プロメテウスの崖
去年、国連の人道介入ミッションで赴いたシエラレオネの難民キャンプで、私はテムネ族の幼い姉妹と知り合った。姉のエズミは10歳、妹のモイラは7歳だった。
お互いの英語の発音はほとんど聞き取れなかったので、意思の疎通は筆談だった。
エズミに問われて私は名乗った。
MIZUHASHI YUI 水橋唯
25years old
Japan Ground Self Defense Force 陸上自衛隊
Lieutenant 二尉
EPT Rider 二脚戦闘車搭乗員
このときのミッションでは、当地の支配的な部族の民兵組織と交戦し、私は防弾ジャケットの上から榴弾の破片を受け、肋骨を二本折った。
医療コルセットを巻きつけた私に、姉妹は贈り物をくれた。エズミは自分の描いた一枚の絵を、モイラは木の実と布片を組み合わせた何か、おそらくは手製の勲章を。
エズミの描いた絵の中、青い海に浮かぶ緑の小島の上で、私はEPTと呼ばれる単座二脚戦闘車のハッチから上体を出し、そのとなりにはヤシの木が一本生えていた。
アフリカの少女が思い描いた、この島国日本のイメージは、偶然にも私に故郷を思い出させた。まさしく私の生まれ育ったのは、日本国土の最南端に近い離島だったから。
理想主義者たちが住み着いて築いた自然回帰のコミューン。水平線近くには南十字星さえ見えるその島を、私は15のときにひとりで出てきたのだ。
「ユイにはきょうだいはいないの?」
描き加えてくれるというのだろう。色鉛筆を手に身を乗り出し、溢れる絵心を抑えきれぬ様子のエズミだったが、私は「Sorry」と笑って首を振った。
この名が示すとおり、父と母の子は、私という娘だけだった。
その絵と勲章を鞄に入れて、私は両親の待つ生家へ向かった。
島はすでに海面の下に沈んでいたので、私はひとりボートに乗って、静かな水面に、オールの波紋を描きながら進んでいった。
島のシンボルだった大風車が、うつろな音で羽を軋ませる隣で、白く塗られた私の家は腰高まで水に浸かっていた。
ボートを操って、暗く開け放たれた玄関へと舳先をくぐらせる。
屋根の破れ目から漏れ込む陽光のもと、懐かしい台所の床のタイル模様が、眼下でほの暗く揺らぐ。目を凝らすと小魚たちの素速い影がよぎる。
私は手を休め、家の中を見渡した。何か書き置きがあるかもしれない。この状況だから、家の構造のどこか、たとえば中央の柱にでも直接書き付けるのが妥当だろう。私はそこへボートを漕ぎ寄せ、木の肌に手で触れてみた。
そこに未読の伝言はなかったが、かわりにさらなる懐かしさが胸を満たした。ちょうどその胸の高さから、水面のすぐ下にまでわたって刻まれた数本の刻み目。十歳時から四歳にまで遡る、自分の身長のプリミティブな記録だった。その時分、毎年の誕生日になると、父は私をここへ立たせ、柱へ小刀を滑らせた。
よく見ると、七歳の時だけ記録が飛んでいる。何故だかはよく覚えている。そのとき私の発熱と咳がいっこうに収まらず、誕生日の行事どころではなかったためだ。
その日、両親は、入島以来自らを縛ってきた「掟」をはじめて破った。母は昔の手帳を掘り出して幾通もの手紙を矢継ぎ早にしたため、父は納戸から引き出した船外機のガソリンエンジンに火を入れた。
その甲斐あって、一週間後に私は快癒した。そしてその後知る限り、両親が禁を犯すことは二度となかった。
ふと気づくと潮目が変わり始めている。私は再びオールに手をかけた。
結局、父も母もここにいない。居所も分からない。出来るのは、ここから何かを持ち出すことくらいか。もし見つかるならば、家族のアルバム、生前の両親の日記、祖父母やさらなるルーツに連なるスーベニールなどを。
奥の部屋へとボートを運んだとき、そこに広がる光景に息を呑んだ。
父の手製の本棚が俯伏せに倒れ、その中身、すなわちいま私の求める諸々が漂い出し、まさにこの瞬間、引き潮にのって窓枠を越え、明るい海へと吸い出されていく。
窓枠に阻まれたまま波に揺れるボートの中で、私は青い海を遠ざかっていくものたちを、ただ見送るしかなかった。
夢から醒めると、私はコックピットの中にいた。
ボートの揺れる感覚がまだ身体にまとわりついている。
ここがどこだったか咄嗟に思い出せない。霞のかかった頭で現状認識に努める。
こんなとき私は、記憶を手繰るより、眼前のGPSが手短に示してくれる「経緯」をまず参照するようになった。
北緯41.53東経46.27。黒海とカスピ海を結ぶ大コーカサス山脈のただ中。海抜は800メートル代。
私は頭上のハッチを開け、そこから雨の中に上体を出して周囲を見渡した。
人も通わぬ岩山の中腹、崖からせり出した岩棚に、EPTは単独で停留していた。足場が悪いのと強風の分、岩肌にアンカーを打ち込んで、ワイヤーによって姿勢を保持している。
時計を見ると17時。この配置についてすでに28時間が経過していた。
この地点は戦術偵察等の上での重要ポイントであるにもかかわらず、僚機による交替のシフトはない。EPTをここまで上げて来られる技量を持つ搭乗者が他にいないからだ。
眼下に開けた平野部で、一面に、無数の火柱が上がっているのが見える。それは石油採掘プラントの鉄骨の櫓から放たれており、雨に煙る景色の中、揺れ動く炎だけが鮮やかに色味を帯びて映る。
これを専門用語ではフレアスタックといい、採取してもペイしない余剰ガスを安全な高所で焼却しているのだと、この国へ来る民間機の中、隣席の日本人石油技術者が、窓を指さしながら教えてくれた。
あの人も今頃、ここから見えるどこかの火の下にいるのかも知れない。実際いま現在、この一帯の多くの石油・天然ガス施設が、日本企業の投下した資本と人員とによって賄われている。
そもそも日本人が石油と天然ガスを求めてこの地へやって来たのは、遠く1990年代、第一次BTCパイプラインの開発に関わったのが草分けであるというのも、そのとき聞いた物語。
それから経ること半世紀、今度はいよいよシベリア・パイプラインの西端を、この地まで差し込むことが日本の望みだった。ラインの他端はすでにはるか極東、旧北方領土を通じて京浜のコンビナートにまで達している。
国連停戦監視団の一翼としてこの紛争地へ来た私たちにしても、その思惑と無関係でない。政治的不安定要因をいちはやく取り除き、関係諸国へ強いプレゼンスを示すためにこそ、日本政府は新鋭EPT一個大隊を送り込んだのだ。
その事情はミッションに参加している各国も同様のこと、そしてむろん紛争当事国こそが、この石油・ガス事業の行方に一番強い関心を抱いている。
世にはシェールガスやメタンハイドレートがあり、自然力エネルギーもまた、一部の趣味者のものでなくなったとは言いながら、まだまだこの古い油甕には、世界の草木を靡き寄せる引力があるらしい
私は、幼い頃、父母が交代で読み聞かせてくれた本を思い出す。子供向けに挿絵のついたギリシャ神話の本だった。
プロメテウスは弱い人間たちを憐れみ、禁を破り、神殿の火を分け与えました。
禁忌の力に雀躍した人類の業は、オリンポスの周囲の山を裸に剥くだけではすまなかった。世界中いたる所で吐き出される黒煙が天を摩し、自らの拠る地が溶け出した今になっても、まだまだひとは多くの「薪」を欲する。
無限の劫罰に耐えた恩寵の主でさえも、今日の世界地図を見れば、己の過ちを嘆くかもしれない。
すでにそこからは、南太平洋の島嶼をはじめとする少なからぬ国名が消え、ギリシャを含めた、海岸線を有するほとんどの国が国土面積を縮めている。世界中で没した島の数などもはや数えきれはしない。
私の故郷が沈んだのは二年前のこと。
島は自給自足を旨とし、商業電力を否定していた。大風車の排水能力では、年々の海面上昇に太刀打ちできなくなり、早くもその数年前から道路や農地など、重大な生活圏が水に浸りはじめていた。
リアルタイムのそういう情報を私にもたらしてくれたのは、テレビの報道番組の特集企画だった。画面の中で、わりに親しくしていた小父さんが、冠水した地面に目を落とし、「ちょっとこのままでは」と呻くのを、私は食堂のテレビで眺めていた。
そろそろ何らかの「切り替え」が島に必要なことは誰の目にも明らかだった。しかしそれより前に、南海の彼方から、「終わり」がねじ伏せるようにやってきた。防潮扉の工事のさなか、襲い掛かった未曾有830hPaの台風が、すべてをさらい取り、流し去った。そう、まさにそこにあった価値あるすべてを。
天災や戦災、一部の事故・遭難に関して、民法には「特別失踪」という項目がある。そこに定められた一年の期間の後、合同葬儀で私の前に置かれたのは、二つの空っぽの骨壺だった。父の享年は58。母は56。式を経ても、戒名はついになかった。
式の帰りの電車のシートに揺られながら、私は膝に抱いた二つの小さな骨壺を見下ろした。
島へ渡る前、父は投資銀行の主席トレーダーだった。母は医師・生化学者としてアカデミズムの尖端にいた。世界の中心と謳われる街の、超高層ビルの最上階で催されたパーティーで、二人は初めて出会ったという。
抱えきれぬ富と、赫々たる栄誉とに彩られた人生の、この末路。
それを笑う人間がいるのは容易に想像できた。私もまたこれを、冷厳に負の教訓と位置付けるべきなのかもしれない。
けれど私から見た両親は、強く静かに何かを確信している人たちだった。
彼らは娘にさえも、ことさら主義を説かなかったが、ある種の精神的態度は特有のものだったと思う。それは目先の一喜一憂を捨て、大げさに言えば、天地の万象を大きな尺度で把握しようとするかのような。
その思想なり信条なりの全容は分からないけれども、身を守る幾多の鎧を、キャリアとともに捨てたとき、少なくとも生身の命の「はかなさ」だけは了承したはずなのだ。
あるいは逆に、こんなことも頭に浮かぶ。
父と母は、本当にこの世から消えてしまったのだろうか。死を裏付けるポジティブな証拠は何もない。
ひょっとすると彼らは嵐の前に、あの島よりもっと望ましい理想郷をどこかに見つけ出し、かつてそうしたように、再びすべてを捨て、手を取って旅立っていったのではないか。もはや唯一つの「躓きの石」もなく、不純とも矛盾とも折り合う必要のない約束の土地へ。
それが喜ばしい想像なのか悲しい想像なのかは、自分でも分からなかった。
ただ動く車窓から暮れかかる空を眺めていると、気が付けば頬から喪服の襟へと涙が落ちていた。
今更ようやく、私は自分が帰る場所を失ったということを知ったのだった。
彼方で轟く爆音に、私は現実に引き戻された。反響が岩壁を細かく震わせる。
取り出した双眼鏡を、音の方向、停戦協定ラインのあたりに向けると、比喩ではない戦火がそこにあった。これまで何度も見てきたし、シエラレオネでは一端を味わったこともある赤黒い炸薬の炎。
ほどなくしてインカムから、緊急コールサインとともに、訛りの強い英語が流れ出す。
「Fuckin bustard has committed the serious offence!」
管制指揮官はベルギー陸軍の古強者ファレル中佐だった。
停止していた特別監視対象部隊が、野砲の支援を受けて、再度の進撃を開始したという。
任務の内容はあらまし予想がついた。遊弋中のアルファからチャーリーまでのEPT各機、アルファ・ユニット基軸へと合流した上、航空支援を待つことなく、予備停止線手前のイスラ峠にて会敵。装甲兵力の通過を阻止すること。
何に代えても、という一句がそこにつく。それを許してしまえばどうなるか。想像したくもないことだが、想像せねばならない。ここに至るまで、世界十か国もの関係者たちが、肝脳をしぼり細心の手つきで組み上げてきた「決め事」が、トランプタワーのように残らず風に散らされる。
私は上部ハッチをロックすると、シートをドライビングポジションまで沈めた。コマンドグローブとヘッドセットの位置を整えてから、イグニションを捩じり込む。私のこの地での3度目の実戦が、いま火蓋を落とされようとしている。目覚めたエンジンが、雨を飛ばして機体を震わせる。
戦闘コードを入力し、兵装を起動させた。ライセンス生産されたこの機種の、米本国での名はサラマンダー。四大元素のうち火を司る精霊、灼熱の牙と爪を帯びた炎の龍。頭上の20mmバルカン・キャノンが小刻みな挙動で敵を求め、両サイド6基の対戦車誘導弾が被覆を飛ばして弾頭をせり上げる。
私は出撃に先立ち、一度深呼吸とともに全周モニターを見回した。
あらためて見る岩山の光景は、幼い頃に見た本の挿絵とよく似ていた。
「神々の怒りに触れたプロメテウスは、世界の果て、カフカズ山の断崖に鎖でつながれました」
そのくだりを読み聞かせてくれたのが、父だったか母だったかは思い出せない。その声にどんなトーンが込められていたかも、今ではもう。
今まさしくその最果てまで、またぞろ古臭く愚かしく血腥い目的のため出向いた娘を、両親は憐れみ呆れているだろうか。遺影が湛えた穏やかな笑みは、そう見ればたしかにそうも見える。
「Boys and Girls. Any questions?」
指揮官の問いに、私は口元のレシーバーに手を添えた。
「This is Alpha leader. Received and Accepted」
けれど私は、この地でのミッションの意義が乏しいとは思わない。
眼下のフレアスタックが風に煽られ一斉に火勢を増す。
もし原油価格5ドル/1バレルの値上りを些細と笑う人がいるなら、その想像力と感受性を私は信じない。
原油コストは生活コスト。国際市場の発した軽い一突きは、国民経済の最末端へと皺寄せされるたとき、その先にある崖下へ向けて、押してはならぬ多くの背を押すだろう。
これもまた水際の防衛戦なのだ。そこに勲章をくれる小さな手はないとしても。
リリーススイッチの操作で、岩に打ち込まれていた二本のアンカーが繋縛ワイヤーを曳いて宙を舞った。
「I will do it」
ガスタービンが咆哮を響かせ、排気口が紅蓮の炎を崖へ吐きつける。機関の動力があまさず脚部へと集約された次の瞬間、右足部の三爪が岩を蹴って機体を跳躍させた。
了