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Trick with Treat  作者: カオス学園文芸部
短編集『Trick with Treat』
34/46

人一倍知りたがりな一人の人じゃない人の話@真坂倒

作者:真坂倒

ジャンル:文学


 日付が変わりたての日本。都内某所。

 人が踏むでも、車が均すわけでもなく、使われない道は寂しく影を溜める。

 わずかな店の光と街灯の仄明るさだけが街を支配する。

 アスファルト舗装の大地から、味気なく伸びる電柱という木々。そこから成る電線は、葉。差詰め建物は鬱蒼と生い茂る草花、といったところだろう。

 凝視する白線は無限に続く。

 育たない閑静(むきしつ)都会(しぜん)を、一人の男が駆け抜けた。

「はあ、はあぁー……!」

 その顔は、不安と苦痛に歪んでいた。ものすごい形相で息を切らして、肺を押さえて、足を交互に前へ出す。リズムが乱れきった呼吸と歩調は、男の焦りを如実に表す。

 玉のような汗を撒き散らし、口辺(くちべり)に飲み損ねた涎をべったりとつけながら、ひたすらに前へ進む。

 どこかに目的地を定めるでもなく全力で疾走する男の姿は、明らかに『何か』から逃げているようだった。それが果たして、何なのか――それを知る術は、まだ我々にはない。

 無意識で蹴られた、道端に不法投棄された缶。カラン、という音と共に飛んで転げた身からは、やに臭い煙草の吸殻が吐き出された。遅れて流れた中の黄色い液体は、不吉に男を見送る。

 走れども走れども続く唯の無音にさえ恐怖を禁じえない男の精神状態は、尋常なものではないであろう。

「な、なんだよお、あいつはぁぁぁあぁあっぁぁぁぁあ!」

 絞り出すように発されたしゃがれ声が引きずられる様は痛々しく、それでいて、頼りない。

 信号を無視して向かいの歩道に渡った男は、身を隠すために適当な路地へ入り込んだ。

 徐々に緩む速度に反し、息遣いは速くなる。

 下に落ちているゴミを乱暴に蹴飛ばして、足場を確保した。それでも薄汚くて、不快な臭気は付きまとう。だが男にそんなものを気にする余裕などなく、未だ充血が直らぬまなこをぎょろぎょろと動かして安全を確認し、ようやっと不足していた酸素を補給した。

 膨らむ肺が、貪婪どんらんに空気を飲み込んでいく。整う呼吸。酸素と二酸化炭素の交換は、再度円滑に行われることになる。

 体を激しく動かし、ややもすれば壊れてしまいそうな男は、壁に手をついて蹲った。

 勢いよく吐かれる息に押し出されて、頬についてしまった唾液は袖に拭き取られる。

「あれは、あれはなんだ……ッ!?」

 整理がつかない、といった面持ちで項垂れる男だが、何をしても状況を飲み込めていないようで。記憶から取り出したリプレイ映像を頭の中で再生しても、まったくわからない。そんな表情。

 まるで、未知のものと遭遇したかのような――。

「!!」

 ずきずきと痛む胸。あれだけ駆けたのだ、無理もなかろう。

 震える足を掴み、叩く。

 男が、何故ここまで追われるのか――それは彼にしかわからない。

 年齢……少なくとも、外見を借りて話すならば、40代くらいだろうか。

 服装は深緑のジャケットに、ジーンズ。むしろ個性がない事実を危惧してしまう。

 そのようなありふれた存在が、追われるようなことをするようには到底思えない。尤も、それは外見だけを判断材料にした場合の話なのだが。

 ここまで錯乱した状態の彼でも、ひとつだけ分かることがある。

 それは『“彼”から逃げなければ、確実に自分が死んでしまう』ということ。

 それを再認識して、男は口がうまく動かなくなった。魚のようにパクパクと音を鳴らす様は、滑稽以外の何でもない。

「あ、ああがっ、あがっ」


 死にたくない。


 死にたくない。


 死にたくない。


 死にたくない。死にたくない。

 死にたくない。死にたくない。死にたくない。


 死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。


 不浄なる闇色の空に、(たけ)る鴉ような鳴き声が木霊する。

「ひいいいぃいぃいいっぃぃぃぃぃぃいいいいいぃぃ!?」

 それに驚き、傍目から見ればオーバーに叫んでしまった男。

「しまった」と目を見開いて急いで口を塞ぐも、


「おい」


「!!」

 時既に遅し。

 張った声が、“彼”を呼び寄せてしまった。

 曲げていた背筋を、瞬間的に緊張させた。

 同時に不定形な闇の中から、ゆらりと曖昧に現れ出る、色白な銀髪の青年。

 切れ長な紅の瞳とセットで見れば、アルビノとも見紛うこの存在こそが――“彼”なのだろう。

 向き合う二人の間に一枚のけがを落とし、黒鳥は夜明けへと飛び去って行った。

 沈黙が双方を窮屈そうに縛り付ける。

 一瞬にして眼球を涙でコーティングして顔をひきつらせる男が、ふるふると首を振るう。

 そんな男を“彼”は、しっかりとフォーカスした。

 後ずさり。男の踵にダンボールが当たり、乾いた音を立てる。

 その音に引っ張られて、彼の断たれた喉からも音が出た。

「いきなりナイフで切りつけて逃げ出すなんて、なかなかひでぇな? オッサン」

「お゛っ、お前、なんで……!」

 焦燥に満ち満ちて上ずった声が、陰影に波紋よろしく解けていく。

 パーカーの筒抜けなポケットに両の掌を入れ、得意げにへらへらと笑う青年は、とてもじゃないが脅威たりえるものには見えない。鋭利な犬歯が、男を写して妖しく光った気がした。

 首には、赤く大きな横一文字。なまじ水を加えた絵具のように、血液はドロリと青年の頸部を伝う。

 男は疑問でならない、といった蒼白な面構えで、ただただ中途半端に膨れただらしのない肉体を震わせる。

 ――仕方ないことだろう。

 誰だって、今の青年を見ればその死は信じて疑わない。

 まさか、今現在も眼前にてしてやったりで喜んでいるなど、誰も思いはしない。

 “彼”の常識を、人はまだ解せない。

 狼狽する。また、一歩詰め寄る。

 心底嫌なのか「来るな」と絶叫する男。その様相を、青年は憎らしく嘲った。

「なんだ、そういうとこはまだ人間か?」

「な、なにを言ってやがる!」


「お前――――殺人鬼だろう?」


「ぁ……」

 青年が軽く空を仰ぐと、黒色は目元と同化する。紅蓮の瞳だけが下目で対象を捉える。男が視線の逃げ場にした足元の紙クズは、スニーカーで踏まれてねじ切られた。

 漠然と悟った自分の終わり際と重なったようで、せっかく落ちついた心臓の鼓動が、また激しくなった。

「誘拐殺人数十件、対象は決まって女児。いずれも惨殺……、早い話が外道だな」

「な、なんだ、お前、何故それを知って!」

「おいおい、俺をバカにしてんのか? こんな情報軽いっての」

「復讐か!? わ、悪かった! ストレスが溜まっていたんだ……それで魔が差して、気付けば癖になってて――!」

 男はひびだらけでぶつ切りな言葉を紡いで、無我夢中に、見苦しく、弁解する。

「今更謝っても許されないのはわかっている! だ、だっだが、遺族には申し訳ないと思ってるし! ……そうだ、自首する! 自首するから!!」

 重なる言葉に、延々とループする内容。薄汚くて濁った唾が辺りに飛散した。

 その言い訳が如何に安っぽく、付け焼き刃かがわかる。

 男が命が惜しんでいるのは、火を見るより明らかだった。

 でも、“彼”にはそんなことは果てしなくどうでもよくて。

「携帯を」

「あ、いや、別にそういう反省会しろってんじゃなくて」

 青年は無意味極まる申し開きを遮り、

「人を殺すときって、どんな感じなんだ?」

 話題を唐突にすり替えた。

「へ……?」

「いやー、なんつーかさ。人間を殺す人間の、ちゃんとした気持ちが知りてえんだよ」

 拍子抜けした男の、疲れた首が垂れる。

 男は頬に手を当てて短兵急な質問に最初こそは戸惑いこそはした、が。すぐに重たい唇を開いた。

 対して耳に手を当てて、聴覚を鋭敏にして音声情報をかき集めんとする青年。その目はそこらの子供より純粋で、興味深げで。

「ありゃあ――最高だ」

「へぇ?」

「――あの汚れを知らない純心無垢な笑顔がッ! 一瞬にして苦痛と恐怖に歪むんだよ! それでも尚泣き叫び! 糸のように愛らしく切れ切れな声で『助けて』と放ち続けて! 希望に縋り付く女の子の四肢をちぎり! 削ぎ!! 刻み!!! 腹を裂いて冒して侵して犯し尽くす!! 涙と鼻水と血液がちょうど良い分量で混じった混合液が、なんとも美味でなッ!!!」

「ほおおぉ」

 ひとえに甘美な記憶が為せるものか。白目をむいて、自分の首を掻き毟り、舌を空気に晒し、窄めた口でこひゅこひゅと死にかけの畜生のように、おぼつかない呼吸で青年を呆れさせた。変態的嗜好を露呈させ、あまつさえそれを隠そうともしないからだ。

 男は狂気に脳でも浸食されたらしく、腰を低めて脚を思う通りに笑わせている。

 それに(うべな)うように、目の焦点も合わなくなる。

 殺意までもを孕んだ男に、再び青年が問うた。

「お前は自分の欲を優先させると? その果てに何リットルの血と涙が流れようが、反省しません、と?」

「反省なんざするか! ヤられるやつが悪ィんだよ!」

「おー……そうかい、ありがとうよ。参考になった」

「オイ、見逃すんだろうなァ!」

 10月の秋風が、建物の谷間を抜けていく。

 ひやりと、服の中が冷やされた。

 夢と現の境界が曖昧な佇まいの彼は、そっと頷く。

 少し浮いた調子で両手を広げると、不思議な魅力を持ったヴィジョンがゆっくり崩れ始めた。

 それと同時に男は異様な感覚に襲われる。風のせいではない。肌がざわつく。虫の報せ。嫌な予感。

 本能が危険信号を出している。

 だが強がってそれを無視した数秒後、

「……ああああああああああああああああああああああああぁぁぁああああぁぁぁあぁぁあぁあぁあああぁぁぁぁあぁぁぁぁああああああああ!!!!」

 自分が絶叫することになると知っていれば、男もすぐに逃げられていたはず。

 もう、手遅れだ。

 直感した。殺される、と。

 目の前に在ったのは、白銀の体毛と尻尾を生やし、爪を伸ばして耳を突出させ、骨格を狼のそれに変形させた青年だった。これが“彼”の正体であり“彼”を“彼”たらしめんとするもの。


 ――狼男ウルフェン


 豹変した“彼”に面影というものがあるとするなら、二足で立って歩き、人語を解して話すというところぐらいだろう。

 震えた声色で壁に背を付けた男を凝視ながら、青年は言う。

「ほら、俺は人間じゃねえからさ。参考になった、って」

「来るなアアぁああアァァぁアアアアアアアアぁああッああア!!」

 だが、パニックに陥った者に通る言などどこにもなく、男は醜く腰を抜かして錯乱状態に陥った。

 手元にあった無数のゴミを、矢継ぎ早に投げ付ける。開いた口は乾ききっており、小汚く黄ばんだ歯が覗く。

 それらを雑作もなくいなして、この場にあまりにも不似合いな歩幅で男に近付いていく青年。

 紙クズも。生ゴミも。プラスチックも。腕を一振り。

 材質の違いも、この鋭利な爪を前にしては何が何だか分からなくなる。

 荒く細切れになって風に舞ったゴミの嵐から、真っ赤な双光が浮き上がる。

「殺すのは楽しくて、殺されるのは嫌ですってか。お前もそれかよ」

 人一倍人らしからぬ事をのたまいながら、死に面した際は誰よりも人らしい。人でない“彼”はいつも、そんな存在を見てきた。

『殺し』という行いをすることで、人を人一倍知りたい一人の存在は、人の人らしさを見出そうとしたのだ。

 だが、対象を「殺人犯」という一カテゴリーに留めている所為か、思考パターンも比較的身勝手で短絡的、自己中心的なものが多い。つまるところエゴイズムだ。

 男の考えも、以前どこかで聞いたようなものだった。

 納得いかない結果を、青年は今日も否定する。

「し、死にたくねえ! お願いだ助けてくれ!」

「悪い、無理そうだ」

「――――ッ!」

 残念そうに呟いた青年が、座り込む男の前に立った刹那。

 尻が浮いて、中年太りの体は狼男に激突した。

 ナイフを伴って。

「は?」

 ブスリ。

 裂けた青年の肉は、銀の閃光が駆けた証。

 あまりに、あまりに一瞬のことだった。まばたきすら凌駕する速度で、事は起こった。

 何も難しいことはない。至極簡単な話だ――青年が油断した一瞬の隙を衝いて、隠し持っていたナイフで不意を討つ。これだけ。青年が背を丸めたのを確認すると、男は先ほどの態度とは打って変わって、勝ち誇って声高々に笑いだした。

「はははははは! 何が無理だって!? はははははははははははははははははは!!」

 勝利に、アドレナリンが沸騰する。

 いくら化け物と言えども、生物だ。傷つけられない道理はない。


 そう、思っていた。


 狼男あいてが自身の半身を、引きちぎるまでは。


「――――え?」

 ブチッ。

 何かが弾けたような、爆発したような。

 まず初めに、男は異様な体の軽さを覚えた。急激なダイエットをしたでもないし、眉唾である幽霊というやつでもあるまい。夢を錯覚させる不自然な浮遊感と、脳内が温かい液体で満たされるかのような不明瞭な感覚が、ミックスされる。

 何が起こっているのかわからなかった。けれども、決して悪い気分でないのは、間違いではない。

 ひとたび朦朧とした意識を振り払い、足元を一瞥した。

 すると、

「!!?」

 断絶された自分の下半身が、物憂げに横たわっているではないか。

 思わず二度見して、遅くじれったく広がり咲いていく真っ赤な大輪の花を、息を飲んで見つめる男。

 落ちて、弾けて、消えて汚れて。ぴちゃぴちゃ。次々落ちる紅の大きな泡が、絶景に一味を加えた。

 鼻端も曲がる生臭さに、青年は「うぎゃ」と声を上げてしまった。

「おっ、……な゛、なん、で」

 頬に思い切り食い込み、皮膚を破る爪の存在に気付く。

 男が丸い目で、自分の不完全な半身を掴む相手を確認した。

「あっはっは、足止めできると思ったか? ぬるすぎる」

「へ゛、あ゛」

「まさか、あれでブッ殺したって思ったとか……は、ねぇよな?」

「お゛っ……お゛あ゛」

 激痛、なんて言葉では表現できないまでの痛みが、男の腰回りを中心に蝕む。半分を欠損した身体だが、まだ感覚は生きていた。

 電撃が走ったように全身が痙攣し、忌々しげなうめき声がだだ漏れとなる

 落ちた下半身とナイフを蹴飛ばす青年は、とても楽しげで。足を血まみれにしてもお構いなしに遊ぶ。

 手中にある上半身にはまだ意識が宿っているらしく、虚ろに視線を漂わせていた。

 ちぎれた脊椎がぶらりと冷やかな風に揺れ、裂かれてだらしなく延びた(はらわた)は、でろりと地を舐めずる。温かな臓物は周囲の気温の低さゆえか湯気を発しており、ところどころにある骨と合わさって鮮やかな紅白の景観を生み落とす。

 男の指先が小さく動いた。

「……けて」

「?」

「たず、げで」

「うん?」

「死に、だぐ、ない」

 もう助からないのに。それは男とて理解できるのに。

 でも、これ以上は苦しんで逝きたくない。そんな感情が声帯を震わせたのだ。

 涙と鼻水と汗と血液の混合液が、口をふさぐ青年の手にふんだんに絡みついてきた。荒れきった肌はズタズタに傷がつけられており、口の動きも弱いものだった。間抜けに嗚咽し泣きじゃくり鼻を垂れ、死に直面して、やっとこさ表れた人間らしさ。正直言って醜悪でしかない。

 さりとて男は、すがるように命乞いして見せる。

「いや、無理だし」

 歪んだ口角からひり出された酷薄な言葉。

 ぎゃあああああああああああああ、と、悲痛な叫びにかき消された。

 裂けた皮膚、仲違いする筋肉、骨は理不尽な暴力に断末魔を上げて脂肪を分離させる。たくさんの血管は物理的に壊されてしまった。人体が壊れる上質なメロディが、夜の街に響き渡る。

 腕を削いだ主は敵の悲鳴に耐えきれず大笑いして、それに反応してトマトジュースのような血がドバドバ吹き出る。

「う゛っ、う゛ぅぅぅああぁぁああ゛あぁぁぁああっぁぁぁああっぁぁぁああ!!」

「あはは! まだ声出るじゃねえか!」

 願いは届かず、壁に赤い天然の塗料でペイントが施された。

「ごめ゛ん゛なさい゛! 悪かっだ、だから゛だずげでっ、だずげでえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえ!!」

 真っ赤なダルマも青ざめる惨状を体験している男は、尚も泣き叫ぶ。助けが来ると信じて。助けてもらえると信じて。

 必死に、精いっぱいに。

「――女児はお前にいたぶられていた時、今のお前みたいな気分だったのかな?」

「まだっ、まだ死にだくない゛! 死に゛たぐない!」

「女児をいたぶっていた時のお前は、今の俺みたいな気分だったのかな?」

「俺はッ! 俺はあ゛ぁぁぁぁあぁ!!」

「なあ、人間ってこうか? こうじゃねえだろ? なあなあ?」

 もはや会話すらままならない。こうなってしまえば、本当にただの怪物と人間。

 絶対に相容れない構図の出来上がりだ。

 なればこそ“彼”らは、人のいない闇に生きるのだ。

 一方通行のコミュニケーションに見切りをつけた青年は、一言、

「用済みだな」

 とだけ言い残して、変わり果てた男をゴミと臓物の畑に放り投げた。

 ごろり、と不安定に横たわったダルマは、四肢の取り付けられていた場所から未だにどろどろと赤黒い液体を溢している。

「やめろ、やめろ」を繰り返す男は、屈んだ青年に仰向けのまま押さえられた。

「さて、と……フィナーレだ」

「な゛…………!」


 ガブリ。ブシュブシュッ。

 先ほどよりやかましく思っていた男の声を、青年は喉笛を喰い潰すことでようやく黙らせた。

 歯はまぎれもない狼だ、ただでは済まない。あまつさえ肉が少ない首周り、息の根が止まらないわけなどない。

 しかし昇天を迎えるまでに頼んでもない猶予が与えられ、男は結局苦しむことになる。

「嫌だぁぁぁあぁぁぁぁぁやめてぇぇぇぇぇぇええええええええええええぇぇぇぇええ!!」

 擦り切れたゴムも同然な掠れ声など、どう致さば悲鳴になろうか。

 受け取るのは獣の耳ぐらいなもので、それさえ虚しく黙殺する。

 研ぎ澄まされた牙は首の皮を容易に剥ぎ取り、中の肉を大層旨そうに翳め取る。男も馬鹿なもので、身をよじればよじるだけ苦痛だというに、それをやめようとしない。止まらない鼻血がさらに息を詰めて、涙は輪郭を歪曲させる。

 血汐が不随意に吹いている。その度に青年の相好は笑みで固まっていく。

「痛い゛、痛――だ――す」

 中途半端に残った腹の筋肉に力を入れてしまっているせいか、損傷した石榴にも見える内臓が、ソースと混じって零れてくる。

 突き立て、抉って。突き立て、抉って。

 もはや頭と胴を繋ぐのは、骨と管だけになった。

 容赦も斟酌も無しに、青年は再び牙を首に落とした――。

「や゛、やめ――」

 ブチュッ。

 声にならない声を合図に、頸動脈を噛み切った――赤胴色の噴水が勢いよく上がり、辺りという辺りを真っ赤に染め上げる。

 本人はもちろん、ゴミ箱もゴミも、先ほど落ちたカラスの羽も、その白銀に輝く体に至るまで――。

 みるみるうちに、文字どおりの血の池地獄が完成した。

 声にならない声で最後まで抵抗を続けたが、男も呆気なく逝ってしまった。いや、青年が逝かせた。糸の切れた人形のように動かなくなった(だるま)を見て、青年は立ち上がる。

 赤黒い地を、素知らぬ顔で往く。


「……なんなんだろうなぁ、人らしさって」


 狼男は、青年の姿に戻った。


「なーんか違うんだよなあ」


 そして頬についていた血を指で掬い取り、ぺろりと舌先で舐め取った。


「エゴで殺しちゃあ、――同じだろっての」


 血にまみれたまま、


「――そもそも、なんで俺は人を知りたいんだっけ?」


 闇の中へ霧散した。


「まー、どうでもいいか」


 鈍く輝く月は今までの悲劇を見なかったことにしたいのか、そっと雲に隠れた。


※本作には暴力的な表現、並びにグロテスクなシーンが含まれています。


 ご注意くだs……あれ? もう遅い?

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