遠慮に飛び乗ると、少女の白い二の腕に鼻を押し当ててクンクンと臭いを嗅ぎ始める。

 不覚にも俺はちょっとだけ羨ましい気持ちになっってしまった。

 そんな妄想をブンブンと振り払い、央間のベットの横に腰を下ろし、またあぐらをかくとあどけない寝顔をぼんやりと眺める。

 今までこんな近くで年の近い女子の顔なんて見たことがない。

 中学も2年を過ぎた頃からはフケ顔でキモがれるのを恐れ自分から女子に近付くことを避けていた。

 ましてや女子の寝顔なんて夢のまた夢の話だったのに

 郷愁に浸りながらおっさんのように尻などを掻いてると、ヒゲ蔵はいつの間に、いつもの割と苦しい胸のあたりのポジションに箱座りして央間の顔を見下ろしていた。

「う~・・・・・・ん・・・・・・」

 ヒゲ蔵の嫌がらせが幸を爽したのか、小さなうめき声と共に閉じられた央間の瞳がうっすらと開き始める。


「あっ!!」


 俺は慌てて部屋の入り口の方へ駆け寄ると、ドアの影に隠れて彼女の様子を遠くから窺う。

 覚醒した央間のまん丸な瞳は、必然的に自分の上に鎮座する黒い毛玉へと向けられて

 それに呼応するかのようにヒゲ蔵恒例の目覚めの挨拶がかけられる。

「ニャーン」

「・・・・・・あれ・・・・・・?」

 央間は目の前の見知らぬ光景を、しばし眼球の動きだけで辿り首を傾げると

「・・・・・・こんにちは」

 およそらしくない可愛らしい声でヒゲ蔵に挨拶を返した。

 彼女は重いおはぎ状の猫を手のひらで押し出し体の上からずれてもらいながら、釣り針状の寝癖をつけた身を起こしながら

 キョロキョロと周りを見渡してやがて扉から覗く俺の存在を発見する。

「あ!五条!!来てたんだ!!」

 そう言って央間は満面の笑みでベットを抜け出すと、俺の手を引いてラグの上まで誘導し「どうぞ」とクッションを差し出して正座で向かい合った。

 央間は思っていたよりも遙かに元気だった。

 でも終始無邪気な笑顔で話しかけてくるその少女は、俺の知ってる央間とは違うまったくの別の人間のようになっていて。

 何が違うと聞かれればきっとこう答えるしかないのだろう。

 その動き、表情、リアクションの全てが、まるでまだ就学もしていない幼児のようだったと。

 本当に央間は、あの薬によって記憶を失ってしまっていたのだ。

 それでも彼女は振る舞いこそ幼いものの、文字を読む能力に関してはそこまで支障がなかったようで

 自称保護者からの手紙を受け取ると、ふんふんと頷きながらその内容を一人で読み上げていた。

 彼女は意外とすんなりと今の状況を受け入れてくれたようだったのだけど、いいのか?と聞くと、いつものことだもん。と気持ち寂しそうに下を向いて答えた。

 母さんは央間と話すうちに何かに気づいたようだったけど、特に何を聞こうとするでもなくそのままの彼女を受け入れてくれて。

 俺は央間の相手を母さんに託してる間にスマホやPCで央間の飲んだ治検薬についての情報をかき集めることにする。

 液状、治検、記憶喪失。そんな単語を辿り続けていくと、央間の状況に納得の行く働きをするカプセル薬を発見する。

 摂取することで記憶を司る大脳辺縁系・海場・大脳皮質等の機関との通信が8割方遮断され、普段は仕舞われている深部への記憶のアクセスを不能にする効果があるのだと言う。

 そのため脳が個々人を形成する根本的な土台となる各種伝達を行う配線を身につけたばかりの状態まで後退した状態になるため

 服用者のほとんどが幼児と同等にまで知識レベルが落ちたかのように見えるのだと言う。

 ただしその効能に永続性は無く、現段階では数週間から二年程の間に薬の効果は切れてしまうらしい。

 夏休みが始まって半月が過ぎたある日。セミがけたたましく鳴き喚き、熱波もいよいよ本番になろうと言う絶好の引きこもり日和の最中

 俺は親の勧めで央間の普段着の買い物につき合うことになった。

 俺を五条と間違えた央間へは、五条は俺の親父で今は親戚の家に居候していると伝えていた。

 当然のことながら父さんは良い顔をしなかったけども、央間が事故の後遺症で幼児にまで退行してしまっていること、今俺が五条とは赤の他人だと央間に告げることで

 幼児の心を持つ彼女が部外者の中に置き去りにされているという不安を抱きかねないんじゃないかという話をしたあとには、ぎこちないながらもその設定を必死に演じてくれていた。

 帰宅後はW.インヘリタには行っていない。ことあるごとに央間の動向が気にかかっていたことと、なにより

 実際、現実の銃撃戦と言う命の危険にさらされた後で戦争ゲームをしたいと言う気持ちにはとてもなれなかったからだ。

 今は『エルフ』のカウントのことも、あれから増減があるのかすら知るのが怖かった。

 ただ、ギルドの仲間には落ち着いたら会いに行きたいと言う気持ちはあった。

 そんなことを考えながら、俺は今自分が育てなければいけない能力について思いを巡らせていた。

「ねぇねぇ!おさむ!!あっちのふくも見てみて良い?」

 央間はすっかり角の取れた無垢な性格の女子になってしまい、これはこれで可愛いとは思うのだが

 これが央間にとって良い機会になるのではないかと思う一方で、どこか胸の奥がキシリと痛むのを感じた。

 「かわいい~」

 うちから2駅のショッピングモール。

 小さいながらも季節感のある装飾で雰囲気を出している人気スポットのこじゃれた雑貨店で

 蝶のように落ち着き無く、央間はあっちへこっちへとフワフワ漂っている。

 大人なら配慮するはずの周囲の動きにも鈍感になっていて、他の客にぶつかりそうになっては俺が央間の服を掴んで止めていた。

 グスタヴィはあの時、彼女に飲ませた薬に永続性がないことは解っていた。

 例えばあの時あの薬を飲まされたのが俺だったとしたならば、バスチオンでの餌としての役割を終え

 またいつも通りの生活を過ごして行くうちに、例えあの5日間の記憶が戻ることがあったとしても

 ああ怖い夢を見てしまったと笑って全てを忘れてしまえたと自信を持って言えるだろう。

 だからこそグスタヴィの望んだ央間への俺の役割は何なのか。

 それはすでに解っていたのだ。

 あの密閉された地下施設で爆弾が使われると言うことはどういうことなのか、それは俺でも想像が付くことだ。

 それでも央間は構わずに一人あのフロアに残り立ち向かおうとした。

 俺が託された役割は央間の記憶が戻るまでに、あの世界にはもう戻りたくないと思える程の充足した気持ちを抱かせることだ。

 ふと気づくと、央間は混雑する繁華街の中に並ぶクレープ屋をジッと見つめていて、央間の望みのチョコバナナクレープアイストッピング付きを頼んだついでに

 タピオカミルクを買って差し出すと彼女は顔からこれでもかと言う程のの喜びを溢れ出して無邪気に笑った。


「タピオカミルク好きなんだ?」


 以前バスチオンで央間は冷蔵庫に入ったたくさんのジュースの中からタピオカミルクを選び取って飲んでいたのは覚えていた。

「だいこうぶつです!」

 その笑顔が、あまりにも儚くて。俺は少しだけ目頭が熱くなり、無理な笑顔で口を引き結ぶと央間から目を逸らしてしまった。

 それから幾日も経つたび、彼女はどんどんと人間らしくなって行った。

 好きなもの。嫌いなもの。誰かが泣いているとそこで立ち止まって、ヒゲ蔵のように近づこうとしてしまう癖。

 性格が、感情が、無表情の央間からは読みとれなかった彼女の中身が

 少しづつ。少しづつ見えて行く。

 いつのまに、彼女の笑顔に揺らされる俺の鼓動が別の意味を持つものになっていることには気が付いていた。

 二人で映画を見て、みんなで海に行って、たこ焼きでパーティーをして。花火を見て。

 こんな毎日がずっと続けばいいと思った頃。

 突然の突風に央間の帽子が宙を舞った。

 それは新幹線のホームだった。

 央間も含めた家族みんなで京都に行こうと

 早めにホームに入って乗車予定の列車を待っていた。

 俺が売店で軽食を調達してくる間、央間は父さんと母さんと立ち話をしていて

 そこに乗車予定の列車がホームに入ってくる。

 その日は元々風の強い一日で、列車の風圧も手伝ってか

 央間のかぶっていたツバの広めの帽子が俺の方へと巻き上げられた。

 刹那、脳裏に電流のように白い記憶が蘇る。風に踊る帽子が、小さな帽子の幻と交差する。

 

―――それは子供用の白い帽子だった。―――


「あら?」

 母さんが落ちた央間の帽子を見て頬に手をあてた。


 ―――それは白くて小さな少女の手だった。―――


「そういえばこんなこと、前にもあったわよね?確か同い年くらいの女の子と・・・・・・」

 向かいの新幹線ホームの発車ベルが鳴り響き、俺と央間は時間を止めたように見つめ合う。


 ―――新幹線のホームで、親子連れの女子の帽子を拾った。―――


「そうそう。ミリアちゃん。あなたによく似た可愛い子だったわ~」

 

―――俺が8歳の時だった。―――


「治が転んですりむいた傷のかさぶたを剥がしちゃってててね?帽子を拾ったお礼にって、絆創膏をくれたのよ~」

 さっきまでは無邪気に大口を開けて笑っていた央間の顔から、次第に微笑を失っていく。


―――彼女と父と母の3人家族だった。

 俺はあの日はぐれないようにと手を伸べた母の手から目を逸らすと、2両先の新幹線のドア前から風に舞って飛んでくる帽子を野球のボールでも拾うかのように受けとめようと駆け出した。

 そこでちょうど新幹線の発車ベルが鳴り響いて、俺が同級生くらいの少女に帽子を渡すと彼女の母親は

「もう少しで乗り遅れちゃう所だった」

 と礼を言った。―――


 軽食を抱えた俺の腕が。震え出す。

「治?どうしたの?早くいらっしゃい」

 母さんが俺を呼ぶ声が、遙か遠くに聞こえる。

 

 ―――『被害者は医療支援のため訪問していた医師の結城夫妻で・・・・・・』―――


 俺があの帽子を拾わなければ。


 ―――『なお、娘さんの行方は、いずれ解っていない模様です』―――


 俺があの時親の手をちゃんととっていればと、ふつふつと気が遠くなるような眩暈に囚われてく。

 テレビのニュースで彼女の両親の事件を知ったあと、小学生の俺は怖くなって数日布団に閉じこもって丸まっていた。

 央間の柔らかだった表情が。ゆっくりと。意志を称えて。

 大人びたものに変わっていく。


「央間・・・・・・」


 でもその表情からは、以前の人形のような無機質さは失われていて


「ごめん・・・・・・」


 彼女は俺の言葉を聞くと、憂いと、そして優しさに満ちた目を静かに細めてにっこりと微笑んでいた。

 彼女もまた。思い出してしまったのだろう。何もかもを。

「心配するな・・・・・・」

 彼女はうちに来てからは発することの無かった、いつかの口癖で返答を返した。

 列車の中での央間は、記憶が消えていた時とあまり変わらない調子で俺の両親と楽しげに会話をしていた。

 央間は充分に。・・・・・・人間の顔になっていたように思う。


「なぁ央間・・・・・・」


 それでもたまらず、俺は彼女を説き伏せたいと焦っていた。


「今回は国内だけどさ、何年かしたら海外にも行ってみたくないか?」


 親たちは久しぶりの旅行に車窓の外に目を奪われてはしゃいでいる。

 一方で央間は、甘い紅茶缶を回すように揺らしながら、俺のたどたどしい言葉を待ってくれていた。


「今までの価値観が変わっちゃうような不思議なことが世界にはいっぱいあるんだってさ……!

 聞いたことある?筒状の雲がいくつも伸びる空があったり大人で産まれて年取るほど小さくなるカエルがいたり、太陽が沈まない場所があったりってさ」


 緊張に喉が押し潰されて、ただでさえ弱々しい声が掠れて切れる。

 自分の口を突いて出る言葉の軽さに嫌気が差してくる。

 言葉のウエイトは、経験と乗り越えてきたものの多さで決まる。

 それは。央間から学んだことだった。


「お前の知らないものがいっぱいあると思うんだ。ありえないと思うようなそんなことでも起こっちゃうような未開の景色とかがさ。

 だからお前にだってきっと違う生き方が―――」


 そこまで言って、俺は言葉の先を接げなくなった。

 バスチオンにはまだアリカ達がいるのだ。

 我ながら、なんて無神経な言葉を吐くんだろうか。

 彼女の指先が、俺の唇を塞ぐように伸びてくる。

 央間は、俺の顔を覗き込むようにして目を細めると

 ピンクに艶めいた唇を緩めもう一度だけ言った。

「心配するな」

 と。

 優しすぎる声が、胸に深く深く突き刺さって。俺はそのまま何も言うことができなくなった。


 京都の旅館では男女に分かれて部屋を取っていた。

 昨日一日たっぷりと京都を廻って、疲れきった両親はぐっすりと眠っていたことだろう。


ドンドンドン!

ドンドンドン!


 朝からやかましく宿部屋の扉を叩いて、鍵のかかっていなかった扉からまだ布団で寝ていた父さんを勢いよく飛び越しつつ母さんが部屋に入ってくる。

「ねぇ治!治!あんたも探すの手伝ってよ!!」 

 母さんが目覚めた時には、央間の布団はきっちりと畳まれて

 そこに眠るはずの主の姿はすっかり消え失せていたのだと言う。

「あの子、昨日の午後からなんか様子が変だったじゃない……。大丈夫かしら……心配よ……」

 俺は浴衣姿のまま窓辺の椅子に座ってだらしなく足を組み頬杖をつきながら


「心配ないよ」


 と央間の代わりに返事を返した。

 無論、そんな適当な応対で納得してもらえるわけもなく。

 煥発を入れず俺は母さんの平手にはたき倒された。




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