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Trick with Treat  作者: カオス学園文芸部
短編集『Trick with Treat』
32/46

ゴーストナイトメアー@猫野 銀介

作者:猫野 銀介

ジャンル:文学

 夏も終わり、涼しさが戻ってきたボストン郊外の秋の夜。俺はマンションの一室で一人黙々と作業をしていた。

 外ではカボチャやコウモリ、ゴーストなどの恐ろしくも可愛らしい飾り付けが街を彩っている。だが、残念ながら俺にはそれを見に行くような時間はない。



「今年もやってきたな、ハロウィン」


 自分以外誰もいない部屋。ポツリと呟いた言葉は、静か過ぎる部屋にすぐ吸い込まれていく。

 俺は長くなった前髪を掻き上げ、テーブルに置いてあったナイフを手に取った。そして、同じくテーブルに置いてあるオレンジ色の手のひらサイズのカボチャをそっと持ち上げる。それにグサリと刺し、黒いマジックで書かれた線に沿って力一杯滑らせた。

 しかし、流石はカボチャ。思うようにナイフが動いてくれない。


 ――今日中に終わらせないと明日すぐに“彼奴ら”がやって来てしまうってのに。


 慌てなければならないが、毎年やってくる可愛い客達の事を思うと、思わずニヤニヤしてしまう。だが、気を引き締めようとフッと息を吐き出した。余裕をぶっこいている暇なんて、あるわけがない。下手したら徹夜だ、徹夜。

 

 しばらくナイフで掘り続けるが、一向に終わりそうにない。まだまだかかりそうだとため息をつき、俺はサイフォンと巨大なコーヒーカップをキッチンから運び、脇に置いた。かなり古いモノだから、いつ止まるかと俺はいつもヒヤヒヤする。

 俺は電源を入れ、サイフォンが動いているのを確認してから作業を再開する。始めてのジャックランタン作りに不安を感じながら、ただひたすら手を動かし続けた。



 この作業は真夜中、寝落ちしてしまうまで続けたおかげでなんとか終わらせられた。

 ただし、朝食時に栄養ドリンクにお世話になってしまう状態になる、という代償を支払う羽目になった。

 

 朝、ふっと目を覚ました時、あまりのダルさに、少しづつ作業をして行けば良かったと猛反省した。栄養ドリンクを飲み干し、朝刊を手に焦げかかっているトーストをかじった。香ばしすぎる香りが口の中に広がる。その香りを消すべく慌ててコーヒーを流し込むと勢い余ってむせ返ってしまった。全く持って、朝からついてない。

 俺は大学が始まるまで残された時間を確認すべく時計の方を向いてみる――が、運悪く時計の真下にある窓のカーテンに隙間ができていた。カーテンの隙間からこぼれてくる朝日に、思わず目を細める。

 「次は計画的にやろう」と、何度目かのセリフを言ってから、朝の支度をのそのそと始めた。




「あーー、疲れたぁぁぁぁっ」


 俺が通う美術学校の講義室。最後の授業が終わり、だらりと机に突っ伏す。


「お疲れだな、コンラッド」


 後ろの席に座っていた同級生、ロバートが後ろからシャーペンで俺の頭を軽く突ついてきた。

 しばらくの間無視していると、ロバートは力を強めてペシペシと叩いてくる。


「起~き~ろ! コンラッド・ナイトレイ!!」


 フルネームで呼ばれたため、渋々顔だけをあげ「おう」とだけ言った。そして昨晩眠過ぎたせいで手元が狂い、ナイフで切ってしまった方の手をひらひらと振って見せる。絆創膏を貼ってあるが、少し血が滲んでいた。


「……ちょっとな」


 ふーん、と興味なさげに言いながらロバートはスッと手を出してきた。何だその反応は、と俺は舌打ちする。それでも真顔で手を出しているんで、ノートを渡した。いつもの事なので、何も言われなくても何が言いたいのか分かる。

 ロバートは「サンキュ」と言って凄まじい早さで写し始めた。

 始めからそうしろよ、と呆れながら、文字を書く音を子守唄変わりに俺は船漕ぎを再開した。




 今日の講義がすべて終わり、俺はロバートと別れて三階建ての図書館へ足を向けた。

 図書館には本や雑誌だけでなく、絵画もそれなりに置いてある。それゆえ、俺のお気に入りの場所だった。一回にはカフェもあるため大学生に人気で、昼間は人が多い。が、夕方は人が少なくなる事を知っているから、俺が図書館に来るのは大抵この時間帯だったりする。


 そっと中に入れば、数人の学生と一人の司書がいた。カウンターに座っていた男の司書は俺に気付き、読んでいた本から顔を上げた。「またお前か」とギリギリ聞こえる声で言い、メガネを中指で押し上げる。


「閉館まで一時間半」

「分かってます」


 いつも通りのセリフをはき、お互いにニヤリと笑う。これは俺達にとって恒例の“儀式”となっていた。

 このセリフは、俺が始めてこの図書館にやって来た時に交わされた言葉だ。次の日も、その次の日も同じ時間に来て、毎回同じ事を言う。

 最初の頃こそイラついたように言っていたが、一週間たった頃には面白くなって来て、今ではお遊びと化している。


 俺が展示室へ行こうとカウンターの前を横切ると、ふと思い出したように司書が話しかけてきた。


「そう言えば……ナイトレイ。絵画の新しい本、入ってるぞ」

「マジですか?」


 立ち止まって顔をそちらに向けると、「珍しい本だ。二階の新刊コーナーにある」、と階段を指差す。

 俺は軽く例を言い、螺旋階段を駆け上がって行った。



「あら……ここに人がいるなんて、珍しいわね」

「ふゎい!?」


 新刊コーナーにたどり着き、にやけ面で物色していると、不意に声がかかった。顔を上げると、そこには見た事のない、金髪の女性が本を片手に立っていた。俺は思わず本を落としかける。俺が慌てて落ちかけた本を持ち直していると、その人は口元を隠してクスクス笑った。育ちの良さをうかがえる。


「えっと……俺はいつもこの時間にいますよ」


 俺がポリポリと赤くなった頬を掻きながら言うと、楽しそうな表情で小首を傾げた。長い髪が肩からサラリと滑り落ちる。

 これ、意図的にやってるよねそうだよね!?


「君は本が好きなの?」


 俺の心中を知ってか知らずか、完璧な笑みを浮かべる。


「ええまぁ、好きですよ。特に美術関連の本が」


 「こんなヤツです」と言って、持っていた本を手渡す。その人は興味深そうな面持ちで受け取り、ページをめくっていった。

 

「なるほど……流石は美術大の生徒ね」

「昔から好きなんで。美術さえあれば生きていけそうなほど」

「うふふっ……熱心なこと」


 しばらく何か考えるような素振りを見せていたが、突然何かを思い出したようにパンっと手を合わせた。


「そうだ! 私、君好みの本持ってるわよ!!」

「えっ?」


 そう言うやいなや持っていたバッグをゴソゴソし始め、分厚い本を取り出した。笑顔で差し出されたので、俺は反射的に受け取る。

 赤い表紙に金の文字が打ってあり、ふちは金で装飾されている。かなり古そうな本だった。

 

「それ、君にあげるわ」

「いいんですか!?」

「私はいらないから」

「っ! ありがとうございます!!」

 

 気にしないで、と言って手を振りながらその人は階段を軽やかに降りていった。すれ違うように司書が俺のところにやってくる。


「閉館まであと五分だぞ? この美術の虫め」

「すっすみません! すぐ……すぐ帰りますっ」


 呆れ顔の司書に見送られながら、俺は一冊の本を小脇に抱えて螺旋階段を駆け下りていった。




 電車という睡魔の巣窟で主たる魔物に勝利し、やっとの事で大学から帰った。徹夜で作ったジャックランタンに火をいれ、玄関に飾る。

 そのニンマリした顔に、思わず「何が面白いんだ!」と怒鳴りたくなったが、その言葉を飲み込んだ。言っても仕方が無い。過ぎた時間は戻ってきやしないんだ。

 

 それからすぐにベタつく汗をシャワーで洗い流した。その後、体を休めようとソファーでぐったり、ぐでぐでしていた時――。



「「trick or treat!!」」


 複数の子供の声がインターホンの間の抜けた音と共に聞こえてきた。疲れきった身体に鞭打ってソファーから離れる。

 固定電話の近くにあるテレビドアホンのモニターを見れば、やはり普段では見られないような格好をした子供達がいた。そわそわしているのが丸わかりの光景に、思わず笑みがこぼれる。


「はいはい。ちょっと待ってろよ」


 俺は疲れきった身体にさらに鞭打ち、あらかじめ用意しておいた大量のお菓子の入ったバスケットを引っつかんだ。それを抱き抱えるように持ち、玄関へ向かう。

 そこには俺の事を――いや、俺が持っているお菓子の事を今か今かと待っているヤツらいた。

 透けないお化け、可愛い魔女、黒い耳が傾いた黒猫。他にも吸血鬼やフランケンシュタインなんかがいる。


 ――レベル上がったなぁ。


 一昔前、俺がまだお菓子をもらう側だった時はこれ程までに多様且つハイクオリティなコスプレはなかった。

 ちなみに俺は猫のコスプレをさせられた。したんじゃなくて、友人達に『させられた』んだ。その時顔に猫ヒゲを書かれたが、運悪く油性マジックだったせいで学校で見世物状態になった事は今でもハッキリと思い出せる。


「お菓子ぃぃぃぃぃ!!」

「早くちょーだい!!」


 黒歴史と化した思い出を掻き消すかのような甲高い催促に、思わず苦笑いしてしまう。


「慌てない慌てない。順番にな」

 

 わいきゃいしながらも俺の言う事を聞いて、子供達は順番に俺の手からお菓子を受け取っていく。

 最後の一人に渡し終えた時、バスケットから溢れんばかりあったはずのお菓子は二、三個しか残っていなかった。


「「ありがとーございました!!」」




 子供達が帰り、俺はやっとゆっくりできるとソファーに横になった。大学でうたた寝しまくったにも関わらず、大きな欠伸が出る。

 俺は退屈しのぎにテレビでも見ようと、涙目になりながら近くのテーブルに置きっぱなしになっていたテレビのリモコンを手に取った。電源ボタンを押せば、空っぽの笑い声がスピーカーから流れてくる。

 番号を適当に変えるが、ハロウィン関係の番組ばかりでウンザリした。唯一やっていたのんびりできそうな旅番組を発見し、リモコンを元の場所に戻す。

 ボケーーーーっとしながら、緑の池に浮かぶ変わった屋根の金ピカの建物やら馬鹿でかい『DAIBUTSU』と呼ばれる半目の像が紹介されていくのを聞き流した。


 ――ジャパンか……いつか行ってみたいな。



 そう考えていると、ぐぅぅっ、という音が腹から聞こえてきた。そう言えば、昼から何も食べていない。

 何かないかと探してみるが、あいにく野菜などの料理するようなものは無かった。あるのはカボチャプリンとカボチャクッキー。カボチャパイにカボチャジュースに……。


「……なんでカボチャばっかりなんだよ」


 俺はカボチャに恨まれるような事でもしただろうか?

 仕方が無いのでカボチャプリンとカボチャパイを取り出し、皿を用意する。俺は迷わずパイを皿にのせ、プリンをパイにのせた。さらにその上に大量のメープルシロップをぶっかける。これをやると友人に「この甘党が!」「味覚音痴!!」「見てるこっちが気持ち悪くなる……」などと言われるため、外ではできない食べ方だ。

 まったく。この美味さが分からないとは人生の半分を損してるよ、とブツブツ言いながらメープルシロップをこれでもかと言うほどかけ続け――いや、注ぎ続けた。これ位やらなきゃ食えやしない。

 俺はナイフとフォークを取り、さっきのリビングでメープルシロップの湖に浮かぶカボチャパイを食べた。やっぱり美味い。



 俺が食べ終わったちょうどその時、インターホンの間抜けな音が再び聞こえてきた。


『trick or treat』


 元気な声がすぐに聞こえてくる。

 さっきの子ども達に置いていかれたのだろうか?

 俺はモニターを見てみるが、誰も映っていない。

 死角になっているところにいるのかもしれない。子どもなら身長的に死角な入りやすいだろう。

 俺は本をソファーに置き、玄関に向かった。


 玄関に行くと、そこにはオレンジ色の十歳未満のカボチャ少年がいた。

 カボチャの帽子にカボチャ色の短パン、カボチャ色のパーカー。さらに髪までカボチャ色というカボチャ尽くしの格好だ。しかもそのパーカーにはジャックランタンの恐ろしい顔がプリントされているというオマケ付き。が、子供が着ると可愛く見えるから不思議だ。

 ……またカボチャだ。やっぱり俺はカボチャに呪われているのか……。


「trick or treat!」


 カボチャ少年は再び目を輝かせながら俺を見て言った。


「分かった分かった。悪戯はゴメンだぜ?」


 先ほどの襲撃で生き残っていたお菓子をバスケットから出し、少年に渡す。すると少年は「ありがとう」と少し恥ずかしそうに呟いた。ピンク色の包み紙を手の上で弄んでいる。


「気にすんな。なんせ今日はハロウィンだからよ」

「……僕ね、ジャックっていうの」

「? そうか。いい名前だな! 俺はコンラッドっていうんだ」


 俺はしゃがみ、ジャックの視線に合わせる。頭をわしわし撫でてやると照れ笑いを浮かべた。その可愛さに、俺も思わず笑みをこぼす。

 

「お兄ちゃん。これあげるっ」


 ハッと思い出したようにそう言い、ジャックはポケットから黒い物体を取り出した。よくよく見れば、それは高価そうな仮面だった。

 ジャックはそれを両手に乗せて俺に差し出す。


「ん? いいのか? こんな高そうなの貰っちまって」

 すると、「お菓子のお礼」と照れたように言った。

 俺はありがたくそれを受け取る。ひんやりとした冷たさを感じた。

 「ありがとな」、と言おうとジャックの顔を覗き込むと、さっきとは打って変わって真剣な表情があった。その変わりように、俺は思わず息を飲む。

 その表情は、普通こんな小さな子どもがしない鬼気迫るものだった。


「何かあったら、知らない人に顔を見せないようにね。じゃないと、取り返しがつかなくなるから」


 それだけ言うとジャックは表情を崩し、ニコッと笑ってから俺に背を向け、駆け足で夜の闇の中に消えていった。


「何なんだ……あの子」


 

 俺は一人取り残され、ボンヤリとしていた。が、涼しい風が吹き付けてきて我に返る。その涼しさに思わずブルっとした。急いで玄関の扉を閉め、部屋に戻った。そして自室のベッドの上にくしゃくしゃになったまま放置されていた毛布を抱え、リビングのソファーに寝転がる。そして、先ほど図書館でもらった古い本を手に取り、ページを捲った。

 独特な世界観を持ったピカソの抽象画。黄色を愛したゴッホの絵。ロダンなどの有名な絵画が並んでいた。だが、どれも現存しないものばかりだ。例えば、ゴッホの『ひまわり、5本』。今は、資料でしか出会えない。写真の下にはそれぞれの説明文が載せられている。

 俺はじっくり鑑賞していったが、あるページでふとページを捲る手を止めた。そこには作者の名が記されていない絵があった。

 紫がかった黒い絵の具の上に輝く満月が浮かべられ、大きな城のような館が建てられている。他にも大きな門、木、飛んでいるコウモリが描かれている。だが、どれもこれも黒い。

 誰の絵だろう?

 いつ頃の絵なんだ?

 さっきの絵画たちと打って変わって、この絵からは何も伝わってこない

 俺は少し困惑しながら視線を下にスライドさせる。そこには【題名:DREAMS】としか書かれていなかった。

 これの何が夢なんだ?

 寝ている時に見る夢か、それとも将来の事なのか。

 複数形には意味があるのだろうか……。

 

 俺はその絵と向き合い、頭を抱えたくなった。まったく意味が分からない。それに、こんな絵に『DREAMS』なんて名前は似合わない気がする。


「せめて『ナイトメアー』だろ」


 ハロウィンにお似合いの絵だ。お菓子のパッケージに使われていてもおかしくないだろう。だが、有名な画家の作品と並んでいるのだから、かなりいいものなはずだ。

 俺は次のページに行こうとしたが、いきなり睡魔が襲ってきた。やはり徹夜はキツかったのだろうか?

 俺は閉じた本をテーブルに置くなり、腕をダラリとソファーからたらした状態で意識が沈んでいった。


 その瞬間、どこからともなく生温い風がどっと部屋の中で渦巻き、再び【DREAMS】のページが開かれた。だが、俺がそれに気づく由もなかった。




 目をそっと開ければ、目の前には巨大な門のある館がそびえるように建っていた。背後には有り得ない程大きく見えるまん丸な月が浮かんでいる。

 

「ここ……どこだよ」

 

 さっきまで自分の部屋にいたはずだ。子ども達が帰った後シャワーを浴びて、お気に入りのソファーに寝転んで――そうだ、大学でもらった絵を見てたんだ。じゃあこれは一体なんだ、瞬間移動なんてとんでもスキルは残念ながら持ち合わせていない……ハズだ。


「じゃあ、これは夢か?」

 

 思いっきり頬をつねってみるが、チクリとした痛みがあるだけで、一向に現状は変わらない。

 ――夢じゃない

 

 俺はもう一度、館を見上げた。月が出ているにも関わらず、夜空には星が一つもない。その不可解な光景に戦慄する。


「今晩は、セニョール」

 

 俺が恐怖心と好奇心の狭間で何もできずに思考が停滞していると、いきなり後ろから声がかかった。慌てて振り返ろうとしたが、さっきの少年の言葉が頭の中で響き渡る。


『何かあったら、知らない人に顔を見せないようにね。じゃないと、取り返しがつかなくなるから』


 俺はポケットにしまったままだったあの仮面を取り出し、被る。仮面のサイズは、俺に合わせて作ったようにピッタリだった。


「何ですか?」


 顔だけを動かしてその人物を見る。そこには中世ヨーロッパ風の格好をした年齢不詳の男が立っていた。片手に漆黒のステッキを持ち、煙管を吹かしている。また、俺と同じ様に仮面を被っていた。


「ここにいるって事は、君も招待されたんだね」

「え?」

 

 男がフーッと煙を吐き出しながら言った言葉に、俺は困惑した。招待されたような記憶は全くない。だが、ここで下手に動けば怪しまれるかもしれない。

 気付けば俺は、いつ練習したんだと言いたくなるような嘘八百をつらつらと並べ立てていた。


「いや、知り合いが招待されていたらしいんですが、急に行けなくなったらしくて。それで俺が代わりに行くように言われたんです。でもそいつ、場所だけ教えてサッサとどこかにいっつしまって……。実は俺、何があるのか知らないまま来てしまったんです」


 男は俺が話している間ジッと俺を見つめていたが、「大変だったな」と言ってふっと笑った。仮面で隠れていて分かりにくいが、育ちの良さを伺える上品な笑みだった。


「…………美人だ」


 ぽつりと漏らしてしまってから、慌てて口を塞ぐ。美人は女性に対して使う言葉だ。失礼にも程がある。 恐る恐るチラッと見上げると、口元を手で隠して可笑しそうにクスクス笑っていた。あ、やっぱり美人……じゃない、美丈夫だ。


「すっすみません」

「いや、気にしてないよ。……くくくっ君は面白いなぁ」


 男はニコニコしていたが、俺の背後を見て、顔をしかめた。だが、それも一瞬の事で、すぐに完璧な笑みを浮かべる。


「こんばんは、お二方。……おや、どちら様かと思えばキエフ公ではございませぬか」

「っ!?」


 振り返れば、俺のすぐ後ろに執事らしき男が立っていた。そして、礼儀正しくお辞儀をする。

 さっきのキエフ公というのは、おそらくこの美丈夫の事だろう。

 ……キエフって学校で聞いたことがあるような、ないような……?


「こんばんはクリストフ。久方ぶりですね…………いつもより、随分迎えにくるのが遅いじゃないか」


 キエフ公は執事、クリストフに向かって言った。最後の方は呟くような小さな声だったためにほとんど聞こえなかったが、あまり良いことは言っていなかったようだ。目が笑っていない。

 クリストフの方はその呟きを聞き取れたらしく、「本日はお客様が多く、ひときわ忙しいものでして」、と苦笑いしている。しかし俺の方を見て、「おや?」と言う表情をした。


「あなたは初めてお会いしますかな?」

「はい、おそらく」


 するとクリストフは俺に手を差し出してきた。俺はその手を取り、握手をする。


「私は執事長のクリストフと申します。以後お見知りおきを。して、あなた様の御名前は? ファミリーネームをお教え頂けますかな?」

「ナイトレイ、です」

「……なるほど、そう言う事ですか」


 クリストフは意味深な言葉を呟き、そっと手を離す。


「あの方のお客様ですね。お待ちしておりましたよ。さぁ、参りましょうか」


 その言葉と同時に、巨大な門がギギギッという嫌な音と共にひとりでに開いた。門番らしき人は見当たらない。クリストフがスイッチやリモコンなどで操作したのだろうか?

 俺がひとりでに開く門のからくりについて思案していると、ポンと肩に手を置かれた。振り返ればキエフ公が笑顔で俺を見下ろしている。


「さ、行こうか。ナイトレイ君」




 俺とキエフ公は館の中にある巨大ホールに案内された。どこを見ても人、人、人。だが、俺は自分の目を疑った。


「……コスプレパーリィだったのか?」


 中世ヨーロッパ風にドレスアップしたご婦人方。アジア系の民族衣装に身を包む勇ましい戦士。古代ギリシアの白い布を巻くだけという簡素な格好の少女。世界大戦時の軍服を着た軍人さん。ジャージや学生服姿のティーンエイジャー達。そして『SAMURAI』なんかもいる。だが、全員仮面着用だ。

 そんな中、俺は至って普通なTシャツにジーパンという格好だ。インパクトに欠ける地味ぃぃぃな格好。キングオブジミーの座を満場一致で貰えるだろう。

 そんなキングオブジミーの居場所はなかなか見つからない。

 一方、キエフ公はご婦人方の相手をしている。見るからに楽しそうだ。


「どうすりゃいいんだ……」

「こんばんは」

「うひゃい!?」


 ため息をついて頭を振っていると、いきなり耳元で声がし、思わず飛び上がった。


「そんなに驚かなくてもいいでしょう?」


 そこにはクスクス笑っている金髪美女がいた。白い肌が黒いドレスのおかげで際立っている。仮面のせいで顔がしっかり見えない事が残念極まりない。


「うふふっ可愛いわね」

「へ? いやっ……え?」


 まさかの言葉に、俺は赤くなりながら困惑した。ここは、「貴方の方が可愛いですよ?」とでも言うべきか。いや……無理だな、ムリ。


「私はメーア。この屋敷の主にして、パーティーの主催者よ」


 俺も自己紹介すべく口を開く……が、先を越されてしまった。


「ナイトレイ君よね?」

「っ!? なんで俺の名前を!?」


 俺が狼狽する姿を見て、メーアは楽しげに笑う。

 俺は聞き覚えのある声な気がして、ガバッと顔を上げた。

 

「あの、どこかで会ったことありましたっけ?」

「あら? 口説いてるの?」

 

 意外に積極的ねぇ、と妖艶な笑みを浮かべる。俺は全力で首を横に振る。そんな奴ではありません。


「あったかもしれないし、なかったかもしれないわ」

 

 メーアはそうはぐらかした。そして、「楽しんでいってね」と言ってから群衆の中に颯爽さっそうと歩いて行ってしまった。

 ポツンと取り残された俺は溜め息混じりに周りを見渡す。


「楽しむったってよぉ」


 豪華な立食、軽快な音楽、笑い声の聞こえてくる会話。残念ながらどれもこれも興味がない。興味があるのは美術品だけ。

 俺はふと、天井を仰いだ。そこには豪勢なシャンデリアがぶら下がっている。かなり高そうだ。

 だが、注目すべきはそんなものではない。天井に描かれている絵だ。

 悪魔らしきものが踊っている。その真ん中には人間がいて、恐怖で縮み上がっていた。その手には、松明が握られている。そしてその松明は絵全体を取り巻く階段の先端を照らしていた。かなり古い絵だ。


「もしかすると、他にもいろいろあるかもしれないな」


 あるなら、すべて見ておきたい。

 俺は気付かれないよう、そっとその場を離れた。




「何……だよ、これ」


 気晴らしに外の空気を吸おうと思い、裏庭に出ると、とんでもない光景が広がっていた。どこを見ても墓、墓、墓。十字架もちらほら建っている。とてつもなく古そうなモノから真新しいモノまで静かに横たわっている。


 ――バサバサバサッ!!


「うわっ!?」


 いきなり真後ろから聞こえてきた音に、思わず声を上げ、顔をかばうように腕を振り上げる。それとほぼ同時に、コウモリが群をなして空にある暗黒の世界へ飛んでいった。

 何百何千といたはずだが、一匹も俺にぶつかることなく行ってしまった事に思わず感心する。


 ジッと墓地を見渡していると、比較的近い所に植えられている木になぜか視線が吸い寄せられた。

 月明かりのおかげで、その木の幹からはツル植物がカーテンのように垂れ下がっているのが見える。体感温度以上に冷たい風にあおられているせいで、ただでさえ不気味な姿がさらに不気味になっていた。どれだけ頑張っても、この不気味さ加減は絵では表せれないだろう。

 それでも挑戦してみたい、と思った俺は、その木の姿と何とも言い難い雰囲気を記憶に留めておくべくまばたきも忘れて凝視し続けた。風で揺れる木の葉の一枚一枚の細部まで見逃すまいと無心になり、すべての動きを同時に追う。

 だが、不意にその集中力は途切れた。


 ――誰かに……見られている気がする。


 周りを見回してみるがやはり誰もいない。気のせいか、と木に視線を戻すと、その木の一番太い幹の辺りで何かが光ったような気がした。ジッと見ていると、黄色く光る目が現れる。絶対に俺の事を見つめている。

 俺は何もかも見透かされているようで、ゾクリとした。ぎこちなく視線をそらし、不気味な視線を意識しないように務める。

 だが、それでも気になり勇気を振り絞ってチラ見してみた。

 すると、あの黄色の目は何時の間にか増えていて、木の葉の間という間からこっちを覗いていた。瞬きもしている。一瞬、自分のすべてがフリーズした。


 ――おいおい、冗談だろ!?


 思わず自分の目を疑い、擦ってからもう一度見た時には、あの目は見当たらなかった。


「……せっかくだし、館の中を散策してみるか」


 俺は恐る恐る集団墓地に背を向け、一度も振り返る事なく中へ戻った。



 大量の人がひしめき、賑わっていたホール以外はあまり人気ひとけがなかった。裏庭から戻り、かれこれ三十分はぶらぶら歩き回っているが、すれ違ったのは四人の使用人だけだ。

 そのうちの三人に「ホールはあちらですよ? 御案内致しましょうか?」と言われたが、俺は丁寧に断った。

 確かに何も言わずに抜け出してきたが、心配するような人はいないはずだ。いや、それ以前に俺の事を知らない人ばかりだろう。大して問題はあるまい。


 神経質そうな自分の足音だけが先の見えない廊下に響く。灯りは電球ではなく、今時珍しい本物の蝋燭ろうそくだ。炎が揺れているせいで、俺の影もそれにあわせて揺れている。

 その暖かな光は、壁に掛けてある、美術館にしか置いてあるレベルの高そうな絵画を照らし出していた。俺は一枚一枚足を止めてじっくり鑑賞していく。美術大学に通っている学生として、美術を愛する者として、楽しまない訳にはいかない。だが、どれもこれもピカソやゴッホなどの有名な画家たちの絵とそっくりだったのは少し気になった。だが、絵は絵だ。それに俺は、批評家になるつもりはない。

 そう思って堪能していたが、見覚えのある絵を見て思わず足を止めた。思考が停止しかける。


「1888年、ゴッホ作『ひまわり、5本』……だと?」


 慌てて足をはめれば、あの本に載っていた絵があの順番通りに並んでいる。


「ここ……なんかヤバイとこなんじゃっ」


 俺は踵を返し、ホールへ向かった。




「あの、もうそろそろおいとましようと……」


 俺がそう言うと、メーアは険しい表情になった。他の人達も、俺とメーアを囲むようにして見守っている。いや、その目は見守るというより『見張って』いるようだった。


「何言ってるの? まだ夜明けまで時間があるじゃない?」


 ずいっと詰め寄られて、俺は半歩後ずさる。


「明日学校もあるし、朝が早いんです。……しっ失礼します!」


 その場の空気に耐えきれず、俺は意を決して人をかき分けるようにホールから出ようと試みた。意外にも、あっさりと道を開けてくれた事に拍子抜けしながら、たった一つの出口へ走る。


「あなたはずっとここにいてくれればいい。死ぬまでとは言わないわ。『死んでここにいて』」


 メーアの声が聞こえ、後ろから生暖かい風が吹いてきたかと思うと、すべての蝋燭の火がパッと消えてしまった。明かりがなくなり扉を見失うが、闇雲に走り続ける。

 扉の取っ手まであと数歩、という所でひときわ強い風が吹き付けてきた。俺はそのまま飛ばされ、思いっきり背中から扉に叩きつけられた。あまりにもの衝撃に、息が詰まる。そのまま倒れ込むと、耳元でカタッという音がした。そこを見れば、ライト付きのボールペンが転がっている。俺はそれをばれないようにそっと握り込んだ。


「まさか、気付かれるなんてね。こんな事何百年ぶりかしら?」


 暗闇に慣れてきた目を声のする方へ向ければ、妖艶な笑みを浮かべたメーアがゆっくり歩いてくるのが確認できた。その周りには小さな青白い光の玉が数個浮かんでいる。

 俺は扉を支えにしてなんとか立ち上がり、手探りでドアノブを探し当て、いつでも開け放てるように握った。あとは、鍵がかかっていないのと、運動能力が彼等よりまさっている事を祈るのみだ。


「『この世界』から朝までに逃げ切れたらあなたの勝ち。朝がきたら私達の勝ち。さぁ、命を懸けた鬼ごっこを始めましょう?」


 ちなみに、脱出成功者は四百十三人中二人だけよ? と言って、不敵な笑みを浮かべながら俺に手を延ばしてきた。


「っ!! なら、三人目の勝者になるだけだ!!」


 俺はポケットからライト付きボールペンを取り出し、その光をメーアへと向ける。手が震えて狙いを定めにくかったが、かろうじて左目に照射できた。


「うっ!?」


 メーアがひるんでできた僅かな隙を利用して、全力で扉を押し開けた。思いのほか扉は軽く、その勢いのまま壁に衝突し、大きな音を立てる。転げるように廊下に出れば、わずかな灯りがある、果てしない闇が広がっていた。

 その光景に、俺はこの館が口を大きく開けて今か今かと待っているような錯覚におちいる。だが、ここで尻込みしている暇はない。

 俺は昔教わった早く走れる方法を思い出しながら、全力で床を蹴った。



「待てぇぇぇ!!」

「大人しく諦めなさい!!」

「我らの仲間となれば、老いとは無縁の存在になれるのだぞ!?」


 ゴーストってのは卑怯だ。沢山いるにも関わらず、壁を通り抜けてきたり、フワフワ浮いて飛んでたりする。しかも疲れ知らず。生身の人間であり、仲間候補である俺を相手に手加減してやろうという気はさらさら無いらしい。

 

「ったりめぇだ! ゴーストが年を取る訳ねぇだろ!! 」


 俺が廊下を右に曲がった瞬間、一番手前にあったドアが開き、ぬっと長い腕が伸びてきた。突然の事に反応できず、俺はあっさり捕まってしまう。その手はそんな俺の口を塞ぎ、部屋に引きずり込んだ。


「ふがっ!?」

「騒がないでっ!」


 暴れようとすれば、静かだがはっきりとした声が耳元でした。俺は無意識のうちに指示に従う。どうやら俺は後ろから抱きしめられたような状態になっているらしい。……声からして、こいつは多分男……だろう。

 

 しばらくして、追っ手の不気味な声は遠ざかっていった。

 すると俺の口を塞いでいた手はスッと離れ、俺は解放される。慌てて後ろを振り向けば、門の前で出会ったあの男、キエフ公が何ともなさげな表情で簡素な部屋の隅に立っていた。懐から煙管を取り出し、口に運ぶ。そしてふぅーっと煙を吐き出した。


「なんであなたが?」


 俺が聞くと、キエフ公は吐き出した煙を目で追いながら言った。


「なにやら騒がしかったものでね。気になって見に来てみれば見知った青年が走っているじゃないか。私は君が通りそうなところを選び、待ち伏せする事にした。そして、今に至る」


 その言葉に、俺はただただ呆然とした。

 キエフ公は俺がここを通ることを予想していたらしい。何ともないような言いぐさだが、ぴたりと当て、さらには作戦を成功させていたのだから凄いとしか言いようがない。


「ありがとうございました……えっとキエフ公」

「キエフでいいよ、ナイトレイ君」


 そう言って、また煙管に口を付けた。

 

「……にしても、何で俺がこんな目に」


 俺は息を整え、一人愚痴る。

 するとキエフは何か考えるような素振りを見せ、おもむろに話し始めた。


「この世界の住民は、年に一度……ハロウィンの夜だけ具現化することが可能になる。普段は足はないが、今夜だけはある。昔のように――生きていた時のように、歩いたり走ったり、踊ったりできるんだ」

「じゃあ、なんで俺は生きているのにこんな世界に――」

「生きているからさ。生きた人間を仲間に引き入れようと、向こうから連れてくる。眠った人間の魂だけをコッチに引っ張ってくるんだ。ハロウィンが終わったが最後、魂は身体に戻る事が出来なくなり、魂のない身体うつわは死をむかえる。はれて住民ゴーストの仲間入り、と言う訳さ。

 たまたまアレ、『ナイトメアー』に新たな住民に選ばれてしまったんだよ。私達はね」

「私達って、まさかあなたも!?」


 あぁその通りだよ、と言うと、ウインクしてみせた。


「と言っても、何百年も昔の話だがね」

「何百年っ!?」

 

 その事実に、開いた口が塞がらなかった。さらに思考が迷走し始める。

 人だと思っていた人が実は人だった人つまり死人でゴーストでしかも何百年もののゴーストで…………ってか、ナイトメアーって誰?


「ククッやっぱり君は面白い子だ」


 そんな俺を見てキエフ公は微笑む。だが、すぐに真剣な表情になり、青い目で俺を見据えた。


「皆は君を仲間に引き入れようと躍起になっているが、私はそうは思わない。君にはまだまだ生きてほしい。

 ナイトレイ君、ナイトメアーから逃げ切ってくれ。私はこの数百年、何もしていなかった訳では無い。ずっと……ずっとこの世界から脱出する方法を探していた。そしてついに見つけたんだ!!

 それは君のいる場所の絵だ。普段は額縁だけなんだが、この夜だけ絵が現れるんだ。その絵はこの部屋から行ける隠し階段を降りたところにある部屋に置かれていた。さぁ、行ってくれ!!」


 キエフはまくし立て、俺を近くのある巨大な絵の前に連れて行った。そして、ステッキでその額縁の右下にある出っ張りを押した。

 するとその絵は轟音と共に右へスライドする。パラパラと埃が落ちてくる。

 その先には、先の見えない階段があった。


「私はここで他のゴーストの足止めをしておく。決して止まるなよ?」

「でも、もし捕まったら……」


 俺がそう言うと、キエフは可笑しそうに笑った。


「私はゴーストだぞ? もう死んでるんだ、何も怖くないさ」

「っ! 俺、絶対に帰ってみせます!!」


 そして俺はライト付きのボールペンを片手に、階段を駆け下りて行った。




 随分走った。途中ゴーストに出くわさなかったのは良かった。だが、長すぎる階段に、もう登っているのか下っているのか分からない。


「キエフのためにも、俺は帰らなきゃならないんだ!!」


 叫び、気合をいれて数段飛び降りる。しかし情けないことに、着地に失敗してゴロゴロ転がり落ちて行く羽目になった。痛すぎて訳が分からない。

 そうやってしばらく転がっていくと、後頭部を何かに打ち付けた。ゴンッという音と共に目の前に星が散る。


「痛ってぇ!!」


 痛む頭を撫でながらノソノソと立ち上がり、俺の頭を攻撃した犯人を見ようとライトで照らす。犯人は……鉄の扉だった。どうりで痛いわけだな、うん。


「こんちくしょうめ」


 半ば八つ当たりするように扉を開けば、そこは物置のようだった。埃っぽく、俺の鼻がムズムズし始める。ティッシュを持ってないが……まあ、諦めよう。

 俺が部屋中を照らし回すと、お目当てのものが部屋の奥に掛けられているのを発見した。確かに、俺の部屋だ。写真で撮ったかと思うほどリアル。

 俺はその絵に近付き、手を伸ばす。だが、その瞬間背後で物音がした。


「ここまでくるなんて、意外だわ」


 メーアの声と共に、ゴースト達が部屋になだれ込んでくる。俺はあっという間に包囲された。……万事休す。


「ゲームは終わりね、ナイトレイ?」


 俺は思いっきり唇を噛む。

 キエフの努力を無駄にしてしまった……そうだ、キエフはどうなったんだ!?


「お前……キエフをどうしたんだ!? 入口にいただろう!?」

「キエフ? ああ、あの裏切り者の事? 消したわよ。この世界からね」


 メーアは何とも無い、という様子でそう言った。俺は思わず歯ぎしりする。何なんだ、こいつはっ。


「ま、ここから出たら天国か地獄に行くんじゃない? よく知らないの」

「くそっ!!」


 俺は意を決して絵に触れようと手を伸ばす……が、何かに足を掴まれ、転倒する。……床からゴーストが生えていた。


「こんなところで……こんなところで死ぬのか、俺は?」


 立ち上がろうとするが、腰が抜けてうまくいかない。俺はジリジリ後退するが、メーアが近付く方が圧倒的に早い。気付けば、俺との距離は一メートルをきっていた。

 メーアは歓喜の表情を浮かべながら、俺に手を伸ばしてきた。


「さぁ、これで私の――」

『させないよ!!』


 すると、俺の後ろにあったあの絵から光が溢れ出した。突き刺さるような光りに、俺は思わず手で目を庇った。ゴースト達はギャアギャア騒ぎまくっている。

 光が落ち着き、俺はそっと腕を下ろす。するとそこには、オレンジの青年が立っていた。俺に手を伸ばそうとした状態のままのメーアをキッと睨みつけている。メーアも負けじと睨み返している。


「アナタ、なんで勝手に私の世界に入ってこれるの? アナタみたいなのを招待した覚えはないわよ?」

「ここにコンラッドがいるからさ。僕はコンラッドのいるところにはたとえどこであろうと行けるんだ」

「ストーカーじみた発言ね。……ともかく、アナタ邪魔よ。サッサと消えなさい」

「イヤだね」

「ガキのクセに生意気よ!!」

「うるさいなぁ、オバサン」


 淡々と口論していたが、青年のその一言で一気に場の空気が凍りついた。二人を見上げる形で座り込んでいた俺は、メーアが青筋を立てるのがハッキリと見えた。


「おばっ!? ……許せない。今ここで消してやるわ!!」

「オバサンなナイトメアーなんかに負けるもんか!!」


 メーア……いや、ナイトメアーが鬼の形相で襲いかかろうとした時、青年はどこからかランタンを取り出した。中では優しげな灯火が揺れている。

 それを見た瞬間、メーアは凍りついた。他のゴースト達もしかり。

 それを横目に、青年は腰が抜けて立ち上がれない俺に手をさしのべた。俺は恐る恐るその手を掴み、引っ張り上げてもらってようやく立ち上がる。フラフラしているが、なんとか踏ん張って倒れそうになるのを耐えた。

 すると、青年は破顔一笑した。子供っぽい無邪気で純粋な笑みだ。


「まさか……ジャックランタンだったと言うの」


 体が硬直しているメーアは唇を噛んだ。忌々しげに青年と俺を見る。


「予想外だわ。まさか今時の……しかも一人暮らしの若者が、ジャックランタンを作っているだなんて」

「今年はそんな気分だったんだ。たまたま市場でいいサイズのカボチャが売られてたから、そのフォルムの美しさに一目惚れして買った」

「コンラッドは作るの上手だったよ。こんなイケメンさんにしてもらっちゃった」


 青年がケラケラ笑いながら言った言葉に、俺は引っかかった。今、俺に作られたとか言わなかったか?


「なぁ、お前いったい……」

「やだなぁ、僕だよ僕。ジャックだよ。さっきはお菓子ありがとね」

「はぁ!?」


 確かに顔はあのおチビジャックと瓜二つだが、どう見てもサイズが違う。からかっているのかと自称ジャックを注視したが、嘘をついているようには見えない。信じがたいが、どうやら本当らしい。


「さ、こんな所、サッサとおさらばしよう」

「おっ……おう」


 ジャックは俺の腕をつかみ、俺の部屋の絵に近寄って行く。するとまた絵は光り始めた。


「じゃあねオバサン。もうコンラッドに手を出さないでね」

「なんて忌々しいジャックランタンなの!? とっとと私の世界から出て行って!!」

「はいはい」


 激怒したメーアに、ジャックは分かったような分かっていないような返事をする。俺はそんなジャックに呆れながら、その横顔を盗み見る。するとジャックはそれに気付き、少し寂しそうに笑った。


「この絵は元の世界に繋がってる。戻り方は簡単。絵に触れるだけ」

「お前はどうなるんだ?」


 俺が尋ねると、ジャックは視線を逸らした。


「僕はハロウィンの時しか、こうやって器――人が作ったジャックランタンを使って出てこれない。また形のない状態でさ迷うんだ」

「寂しく……ないのか?」

「1人でいることには慣れてるよ」

「来年も来いよ? そうすれば――」


 するとジャックは悲しそうな目で微笑んだ。


「帰ったら……君は僕の事を忘れてしまうから」


 「どういう事だ!?」と聞こうとしたが、ジャックに肩を押され、俺は背中から絵の方に倒れた。堅いものに触れることはなく、俺の体は落下し始める。

 俺の意識は、そこでぷっつり途絶えた。




「っ!? ここは、俺の……家?」


 どうやらソファーで寝ていたようだ。目の前にソファーがある。もしかしなくても、落っこちたらしい。背中が地味に痛かった。


「あれは夢だったのか……それとも……」


 そう思って必死になって昨夜の出来事を思い出そうとするが、なぜか霞がかってハッキリと思い出せない。何となく覚えているような、覚えていないような不思議な感覚に陥る。何かうっすらと思い出せたかと思えば、スッとそのイメージが手からすり抜けていく。まるで雲を掴もうとしているかのようだ。

 悶々と考えながら、ふと今日は平日だという事を思い出し、時計を見る。ちょうど長い針と短い針が挟む角が六十度になったところだった。


「時間は……って八時三十分!?」


 大学の講義にギリギリ間に合うか間に合わないかという時間だ。

 俺は慌てて自室のクローゼットを開け、服を取り出す。三十秒で着替え、今度はキッチンにある食パンを一枚、買ってあった野菜ジュースを一パック見つけ出し、口に運びながら玄関へ走る。


「おっと危ねっ!!」


 乱雑に投げ捨ててあったカバンを拾い上げ、鍵を取り出した。一秒も無駄に出来ない。


「チェストォォォォ!!」


 タックルするように扉を開け、外に飛び出る。そしてそのまま閉めようとして、あることに気がついた。


「あれ? なんでジャックランタンの中にお菓子のゴミが入ってんだよ?」


 俺がほぼ徹夜で作ったジャックランタンの口の中に、溶けきった蝋燭とピンク色のお菓子の包み紙が入っていた。

 昨日の子どもが捨てていったのか? と思いながら、扉を閉めて鍵をかける。

 帰ってから捨てればいいだろう。今はそんな事をしている暇はない。


 大学までの電車の中、俺はやはり夜の事を思い出そうと躍起になっていた。 そんな中、とある駅で仲の良さそうな親子が乗ってきて、俺の目の前の席に座った。楽しそうにニコニコ話している。それを見た瞬間、頭の中でカボチャ色の少年のイメージが浮かび上がってきた。


『帰ったら……君は僕の事を忘れてしまうから』


 なぜか苦しくなる胸を抑え、俺はいつもの駅ではなく、一つ前の駅で降りた。




 大学の講義室。いつも通り授業を終え、俺はノートをパタリと閉じた。周りでは急いで帰る奴、そのまま居座ってベラベラ駄弁る奴、机の上に作ってしまった池を慌ててタオルで拭く奴がいる。

 

「僕はいつもそばにいるからね?」

「なっ!?」


 聞き覚えのある声に慌てて振り返るが、そこには眠たそうな顔をしているロバートがいるだけだった。

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