01-C
2年以上前のあの日、あの夜、私は4人の使用人と共に城から姿を消した。
私が突然いなくなったことで、一時的に城内で混乱が起きていたことを、お兄様から聞いている。
そしてお父様は、その混乱を早期に収めるため、私がブリュンヒルデ王国へ留学に行ったことにしたのだという。
共に行方がわからなくなっていた使用人たちも、私についてブリュンヒルデに行ったのだと。
そうして、城内はいつもの日常を取り戻し、今に至っている。
お兄様の言う通り、私はいつでも、自然に城へ戻ることが可能だ。
もちろん、王族として。フランチェスカ王女として。
でも、私は迷っていた。
お父様のことが気がかりということもあるけど、それだけじゃない。
……私は本当に、王族に戻りたいのか。
そのことを、1週間かけて自分の心に確かめてみた。
結果、特に戻りたいと思っているわけじゃないという結論に至ったんだ。
フランチェスカ・オルトリンデよりも、フランカ・アルジェントとして生きていたい。
少なくとも、今は。
1週間前、お兄様に王族として城へ戻るかと問われた時、本当はそう答えたかったのかもしれない。
馬車に揺られながら、首都カランカの街並みを眺める。城にいる頃は、ここを城下町と呼んでいた。
人と建物ばかりが視界を支配するこの景色。傭兵になってからは、もう幾度となく目にしている。
だから、別段珍しくもないし、懐かしいとも感じない。
けれど、オフィス街を抜け、自然豊かな広場などが広がる憩いの一帯を抜けた先に差し掛かると、途端に景色を見る気が無くなっていく。
ここからは、一般人は立ち入れない領域。王族や貴族の生活スペースだ。
橋を渡った先にある検問所で、王国騎士らによって馬車を止められた。
お兄様の顔を見た若い騎士たちは、慌てて姿勢を正し敬礼する。
「そちらの女性は?」
「ああ。彼女は傭兵。私の客人だ」
私のことを問われたお兄様は、素知らぬ顔でそう説明した。
「そうですか。失礼ですが、一応お名前をお聞かせ下さい」
「フランカ・アルジェントです」
騎士は手元の書類にペンを走らせ、すぐにまた、私を見る。
「剣や、それ以外の武器はお持ちですか? もしお持ちでしたら、ここで預からせていただきます」
……へぇ。一般人として来ると、こういうチェックを受けるんだな。
「いいえ、持っていません。事前に、シルヴァーノ様にそう伝えていただいておりましたので」
よし。スムーズに言えた。
「では、一応ボディーチェックをさせていただきます。よろしいですか?」
「あ、はい」
本当に、ちゃんとしてるんだなぁ。
馬車を降りると、女性の騎士がやってきて、私の身体をチェックしていく。
そしてすぐに、「大丈夫ですね」と微笑した。
見れば、後ろの馬車にも検問所の騎士たちがチェックに向かっていた。
そちらは、お兄様の護衛の人たちが乗っている馬車だ。同じ王国騎士なので、ボディーチェックまではされていないようだった。
客車に入ってドアを閉めると、「お待たせいたしました。どうぞ」と通行許可が下りる。
お兄様が「ご苦労様」と言うのとほぼ同時に、馬車は走り出した。
オルトリンデ城までの長い道のりを走り終え、二台の馬車は城門前で停車した。
見上げれば、首が痛くなるほどに巨大な姿。それを誇るように佇むオルトリンデ城が、目の前にある。
白を基調とした外観の美しさは、遠くで見ようが近くで見ようが、昔のままだ。
「行くぞ、フランチェスカ」
「はい……」
お兄様の後に続き、城を取り囲む、高さ10メートルの城壁に設置されている城門へ。
城門や、城門横にある詰め所にいた王国騎士たちは、お兄様の姿を確認するや次々に敬礼していく。
そしてまた、私は軽いチェックを受け、お兄様と共に城門をくぐった。
「お前たちは、ここで待て」
連れてきた護衛2人にそう命じ、歩を再開するお兄様。私の不安を和らげるためか、優しい笑みを向けてくれる。
城の正面玄関をくぐり、城内へ。
ちなみにここまで、私の正体はバレていない。疑われてさえいないようだ。
この日のために髪をまた少し短くし、あの方から貰った赤縁のメガネをかけているからとはいえ、この程度の変装で効果絶大というのは、改めて驚かされる。
けれど、ここから先はそう簡単にはいかないかもしれない。
特にメイドたちのほとんどは、私の顔をしっかり覚えているはず。
できれば、1人のメイドとも顔を合わせずに、お父様のもとへ辿り着きたい。
「あら、シルヴァーノ様ではありませんか」
「――!」
廊下を進む私たちの前、そこに並ぶドアの一つが開き、2人のメイドが現れた。
……さすがに、誰とも会わずに目的地まで行けるわけはないと思っていたけれど、まさかこんなに早くにその時が訪れるとは思わなかった。
「今日は、お帰りになる日でしたっけ?」
年配のメイドにそう問われ、しかしお兄様は、あくまで動揺を見せない。
「お父様にお話したいことがあって、少し寄ったんだ。話が終わったら、すぐに帰るよ」
「そうですか。……ところで、そちらの方は?」
「!」
メイドたちの顔が、私へ向けられる。
顔を俯かせる私を隠すように、お兄様が前に立った。
「この子は、私が応援している傭兵でね。近々、仕事を頼もうと思っているんだ。今日は、お父様にお会いするついでに、彼女とも話をしようと思って来てもらったんだよ」
そんな嘘を、よくすらすらと作って話せるものだ。
「ああ、そうなのですか。城へお入れになるなんて、よほど気に入っておられるのですねぇ」
「まぁね。……それじゃあ、私たちは行くよ。ご苦労様」
廊下の端へよけたメイドたちの前を通る際、お兄様が私をメイドたちから隠すように移動させてくれたおかげで、どうにか怪しまれずに通過することができた。
その後も、何度か使用人たちに遭遇しながらも、城の三階にあるお兄様の自室まで辿り着くことに成功。
ここで、1時間ほど待機することになった。
お父様を見舞う客の足が途絶えるのを待つためだ。
「あとは、お父様の部屋の前にいる衛兵をどうするかだな」
開け放った窓辺に手をつきながら、お兄様は呟く。
私は、久しぶりに入ったお兄様の部屋を見渡しながら、過去の記憶を探っていた。
……お父様に酷いことを言われた後は、いつもここに来ていたっけ。
お兄様は私を椅子に座らせて、私が泣き止むまで、ずっと一緒にいてくれた。
あの頃の私は、とにかく弱かった。ちょっとしたことで傷つき、お兄様を頼り甘えることしかできない、ただの女の子だった。
でも、今は違う。私は強くなった。
だから、これから会うお父様に何を言われようとも、平気だ。
平気、……だよね?
お兄様と昔話をしていたら、1時間なんてあっという間だ。
空はすっかり赤く染まり、窓から見下ろす地上には、影が増え始めていた。室内も同様だ。
「では、そろそろ行こうか」
「はい」
お兄様と共に立ち上がり、部屋を出る。
お父様の部屋は四階に上がってすぐのところにある。
けれど、そのドアの前には衛兵が2人立っている。彼らをそこから移動させる策が、お兄様にはあるようだ。
階段を上がり、曲がり角からドアの前を窺う。……いつも通り、そこには2人の衛兵の姿があった。
「少し、ここで待っていなさい。もし誰か来たら、その辺に隠れるんだよ」
囁くように言うお兄様に、一つ頷く。
お兄様は、自然な感じで角を曲がり、衛兵たちのもとへ向かう。それを私は、こっそりと覗き見る。
お兄様に敬礼した衛兵たちは、何を言われたのか、もう一度敬礼をしてドアの前からいなくなった。
そしてすぐに、お兄様は私に向かって手招きをしてきた。慌てて、そちらへ向かう。
「衛兵たちには、お父様と大切な話があるから、30分ほど休憩でもしてこいと言ってある。彼らが戻ってくるまでに、話を済ませなさい。いいね」
30分……。
「わかりました。それだけあれば、おそらく充分です」
長引かせるつもりはない。
お兄様は小さく頷き、ドアをノックする。
「お父様、私です」
少しして、「入れ」という声が返ってきた。
その声に、鼓動が激しくなる。
……お父様の、声だ。
「失礼します」
お兄様の手によって、ドアが開かれていく。
「さあ、行って来なさい」
「……は、はい」
室内へ、一歩を踏み出す。
思わず、お兄様を振り返る。
その顔にあるのは、私を励ますような笑みだった。そしてその手が、優しく私の背中を叩く。
意を決し、大きく頷く。
背後で、ドアが閉められていく。
「シルヴァーノ。最近はよく来てくれるな」
……お父様が、すぐそこにいる。
あと数歩。少し歩けば、対面することになるんだ。
……行かなくちゃ。そのために、私はここに来たんだ。