まるで夢のような現実で
日勤の警備員が到着すると夜勤の警備員はその日の業務が終了となる。樹は急いで私服に着替えて、自分の車に向かった。
普段から美術館から遠い場所に駐車している樹の車周辺には他の警備員の車は止まっていない。業務の交代の際にも特に騒ぎは無かったため、メデューサは見つかっていないようだ。
「お待たせしました」
樹は声を押し殺してメデューサに声をかけた。しかし、返事が無い。よく見ると頭の蛇も揃って目を閉じて眠っている。樹がいなかった数時間、何があったのかわからないが、窮屈なスペースで安心した様子で眠っている。それだけ落ち着いているということだろう。
樹はメデューサを起こさないように、車のエンジンをかけて走り出した。
「さて、どこに行こうかな」
かつて女神としてポセイドンの寵愛を受けていた彼女は、その美貌故の恨みを買い、呪いによって醜悪な姿にされた。当然、ポセイドンには捨てられ、彼女は人の世界に降りた。無論、その醜悪な姿を見た万人が「化け物!!」と叫び、討伐のために襲い掛かった。
彼女が石化の力に気づいたのはその時だった。自分の瞳を見た人間たちが次々と石化していった。その力がより一層彼女を怪物としての要らぬ地位を確立させた。
やがて彼女は人間たちにわざと自分の居場所と力を誇示して、人間が寄り付かない場所にひっそりと暮らす道を選んだ。居場所と力を知っていれば誰も寄り付かない。これ以上誰も石化しないで済むと考えていたのだ。その予想は的中し、稀に現れる愚か者以外の人間は彼女との関わりは積極的ではなかった。
そんな中、"彼"が現れた。
窓から差し込む暑い陽射しとは裏腹に吹き込む風は涼しかった。
メデューサは目を覚ました。少し懐かしい記憶を夢に見ていた。
「ここは……?」
「あ、起きましたか?メデューサさん、おはようございます」
運転席から樹が顔を覗かせた。
「アパートの周りには人がいっぱいいるので、見つかりにくい夜に行きます。今は少しだけ"現代"がどんな所なのか見てもらおうと思って、展望台に来ました」
樹は先に車から降りて、周囲に自分達以外いないことを確認した上でメデューサを車から降ろした。
樹は町の外れにある小高い山の頂上にある展望台に来ていた。町を一望できる場所であり、滅多に人が来ない場所ということも、この場所を選んだ理由だ。
二人は三つの柱の上に盆が乗ったような形の展望台の階段を登った。展望台に到着すると清々しい風が二人の体を撫でた。
樹もこの展望台に来るのは二度目で、ここから見る景色は決して見慣れている訳ではない。しかし、普段この眼下に広がる町並みに溶け込んでいるせいか新鮮味は感じない。一方でメデューサは"この時代"を見ること自体が初めてである。メデューサには現代がどう見えているのだろうと思いながら横目でメデューサの様子を確認した。
展望台から見えるものはメデューサが見たこともない建物や物体ばかりだ。建物は大小様々で一つとして同じものはない。小さい建物はともかく、縦に聳える大きい建物がどうやって立っていられるのかはメデューサには見当も付かない。建物はどれも色とりどりでメデューサには刺激が強かった。川を横断する巨大な石橋も幾つか見える。その上を無数の車が走っている。樹の車とは違う色、形、大きさで、数も多い。しかし、数えきれないほどの車が走ったり止まったりしてぶつかることなく交差しているのも見える。遠くのほうでは、巨大な鉄の蛇のようなものが物凄い勢いで走り出したのが見えた。
だが、目まぐるしい人工物は視界の4割程度を占めているだけで、残りの6割は深緑の木々に覆われた山々が連なっている。
ここは地方の都市の一つで、県庁所在地ということもあり、近隣の町の中では一番大きい。しかし、首都圏と比べれば、その規模は10分の1にも満たないかも知れない。むやみやたらに開発すれば住み良い町になるかどうかは樹にはわからないが、それでもこの町には必要な施設や設備が充分に揃っている。生活に支障は一切無い。
「どうですか?これが"現代"です」
メデューサは言葉に表せない衝撃を受けていた。つい"さっきまで"過ごしていた自分の世界とは似ても似付かない。
「まるで、夢を見ているようです……」
彼女の前に現れた彼は言った。
『どうか我々を助けてください』
彼女が身を隠して以来、こんなことは初めてだった。富を欲する愚か者。強さを誇示しようとする愚か者。中には興味本意という愚か者もいた。しかし、彼は違った。自分の欲のためではなく、だが、自分のために、誰かのために彼女が隠れている場所に辿り着いた者だった。
だから、彼女は一言訊ねた。
『なぜ、私の力が必要なのですか?』
彼は答える。彼女が目を閉じていたとはいえ、真っ直ぐ彼女を見て答える。
『人の世を守るためです』