01-F
城の一階から通じる、長い通路の先にそびえる塔。
私の母ステファニアは、そこで暮らしている。
物心ついた頃から、すでにお母様はそこで暮らしていた。
お母様に会うために、毎日のように城内から塔へと通っていたことを思い出す。お兄様と一緒に、塔の中の螺旋階段を上ったことも記憶に残っている。
お母様は、なぜ1人でこんな場所にいるのか。そのことに対し、幼い頃の私は何ら疑問を抱いてはいなかった。
成長するにつれ、そのことが気になりだしはしたけれど、お母様ははっきりとした答えをくれなかったし、国王には問いかけることすらできなかった。
思えば、国王とお母様が一緒にいる場面を、公務以外で見たことが無い。
食事の席でも、一家揃ったことは無い。
何かしら理由があるとは思っていたけれど、まさかお母様にその原因があっただなんて……。
失望感が、階段を上る足取りを重くする。
口から出るのは溜め息ばかりだ。
「どうした、フランチェスカ」
「え?」
気付けば、お兄様が足を止めてこちらへ振り返っていた。
「な、なんでもありません。少し、ぼーっとしていただけです」
「階段でぼーっとしていたら、危ないぞ」
「はい……」
歩を再開する。
そうして階段を上りきれば、見慣れたドアがそこにある。
「お母様。シルヴァーノです。今、よろしいですか?」
お兄様が、ドアをノックする。するとすぐに、「はーい」と声が返ってきた。
久しぶりに耳にする、お母様の声だ。
「さぁ、行きなさい。私は下で待っているよ」
ドアを開け、私の背中をそっと押すお兄様。私は頷き、室内へ。
「こんな時間にどうしたの、シルヴァーノ」
足音が聞こえ、部屋の奥から1人の女性が姿を現した。
ウェーブがかった長い茶髪、スリムな体型。
2年前と全く変わらない外見のお母様は、私を見て一瞬戸惑いに眉をひそめた。
けれどすぐに、その顔がパッと明るくなる。
「フランチェスカ! フランチェスカでしょう? 久しぶりねぇ。今日帰ってきたの?」
嬉しそうに微笑み、私に歩み寄ってきたお母様は、そっと私を抱き寄せた。
ふわりと、柔らかな匂いが鼻孔をくすぐる。懐かしい匂いだ。
私も、お母様の身体を抱き締める。
……でも、「ただいま帰りました」とは言えなかった。
「ブリュンヒルデからここまで、長かったでしょう。疲れているでしょうに。私のところへ来るのは、明日でも良かったのよ?」
私から身体を離したお母様は、私の両腕に触れたままそう言った。
「え、ええ。でも、城に戻ったらすぐに、お母様のもとへお会いしに行こうと思っていたので」
「あら、ありがとうね」
お母様は笑みを深め、私の腕から手を離した。
「ところで、シルヴァーノは?」
ドアの方を覗くお母様に、私は「お兄様は用事を思い出したと仰って、下りて行かれました」と咄嗟に嘘をつく。
「あら、そうなの」
「きっと、すぐにお戻りになりますよ」
そう言って笑って見せると、お母様は納得した様子で小さく頷いた。
「さぁ、こっちへ来て。座ってお話しましょう」
「はい」
お母様に促され、部屋の奥へ。
塔の中に一つだけあるこの部屋は、国王の部屋どころか、私たち兄弟の個室よりも狭い。使用人たちの部屋と同じくらいだろうか。
硬く冷たい石壁でできた室内は、ここが王妃の部屋だと言っても誰も信じないほどに質素で、閑散としている。家具など、必要最低限の物しか置かれていない。
……私が毎日のように通っていた、あの時のままだ。
テーブルを挟んで椅子に腰を下ろしてすぐに、お母様は私の頭に目をやった。
「ところであなた、髪を切ったのね。随分ばっさりと切ったみたいじゃない?」
「え、ああ、……似合いませんか?」
自分の髪に触れて、上目遣いにお母様を見る。
「そんなことはないわ。とても良く似合ってる。でも、どういう心境の変化なのかなと思ってね。あなた、私を真似て小さい頃からずっと長くしたままだったから」
そういえばと、幼い頃を思い出す。
「……ただのイメージチェンジですよ。短くしたらどうなるかなと、興味があったので」
まさか、変装のためだとは言えない。
「そうなの。だとしたら成功ね。とっても可愛らしいもの」
微笑むお母様に対し、私も笑みを浮かべる。
「そのメガネは? あなた、視力は良かったはずよね?」
言われて、自分がメガネをかけていることを思い出す。
「いえ。えっと、……これもイメージチェンジです。メガネをかけると知的に見えると聞きまして。それにこれ、伊達眼鏡なので度は入ってないのです」
「あら、そうなの。確かに、賢そうな感じは出ているわね。でも、そのメガネ随分傷んでいるようだけど、新しくはしないの?」
「えっ、あ、……これは、その、こういうデザインのメガネなのですよ」
「そう。気に入っているのね」
「はい!」
それはもう。何度修理に出そうと、決してほかのメガネにしようとは思わないほどに。
……って、こんな話をしに来たんじゃない。
あのことを、お母様に問いたださなくては……!
「そうそう、留学はどうだった? 2年以上向こうにいたようだけれど――」
「お母様」
ぴしゃりと、若干強めの声色で、お母様の言葉を遮る。
「どうしたの? そんな怖い顔をして……」
「ごめんなさい、お母様。今日は、お母様に土産話をして差し上げるために参ったわけではないのです」
室内の空気が、少し変わった気がした。
「一つ、お聞きしたいことがあります」
「聞きたいこと? 何かしら」
お母様は、少し不安げに小首を傾げる。
……さぁ、聞くんだ。
そのために、ここに来たんでしょう?
「……実は、ここへ参る前に、お父様のもとへ伺いました」
「え?」
お母様の顔が、一瞬にして強張った。
「どうしても、お父様にお聞きしたいことがあって。そのお答えをいただけたら、そのまま帰るつもりでした」
「帰る、って……」
動揺に揺れるお母様の瞳を、真っ直ぐに見つめる。
「ですが、それはできなくなりました。お母様にお聞きしたいことができたからです」
「あ、あなた一体、あの人から何を……」
これを言えば、お母様の笑顔はもう一生見られないかもしれない。
……構わない。
私は聞かなければいけないんだ。たとえこれで、私たちの仲がどうなろうとも。
「……私はお父様に、どうしてお兄様やお姉様のように私を愛して下さらなかったのかとお聞きしました」
「え……」
「お父様は仰られました。それは、お前が自分の本当の娘ではないからだ、と。そしてもう一つ、教えていただきました」
「や、やめて……!」
「私は、お母様が不貞をはたらいてできた子だということを!」
「言わないでっ!」
耳を塞ぎ、叫ぶお母様。
この反応。……やはり、真実なんだ。
途端に、怒りがこみ上げる。
「なぜですかっ!」
テーブルにバンと手をつき、立ち上がる。
「なぜ、……なぜ、そのようなことをなさったのですか……?」
ついた手を、握りしめる。
「私はずっと、私を蔑ろにするお父様を嫌い、時には憎しみさえ抱いて生きてきました。ですが、真実を知った今、責めるべき相手はお父様だけではないと理解しています」
俯いたままのお母様の頭頂を、睨みつける。
「お母様。私は、あなたのことも責めなくてはなりません。私には、そうするだけの理由があります。……間違っていますか?」
怒りを抑えながら喋るのは、難しい。
「不貞の子である私が、お父様から愛していただけるわけがありません。そのせいで、私は――」
「ごめんなさい」
消え入りそうなほどに弱々しい声が、下方から聞こえた。
「ごめんなさい……。ごめんね、フランチェスカ……」
……泣いている。肩を震わせて、お母様が泣いている。
でも、そんなことでブレるほど、私の怒りは弱くない。
「……寂しかったの」
「!」
え……?
「……私は、孤独だった。……それが辛くて、私は、耐えられなかった……」
何を、言っているの?
「……ごめんなさい、フランチェスカ」
くしゃくしゃの泣き顔が、私に向けられる。
「私は、……弱かった」
両手で顔を覆い、声もなく泣き続けるお母様を、私はただ見下ろすことしかできなかった。