カボチャさんは言います。@マツの貝養殖場
作者:マツの貝養殖場
ジャンル:日常
「おいおい嬢ちゃん、そいつぁあんまりだぜ」
カボチャさんは言います。
しかし、わたしは答えません。
「見えていながら見えていないように振舞う――無視っつーのは心にくるものがある。ただまあ、オレ様のようなはなから心なんて概念が存在しない奴は例外だろうがな。かと言って、それが無視してもいい理由にはならないわけだ。分かるか?」
よく分かりません。
だから、わたしは答えません。
「まったく最近のガキは困るねえ。昔の方が断然良かった。いや、昔と今を比較するなんて器の小さいこと、本当のオレ様ならしないんだがな。しかし今は誰も見ていないと思って、どうせ無視されているんだからいいだろうと思って、認識されてないなら認識されないだろうと思ってふと思ったことをなんのフィルターも通さずストレートに喋ったわけだ。だから勘違いするな。オレ様の器は大きい」
そんな話の矛盾する人とは、話になりません。
なので、わたしは答えません。
「まだ無視すんのかよ、嬢ちゃん。そうやって目をふさいで、耳をふさいで、現実と真実から逃げて……まったくのクソ野郎だな。いや、野郎じゃあないが。
逃げるのは勝手さ。それに逃げるっつーのは、存外逃げないよりも難しい道だ。オレ様は評価するする。運命から逃げりゃ、逃げた道でまた別の運命と出遇う――つまり、一生逃げ続ける必要があるわけだ。しかし嬢ちゃんは、逃げているくせに『逃げる』という選択と向き合う気すらない。えらく腐った根性してんじゃねえかよ! あぁ?」
不良さんのようで怖いです。
ということで、わたしは答えません。
「カカカッ! ここまで言って反論の一つもないたぁ、いい根性してんじゃねえか! 腐った、は訂正してやる!
反論をしない――する気もないっつーことは、嬢ちゃんはオレ様の言葉を全面的に肯定してんのか? だから反論しねえのかよ。仮にそうだとすれば、嬢ちゃんは一生そのまんまだな。人間は自覚してる自分の欠点ほど直しにくい――直す気がないもんだ。『あたしってー、性格悪くない?』とかいう女が、その性格直したの見たことあるかよ? ねえだろ? そんなもんだ。
見えてるもんほど、自覚しているもんほど、結局後回しにして墓場に持っていくのさ。馬鹿だねー、本当に人間って奴ぁ」
人の癇に障るような持論を、まるで一般論のように語られました。
だけど、わたしは答えません。
「はぁ……あくまで無視かよ。そんなんだから、嬢ちゃんはダメなんじゃねえの? 傲慢さも自尊心もなく、ただ淡々と周りに流されておきながら同調を拒否し、孤高を気取るのかと思えば人のぬくもりにすがり、甘えるのかと思えば冷たくし、常に悲劇の脇役であり続けるその無気力さ――おいおい嬢ちゃん、そいつぁあんまりだぜ」
…………カボチャさんは言います。言い返せません――言い返すことが、できません。
しかし、だから、なので、ということで、だけど――だけど、わたしは言うのです。
「ご、傲慢さと自尊心なんて……あるだけ無駄じゃないっ」
「やっと喋ったかと思いや、論点から大きく外れやがったな。まあいいが」
カカカッと大げさに笑うカボチャさんは、非常に不気味でした。
いやいや、既にその趣味の悪い黒のマントやそのマントから見え隠れするオレンジ色の腕、西洋の妖怪であるジャック・オー・ランタンにしか見えないその容姿の方が、何倍も不気味なのですが。
「傲慢さと自尊心は大切だぜ。ありすぎても困るもんだが、ない奴は使いもんになんねぇ。まさか嬢ちゃんには、この二つが雀の涙ほどもねえのか? いや、聞くまでもねえか」
「そんなこと……」
「あぁ? じゃあ嬢ちゃん、そいつぁ前言撤回っつーことか? カカカッ! 出たよ出ましたよ、自分の発言に責任を持てない奴! ほんっとうにいい根性してんな、嬢ちゃん」
「自分の発言くらい……責任くらい……持てるもんっ」
自分でも子供のようだと自己嫌悪してしまいます。いえ、間違えました。わたしは自己嫌悪なんかしていません。
きっとここは自己嫌悪する場面だろう――だからわたしは、そういう風にしたまでなのです。
「じゃあよ――」
わたしはハッと口に手を当てました。やってしまいました。要らぬ発言を――至らぬ発言をしてしまいました。
カボチャさんの表情は、徐々に変化していきます。徐々に徐々に――凄惨な表情で微笑みます。
「嬢ちゃんには友達がいるんだったよな。オレ様に見せてくれよ。いるんだろ?」
カボチャさんは言います。
しかし、わたしは答えません。
◆ ◆ ◆
話は少しばかりさかのぼります。
わたしの朝は……うーん、昨日読んだ本のように始めようかと思いましたが、特にこれといって特別なことはしないので、何もないということにしましょう。
顔を洗って、朝食を食べて、歯を磨いて、寝癖を直して。こんな感じです。
ああ、大事なことを――いえ、憂鬱なことを忘れていました。わたしは、学校へと行かなくてはいけないのです。
わたしは電車で駅を二つまたいだ、中高一貫の私立中学に通っています。
別に頭がいいとかそういうわけではなく、わたしの母が所属する『ママ友』なるコミュニティーの中では、子供を私立に通わせるのが一種のステータス化しているそうです。その為、わたしはそのへんの公立校と偏差値的にはさほど変わらないその学校へ行くため、毎朝満員電車の乗車率に貢献しているというわけです。
くだらない、と一蹴するのは簡単なのですが、現状を一蹴することはできません。大人に中々意見できない――しても意に介されない子供の辛いとこですね。
まあ、なんだかんだ言ってわたしは、「はいはい」と首を淡々と縦に振って承諾したのですが。
「寒いぃ……!」
思わず口に出して身震いしまうほど、今日は冷えます。十月ももうすぐ終わり。冷えていて不思議ではありません。
むしろ不思議なのは、今日という日を迎えるまで「寒い」と口に出す日が数えるほどしかなかったことでしょう。地球温暖化を感じます。
「あっ」
315円ショップで買った赤色の腕時計で時間を確認してみると、完璧な遅刻でした。
正確には遅刻ではないのですが、このままいつものペースで歩いて行けば絶対にいつもの電車に間に合わないのです。つまり、いつもの時間に学校に着かないのです。
校則的には全くの無問題なのですが、わたしにとっては大問題です。いつもとは違う時間に学校に行く、それだけで、わたしを迎える学校の門は違う顔をします。
まず、先生が挨拶の為に校門に立っています。わたしが着く時間にはいませんが、丁度教室に着く頃にそういった定例行事が始まるのです。
玄関で顔を合わせる生徒が違います。学校に着くのが早い為、玄関で同級生と顔を合わせることはほとんどありませんが、一つ電車が遅れればそれも変わってくることでしょう。
教室着いた時、そこにいる生徒が違います。いつもは片手で数えるほどなのですが、やはりそれも時間がズレれば変わってくるでしょう。
いつもの変わりない日常は、電車一本で簡単に変わってしまうのです。まったくもって、日常とはもろいものです。
ですがわたしは――もといわたしの体力は、ここから駅程度の距離ならば走り切ることができるでしょう。
いちに着いて、よーい――。
「いたっ!」
ドンッ、の前にフライングしたからでしょうか。わたしは通行人の目があるというのに、それはもう見事に転びました。
……大人しく歩いて行くことにしました。わたしの心は、日常よりももろいのです。
◆ ◆ ◆
駅のホームは、まるで木枯らしに吹かれ散った木のように閑散としていました。平日なのに、です。
電車が一本遅いだけでこうも違うのかと思いましたが、そうではありませんでした。そうではない、と言ってもそれが確かな理由だという確証はありませんが、わたしはそれが理由だとしか考えられないのです。
「…………っ」
息を呑んでみましたが、緊迫した状況だとかそういうわけではありません。純粋に緊張しているだけです。いえ、純粋ではありませんでした。今のわたしは好奇心五割緊張五割で構成されているので、不純に緊張しているだけ、と言い換えておきます。
ついでに目の前の現実か幻か分からないそれを何かに言い換えるならば、カボチャです。オレンジ色の大きなカボチャです。手足のあるカボチャです。
どうやらわたしは、劣悪かもしれなかった家庭環境と、悪質な学校でのいじめのような何かを知らぬ間に受けており、それにより蓄積したストレスが今日の遅刻により爆発し、幻覚を見ているようです。これはまいりました。どうしましょう。
昔何かの番組で、幻聴と上手く付き合う為に幻聴と会話を行った人の話をやっていました。
よし、わたしもそうしようと思います。
「す、素敵なオレンジ色ですねっ」
会話の種が無かったので、適当に身体的特徴を褒めておきました。自分でも何言っているんだ感がいなめませんが、言ってしまったものは仕方がありません。
「……あぁ?」
「ひっ」
ドスの効いた低い声で返されました。怖いです。ビジュアルが既にホラーなのに、会話の受け答えまでホラーとか勘弁してください。
ホラーマンのように、その見た目からは考えられないほどの気さくなキャラを激しく所望します。
「きょ、きょきょきょ、今日はいい天気ですね」
「あいにくの曇り空をいい天気と言うあたり、さしずめ嬢ちゃんはオレ様が本当の意味でのいい天気を望んでいたのを何かしらの方法で知り、このオレ様の曇り空に対する感傷的な気分に追い打ちを掛けているのだと見るが、反論はないな?」
「反論しかないですよ! ていうか、なんですかそれ! それだとわたし、すごく悪い人みたいじゃないですか!」
「おいおい、悪くない人間なんかいるのかよ。生まれながらに罪深いっつーのが、人間って奴だろ」
「そ……そんなこと……」
「日本って国は特にそうだ。汚れならぬ穢れが古来から深くて定着し、本人が悪いわけでもないのにやれ父親が犯罪者だやれ母親が淫乱だと周りがはやしたて、一片の罪もねー子供が悪者扱いされる。こんな感じの歴史があるっつーのに、今更性善説唱えられるかよバカ。大体、そういう考えこそが既に悪だぜ」
考え方が非常に偏っている気がします。気がするというより、確実に偏っているでしょう。
そういう風に傾るのは勝手ですが、語られるのは困りますね。何より、反応に困ります。
「カボチャさんは難しいことを言いますね」
「カボチャさん? おい嬢ちゃん、そのカボチャさんってのはオレ様のことか? そうなのか?」
「そ、そうだけど……」
「オレ様はアンパンマンワールドの住民かよ。さん付けちゃん付けがデフォとか、世界はオレ様の知らないうちに随分と小さくなっちまったもんだな」
「単なる敬称としての意味なんですけど」
「敬称? カカカッ! オレ様に敬称だと、そいつぁおもしれえな。
知ってっか嬢ちゃん。オレ様はな、神なんだぜ? ただそこにいるだけのありふれた神だ。そんなオレ様に、どうして敬称なんか付けるんだよ。敬称っつーのはな、敬うべき相手に付けるもんだ」
どうやらわたしの幻覚は、かなりやばいクラスまでいっているそうです。カボチャのお化けかと思いきや、カボチャの神様とか何事ですか。何事もなにも、大事なのですけど。
「神様って敬うべき存在だと、おばあちゃんが言っていましたよ」
「カカカッ! そのババア何一つ分かっちゃいねーな。いいかよ嬢ちゃん、神っつーのは人間の信仰がなきゃ、それはもうものの見事に面白いくらいに一気に消えて無くなっちまうんだぜ。どれだけ力を持った神だろうが、そこだけは変わらねえ。ありがたい人間様ってとこか。
その人間様の信仰対象になり、特に意味のねえ言葉をくれてやったりするのが神の仕事だ。究極的なギブ&テイクだな」
「わたしには、もろく儚い関係にしか思えないけどなぁ」
「だからこそ、だろ。切る時にゃ好きに切れるんだ。こんな素敵な関係、他にあるかよ。人間関係は切って切れねえもんだが、人間と神の関係は切れば切れる。お互いがお互いに依存しているだけの、ただそれだけの、本当の意味でそれだけの関係だからな。恩も糞もねえ、着る必要性がないっつーこった――だから、嬢ちゃんも恩に着る必要性はないぜ」
「え?」
「今さっき行っちまった電車は、もうじき派手に脱線すんだよ」
上空にテレビ局のヘリが飛び始め、駅の周辺の道を救急車や消防がサイレンを鳴らしながら走り出したのは、それからすぐのことでした。
◆ ◆ ◆
悲痛な叫び。悲惨な表情。悲哀な言葉。
涙。涙。涙。
わたしは、お葬式というものが苦手です。
わたしが運良く乗り乗り過ごした電車は脱線し、死亡者の出る大騒ぎ。我が校の、しかも運悪く我がクラスの女子生徒の一人が、それにより亡くなりました。
陸上部に所属し、一年生でありながら大会で数々の記録を叩き出し、学業は優秀で人望も厚い彼女。クラス委員長を務めるなど、いわゆる『人気者』というやつでした、彼女は。
だからでしょうか。クラス総出でお葬式に出るはめになったのは。
わたしがハンカチを当てながら非愴の涙を流していると、クラスの男子の一人が盛大に告白をしました。無論、亡くなった彼女に、です。
何というか、ここはどこの恋愛小説でしょうか。バカにしているわけではありません、本気でそう思ったのです。
「カカカッ! 嬢ちゃんには、そういった人間特有の面白おかしい情緒を楽しむ気はねえのかよ」
カボチャさんは、そう言って凄惨に笑いました。わたしをバカにしているのか、それともあの男子をバカにしているのか、どちらでしょうか? わたしとしては、どちらでもいいのですが。
どういうわけかカボチャさんは、あれ以来わたしに付きまとって――いえ、憑きまとっています。
この数日で、カボチャさんが単なるわたしの幻覚ではなく、神様であることはよく思い知らされました。
まあ、だからなんだという話なんですけどね。
「それによ、よくもまあ心にもない涙を流せるよな。嬢ちゃんは役者志望なのか?」
返事はしません。この場には、沢山の人がいるからです。
カボチャさんの姿は、わたし以外には見えないのです。今ここでわたしがカボチャさんと会話をしようものなら、周りの人たちから彼女が亡くなったことで精神的に強い衝撃を受け、狂ったと思われかねませんから。
「はぁ……」
わたしの吐いたため息は、死者の冒涜とかそういうことではありません。
この重苦しい空気――ただひたすらに充満する重い思いが苦しいのです。
お葬式は苦手です――そもそも、わたしは別れが嫌いなのです。彼女とわたしはクラスメイトで、委員長と地味で学校に行くのが早い子程度の関係ですが、それでも――むしろだからこそ、関係性が薄くもろかったことが堪らなく悔しく、友達になれたのではないかという淡い期待がのしかかるわけです。
この空気がいい加減鬱陶しくなったので、わたしはトイレへ向かいました。
「嬢ちゃんも色々と考えるわけだな。カカカッ!」
カボチャさんは文字を読むようにわたしの心を読んだかと思えば、まるでデタラメだらけのゴシップ記事をバカにするように笑い飛ばしました。
「考えてないわけないでしょ。わたしだって人間だもの」
「考えてないわけ無い、ねぇ。嬢ちゃんが考えてるのは、今晩の夕飯のメニューだろうが。そんな友達がどうとか、彼女がどうとか、本当に本心で考えてんのかよ。それは――そういう風に考えるのが至って普通で一般的だからじゃねえのか?」
「……そんなこと……」
「嬢ちゃんは拗ねてんだよな。小学校時の友達と離れるはめになり、元々地味が故に中々友達ができず、そして、そんな嬢ちゃんとは正反対もいいとこな奴が死んで、自分が同じ立場じゃこうならないと思って拗ねてんだよな。まったくもって滑稽だぜ。カカカッ!」
「うるさいッ!!」
はっと口に手を当てましたが、遅かったようです。
ちょうどトイレに入っていた同級生に、心配されてしまいました。わたしはそれを軽くいなすと、気をとりなおして言います。
「じゃあ、なんでカボチャさんはわたしを助けたのっ」
「あぁ?」
「そこまで分かってて――何もかも分かったような顔して、どうしてわたしを助けたのよ。それが聞きたいの!」
「自分が特別とか思い上がってんじゃねえよ嬢ちゃん。オレ様は嬢ちゃんを助けたわけじゃあない。ただ単に、そこにいたから邪魔したんだ」
「邪魔した……?」
「神が善良だとか思ってたのかよ。バカじゃねえの? 少なくともオレ様は、善良でも邪悪でもないどっちつかずだ。好きなようにする――好きなようにしかしない。思い上がるなよ嬢ちゃん、オレ様の気まぐれで生き延びた――いや、死にそびれただけだぜ」
「死にそびれた……だけ」
「嬢ちゃんは何からも逃げてるからよ――友達作りも、自己表現も、玄関での同級生との遭遇や、校門での先生との挨拶からさえも逃げてるからよ、オレ様が死の運命からも逃がしてやったってわけだ。まっ、せいぜい楽しめよ。運命は変えられるが避けられねえ――いつかまた来る運命から逃げる、そんな余生を」
身体の震えが止まりませんでした。
死にそびれた――わたしは、またあのような凄惨な事故に巻き込まれるのでしょうか。それとも、何かの病気にかかるのでしょうか。はたまた、誰かに殺害されるのでしょうか。
怖い……怖くてたまりません。
ですが、それでもわたしは言い返したいのです。こんな傲慢で不遜な言い方をするカボチャさんに、言い返したいのです。
「友達くらい――」
わたしは、嘘をついてしまいました。
◆ ◆ ◆
人は死の危険にさらされた時、一体どういう行動を取るのでしょうか?
昔見た日曜洋画劇場の脇役さんは、持っていたピストルで自殺を図りました。昔読んだ本の主人公は、持っていたピストルで死の危険を撃ち殺しました。
この違いは、一体何でしょうか――ふふっ、そんなもの探すまでもないでしょう。主人公と脇役だからです。
自分で何とかしようとする主人公と、脇から見て主人公を引き立てるために流される脇役――悲観的というか現実的というか、あまりこういった可哀想アピールは反吐が出るほど好きではないのでしたくはないのですが、それでもわたしは別にそれが可哀想なことだとは思っていないので言います。
わたしは――脇役です。
結局わたしは、主人公だった彼女の死を引き立てるために死にそびれただけなのでしょう。
ここでわたしも一緒にくたばっていたのであれば、おそらくあのお葬式はそこまで盛り上がることはなかったでしょう。盛り上がるという表現は不謹慎かもしれませんが、主人公的な彼女ならきっとその広かったであろう心で許してくれたでしょう。もちろん、これは皮肉的な意味です。
「ふう……」
そっと息を吐き、落ち着いてみました。
なるほど。初めてこんな廃墟の屋上に来ましたが、わたしの心臓を掴むようにして吹く風に当たるとここまで心臓が鳴るものなのですね。
やはり、自殺という死は身体が望まないのでしょう。これは拒否反応だと受け取れます。
「誰かの為に死にそびれるくらいなら……ッ」
まあ何でしょう。子供じみ過ぎていますね、理由が。
ですが、たぶんこんなものなのでしょう、死というのもは。意味を持って生まれても、意味を持って死ぬことはない――彼女の死を目の当たりにしてそう思いました。
いえ、痛感しました。痛くて痛くて――もう嫌です。これ以上、死にそびれ続けることにわたしは耐えられません。
だから死のうと思います。理由などありません、理由などいりません――先延ばしにしている結果を先取りすることに、一切の理由などいるはずがないのです。この自殺は、いたって自然な自然死なのです。
「おいおい嬢ちゃん、そいつぁあんまりだぜ」
カボチャさんは言います。
しかし、わたしは答えません。
「見えていながら見えていないように振舞う――無視っつーのは心にくるものがある。ただまあ、オレ様のようなはなから心なんて概念が存在しない奴は例外だろうがな。かと言って、それが無視してもいい理由にはならないわけだ。分かるか?」
よく分かりません。
だから、わたしは答えません。
「まったく最近のガキは困るねえ。昔の方が断然良かった。いや、昔と今を比較するなんて器の小さいこと、本当のオレ様ならしないんだがな。しかし今は誰も見ていないと思って、どうせ無視されているんだからいいだろうと思って、認識されてないなら認識されないだろうと思ってふと思ったことをなんのフィルターも通さずストレートに喋ったわけだ。だから勘違いするな。オレ様の器は大きい」
そんな話の矛盾する人とは、話になりません。
なので、わたしは答えません。
「まだ無視すんのかよ、嬢ちゃん。そうやって目をふさいで、耳をふさいで、現実と真実から逃げて……まったくのクソ野郎だな。いや、野郎じゃあないが。
逃げるのは勝手さ。それに逃げるっつーのは、存外逃げないよりも難しい道だ。オレ様は評価するする。運命から逃げりゃ、逃げた道でまた別の運命と出遇う――つまり、一生逃げ続ける必要があるわけだ。しかし嬢ちゃんは、逃げているくせに『逃げる』という選択と向き合う気すらない。えらく腐った根性してんじゃねえかよ! あぁ?」
不良さんのようで怖いです。
ということで、わたしは答えません。
「カカカッ! ここまで言って反論の一つもないたぁ、いい根性してんじゃねえか! 腐った、は訂正してやる!
反論をしない――する気もないっつーことは、嬢ちゃんはオレ様の言葉を全面的に肯定してんのか? だから反論しねえのかよ。仮にそうだとすれば、嬢ちゃんは一生そのまんまだな。人間は自覚してる自分の欠点ほど直しにくい――直す気がないもんだ。『あたしってー、性格悪くない?』とかいう女が、その性格直したの見たことあるかよ? ねえだろ? そんなもんだ。
見えてるもんほど、自覚しているもんほど、結局後回しにして墓場に持っていくのさ。馬鹿だねー、本当に人間って奴ぁ」
人の癇に障るような持論を、まるで一般論のように語られました。
だけど、わたしは答えません。
「はぁ……あくまで無視かよ。そんなんだから、嬢ちゃんはダメなんじゃねえの? 傲慢さも自尊心もなく、ただ淡々と周りに流されておきながら同調を拒否し、孤高を気取るのかと思えば人のぬくもりにすがり、甘えるのかと思えば冷たくし、常に悲劇の脇役であり続けるその無気力さ――おいおい嬢ちゃん、そいつぁあんまりだぜ」
…………カボチャさんは言います。言い返せません――言い返すことが、できません。
しかし、だから、なので、ということで、だけど――だけど、わたしは言うのです。
「ご、傲慢さと自尊心なんて……あるだけ無駄じゃないっ」
「やっと喋ったかと思いや、論点から大きく外れやがったな。まあいいが」
カカカッと大げさに笑うカボチャさんは、非常に不気味でした。
いやいや、既にその趣味の悪い黒のマントやそのマントから見え隠れするオレンジ色の腕、西洋の妖怪であるジャック・オー・ランタンにしか見えないその容姿の方が、何倍も不気味なのですが。
「傲慢さと自尊心は大切だぜ。ありすぎても困るもんだが、ない奴は使いもんになんねぇ。まさか嬢ちゃんには、この二つが雀の涙ほどもねえのか? いや、聞くまでもねえか」
「そんなこと……」
「あぁ? じゃあ嬢ちゃん、そいつぁ前言撤回っつーことか? カカカッ! 出たよ出ましたよ、自分の発言に責任を持てない奴! ほんっとうにいい根性してんな、嬢ちゃん」
「自分の発言くらい……責任くらい……持てるもんっ」
自分でも子供のようだと自己嫌悪してしまいます。いえ、間違えました。わたしは自己嫌悪なんかしていません。
きっとここは自己嫌悪する場面だろう――だからわたしは、そういう風にしたまでなのです。
「じゃあよ――」
わたしはハッと口に手を当てました。やってしまいました。要らぬ発言を――至らぬ発言をしてしまいました。
カボチャさんの表情は、徐々に変化していきます。徐々に徐々に――凄惨な表情で微笑みます。
「嬢ちゃんには友達がいるんだったよな。オレ様に見せてくれよ。いるんだろ?」
カボチャさんは言います。
しかし、わたしは答えません。
答えられません。答えることができません。わたしには――わたしには無理です。
それは単なる虚言で、虚しいだけの言葉で、空っぽの言葉で。意味なんて初めからなくて、少し言い返したかっただけで、わたしにとってどうでもいいことだから。
「言い返すだけの威勢はあるくせに、言う威勢はないなんて嬢ちゃんはやっぱりどうしようもねえな。仮に言わずとも、ニコニコ笑ってりゃ友達の一人や二人できるもんだろうによ」
「カボチャさんは楽観的だから、そんなことが言えるんだと思うよ。笑ってるだけでカブトムシが寄ってくるなら、全世界の虫獲り少年がハチミツを投げちゃうじゃん」
「オレ様が楽観的? カカカッ! 面白くもねえ冗談だな。オレ様は限りありだが傍観的だぜ。気ままに傍観して、気ままに干渉するだけだ。
というかな、よく嬢ちゃんは論点をさらっとずらすが、それは核心に触れられるのが嫌だからか? 言われたくないことを阻止するためか? 無いものを誤魔化すためか? 甘えてんじゃねえよクソガキが。悟ったような屁理屈ごねてねえで、足りないところを補うための努力の一つでもしやがれ」
「……ッ」
完璧で完全で完成された正論でした。
言う人に言わせれば、これは正論として成り立たないのかもしれません。しかしわたしは、その言う人になれません――言い返すことが、できません。
「補うって……一体どうすれば……」
「とりあえず、嬢ちゃんがあの陸上少女の葬式の時に思ったことを実行すればいいじゃねえか。友達になれたかもしれないんだろう?」
「でも……でも彼女は」
「カカカッ! おいおい嬢ちゃん、オレ様を一体誰だと思ってんだよ。人間と切ったら切れる縁で結ばれてる神だぜ? 嬢ちゃんの言うところの、手を合わせて拝み倒されるありがたい神様だぜ? 時間遡行くらいできて、当たり前だと思わねえか?」
凄惨な笑みと共に伸ばされたその手を、わたしは取りました。
そして自己嫌悪します。ああ、結局わたしは死ぬ覚悟なんてなかったのか、と――。
とはいえ、いつまでも自己嫌悪なんてしていられません。カボチャさんには感謝しなくてはならないのです。わたしみたいなクソガキに、チャンスをくれたことを。
◆ ◆ ◆
「寒いぃ……!」
思わず口に出して身震いしまうほど、今日は冷えます。十月ももうすぐ終わり。冷えていて不思議ではありません。
むしろ不思議なのは、今日という日を迎えるまで「寒い」と口に出す日が数えるほどしかなかったことでしょう。地球温暖化を感じます。
「あっ」
315円ショップで買った赤色の腕時計で時間を確認してみると、完璧な遅刻でした。
正確には遅刻ではないのですが、このままいつものペースで歩いて行けば絶対にいつもの電車に間に合わないのです。つまり、いつもの時間に学校に着かないのです。
「ふぅ」
まったくの無問題です。わたしの体力ならば、ここから駅まで走り切ることが可能です。
いちに着いて、よーい、ドンッ――。
神の悪戯は、お菓子ほど甘くはない――それを表現したく、こういう結末を「わたし」は終えたのです。
なお、名作「囮物語」に想を得た作品であり、パクリではありません。
さあさあ皆さん、ビターなチョコのあとは、あまーいスイーツなどいかがでしょうか。きっと私以外の方々は、もっと面白く頬のとけるようなものを書いていますよ。
それでは、今後もマツの貝養殖場もといマツをよろしくお願いします。
マツの貝養殖場