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Trick with Treat  作者: カオス学園文芸部
短編集『Trick with Treat』
29/46

マイゴ見つけました。@子猫 夏/虚虎 冬

作者:子猫 夏/虚虎 冬

ジャンル:SF

 10月10日。元、体育の日。東京オリンピックがかつて行われたのもこの日。気象庁の統計からすると、この日は毎年晴れることが多いらしい。

 しかし、空から降ってくるのはあるかないか分からないほど細かい水――霧雨。雨は、街を歩く人、人の、服にも髪にも、染み込んでいく。サラリーマンが独りごちながら、鞄を傘にして歩く。

「ったく、なんでこんな日に雨なんだか」

 誰もが、今日は雨が降らないと信じ込んでいた。朝の予報も、降水確率レイ%だったのだから。

 雨が降って、気分が良くなる人はあまりいないだろう。……もっとも、雨が少ない乾燥地帯なら、別だが。

 雨――白く視界が悪い中、人は皆、自分の歩く先だけを見つめている。雨の日は何故か人の動きが早くなる。忙しく動く人の足。

 誰も立ち止まることがない中、一人の少女が蹲って泣いていた。彼女が持つ鞄の隅に、小さく「あやみ」と刺繍されている。

「嫌だよう……」

 少女はひたすら泣きじゃくっていた。何度も目を擦り、彼女の目の周りは真っ赤になっているが、涙が止まる気配はない。

「お母さん、お父さん……」

 誰も彼女を見ていない。白いカーテンに包まれたまま、少女は人知れず泣いていた。


 平日であるにも関わらず、休みを貪っている人もいた。

「あ゛ー……だるいわ……」

「ちょっと、仕事してくださいよ」

「こんな雨なのに? 湿気が凄いのに? 今日は晴れたら仕事するって決めてたんだ……」

 そのまま体の力を抜き、ぐだりとソファに寝そべる男が一人。先程、鞄で必死に体を庇い、せかせかと歩いていたサラリーマンが彼の様子を見たら、激怒するだろう。働いている人は誰しも、彼の様子を見て眉をひそめるだろう。

 実際、男の前に仁王立ちをする少女は、彼の態度に腹を立てているようだった。

「学・園・長~! 仕事に天気は関係ありません! 見てください、外の様子を! たくさんの人達が一生懸命働いているんですよ!?」

「おお~。お疲れ様。じゃあお休み」

「寝るな~!」

 少女に背を向けた男は、彼女にぼかすか殴られ、いやいや立ちあがる。

「でもさ、僕が何もしなくても、君が全部してくれるじゃん? ねえ会長様」

「会長とは言え一生徒。学園長の方がよっぽど権力強いんですからね!」

 少女はある学校の会長をしていた。……そして、学園長の世話係も押し付けられている。

結衣美ゆいみ会長、権限を君に全部与えます」

「真面目な顔で言わないでくださいっ!?」

 結衣美の上げた金切声を聞いて、学園長は耳を塞ぐ。やだやだ、と手をひらひら振りながら、眉尻を下げて彼女に訴える。

「お願いだから、変な悲鳴を上げないで、仕事してくれない?」

「仕事して、というお言葉をそっくりそのままお返しします!」

 どうも二人の会話は、いつまでたっても不毛なままのようだ。


 言い合いをしながら、とりあえず最初にすべき仕事――学園長室の掃除をして、二人は部屋から出た。すると、廊下の奥からぱたぱたと足音がする。

「かいちょ~! 結衣美かいちょ~!」

弥生やよい、どうしたの?」

 駆け寄ってきたのはこの学校の生徒会会計、弥生だった。彼女はボブカットの黒髪を振り乱しながら、叫んだ。

「出ましたー!」

「何が!?」

 お化けでも出たのか、と思ってしまう。髪の隙間から、らんらんと光る目を見ると、彼女自身がお化けのような……。

「マイゴが!」

「マイゴ? 何処に?」

「え~っと、あそこを曲がって、あれをこうしてどうして……」

 弥生の言葉は支離滅裂で、何を言いたいのか分からない。

「弥生、とりあえず落ち着いて。マイゴは保護しなきゃ」

「……はっ。了解です~!」

 それまで蚊帳の外だった学園長が、身を乗り出して尋ねてきた。

「ねえねえ、何の話?」

「マイゴが……商店街にいるそうです。すぐに保護しに行きます」

「あ、いってらっしゃい」

 手をひらりと振って、自分の部屋に戻ろうとした学園長は、服の袖をがちっと掴まれた。

「……え?」

「何を言ってるんですか、学園長? 行くんですよ、あなたも」

「え、そんな」

 問答無用、とばかりに学園長を引っ張って歩き出す結衣美。彼らを見送って、弥生はぽつりと漏らした。

「学園ちょーを扱き使えるのは、結衣美かいちょーだけだよね」


 校門を出た二人を迎えたのは、ひたすら物を咀嚼する少年だった。

「……何をしているのかしら、涼。もしかしてあなたが迷子なの?」

「……ごくっ。違う。マイゴは商店街」

「とりあえず、ここは高等区よ。中学区は違うのだけど。何故あなたがここにいるの?」

 涼は口の周りについた砂糖をぺろりと舐めると、やれやれといった調子で首を振った。

「マイゴについて伝えろって、弥生先輩に言われたから」

 涼は中学時代の、弥生の後輩である。マイゴについては知らないはずだが、何故弥生は彼を使おうとしたのだろう。

「弥生先輩からの伝言。お菓子が必要ならこいつを使え」

「……涼を?」

 こくり、と頷いて、彼はふらりとどこかへ立ち去った。よく分からない後輩だ。

 そして、弥生もよく分からない同輩だ。さっき自分でマイゴがいると伝えに来たのだから、そのとき言えばいいのに。


 学園長と結衣美が商店街につくと、そこはとても寂れていた。いくつもの店で、シャッターが永遠に閉じられている。かつての盛り上がりは何処へ行ってしまったのか……。

 きょろきょろと辺りを見回しながら歩き続ける結衣美と、その後を大人しくついてくる学園長。

「って、学園長も手伝ってください!」

「だって僕、マイゴかどうか分からないし」

「弥生によると女の子だそうです。それっぽい女の子探してください」

 横暴だ、と抗議する学園長を、結衣美はさらりと無視した。学園長は肩を落として、彼女が見ない方の道端を眺め始めた。……ちゃんと探しているか、怪しい。

 結衣美がある方向を向き、すっと目を細めた。彼女の目がうっすらと青色に光る。彼女の変化に気がついて、学園長はその視線の先を見た。

 そこには何もなかった。あると言えば、白いもや。しかし、これはどこにでもかかっている。靄以外に何かあるのだろうか、結衣美はひたすらそこを睨んでいる。

「……何かあるの?」

 あえてのんびりとした口調で尋ねる学園長。彼の疑問に、視線を外さないまま結衣美は答える。

「……これは、私とか弥生でないと見つけられなかったですね。完全にマイゴです」

「そうかあ。いつになったら僕にも見えるようになる?」

「あと四、五分です」

 そう告げた直後、彼女の瞳は一層輝き始めた。


 学園長の目にも、何かが捕えられるようになってきた。白くぼんやりとしたその輪郭は、どうやら人の形をしている。

 しくしく、と泣き声も聞こえてくる。その泣き声は、酷く耳に障った。

「……見つけた(・・・・)

 そして、結衣美の目は、いつもの茶色へと戻っていた。彼女は優しい笑みを浮かべて、その小さな影に寄っていく。

「……どうしたの、お嬢さん?」

 はっと気づいたように、目をいっぱいに開いて、結衣美を見つめる女の子。彼女の涙腺はまた崩壊し、結衣美に抱きついてきた。結衣美はその小さな体を、しっかりと抱きかかえる。

「お名前は何て言うの?」

 優しくあやしながら、女の子に尋ねる結衣美。女の子はえぐえぐとしゃくり上げながら、地面に転がる鞄を拾い上げた。彼女は鞄の端を指さしながら、答えた。

「あやみ」

「あやみちゃん、か。どうして泣いていたの? お姉さんに聞かせて?」

 あやみは途切れとぎれに、自分に起こったことを話した。


 あやみの夜は早い。九時には寝てしまう。学校の同級生が、十時まで起きていた、と自慢する話を聞くたびに、少しだけ羨ましさを感じていた。しかし彼女の体は、九時の就寝と朝六時の起床をしっかりと覚えていて、勝手に寝てしまう。お正月も、除夜の鐘が聞けた試しはない。

 あやみはある日も、九時には舟を漕ぎ始め、九時半にはぐっすりと布団に包まって寝てしまった。そのまま、六時まで瞼が開くことはないはずだった。

 しかし、彼女は大きな物が床に打ちつけられるような――金槌を木片に打ちつけているような、そんな音を耳にして、はっと目を覚ましてしまった。

「……は、……! だからっ……」

 あやみは父が怒鳴っているのだと、ぼんやり思った。父はいつも落ち着いているので、そんな風にしているのは珍しい。

 あやみは、階段を一段一段、ゆっくりと降りて行った。その間にも、父と母が口論している声が聞こえてくる。

 彼女は、両親がいるリビングへ繋がる、ドアを静かに開けた。

 次の瞬間、目の前で、白くて丸い物体が飛ぶ。耳に、ガラスが割れたような、甲高い音が響いた。あやみは思わず、小さな悲鳴を上げる。飛んだのは、皿だった。母が大事にしていた、ヨーロッパからのお土産だ。

「……あやみ? 起きていたの?」

 呆然と尋ねる母の頬には、幾筋にも血の跡があった。床には、一枚分とはとても思えない、陶器の破片が散らばっている。皿を投げたのは、父なのか。

「あやみ、部屋に戻りなさい」

 いつもと同じように、冷静な父。しかし、あやみは彼を見て、言いようもない恐怖を覚えた。がくがくと震えて、その場から動けない。

「あやみ」

 びくりと体を震わせ、父を見やると、父は優しく微笑んだ。

「今、父さんと母さんは、大事な話をしてたんだ。あやみは部屋に戻って寝ていなさい」

 あやみはとても、不思議に思った。大事な話をしていて、何故皿が割れるようなことになるのだろうか。母が怪我をしているのだろうか。震えながらも口を開こうとしたあやみは、母にそっと口を塞がれた。

「……いい? これは、夢なのよ。このまま寝なさい?」

 父の様子が、青ざめた母の顔が怖くて、あやみは一目散に逃げ出した。


 次の日目が覚めても、母はただ穏やかに笑うだけで、父もいつも通り新聞を読んでいた。あやみは本当に、昨日のことが夢だったのだと信じた。しかし、彼女は母の頬には気付かなかったのである。まだ、母の顔には切り傷がほんの少し、残っていたのに。

 あやみが学校から帰ると、いつも迎えてくれる母はいなかった。父が冷たい顔で、あやみの身長の半分ほどまで積み重なった問題集を示し、こう言った。

「これを一週間でやりなさい。大丈夫、あやみならできる」

 私の娘だからな――と、父は言った。

 毎日、帰ったら本と格闘した。父に、できない子だと殴られそうになった。そのまま一週間がたっても、母は帰ってこなかった。

「ねえ、お母さんは?」

 勇気を出して、そう父に尋ねてみたのに。父はいきなり怒りだした。

「あんな人のことは忘れなさい」

 あやみは、ひたすら泣いた。母のことを何故忘れなければいけないのか……。母がいないこと、父が怖いこと。自分が何をすればいいのか分からないこと。混乱して、どうすればいいか分からなくて。気付くとこの商店街にいた。

 泣いても笑っても、誰も反応しない。寂れた商店街の中で、ひたすら泣き続けた。雨に濡れていることも、気付かないままに。


 結衣美は話を聞いて、しばらく顎を押さえて考えている。

「……こんなマイゴは、どうすればいいんだろう……」

 あやみは、自分の家が何処にあるのかも、分からないという。帰す事もできないし、と結衣美と学園長はあやみを連れて学校へと戻った。


 話の概要を聞いた弥生は、ふむう、と唸った。

「つまるに、あやみちゃんのお家が分かればいいのかな~?」

「それだけでは不十分だけどね。あやみちゃんがマイゴになった原因……多分お父さんのエリート思考のものかしら、それを解決しないと」

「それは大変ですね~。ぶっちゃけ私には無理っ。かいちょー、頑張ってね」

 人任せに聞こえるが、弥生は「家探しは自分がする」と言っているのだ。役割分担は大事である。

「さてさて、あやみちゃ~ん? ちょいと私とお話しよっか」

 へらり、と笑って言う弥生は、よく子供から好かれるのだが、このときもあやみはほっとしたように弥生についていった。

 へら~っ。彼女の顔は、引き締まる気配がなく、彼女自身話を始める気もないらしい。あやみは困惑したように、弥生の顔を見つめていた。

「ふむむ~。では行きますかね? さ~ちらいと~、みたいな」

 弥生の瞳が翠色に輝く。それを見て、あやみが驚いたように身を引いたが、それを、弥生は手を掴むことで止める。

「うにゅん? ここは何処かにゃ~? ……なんだか遠すぎるなあ。着かぬ、着かぬ」

 彼女の目は、こことは違うどこかを見ているようで、虚ろだ。右へ左へと瞳孔を揺らし、あるときぴっと止まった。

「ほほ~っ。ここは館倉たちくら市っ。ここから十キロくらい離れてるかなあ」

 よく歩いてきたね~。そんな風に、のほほんとあやみに話しかける弥生。あやみは未だにびっくりしているようで、目をぱちぱちと瞬かせながら、弥生に尋ねる。

「……いま、なにしたの?」

「え~っとねぇ。人を見て、その人に関係する物が何処にあるのか探すことかな~。と言っても、マイゴにしか効かないけどね」

「……マイゴ?」

「そう、マイゴ! 自分を見失っちゃった人のことだよ。あやみちゃんみたいな、小さい子がマイゴになるのは珍しいんだ~」

「マイゴになると、人からみえなくなるの?」

「ご明さ~つ。私とかかいちょーは力が代々伝わってきてたから、マイゴに干渉できるんだけどね。学園ちょーも、最初あやみちゃんが見えなかったんじゃないかな~?」

 ささ、難しい話はこれくらいにして。そう前置いて、弥生はあやみの背中を強く押し、部屋から出した。そこに広がるのは、長い長い廊下。何処に果てがあるのか、分からなくなるような……。

 目を輝かせて廊下を見つめるあやみに、弥生が笑って声をかけた。

「よーこそ、瀧閖たきゆり学園へ~」


「……という訳で、あやみちゃんはお偉いさんの娘さんでした~。どうも、そこの奥さんは庶民的だったらしいよ」

「毎度思うけど、そこ(・・)の景色だけじゃなくって、音も聞こえるのは何故なのかしら」

 あやみの母が、エリート思考とは反対のものである考えだったというのは、近所の奥様方の井戸端会議の情報だ。弥生の力は、そこ(・・)の噂も聞けるのである。

「だとしたら、お母さんとお父さんで意見が分かれちゃったんだねえ。結局お父さんが自分の意見を押し通して、お母さんを追い出しちゃったのかな?」

 学園長が、ほんわかした雰囲気で語る。

「そして問題集を娘に押しつける、と……娘は自分が思うように問題をすいすい解いていかない。自分の思うままにならない、なんて今までなかったんだろうね。意地になって、娘は殴るし、自分の奥さんは追い出すし」

 いい老後は送れないだろうねえ。さらりと酷いことを言った。

「……どうしましょうか」

 結衣美が難しい顔で考えている。今回、助言をすればどうにかなる相手ではない。今まではマイゴは大人で、マイゴになった理由もどうしようもない呆れた理由だったりすることが多かったが、今目の前にいるマイゴは、年端もいかぬ女の子。内容も、下手に素人が突っ込んでいいものではない。

 結衣美は、すがるように学園長を見た。生徒会の会長に見つめられた学園長は、少し考えてから、

「よーし。ではこれより三週間、新しい部活を開設いたします」

「……はい?」

「あ、そうだ、会長? 頼むね、これ申請書。弥生ちゃん、特別顧問に僕入れてね」

「……え、は?」

「おお~、楽しくなってきた!」

 うきうきしている弥生とは対照的に、結衣美は天を仰いで叫んだ。

「こんなときに部活作ってどうするんだああああ!」


「……仮装部?」

 怪訝そうに、結衣美が説明した部活の名を繰り返す黒髪美少女。彼女の名を芽衣華めいかという。この学校で数少ない帰宅部の生徒だ。

 結衣美は手のひらを合わせて頼み込む。

「お願いっ。これからたったの三週間、部活に所属してくれればいいから。ね?」

「私以外に誘う人いないの?」

「帰宅部の人で知り合いいないのよ。芽衣華くらいしか! 今部活の必要人数、四人が集まらないの。たったの四人が! 私と弥生で、無理やり二人にしたけど、残り二人が見つからないのよぅ」

 およよよ、と泣き真似をする結衣美。そんな彼女を見て、芽衣華は嘆息した。

「……いいわ。あと一人も、私が呼んできてあげる。絶対(・・)に入ってくれるやつがいるから」

 助かる! と叫び、多忙な会長はそこから風のようにいなくなった。一人残された芽衣華は、感情の見えない無表情のまま、ぽつりとつぶやく。

「……なんてったって、女子三人に自分一人、を見逃すやつではないわ」


 結局結衣美は、文句を言いつつ仮装部創立へ向けて、東奔西走。途中で働かない学園長をしばきつつ、生徒会の通常業務もしつつ――生徒会は十人いるはずだが、結衣美と弥生しか働いていない――、結衣美は三日で仮装部創設を実現した。

「いやはや、凄いね、会長様。もう君が学園長でいいよ。うんそれがいい。で、僕は隠居するから」

「待てこら学園長」

 結衣美は学園長の首根っこを掴み、笑顔で振り返ってその部屋を見渡した。

 ここは生徒会室。結衣美の努力により、とても綺麗な部屋となっている。それまでは書類が散乱し、椅子がうず高く積み上げられ、何故か壁に藁人形が打ちつけられているおぞましい部屋だったが。

 部屋にいるのは、結衣美と学園長を入れて六人。黒髪美少女と、ボブカット少女、小学生くらいの女の子、そして髪がつんつんと逆立っている少年である。

「さて、仮装部の部員も全員集まったことだし。始めましょうか特別顧問(・・・・)

「分かりました分かりましたから手を放してください会長ぐええ……」

 最後の辺りで本当に死にそうになっていたので、結衣美は仕方なく手を放した。

「……ケホリ。えっと、学園長です。特別顧問です」

「それは知ってる」

 静かに口を挟んだのは黒髪美少女――芽衣華。彼女に同意するように、周りがうんうんと頷いた。

「でね、僕がここを創った訳は、ハロウィンが近いからです」

 理由はそれだけか。

 創ったのは私だテメーは働いてねーよ。

 そんな視線が、一気に飛び、主に後半の主張に学園長は冷や汗をかいた。

「まあ、創るのに協力……もとい、実質部活を成立させたのは会長な訳ですが」

 視線の力が弱まった。

「えっとね、ハロウィンのときに、芽吹丘めぶおか市からお誘いが来るのね。このチラシを見て」

 チラシには大きく、「Trick with Treat」とオレンジの文字で印刷されている。

『十月三十一日、みんなで仮装して歩きませんか。パフォーマンスも大募集』

「何故、『with』なのかしら」

「そーか、本当なら『or』だね~」

「どうやら、おどかしもおもてなしもするから……だそうだよ。毎年、お化け屋敷は大人気なんだよね」

 そして学園長はチラシから目を離し、顔を上げて言った。

「それでね、今回パフォーマンスをしてくれる団体が少ないんだって。で、桜庭さくらば高校から、SOSが来たんだよね」

 いろいろな高校に呼び掛けて、出てくれる所を探しているらしい。結衣美は、ちらりと視線を女の子――あやみに向けてから、学園長に尋ねた。

「それで、これに出ることとあやみちゃんのマイゴに、なんの関係があるの?」

「楽しいことしたら、笑ってくれるかなあって」

 学園長の答えに、唖然とする結衣美。それだけ?とつい問い返すと、学園長はにこにこと笑い、

「だって、あやみちゃんの笑顔見てないんだもん。きっとお父さんがそういう人だったら、あんまりお祭り騒ぎとかしたことないんじゃないかな? きっと楽しんでくれるよ」

 結衣美はそれを聞いて黙りこんでしまった。自分達――結衣美と弥生は、マイゴを解決することばかりに気を取られていたが、あやみがそのまま幸せでないとしたら、マイゴから助けた意味もない。学園長は、あやみが心の底からマイゴを抜け出せるように考えたのだ。

 いっつも、私達とは違う答えを出すんだよなあ……と、尊敬の眼差しを向けるも、それは次の一言でかき消える。

「それにね、芽吹丘市はお金がいっぱいあって……。協力すると、この学校の資金が潤沢に……」

「この残念学園長が」

 べし。


「さて、自己紹介を始めまっす」

 頭にできたたんこぶを押さえて蹲る学園長と、黒いオーラを発しながら書類を真っ黒に染めていく会長を放っておき、弥生が進行を始めた。

「まず、私は弥生。生徒会会計です~」

 では次。といこうとしたところ、一人がびしっと手を上げた。つんつん髪の少年だ。

「質問! 彼氏いますか!?」

「いないよ~」

「じゃあ付き合ってください!」

「う~ん、無理かな~」

 少年、沈没。芽衣華が呆れたような、絶対零度の視線を彼に浴びせかけてから、すっと席を立った。

「私は部員の芽衣華。二年生」

「芽衣華は貧乳です」

「黙れエロ餓鬼」

 少年は芽衣華にローキックをくらい、物理的に沈没。

「じゃあ、挨拶しよっか。あやみちゃん!」

「はぅい……。小学二年生の、あやみです。館倉市に住んでました」

 さきほどの暴力騒動(?)に怯えながらも、しっかりと挨拶をした。

「……館倉市? 遠いわね」

 いつからここに?という芽衣華の質問に、弥生が答えた。

「あやみちゃんはね~、三日前にここに来たの! 今は学園長の部屋に泊まってるんだよね?」

 こくりと頷くあやみ。すると、いつの間にか復活していた少年が、学園長に詰め寄った。

「まさか学園長、小さい子に何かしてませんよね? ロリコンじゃ、ないですよね……?」

「何を想像してるの、君は!? 僕、基本的に自分の家に帰るから! あやみちゃんとは会長が一緒にいるから! 学園長室には、布団二つあるからね!?」

「百合っ……だと!?」

「違うよ! どうなったらそうなるの!? 会長はノーマルだから! あやみちゃん、まだ小学生だから! 布団二つあるって言ったよね!?」

「……何故あんなに、学園長室って居心地良かったのかしら」

「露天風呂、すごかったです……」

 思い返す結衣美とあやみ。結衣美はしばらくしてはっとすると、少年と同じく、学園長に詰め寄る。

「何故学園長室は、泊まれるような設備が充実しているのでしょうか。教えて頂けませんか学園長」

「どうせ、彼女が出来た時に使うんですね! 嘆かわしい。学校で、そんなことを……!」

「君達思い違いだから! 布団、二つだけじゃないから! あそこは非常事態用に一泊泊まれるようにしてあるの! 非常食も生徒分入ってるんだよ!? 僕あそこの設備使ったことないからね!?」

 必死に弁解する学園長。弥生は、突っ込み役に珍しく回っている学園長を、面白そうに見つめ、芽衣華は少年へ再びローキックをかまそうと詰め寄り、あやみはただおろおろしていた。

 ……ここでまともなのは、あやみだけかもしれない。


 親睦会、と称して、のんびりとしたお茶会が始まった。お茶っ葉は生徒会室にあったが、メインとなる物がない。

「ケーキがなきゃお茶が進まないわ~」

 気だるげに机に突っ伏す結衣美。彼女の台詞を聞いて、弥生がポンと手を打った。

「ああ、だから言ったじゃ~ん? お菓子が必要なら……」

「涼を使え! そういうことね! ……でも、なんでお菓子が必要なことになると分かったのよ?」

 結衣美が尋ねると、弥生は意気揚々と語り出した。弥生曰く、顔合わせにお菓子は付き物、だとか。確かに、お菓子を食べて血糖値が上がれば、気分も明るくなるだろう。マイゴとの顔合わせでは特に重要である。

「というか、今までのマイゴとの顔合わせの時、必ず涼が差し入れくれたのって……」

「あ、私が注文しときました~。ナイス配慮でしょ、私~」

「ああ……今までごめんなさい、涼……」

 とはいえ、彼は楽しくお菓子を作り、自分でもたくさん食べたのだろう。そういう男子なのだ。

 そうして、弥生が連絡を入れてから一時間後。涼がお菓子を持って会室にやってきた。一応、今日は平日なのだが……。どこで作ったら、こんなに早く持ってこれるのだろうか。その疑問に対し、彼はあっけらかんと答えた。

「金曜はいつも調理室借りてる。……もうできてたパウンドケーキ」

 なんと、連絡を受け取った時には既にパウンドケーキを完成させていたらしい。彼の菓子好き度に呆れ果てつつ、結衣美は礼を言って受け取った。

 彼が去ってから、みんなでパウンドケーキをつつく。中に入ったドライフルーツがケーキをギュッと締めている感じだ。みんな無言で食べ進めた。あまりの美味しさに、声を上げる間もなかったのである。

「美味しい!」

 あやみも気に入ったらしく、ぱくぱくと食べていた。心なしか表情が緩んだようで、結衣美はほっとしたのだった。

 

「帯を回して~、ほいっ。できあがり~!」

 弥生はあやみを姿見の前へと案内した。鏡の中で、ぱちくりとしているあやみ。彼女はすぐに、花が開いたような晴れやかな笑顔を見せた。

「かわいい……!」

「う~む、私が小さいころより似合ってるね、あやみちゃん!」

 彼女が来ているのは、子供用の振り袖。とはいえ、ハロウィン仕様である。背中からは黒い羽がひょこりと顔をのぞかせ、あやみの肩にかかる斜め鞄は、かぼちゃ型。頭には小さなベレー帽が斜めにちょこんと乗っかっている。そうしてはにかむように笑えば、小さな天使の完成である。

「ハロウィンだから、本当は怖い服装がいいんでしょうけどね」

「子供はこれでいいじゃな~い。よいよい」

 そうやって声を掛け合う結衣美と弥生は、それぞれ猫の耳と狐の耳を付けている。白装束だ。

「……これ、いいわね。楽しい」

 そう言って、くるりと一回転。芽衣華は雪女の格好だ。目が鋭いので、怜悧な印象を受ける芽衣華には、氷が主題の雪女の服装は似合っていた。頭には雪の結晶をかたどった飾りを付けている。

「なんで俺はキグルミなんですか」

「……僕、裏方したいな」

 男性陣は、狼のキグルミを被って、よたよた。目に穴が開いていないので、歩けもしなければ立ったり座ったりすることも難しいのだろう。結衣美は学園長の言葉を聞いて、

「ほほう? では何もしなくていいですよ? その代わり、向こうさんがくれる謝礼金は生徒会が貰いますね?」

 突然学園長はやる気になった。なんでもやるよ、だそうだ。どれだけお金が欲しいのだか。

「待てよ……このまま、右も左も分からず歩いていればッ。いつか綺麗なお姉さんのところに!」

 狼のキグルミが突然、妙な動きをする。もちろん、学園長の方ではなく。

「綺麗なお姉さんのところに?」

「どーん! つって……およ、その声は」

「そう。じゃあその願いを叶えてあげるわ」

 確かに、どーんという音はした。が、その音は、人と人がぶつかる音ではなくて、少年の腹に芽衣華の拳がめり込む音であった。


 弥生が、床の上で伸びている少年の頭をつんつん突いた。

「大丈夫かー、少年Aよ」

「俺は少年Aじゃなくって幸人ゆきとです」

「じゃあ少年Yだね!」

「違う! なんか犯罪者っぽいですよそれ!」

「合ってるじゃない。このセクハラが」

 最後に致命傷を与えた芽衣華が、結衣美に向き直って口を開いた。

「それで? することは何?」

 結衣美が答える前に、学園長がひょこっと顔を伸ばしてきた。狼の頭は外している。

「その一、ビラ配り。その二、パフォーマンス。その三、パレード参加。まあこの三つをやれば大丈夫だよ」

 ビラ配りは前日に行うらしい。あやみは、ビラ配りと聞いて口をぱかっと開けたまま。楽しみ、とはにかんでいるので、珍しい体験にわくわくしているのだろうか。しかし、これについては懸念がある。

 弥生も不安に思ったのか、結衣美に尋ねてきた。

「あやみちゃんって、まだマイゴを抜け出してないよね?」

「問題が解決していないから。でも、私が青目になってればあやみちゃんのことも見えると思うわ」

 結衣美の力は、他人にマイゴを見せること。そのためには目を光らせなければいけない。普段人前で目が青くなればまずいが、今回はハロウィンのビラ配り。ちょっと変わったコンタクトと見てくれるはずだ。

「びっらくっばり♪ びっらくっばり♪」

「貰ってくださいビラ配り♪」

 あやみと弥生が、スキップを踏みながら即興で歌っている。二人は既に、ベレー帽や狐耳をつけて準備万端だ。道を通りすがる人達が、何事かと目を向けてきて、結衣美は頭が痛くなった。

「お願いだから、歌うかスキップか、どちらか一つにしてくれない?」

「え~」

「ぇー」

 あやみと弥生はそろって口を尖らせる。二人ともがあまりに楽しそうにしているものだから、止めようという気持ちも萎えてしまった。

 ビラを配るところに来ても、二人はご機嫌のまま。にこにこと、配るためのチラシを受け取っていた。

 いざ始まると、チラシを受け取ってくれる人は圧倒的に男性が多かった。下心が透けて見える。学園長は仕事で留守、少年Yもとい幸人はキグルミにより性別不明。という訳で、このビラ配りは男子欠番なのである。

 他、買い物をしていたらしいおばさん等がにこにこと貰っていく。理由としては、一人の女の子にあるだろう。

「あ、あの……貰ってくださぃ」

 手を必死に伸ばし、イヤホンを付けた女子高生に通り過ぎられると肩を落とした。今にも「しょぼーん」という擬音語が聞こえてきそうだ。そんな一生懸命な姿がほほえましく、子供の親世代はみんな笑顔でチラシを受け取る。

 あやみの受け持つチラシはすぐになくなった。

「おお~、あやみちゃんすごい! もっとやる?」

 頬を上気させて、大きくこっくりと頷くあやみ。チラシを弥生から受け取ると、またトテテと駆けていき、「ハロウィンの日に、芽吹丘市へ!」と小さな体から大声を。

 あやみ以外は頑張っていないかと言うと、そうでもない。配る側として驚くべきことに、狼が大人気である。初めはプラカードを持たせ、棒立ちにさせたのだが――そうでもしないとナンパしに行くからである――、そのうち周りに小さい子供がわっと寄ってきて、大道芸の様な事をし始めた。よくもまあ、視界が悪いのにそういうことができるものだ。

 子供が大道芸に夢中で、立ち去れない親達に、一斉にみんなでチラシを押しつける。

 ビラ配りは本当なら夕方まであったはずだが、持ち分がなくなったので、昼過ぎには解散となった。担当の芽吹丘市の職員が、あやみを撫でながら、「良く頑張ったねえ」と褒めていた。こんなにチラシがはけることは初めてだそうだ。

 あやみが凄く嬉しそうに「どういたしまして」と返すのを見て、結衣美は心が温まるのを感じた。学園長はいい提案をしてくれた。あれで、お金とか話しださなければ良かったのに。

 みんなで労いあう中、結衣美はある一方を見つめていた。その先には一人の、初老の男性がいる。彼は、弥生やあやみがいるところを、ぼんやりと眺めていた。

「どうされました?」

 いきなり話しかけられて驚いたのだろう、彼は肩をはね上げ、こちらを向いた。

「ああ、いや……娘と似た子がいたもので。これは、何かのイベントですか?」

「明日、芽吹丘市でハロウィン祭みたいな催し物があるんです。今の私達みたいにみんな仮装して、一日を楽しむんですよ。仮装しなくても、見て楽しめるので、是非来て下さいね」

 結衣美は、学校に貼ろうとしていたチラシの内一枚を、懐から取り出して、その男性に握らせた。

「明日は私達(・・)もいますから」

 ここでいう「私達」にはあやみが入っていることも、すぐに分かるだろう。彼はじっとチラシを見つめ、結衣美に礼を言って立ち去った。

 弥生がひょこひょこと寄ってくる。

「今の人、誰?」

「多分、あやみちゃんのお父さんね。運がいいわ、チラシも受け取ってくれたし」

「ほほう! 運命ですな!」

 きっとあの様子だと、ハロウィン祭に来てくれるだろう。そこで何か、変わるといいが。


 ハロウィン当日。あやみは前日と同じ、ハロウィン風の振り袖を着て、学校――瀧閖学園の校門前に立っていた。彼女は何度も背伸びをして、学校の中、そして道を睨んでいた。

「まだかなー」

 どうやら、他の人達を待っているらしい。彼女の顔は晴れやかで、かつて商店街で泣いていた子供とはまるで別人のようだ。

 初めにやってきたのは弥生。彼女は既に、目を翠色に輝かせている。途中で変わるのはまずいから、らしい。今日は当日ということで、狐の耳だけでなく、尻尾も付けていた。

「ふわふわー」

「でっしょ~。我ながらいい出来だと思う!」

 弥生はこの尻尾を、家庭科の時間に作ったらしい。課題の提出がこれで、家庭科の先生もさぞかし困惑しただろう。

 次に狼が来た。

「幸人、さん? 学園ちょーさん?」

「あれは幸人くんじゃないかな~? 学園ちょーは結衣美かいちょーとセットで来るもんね!」

「おおおお弥生さんその尻尾触っていいですかあああ!?」

「う~ん、無理かな!」

「嘘だ~……」

 ああ、幸人だ、と、あやみは声でなく台詞で判断した。

「あやみちゃんも可愛いね」

 と幸人が言うので、

「幸人、さんも可愛い狼さん」

「……かっこよくはないんだね……」

 幸人はがくりと肩を落とした。が、キグルミなので傍目には分からなかった。

 しばらくしてから、学園長と結衣美が一緒にやって来る。

「ごめん、お待たせ」

 結衣美が申し訳なさそうに頭を下げる。学園長は、

「ごめんね、会長が……」

「私じゃあなくてテメーのせいだボケ学園長」

「いったー……。横暴ですよ結衣美会長!? だって僕を時間に起こしてくれない会長が悪いんじゃあないか!」

「自分で起きろやこのボケが!」

 あやみは弥生の服の袖を引っ張り、非常に小さな声で尋ねた。

「結衣美さんは、いつもこうなの?」

 それを聞いた弥生は、苦笑した。

「えっとね~……。学園長が絡んでくると、いっつもこうかもね」


「じゃあ、着く前に役割分担ね」

 電車に乗る間、結衣美がみんなに向けて話しだす。

「まず、幸人君は昨日みたいな大道芸。学園長がピエロするから、学園長の失敗の後にやってね」

「酷くない? 酷くなくなくない?」

 学園長が涙目で訴えるも、結衣美は完全に無視。

「で、あやみちゃんは『Trick with Treat』限定お菓子を配る」

 限定お菓子とは、中に何が入っているか分からないチョコの詰め合わせである。からし入りとバナナ入り、苺のムース入りの三つセットで、からしが「いたずら」。子供に渡す時には、ハズレはピーマン入りとなっている。からしは刺激が強いので。

「私と弥生は記念撮影ね」

「りょ~かいっ」

「できれば僕、カメラマン役やりたいな……」

 そんな小さな主張が出たが、またも結衣美は無視。しかし学園長はめげなかった。

「これでも僕、運動神経悪くないんだよ? もしかしたら幸人君の前に成功しちゃうかもしれないよ、芸」

 結衣美は、しばらく学園長で遊んで気が晴れたらしい。彼をカメラ役に抜擢した。


「すっご~い……」

 それだけ言って、ひたすらその場を見続けるあやみ。きっと、こういう場所に来るのは初めてなのだろう。こんなに喜んでくれると、会長冥利に尽きる。結衣美はそう思った。

「さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。盲目狼の大道芸だよ。マジで視界がないよ」

 幸人が、客に向けて良く分からない誘い文句を叫んでいる。それは遠まわしに、キグルミへの文句を言ってはいないか。

 彼が大きなボールに乗って、器用に絵を描き始めた――ペンキを塗ったボールで、である――ので、あやみは集まってきた人達の間を潜り抜け、チョコを次々に渡していく。

「いたずらとおもてなしを、どうじょ」

 噛んで顔を真っ赤にするあやみを見て、おばさん達が微笑ましげだった。

 一方、結衣美と弥生の写真撮影も人気である。主に男性なのは、言わずもがな。芸の合い間に幸人が叫んだ。

「弥生さんに手を出したら承知しないぞ! 顔面にペンキ塗ったる!」

 結衣美は呆れて彼を見た。真面目に芸をしてなさい。……といっても、善意で協力してくれているのだから、そう文句は言えない。弥生は、「彼がああ言ってるから、ごめんね~」と多くの男子を捌いている。今は言わないけども、上手く利用しすぎではないだろうか。幸人はなんだかんだ言って、不憫であった。


 ハロウィン祭は、毎年盛況である。多くの子ども連れがやってくるのだ。今年は平日なので、いつもよりは人が少ない。

 しかしそれでも、歩けば肩がぶつかり合うくらいには、混雑していた。みんな、人混みを気にせず、むしろ楽しんでいるようだ。

 だが、その中で、不機嫌そうな顔がある。一人の、身なりが立派な男だ。彼はきょろきょろと辺りを見回し、何か探しているようだが、人が多くてそれがかなわない。彼は深いため息をついて、人の間を無理やり押し通り始めた。


「楽し~ね、あやみちゃん♪」

「うん!」

 あやみは満面の笑みで頷いた。弥生もずっと笑っている。彼らは少し仕事を抜けて、食事ついでに屋台巡りをしていた。

「俺はもう死にそうです」

「お疲れ、少年Y」

「幸人ですってば!」

 幸人はキグルミのまま、頭だけ外して屋台巡りをしている。学園長も同じ。学園長はカメラを構えていただけだが、幸人はずっと、必死になって芸を続けていたのだから、その疲労たるや想像するのも恐ろしい。

 ハロウィンということもあり、かぼちゃの食べ物は多いし、蜘蛛だの猫だのの形をしたクッキーなど、それぞれ一工夫したものが売られていた。弥生は既に、学校へのお土産をたくさん買っている。

 にこにこ。誰もが笑う幸せな状態の中、一つの低い声が響きわたった。

「あやみ!」

 びくり、と体を震わせるあやみ。彼女はいきなり、存在感が薄れていく。

「まずいよ! マイゴが進行して……!」

 結衣美はマイゴを見せる力を持つが、いつも発動した瞬間見せられる訳ではない。始めにあやみを見つけた時の様に、マイゴになりきってしまった人を「見せる」のには時間がかかる。

 今はその状態だった。あやみはどんどん、消えていく。他の人の目から。彼女の父の視界からも。

「……あ、いや、すまない。見間違えたようだ」

 そう言って、足早に歩き去ろうとした男――あやみの父を、弥生は必死に追って捕まえる。

 結衣美はというと、何処かへ走り去ろうとしているあやみを留めていた。

 あやみの顔は逆戻り。凄く固くて、幼さもない。完全なマイゴの表情だった。

「あやみちゃん、あやみちゃん」

 結衣美は何度もあやみを揺さぶった。彼女がマイゴから戻れるようにと。青い目を一層光らせ、あやみを元に戻そうと。


 なんとかあやみの父親を連れ戻した弥生が戻ると、そこには常人が見れるほどには戻ったあやみ――その、人形の様な面構えだった。あのさっきまでの笑顔は何処へ行ってしまったのか……。

 幸人や芽衣華は、困惑しているようだが、口を挟んではいけないと感じているようで、黙って見守っている。

 学園長も、いつも通りのへらへらとした顔だった。……こちらを信用してくれているのは分かるが、出来ればその緊張感のない表情は止めて欲しい。そんな風に弥生は思った。

「あやみちゃんのお父さんですか」

 結衣美がきっとあやみ父を睨み、鋭い口調で言った。彼は視線に怯えたように視線を彷徨わせ、

「……そうです」

 とだけ答えた。

「ここまでマイゴになることは、普通ないんですよ。本当なら、自然に戻したかったけれど、こうなったらマイゴについて説明するしか。弥生」

「ほへ?」

「あやみちゃんの住所は?」

「え~とね、〇〇県館倉市岡本町倉掛いちのにーの……」

 正確に最後まですらすらと告げた弥生を見て、あやみ父は恐れおののいたように、

「なんだ君達は……あやみを誘拐したのはお前たちなのか!?」

「いいえ」

 結衣美はあやみ父の前で仁王立ちをする。彼女の表情は、あやみの様に固い。

「あやみちゃんは自分でここまで移動してきたんです。館倉市から辰峰たつみね市へと。そして私達が見つけて(・・・・)、瀧閖学園で保護しました」

 結衣美は、マイゴについて、あやみがマイゴになった訳を、淡々と説明した。その無表情の中に、どれだけの激情が込められているのか。

「まったく……今まで見てきた人と見比べるに……。あやみちゃんのお父さん、何故あやみちゃんは家を出て、十キロも移動して、辰峰市まで来たと思います? 何故家から逃げたんです?」

 あやみ父は黙りこむ。

「……どうせそれも分からないんでしょう? あやみちゃんのお母さん――自分自身の奥さんを家から追い出したくせに」

 人の気持ちも考えないで、自分の駄々で家族を動かそうたって、そうはいきませんから。結衣美はそこまで言うと、口を閉ざした。

 あやみ父は、口をぱくぱくと開けたり閉めたりを繰り返している。きっと、屁理屈をぐだりぐだりと頭に浮かべているのだろう。しかし、自分で分かっているのだ。

 娘が今、虚ろな表情で座り込む原因に、自分があると。

「……確かに、私は妻や娘の気持ちは考えていなかった」

 ゆっくりと口を開くあやみ父。彼は手のひらで顔を覆った。

「妻がいたころは……あやみは頭は少々悪かったが、いつも明るくて……太陽の様な子だった。妻がいなくなって、あやみはひたすら算数とかを勉強し始めて……ああ、やはり自分のやり方でいいのだと、そう思ったんだ」

 そしてある日。あやみが忽然と消えた。あやみには気にするなと伝えていたが、妻も連絡をよこさない。追い出したのではない、逆に引き留めた。しかし妻はいなくなってしまった。自分は邪魔だからと言って。

 自分が二人から家を奪ったのだ――そう思った。もしかすると、自分が置いていかれたのかもしれない。妻が戻ってきて、あやみを連れて逃げたのではないか、と。

 しかし、せめて二人が一緒でいて欲しいという願いは叶っていなかった。昨日――あやみ達がビラ配りをしているところを見かけて、妻があやみと共にいないことを悟った。

 足を一日中働かせて、町中で妻を探しても、やはり見つけられない。既に家族の絆は途切れて崩れ去っていた。

「……もう、どうしようもない……。私は駄目な男だ。誰も幸せにできない」

 結衣美は黙って睨み続けていた。と、学園長があっけらかんと告げる。

「絆が崩れたんならまた構築すればいいじゃない」

 ばい、マリーアントワネット。なんて、的外れな学園長。あやみ父は、へらりと笑う学園長を呆然と眺めていた。

「これからあやみちゃんのお母さん探しだして、あやみちゃんをマイゴから連れ戻せばいいんでしょ? そんなの簡単簡単。朝飯前だよ」

 ねえ?と振り向いた先には、苦笑する弥生の姿。

「そ~ですけど、学園ちょー。他力本願じゃありません、それ?」

「一人では何もできないんだよ」

 でもね。みんないれば何でもできるんだよ。と無邪気な子供の様に学園長は言った。


「さ~ちらいと! 的な~」

 弥生の瞳が一層輝き、あやみをじっと見つめる。彼女はまた、視線をふらふらと揺らしながら、ぶつぶつと呟き、やがてびしっと固まった。

「芽吹丘市立桜庭(おうわ)高等学校校門前! 桜綺麗なとこ!」

「よし来た!」

 結衣美はあやみを抱きかかえて。弥生はあやみ父の腕を引っ張り。

 桜庭高校へと、走り出した。

「なんか、かっけーな。小説みたい」

 ぽつりと呟く幸人に、芽衣華はおどけて答えた。

「じゃあ実際に小説化してみたら? ドキュメンタリーみたいでしょ」

「マイゴとか、よく分かんないけどね。SF?」

 二人は顔を見合わせて苦笑し、後を走り出す。

「じゃあ、いってらっしゃい」

 にこやかに手を振る学園長は、

「……行きましょうか」

 走り戻ってきた芽衣華に首根っこを掴まれた。

「ぐえ……。僕最近、女の子に首絞められてるよね」

「いいじゃあないですか学園長。美少女の首絞めはむしろご褒美」

「君Mなの?」

「いや、美少女限定ですから」

「じ ゃ あ 私 が や っ て あ げ る ☆」

「ぐええ……」

 死にかけの鳥のごとく、呻く男が二人。


 桜庭高校に着くと、そこには桜の木が立っていた。きっと、季節になれば満開の花が生徒を迎えるのだろう。しかし今は秋。葉が色づいてきているだけだ。

 その木の内の一本に、寄りかかって目を閉じている女性が一人。あやみ父は彼女を見て目を瞠った。

「佐和……!」

 あやみ父は思わず駆け寄ろうとして、すんでで留まった。きっと、自分に失望しているだろう……そう考えているからか。

 しかしこちらは、八人の大所帯。足音に気付いたその女の人は、目をぱちりと開けてこちらを向いた。彼女も、あやみとあやみ父を見てはっとしたようだ。

「健也さん……どうしてここに?」

 駆け寄ってきたあやみ母。彼女は少しやつれていた。

「この……館倉市の女子高校生の子たちに教えてもらって。佐和はなんでここにいたんだ」

「もう、ここには戻ってこれないと思って。従兄の伝手で北海道にでも行こうと思ってたの」

 桜庭高校は、あやみ母の母校であるらしい。思い出深いところなので、彼女は最後の別れとばかりにやってきたという。

「健也さんとあやみの邪魔になると思ったから……近くにいたら」

 あやみ父は、手を大きく振ってあやみ母の言葉を遮った。

「違うんだ、私が間違っていたんだ。お前がいたころは、あやみももっと笑っていたのに。私が、将来のためとばかりにしていたことは、あやみにとっては幸せを奪うことだったんだ……」

「あなたが間違っていた訳ではないわ。ただ、それだけだと、あやみに悪いと……そう思っただけなの」

 二人は、まだ話したい事があっただろう。しかしそこで話をいったん切り、結衣美達の方へと向き直った。

「本当に、ありがとうございます。あやみのことといい……」

「どういたしまして……と言いたい所ですが、まだ終わっていません。どうか、あやみちゃんをマイゴから連れ出してください」

 もう、あなた達しかそれができませんから。結衣美は悔しそうに言った。

 あやみの笑顔を、完全には取り戻せなかったことを。そう告げると、あやみ父は穏やかに笑った。

「面白いことを仰る。あの時、あやみが笑っているのを見なかったら、私はきっと諦めていましたから」

 あやみの両親は、必死に娘に呼び掛ける。

「あやみ、お母さん戻ってきたよ。もういなくなったりしないから」

「あやみ。もうお父さん、あやみが嫌がることは……出来る限りしないから。お願いだ、戻ってきておくれ」

 あやみ。

 あやみ。

 呼びかける。呼びかけ続ける。それはいつまで続いただろうか、ある時、微動だにしていなかったあやみの瞼が僅かに震えた。

「あやみ!」

 あやみ父が彼女を揺さぶる。あやみの母は名前を呼び続けて。


 あやみが、真っ白で何もない世界にいたら、音が聞こえた。

 ぼんやりとしていて明瞭としない音は、だんだんとしっかりした人の声になっていく。

――あやみ。

 何度も名前を呼んでくる。どうしたの、私はもうそこには行かない。

 ここでいい。

――あやみ

 泣きそうな声だ。この声は、あやみの母の物だった。

 お母さん? なんで泣きそうなの?

 私はここで普通にしているよ。もうそれでいいよ……。

 そんなときに頭に浮かぶ顔。

 気の強そうな女の人。ボブカットの、緑色の目の人。黒髪美人。つんつん髪の男の人。なんだかいっつも、気の強そうな女の人にびしばし叩かれていた男の人。

 あの人達は、あやみを笑わせてくれた。あの白いカーテンのかかったところから助け出して、いつも笑顔で接してくれた。

 笑うたびに、あの白いところからどんどん離れていく気がした。あやみは、その白い世界が自分から遠ざかることに、ほっとしていたはずなのだ。

 そう気がつくと、ここにいることに怖くなる。

 ここは何処? なんで真っ白なの、何もないの?

――あやみ!

 両親が必死に呼びかけてくる。きこえる。

 私を連れ戻す声が、聞こえる。


「……ぁ」

 あやみは小さく呻いて、目をゆるゆると開けた。視界いっぱいに、泣いている父と母の顔がある。

 なんでお母さんとお父さん、泣いてるんだろ。

 そうか、私が心配かけちゃったからか。

「ごめんね、おとーさん、おかーさん」

 あやみがそう言うと、父と母は更に涙を零す。

「ごめんね、ごめんね」

 そう返されて、あやみの目からも自然と涙が零れた。

 壊れかけてマイゴになった家族は、また一つになった。


「……ずびっ。いい話じゃねえかおい」

「何泣いてるの。そして何故おっちゃん口調なの」

 幸人と芽衣華は変わらず。だがその場を穏やかな気持ちで迎えていた。

 結衣美と弥生は、顔を見合わせて笑った。

「今回も、マイゴさん解決、でいいかな」

「い~んじゃないかな? 今回も、学園ちょーに感謝!」

 二人に頭を下げられて、学園長はへどもどした。

「そこまでされることじゃあないよ。僕、お金欲しかったしね!」

 お金の下りが照れ隠しであったことは、既に今までの経験から分かっていた。結衣美は小さくクスリと笑った。

「はいはい、そんでもありがとうございます。では学校戻って――仕事しましょうか」

 とたんに学園長の顔が暗くなる。

「ええー……」

「でもって、涼の作ったお菓子を食べましょう」

「おおー!」

 はっきりとテンションが変わった学園長は、張り切って学園の方向へと向かう。瀧閖学園の生徒たちは、ゆっくりと丘を下り始めた。

 丘の上では、三人の家族が、幸せそうに抱き合っていた。


読んでくださりありがとうございました! 他の方のもお楽しみください。


 子猫 夏/虚虎 冬


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