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Trick with Treat  作者: カオス学園文芸部
短編集『Trick with Treat』
36/46

Trick or Treat@上川 勲宜

作者:上川 勲宜

ジャンル:ファンタジー

 1



 アイルランド、キルケニー州州都―キルケニー。「大理石の都市」と称されるその中世の姿を現代まで残したその都市の景観は、まさに荘厳という言葉がふさわしい。神々しさすらも感じさせるその威容は、一重に時代を超えた勲章というべきか……。

 その荘厳たる都市は今、どことなく浮足立つ雰囲気で満ちていた。

 時節は秋。月日は10月31日。冬の訪れが間もなくというこの日は、ハロウィンが行われる時だった。

 街道を挟む店の軒先には、カボチャをくり抜いて作られたジャックランタンが置かれ、まだ陽が高いというのに、町を往く人々の中には、ドラキュラや狼男といった仮装をしている者がいる。本来はもっと堅苦しい行事なのだが、人間というのは楽しいことに対する探究心が旺盛な生き物。ゆえに、海外から逆輸入する形で、この土地にも根ざしているようだ。

 そのおかげということもあり、彼女が変わった様相をしていても、周囲には仮装と判断されていた。

 その彼女は、歳はまだうら若い乙女といった感じだ。おそらく、16~18歳ほどと推測される。

 髪は絹のように細くて上品な黒色で長い。容姿はあどけなさが残った可愛らしさがあり、丸い瞳はルビーのように赤い。服は明るいライムグリーン色。それに反し、彼女のまとっているマントは、くすんだ灰色をしていた。

 そんな少女のどこが異様なのか……。それは彼女の背にあった。

 少女の背……マントが靡くたびに垣間見えるそこからは、半透明の翅が生えており、それが時折、ひらひらと動くのだ。それは決して、風で動いているわけではないのだが、時節がハロウィンということもあり、人々が注目しても、異質なものとしては見られることはなかった。


「やっと……。やっとこの時が来ました……」


 街道をひとり歩きながら、少女は決然とした光を瞳に宿していた。

 待ちに待っていた、とばかりの少女の気合いの入りっぷり。それも無理はなかった。なにせ今日――厳密に日が変わった後――、少女は故郷に帰れるのだから。



 ――◆――◆――



 黒髪の少女の名前は、シーという。前述した見た目からもわかる通り、彼女は人間ではない。

 バンシーと呼ばれる、妖精の仲間だ。

 妖精と聞けば、可愛らしいものを想像する人が多いだろう。現にシーは、可憐な容貌をしていた。

 ……が、バンシーは死を運ぶ妖精と言われている。というのも、バンシーは家人の死を予告するためだ。

 アイルランドの土地では、それなりに知られている妖精であり、悪霊扱いである。街の至る所に飾られていたジャックランタンは、そもそも家の者がバンシーによって死を予言されないように、近づけなくするために置かれている魔除けのアイテムなのだ。

 そのこともあり、シーはこの土地で、とても肩身の狭い思いを強いられてきた。それは彼女の特殊な身なりもそうであるが、彼女を受け入れてくれる人がいないのだ。死を運ぶ妖精なのだから、仕方がないとはいえ……。

 シーも好き好んで、他人を死に追いやってやろうとは考えていない。普通に接する程度なら、彼女は何の害もない存在である。……が、そのようなこと、彼女が言ったところで信じてもらえないだろう。そもそも、神話や伝承がファンタジーなものとなりつつある現代社会で、シーがそのようなことを言っても真剣に取り扱ってはもらえない。風習は残っていれど、その中身を心の底から信じている人は、めっきり少なくなった。それだけに、性質の悪いものがある。

 そのためシーは普段、日の照っている時間帯に表を歩くことはほとんどできなかった。人気のないところに身を隠し、夕刻時になった頃に表に出るのだ。翅を隠すために、ボロマントを羽織って……。

 奇異の目で見られることに不快感はあったが、中には親切な人もいた。冷たい世間の中に残っている、そんな小さな灯のような人の温かさに触れることが、彼女の心の支えとなっていた。


 ――だけど、それも今日いっぱいで終わります。


 明日からは、この街ともしばしのお別れとなる。だったら、せめてハロウィンである今日一日くらいは、朝から表に出て遊んでもいいだろう。



 2



 シーはキルケニーの都市を観光することにした。前々から行ってみたかった場所があったのだ。

 街中の入り組んだ街道を渡り、階段をのぼりやってきたのは、聖カニス大聖堂だった。

 キルケニーの都市の名前の由来となったこの建物は、初期ゴシック建築の様相をしており、荘厳さに満ち満ちていた。

 聖堂の内部へと、シーは足を踏み入れると、正面にあるたくさんのステンドグラスに迎えられた。色彩鮮やかな、様々なシチュエーションが描かれたそれに、シーが目を奪われていると、


「……?」


 聖堂の影になる場所に、何かがいるのを感じ、シーはそちらへと視線を移す。

 観光客の集まりから離れた場所に位置しているその人は、洒落た黒の紳士服を着ていた。そのことから、その人は男だということがわかる。

 ただ、顔の部分が少し妙だ。……というのも、顔の輪郭は見えないのに、なぜか目と口の部分だけがぼんやりと見えるからだ。そこだけ闇から浮き出ているかのように。


 ――何でしょうか?


 気になったシーは、その男の人に近づき、声をかけてみることにする。


「こんにちは~。貴方も観光している、ん、……ですか…………」


 近づき、相手の顔をはっきりと見えるようになったとき、シーの声が硬直する。

 その人の顔は…………カボチャのそれだった。目と口の部分だけが、その形になるようにくり抜かれていた。

 その様相に、シーは思わず度肝を抜かれそうになったのだが、


 ――…………ああ、仮装していらっしゃるんですね。


 と、納得する。今はハロウィンなのだから、こういう人がいたって無理はないはずだ。…………多分。

 生のカボチャを頭にかぶるだなんて、気合が入ってますね~、などという感想をシーが頭の中で浮かべていると、その人が彼女に気づいた。どうやら今まで、ステンドグラスを眺めていて、シーのことに気づいていなかったらしい。


「あっ、ど……どうもですっ」


 突然振り向かれ、シーはやや挙動不審になる。

 ……が、そのカボチャの被り物をした男の人は、


「ハハハ、すまないすまない。驚かせてしまったかな? こんな恰好をしていて」


 朗らかにその人は笑う。……が、カボチャを被っているので、表情がよくわからない。


「そ、そんなことありません! 確かに、カボチャの被り物をしていて生臭くないのかなぁ~、とか思っちゃったりしてましたけど…………あ」


 と、ここでシーはあたりを見渡す。ひとりで騒いでいる彼女に、観光客やガイドの方の視線が突き刺さっていることに気づいた。

 う……あ…………、とシーは恥ずかしさのあまり、顔を紅潮させていく。


「し…………失礼致しましたああぁぁ~~~~‼」


 やがて、堪え切れなくなったシーは、聖堂から飛び出していったのだった。

 マントをなびかせ、その翅を外気にさらさせながら――――。



 ――◆――◆――



 聖カニス聖堂の裏にまで逃げてきたシー。どうやら観光客はみんな、内部を見学中のようで、裏手にはほとんど人がいなかった。

 乱した呼吸を整えていると、


「――君」

「ひゃっ!」


 唐突に声をかけられ、シーはたまらず声を上げた。


「す、すまなかったね……。まさかそんなに驚くとは……」

「あ、い、いえ……。私の方こそ、驚きすぎてすみません……」


 双方ともに頭を下げる。

 その後に続くのは、沈黙。聖堂入り口付近からは、観光客たちの語らいが聞こえてきていた。

 いかんともしがたい沈黙に、堪え切れなくなったシーは、先手を打って出ることにする。


「……あの。貴方はどうして、聖堂に来ていたんですか?」

「どうしてそのようなことを訊くのかね?」

「いや、その……。うまくはいえないんですけど……貴方の目的は、観光客の方たちとは違うような気がして……」


 単なる観光できたわけではないような気がして、シーにはならなかった。

 もっとこう……聖堂の本筋に触れるようなもののために、彼はここにやってきているんじゃないかと、そう感じたのだ。

 それは勘というよりも、あのときの彼が漂わせていた雰囲気で感じたことだった。


「……鋭いね、お嬢さんは」


 その声には、感心したような色が滲んでいた。

 そして、男の人は語る。


「そうだね……。一言で言ってしまえば……救いを求めるために来たのだよ。恥ずかしい話だがね」


 自虐の気を漏らしながら、男はそう言った。


「何を望んでいるのですか?」

「妻の元に、逝きたいのだ」


 なんとなしに訊いたシーだったが、まさかそのような返事がくるとは思ってもいなかった。

 男の人の声には、憔悴したものが含まれていた。人生に疲れ、ただ身が果てるのを、時間の流れとともに待っている、といった感じだ。


「あの……。そういうことを言うものじゃないと思います。奥さんが亡くなられたのは残念ですが、だからといって、生きている貴方まで後を追おうとするのは……」

「生きている?」


 ふふ、と笑う。今度こそそれは、自嘲がはっきりと含まれたものだった。

 自らを嘲た後、男ははっきりと、こう言った。




「わたしは……もう死んでいるんだよ、お嬢さん」




 シーを見つめるそのカボチャの目の奥をよく見て…………彼女はそれが事実であると理解した。

 くり抜かれたカボチャの目の奥には、人の素顔などなかった。あるのは、煌々としたオレンジ色の揺らめく炎。それは口も同様だった。喉奥に揺らめくのは、篝火(かがりび)のような光だった。


「……き……」


 わなわなと口を震わせ、少しずつ男から後ずさりするシー。

 そうして、男を指さして、


「きゃああああぁぁぁぁ‼ オバケエエエエェェェェ⁉」


 盛大に悲鳴を上げ、逃げ出そうとするシー。……だったが、足をもつれさせ、転倒してしまった。受け身などろくに取れず、顔面を地面に思いっきりぶつけた。


「だ、大丈夫かね?」

「わ、私は全然美味しくありませんから! た、確かにうら若き乙女としては、女としては美味しい果実かもしれませんが、それもまだ熟していない未熟なおいしさというか苦味があると言いますか…………と、とにかくっ! 食べてもおいしくないんですううぅぅ!」

「……ずいぶんと余裕のある怖がり方をするんだね、君は」


 転んだ彼女を立たせようと手を伸ばしているカボチャオバケは、若干呆れ気味だ。


「安心してくれ。わたしはそんなことをするつもりはないよ」

「ほ、本当ですか……?」

「ああ。この目を見ても、信じてもらえないかな?」

「…………篝火が見えるだけで表情がわかりません」

「あ……」


 しまった、とばかりに声を漏らすカボチャオバケ。

 ポカンとしていたシーだったが、やがてその男の人のリアクションがおかしくなって、クスリと笑ってしまった。


「笑うことはないと思うんだけどねぇ……」


 少し傷ついた様子のカボチャ男。どことなく、燃えている炎の勢いが落ちたようだ。

 それが余計におかしかったのだが、シーは笑いを抑えると、


「す、すみません……、笑ったりなんかして。……でも、貴方は確かに、悪い人じゃないみたいですね」

「信じてくれるのかい?」

「はい。怖いオバケさんなら、こんな間抜けじゃないでしょうし」

「ま、間抜け……」

「ああっ! ごめんなさい!」


 さらっと人を傷つける言葉を吐いてしまい、シーは後悔し、謝罪した。


「いやいや、かまわないよ。気にしていないから」


 と、男はハハハと笑いながら言った。


「でも……そうだなぁ……。少しでも申し訳ないという気持ちがあるのなら、少しわたしと付き合ってもらおうかな?」

「え…………ええ⁉ そ、それは……男女のお付き合いとして……⁉」


 ま、まさか……‼ とシーは自分の身を抱きしめる。


「これを脅迫の種として、『ふふふ、姉ちゃんいい身体してまんなぁ。楽しみ甲斐がありそうだぜ』って、私をもてあそぶつもりなんですね! 主に肉体を!」


 誰もそんなことを言っていないのに、シーは勝手に妄想を膨らませてそんなことを言った。

 そのことにポカンとした様子のカボチャ男だったが、やがてハッハッハ、と愉快だとばかりに哄笑する。

 それでようやく、自分が的外れなことを言っていたことに気づくシー。恥ずかしさのあまり、顔をビールで酔っぱらったように真っ赤にさせた。


「す、すみません……」


 何度目の謝罪になるだろうか、シーは頭を下げた。


「いやいや、中々元気のあるお嬢さんに会えて、わたしも嬉しいよ。――だけど残念だね。わたしは常に、あの人一筋なんだ」


 朗らかにそう言うカボチャ男。

 あの人というのは、きっと妻のことを言っているのだろう。そう考えるシーに、男は言う。


「どうだね? 別に無理強いはさせないつもりなんだが、何分こんな体たらくだ。こんな祭りの時節じゃないと、街中に満足に繰り出せないんだよ。それに――久々に、人と話をしたいんだ」


 人と話がしたい……。

 その気持ちは、シーにもよくわかっていた。

 ハロウィンと時期になぜ、ジャックランタンを家に飾るのか……。それは、毎年この時期になると、現世と霊界の門が繋がり、その門を伝って霊が現世にやってくるためだ。その中には悪霊も混じっているため、魔除けとしてジャックランタンを飾るのだ。

 かくいうバンシーであるシーも、門をくぐって現世にやってきた。ただそれは、人を困らせてやろうというよりは、お祭りに参加したいがためにだ。

 そうして、祭りに夢中になりすぎ、年若いにもかかわらず、ちょっと背伸びしたい一心でビールを飲んでしまったのが最後だった。アルコールが回り、寝てしまっていたら翌朝になっていたのだ。門が開くのは一年にハロウィンの時期しかないので、シーはこうして丸一年、このキルケニーに隠れ住まっていたのだ。

 バンシーという身の上であるため、人と満足に交流できていなかったシーには、彼の気持ちが痛いほどよくわかる。

 だから……、


「いいですよ」


 と、返事をした。

 もとよりシー自身も、話し相手が欲しかったので、この結果は何ら問題はないものだった。


「ありがとう」


 シーの返事を聞き、男は満足そうな様子だった。


「それじゃ、行こうか。あまりにゆっくりしてたら、祭りがすぐに終わってしまうからね」


 言うとカボチャ男は、シーが聖堂に来たあの道を行こうとしていた。

 その男に、シーは声をかける。


「あの……。お名前をまだ聞いていません」

「ん? ……ああ、そうだったね。いやはや、申し訳ない。仮にも紳士を気取ろうとしている身だというのに、情けないことをしてしまった」


 カボチャ男はシーに振り返ると、軽くこうべを垂れながら、こう言った。


「わたしは、ビアース・バトラー。生前は、このキルケニーの土地を統べていた、領主だった身だよ」



 3



 二人は、普段の生活ではいけないような場所を、ハロウィンの機会を使い、色々と名所めぐりをして回った。

 聖メアリー大聖堂にドミニコ修道会の修道院であるブラックアビー……。キルケニーの都市がそこまで教会が多いのには、おそらくはその都市の名前が物語っている。

 キルケニーという単語は、ゲール語で「聖カニスの教会」という意味だ。そのことからもわかるように、この都市は教会を中心に築かれた場所であり、それに導かれるように他の教会も寄り集まってきたのだろう。加えて、「大理石の都市」という異名や、歴史ある都市ということも、原因があるのかもしれない。大理石が誇る荘厳たる人を惹きつける魔力が、神々の信仰と結びついているのだろう……。


「行きたいところがあるんだけど……いいかな?」


 散々行きたいところを回っている人間が言う台詞ではないような気がするが、シーは、


「はい、いいですよ」


 と、愛想良い返事をした。実際、彼女も嫌ではなかった。



 ――◆――◆――



 そうしてやってきた場所は、城だった。

 厳かで神秘的、見れば人々の心を鷲掴み、過去への憧憬を抱かずにはいられなくなるその城は、キルケニー城だ。

 内部を見学して回る二人。

 1830年代のビクトリア朝様式の豪奢な装飾がなされた書斎に客間、ロングギャラリーに寝室といったものが、時代を超えて現代に残されていた。


「あ……」


 その中に、この城の家主たちのであろう肖像画が飾られていた。

 その内のひとつに、シーの目が留まった。その肖像画が放つ雰囲気に、心当たりがあったためだ。

 シーは隣にいるビアースを見やると、その肖像画をじっと見つめていた。

 カボチャ頭の彼と、その肖像画を見比べると……やはり、似ていた。

 よくよく考えてみれば、この城の元の家主はバトラー家のものだ。


 ――だとすると、この人は……。


「……ん? ああ、すまなかったね。ぼうっとしていて」


 シーの視線に気づいたビアースは、少し恥ずかしそうにそう言った。

 そうして、城の内装を見渡しながら、彼は言葉を続ける。


「ここはね……。家族との思い出の場所なんだよ。特に……マーガレットとのね」

「マーガレットさんって……」

「ああ。わたしの妻だよ」


 ビアースのその言葉は、しみじみとしていた。

 やはりここは、彼の居城だったのだ。――そう、シーは確信した。

 ビアースはやがて、堪え切れなくなったのか、胸中を明かし始めた。

 それは、家族との話。この城で営まれた、家庭の話だった。

 領主という立場であったため、基本的に裕福に過ごせていたが、決して苦難がなかったわけではなかったという。

 領主という立場から生じる責任や苦労に押しつぶされそうになった。そのたびに家族に八つ当たりをすることもあった。それゆえに妻とは衝突することがあったが、懲りずに自分についてきてくれたと、ビアースは言った。

 そんな苦もあり、家族としての温かな幸せがあったこの城を、ビアースはやむを得ずに手放さなければならない時が来たのだ。財政難で。


「わたしが成仏できないのは、きっと家族との思い出の場所を守れなかった負い目があるからなんだろうね。そのせいで、死んだというのに妻と再会することも叶わずだ」


 その言葉には、やるせない自分に対する憎しみと哀愁がにじみ出ていた。その負い目が、自分の魂を悪霊としてこの地に留まらせてしまう要因となってしまっていることに、ビアースは気づいているのだろう。そして、それが後の祭りであるということにも……。


「……なあ、君。ひとつ、頼まれてくれないか?」


 キルケニー城を出たビアースは、隣につくシーに、声をかける。


「君は、バンシーなのだろう?」

「……気づいていたんですか?」


 驚くシー。


「うん。君が聖堂を飛び出すときに見た翅でね。それに、伝承で訊いたのと同じ身なりをしている。黒髪に緑の衣服、灰色のマント、そして翅……」


 とはいえ、まさか君みたいにうら若い乙女の姿だとは思わなかったがね、とビアースは微笑む。

 要は、彼は私のことを人間ではないと見抜いた上で、同行してほしいと申し出てきてくれたわけだ。

 死を運ぶ妖精として恐れられていた彼女にとって、それは優しさに満ちているものだった。


「だから……君のその能力を使って、わたしを成仏させてほしい」


 ビアースから放たれた言葉は、会話の流れである程度予測はしていた。……が、実際に彼の口から聞くと、やはりショックだった。


「それは……」


 シーは口ごもる。

 シーは確かにバンシーという、死を運ぶ妖精ではある。しかし、それは何も好き好んで殺戮をこなすシリアルキラーとしてというわけではなく、ちゃんとした意味があって、行っているものだ。

 シーは、彼を死なせるのが、嫌だった。それは単純に、人を殺めたくないという気持ちからきているものだ。

 でも……、とシーは思う。この機を逃せば、男の人がその機を手に入れるのに、どれだけの時間がかかるだろうか、と――。


「……いや、すまなかったね。そうだ……、誰だって、好き好んで他人を殺めたくはないはずだ。――すまなかったね、無理を言ってしまって」


 ビアースは頭を下げる。それは彼女に対して申し訳ないという気持ちの表れなのだろう。

しかし、彼がそれほどの申し出をしてくるということは、それだけ彼が追いつめられていることを意味していた。


「いやはや、せっかくの祭りだというのに、湿った空気になってしまった」

「いえ……」


 そうとしか、シーは言葉を返せなかった。


「それじゃ、街中に行くとしようか。そろそろ、祭りも本格化する時間だしね」


 ビアースはそう言うと、シーの手を掴み、街中へと繰り出していく。

 気づけば、陽が落ちようとしていた――――。



 4



 陽はすっかり沈み、夜の帳が下りていた。

 しかし、街中はむしろ明るい。まるで夜闇をかき消さんばかりに、橙色の明かりが街を彩っていた。

 シーとビアースは、とあるレストランのオープン席に着き、夕食を楽しんでいた。


「この街はビールがおいしいんだ。有名どころだからね。君もどうかね?」

「私は……未成年ですので……」


 前回の苦い思い出があるので、今回シーは遠慮しておくことにする。

 夕食をとった後のテーブルに並べられているのは、程よい大きさに切られたチーズとスモークハムといった、つまみ物だ。すべてビアースが頼んだものである。

 彼の手には、キルケニービールが入ったジョッキが握られていた。大人という身分を豪快に使い楽しんでいる様子である。


「ハッハ、そうかそうか。なかなかにガードの固いお嬢さんだ」

「そうですよ。私はこれでも淑女ですから、わき道にそれずに、品行方正な人生を謳歌するんです」


 もっとも、淑女の前には「自称」がつくのだが、そこはご愛嬌。

 街中には小さな子供たちがはしゃぎまわっている。どの子もちょっとしたモンスターのコスプレをしているのだが、怖いというよりもむしろ微笑ましいものばかりである。


「ねぇ、おじちゃんたち!」


 道往く人たちの光景を眺めていると、三人組の五歳くらいの子供たちが、シーたちのところにやってきた。

 なんでしょうか? とシーが不思議に思っていると、


「Trick or Treat!」


 ああ……、とシーは今になって気づいた。彼らがお菓子を欲しがっていることに――――。

 しかし、困ったことにシーは、お菓子の持ち合わせがなかった。こんなことなら、日が暮れる前にどこかで買ってきていればよかった……。


良い子(ナイス・ガイ)たち、これではいけないかな?」

「えー! チーズじゃないか! 悪いけど俺、チーズが嫌いなんだ」


 頬を膨らませるリーダー格の子供。

 ハハハ、とビアースは微笑むと、


「では、これで勘弁してくれないかね? そちらのお嬢さんのぶんと一緒ということで」


 と、ビアースは懐から財布を取り出し、子供たち三人におこづかいを上げた。

 やったあぁー! と大喜びしながら、子供たち三人は街中へと走っていく。


「いいんですか?」

「かまわないさ。はしたお金だしね」


 ビアースはビールを飲み、おつまみを一通りたらい上げると、席を立ち、勘定を済ませる。

 そうして二人は、街中観光を再開した。

 温かなオレンジの光で包まれた都市は幻想的な雰囲気に包まれていた。それは行きかう人々が個性に満ちた仮装をし、楽しげな語らいをしているためでもあるのだろう。

 死者の祭りでもあるハロウィンなので、こうした楽し気な空気に満ちていれば、さぞ温かな気持ちであの世に旅立てることだろう。


「…………」


 シーはとらりと、ビアースの顔を見やる。

 彼の頭はカボチャであり、表情の抑揚が見ただけではわからない。声色の抑揚で感情を推測するしかない。

 そんな彼は、街中を歩きながら、時折シーに世間話を披露したりしている。その言葉に、シーは返事をするものの、会話の内容が希薄な感じで頭の中に残るだけだった。それはきっと、他のことにシーの心が囚われてしまっているからだろう。


 ――私は……どうしたらいいのでしょうか…………。


 シーは思う。バンシーとはいえ、人を殺めるのは嫌だと。だから彼には、生きてほしいと思っている。

 だけど……、とシー。生きてほしいとは言ってはみたが、彼はもともと死んだ身である。つまり、この世の人間ではない。この世にいては、いけない存在だ。

 死者のいるべき場所はあの世であって、この世ではない。生者の居場所がこの世であってあの世でないのと同じように……。

 死人の安寧の場所は、この世にはないのだ。それは、街の至る所に飾られているジャックランタンが物語っている。

 この世にいても、死人である彼は救われない。


 ――なら、私は…………。



 ――◆――◆――



 いくらハロウィンとはいえ、夜が深まれば活気も治まる。

 日付が変わりそうになるほどの時刻になると、街はだいぶ静かになっていた。

 街の熱気を楽しんだシーとビアースは、熱気が、人が減少するとともになくなるように、人気のない場所へと移動していた。

 到着した場所は、森の中だ。ただ、今彼女たちがいる場所は拓けており、そこから街の景観を俯瞰することができるようになっていた。

 そしてここは、シーがこの世に来た門が開いた場所でもある。ここで待っていれば、霊界へと通じる門が開き、自分は帰れるだろう。

 冷たい夜気が、シーの頬を撫でる。それは肌を伝い、心へと流れ込んでいく。チクリと、刺すような冷たさが、心を疼かせた。


「…………今日は、楽しかったよ」


 沈黙を破るように、ビアースは言った。彼の視線の先には、橙の光に包まれた大理石の都市があった。


「すまなかったね。ずっとわたしの要件ばかりを呑んでもらって……。迷惑だっただろう?」


 ビアースの言葉に、シーは答えられない。これから自分はどんな行動を起こすべきか、逡巡があったためだ。

 それでも確かに、今日は彼に振り回された一日だったとは思う。彼に振り回されっぱなしで、自分の好きなことが何ひとつできなかった。せっかくのハロウィンだったというのに……。

 彼女の沈黙を、ビアースはどう受け取ったのか……。

 ただ僅かに、ふ……、と笑みを漏らすような音が聞こえた。


「故郷に帰っても、元気でいるんだよ」


 漏らした笑みはシーの未来への祝福か。それとも、自分の未来への嘲笑か……。

 ビアースはシーに背を向け、その場を去ろうとする。

 その背はどこに行くのか。どこへ行こうとしているのか、シーにはわからない。

 彼の行く先には、木々で覆い隠され、月の明かりさえ届いていない真っ暗な森があった。


「待ってください」


 気づいたら、シーは彼を呼び止めていた。

 ビアースは振り返る。その表情に何を浮かべているのか、シーにはわからない。

 わからないが、


「今日は、ハロウィンですよ」


 にこやかな色を浮かべ、シーは言った。相手の反応(ひょうじょう)がわからないため、自分でも明るく言えているのかどうか不安だった。


「ああ、そうだけど……」


 シーが、何を言わんとしているのかわからないビアースは、首を傾げていた。


「私はまだ子供なのに、貴方から何もお菓子をもらっていません」


 その言葉に、ビアースはやや呆気にとられているようだった。いきなり何を言い出すんだこの人は、と言わんばかりの空気を出していた。

 ……が、すぐに気を取り直すと、


「そう、だったね……。いや、すまない。もう少し気を遣うべきだったよ。えっと……おこづかいでいいかな?」

「もう遅いですよ。もう受け取り期間は終了しているんです」


 お菓子をもらうには、もう遅い。祭りはもう、終わろうとしているのだから。

 だから……、


「――お菓子をくれなかったので、いたずらしちゃいます♪」


 言うとシーは、立ち止まっているビアースの正面から――ぎゅっと抱きしめた。

 男の人の身体に密に接したのは、これが初めて。

 だけど……、とシーは思う。彼は、ここまでも――――か細かったのかと。

 どれほどの重圧を、この華奢ともいえる身体で支え続けてきたのだろうか、と。

 そのとき、ビアースの身体が淡い光に包まれた。

 それはまるで、月のような銀光。彼の肉体は、足の先から、手の指の先から光の粒子となって、空へと舞い上がっていこうとしていた。

 それが何を意味しているのか、双方は理解していた。

 彼は、何を思っているだろうか。

 シーは、それを知るのが怖くて、顔を上げることができなかった。たとえ表情がわからずとも、カボチャのそれを通して彼の感情を知るのが、怖かったのだ。

 そんなシーの頭を、ビアースの手がそっと撫でた。


 まるで雪でできた像を壊さないように、優しく、優しく…………。


 まるで愛する孫の頭を撫でるように、優しく、優しく…………。


 まるで彼の抱いている今の気持ちを彼女に伝えるように、優しく、優しく…………。


「……ありがとう。これで……やっと…………――――――」


 その言葉が最期だった。気づけば、シーの両腕は宙を抱いていた。

 光の粒子が、空へと昇る。自分の居場所へと続く、見えない道を進むかのように……。


 ――これで……よかったんですよね…………。


 そう自分を納得させようとするシーだったが、それでも納得できない自分がいるのも確かだった。

 でも……あの人は……ビアースさんは満足してくれたように思えた。

 満足してくれていた。

 安らかに逝ってくれた。

 それでも…………どこか納得いかない自分がいて…………。

 それはきっと、本当は大切な思い出(おかし)をもらっていたのに誤魔化したことに対する、後ろめたさからか……。

 ご馳走をもらったのに、もらってないと嘘をついてしまったからか……。

 わからない。


「…………っ…………、っ…………」


 だから、シーは泣いた。様々な感情が、彼女の中でごちゃまぜになっていた。

 初めこそ声を押し殺していたが、やがてシーは、抑えきれずに、声をあげて泣いた。

 ひとりの男の御魂をあの世へと届けて。

 泣き声に乗せて、男の霊魂を天へと昇らせる。

 幾人ものバンシーにも負けないほどの声量で、彼女は泣いた。




 彼のことを――偉大な魂と自分が評したことへの証明として――――。

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