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アキちゃんとユカちゃん

アキちゃんとユカちゃんのはじまり

作者: 濡髪章
掲載日:2026/10/06

すばる文学賞に応募して落選した作品ですが、「わかりにくくてつまらない話」をすべてカットし、加筆訂正しました。タイトル・ペンネーム変えてます。

 僕たちは、生まれる場所を選べない。僕はおだやかな両親の元に生まれ育った。家も庭付き二階建ての一軒家で、そこそこ広い。だがアキちゃんは違う。飲んだくれの父親とパートの掛け持ちで朝早くから夜遅くまで働いている母親の元に生まれた。住まいは近所のボロアパートだ。


 僕とアキちゃんの出会いは3歳の頃、近所の公園らしい。むろん僕は覚えていない。母によれば僕らはどちらからともなくいっしょに遊ぶようになったという。

「自然に惹かれあうなんて運命的よねえ」と母は言う。

3歳児に運命の出会いはないと思うが、おかげで僕の母とアキちゃんのお母さんはいわゆるママ友になった。アキちゃんのお母さんはパート勤めで家にいないことが多いし、家には飲んだくれの亭主が居座っているし、僕とアキちゃんが離れたがらないので、流れ的にアキちゃんはうちで預かることになった。遠慮するアキちゃんのお母さんを僕の母が強引に説得したに違いない。アキちゃんのお母さんが夜のパートを終えて迎えに来るまで、アキちゃんは僕の家で過ごすようになった。


 母は大喜びで女の子の帽子や服や靴を買いそろえ、僕の記憶ではアキちゃんを着せ替え人形のように扱っていた。僕にはアキちゃんがそれを喜んでいるとは思えなかったけれど、母には逆らえない、と言うより逆らうとめんどくさい。アキちゃんも僕と同じ無口なタイプで、口答えすることが苦手だ。ただ母が買った物をあげようとした時だけは、アキちゃんも、アキちゃんのお母さんもキッパリと断り、決して受け取らなかった。

「いいのよ。わたしが好きでやってることだから」と母は笑った。

それは受け取ってくれなくても買うことはやめないわよ、という意味だ。母にとってアキちゃんを着飾るのは趣味みたいなものなので、趣味にお金を使うことは誰でもやっていることだ。それは今でも変わらない。クローゼットにはアキちゃん専用のスペースがある。

「いっそうちの子にならない?」とアキちゃんに言う。

「男の子なんてホント、愛想なくてつまらないんだから」


 僕にとってアキちゃんは、いっしょに遊ぶというよりも、同じ本を読み、同じテレビを見て、同じゲームをして、同じものを食べて、同じ匂いを嗅いで、同じものに触れて、おたがい相手の方を見てなくて、いつも同じものをいっしょに見ている、そういう存在だった。アキちゃんが何を感じ、何を考えていたのか、僕にはわからない。でも嫌がってはいないようだし、がまんしている様子もない。僕はアキちゃんがそばにいないと不安で、いつもアキちゃんを探していて、アキちゃんもいつも僕を探してくれていた、そんな気がする。


 幼稚園の頃、アキちゃんは僕に近づいて来る子をことごとく追い払って、問題になった。一度は蹴りを入れられた子がいたそうで、アキちゃんのお母さんは気の毒なくらいペコペコ頭を下げて謝罪していたらしいけれど、僕の母は平気なもので

「うちの子を寄って来る悪い虫から守ってくれているんだもの。ありがたいわ。アキちゃんがついていれば安心ね」

悪い虫かどうかはともかく、誰も僕に近づかなくなったのはありがたかった。先生たちの間でウワサ話になっていたかもしれないが、アキちゃんは気にせず、僕も気にしなかったので、この問題はそれ以上には発展しなかった。僕に近づこうとしない限りアキちゃんが乱暴をすることはなかったし、どうせ卒園するまでのことだった。


 しかし小学校になると、下校途中に僕にしつこく話しかけてきた男子にアキちゃんが蹴りを入れて、運悪く骨折させてしまった。そいつがおしゃべりな奴で、大げさにウワサを広めたためアキちゃんはたちまち有名人になってしまった。アキちゃんの蹴りは「必殺の蹴り」と呼ばれ、今まで何人も病院送りにしたとか、次期スケ番候補とか、みんな好き勝手に言うようになり、僕のことは「手下」「奴隷」「囲い者」とか思われていたらしい。


 僕とアキちゃんは同じ幼稚園、同じ小学校、今は同じ中学校に通っている。そしてずっと毎日一緒に登下校している。僕が朝早めに家を出て、アキちゃんのアパートに行く。アキちゃんは朝が苦手らしく、声をかけてもなかなか出てこない。僕はアキちゃんの目覚まし時計なのか。

「アキちゃんおはよう」「まだあ」「まだかなあ」

何度か催促して、そのうち親父の怒鳴り声がして、ようやくアキちゃんは眠そうな顔をして出てくる。ボサボサの髪に履きつぶされた靴。制服は毎日僕の母が着せ替え遊びの間にアイロンを当てているはずなのに、なぜか朝にはヨレヨレ。たぶん制服を着たまま寝ている。しかもそうとう寝相が悪い。


 僕が小学生の頃、酔っぱらいのおじさんが「アキレスと亀」の話をしてくれた。亀がちょっとでも早くスタートしたら、アキレスは亀に永久に追いつけないという話だ。なぜなら早くスタートした亀はアキレスよりちょっと前に進んでいる。その亀がいた地点までアキレスが行ったときにも、必ず亀はちょっと前に進んでいる。またその亀がいた地点までアキレスが行ったときにも、必ず亀はちょっと前に進んでいる。そう考えていくと、アキレスは永久に亀に追いつけない。またリンゴを半分食べて、次にまたその半分を食べる、これを続ければ、常にリンゴは半分残っているので、リンゴは永久になくならない、という話もして、さあどうだ、というように僕の顔を見た。僕はこの話をその時はじめて聞いたので、すごくおもしろいと思った。そして考えて考えて考えて、やっと答えを見つけた。

 この話はどちらも「永久に」という言葉がトリックなのだ。「永久」とは時間の概念だ。だが実際にはアキレスが亀の元いた場所に着くまでの時間はどんどん短くなっていく。距離もどんどん短くなっていく。アキレスも亀もどんどんある瞬間ある地点に近づいていく。それはアキレスが亀に追いつく瞬間だ。それまでの時間をただ無限に区切っているにすぎない。つまりアキレスが亀に追いつく瞬間まで、アキレスは絶対亀に追いつけない、というごく当たり前のことを言っているのだ。同様にリンゴを食べきる瞬間までリンゴは絶対になくならないという、これも当たり前の話だ。なあんだ。

 僕はうれしくなってさっそくおじさんにそう報告した。すると

「おまえの話はつまらん」と吐き捨てるように言われた。

その時僕は理解した。人というものは、わかりやすくておもしろい話しか聞いてくれない。そして僕の話はいつもわかりにくくてつまらない。

 でもアキちゃんは違った。

「すごいね」と言ってくれた。

だから僕はアキちゃんを相手に今日もわかりにくくてつまらない話を始める。

(以下、わかりにくくてつまらない話はすべて省略)


 僕のクラスにユカちゃんという女子がいる。ユカちゃんはとびきりの美人で、細身なのに胸が大きい。でも不思議なことに全体のバランスはいい。誰でも思わず振り返って見たくなるような女の子だ。

「ねえ、アタシと付き合おうよ」

同じクラスになって初対面でいきなりそう言われた。

「キミのこと知らないし」

「だから知り合おうよ」ニコニコしながら言う。

苦手なタイプだ。容姿にはいやでも魅かれてしまう。美しいものは誰が見ても美しい。だがこの子には知性が感じられない。話し相手には不向きだ。アキちゃんとは違う。僕に寄って来る悪い虫だ。アキちゃん、蹴って追い払ってくれないかな。だがアキちゃんとはクラスが別で、そもそも学校内でアキちゃんが僕と話すことはない。登下校の間だけが僕とアキちゃんの特別な時間なのだ。


「アタシは知ってるよ。ふふ。キミ学年トップなんでしょ?」

なるほどそういうことか。学年トップのカレシがほしい、というよりもアタシのカレシは学年トップなのよと自慢したいわけか。ばかばかしい。

 学年トップはなりたくてなったわけじゃない。試験前の一週間で参考書を丸暗記して臨んだら結果そうなっただけのことだ。だから僕は普段まったく勉強しない。授業中もほとんど別のことを考えている。たとえば問題の中に『静止した物体』と書かれていると、それは地球の引力で静止しているように見えるだけで、実際には地球はすごい速さで自転しているし、太陽の周りも公転しているし、宇宙は膨張し続けている。その『静止している物体』は本当はどれくらいのスピードで動いているのだろう、計算式はあるのだろうか、とか考えてしまう。数学の問題でもみんなと同じ解き方で答えはすぐに出る。そこからみんなと違う解き方で同じ答えにたどりつけないかと探し出す。

そもそも今の試験が記憶力のテストなら意味はない。コンピュータのほうがずっと優秀だ。コンピュータのなかった時代には自分の頭に詰め込む必要があったのかもしれないが、今やネットで検索すればすぐに答えが見つかるようなものはわざわざ記憶する必要がない。ほしい情報はどうやって手に入れるのか。手に入れた情報をどう使うかの教育の方がよほど大事だと思う。情報は日々更新されている。古いデータを詰め込むだけの教育はできそこないのコンピュータを大量生産しているようなものだ。かつて成績トップだった人々が今のこのひどい社会をどうにもできないのなら、成績トップにもたいして意味はない。

 考えてみれば成績が良いせいで親や先生から「勉強しろ」と言われた記憶がない。言われても気にしないからかもしれない。クラスのみんなはそれがすごくストレスになっているみたいだから、僕はその点、みんなより幸せかもしれない。

「キミと話が合うとは思えない」ユカちゃんにそう言った。

「話なんて合わなくてもいいじゃん」

いいのか? とりあえず無視することにした。


「おー、今日もあいかわらずクールだねー。でもそういうとこ好きだよ」

「明日デートしよ? 映画のチケット買ったから、朝10時に待ち合わせね。待ってるからね」

ユカちゃんは勝手に話しかけてきて、かってにおしゃべりして、勝手に誘って、勝手に約束してしまう。僕に向かって話しているというより、クラスのみんなに聞かせているようだ。僕はずっと無視しているはずなのに、気が付けばいつのまにか僕はユカちゃんのカレシにさせられてしまっている。するとユカちゃんと仲良くなりたい男子や女子が僕に話しかけてくるようになる。わずらわしい。僕は徹底的に無視し続ける。

「つまんねえ。頭いい奴はオレらとは口もきけないってかよ」

「サイテー」

だったら話しかけんなよ。


 性欲は本能プログラムのひとつだ。人間のメスはおよそ10カ月もかけて通常ひとつの個体しか産めない。それも病気や事故や災害や外敵の襲来で簡単に失われてしまう環境だとすれば、オスはかたっぱしからメスと生殖行為を行なって、できるだけ多くのメスを妊娠させなければならない。遺伝子存続率を考えればオスの性欲は強ければ強いほどいいことになる。過酷な環境の原始時代にはそれでよかったのかもしれない。だがもうそんな時代はとっくに終わっている。なのにこのプログラムはまだ生きている。


 精子がたまってスタンバイ状態になると、すぐに興奮してしまう。ウズウズムラムラ。コンビニのグラビア雑誌の表紙、卑猥な言葉、果てはアルファベット大文字の「Y」にも反応してしまう。女子の股間を想像する。脳が麻痺する。性欲プログラムが発動すると論理的思考は停止する。解決策はただひとつ。たまった精子を放出して、プログラムを終了させてしまうことだ。実際射精してしまえば、うそみたいに醒めるから不思議だ。なんであんなに興奮していたのかわからない。さっきまで興奮していたグラビアアイドルを見てももう何も感じない。知らない子だ。性器はただのグロテスクな身体の一部にすぎない。


 たいていはトイレで手早く処理する。死んだじいちゃんの遺品にあった無修正エロ動画を何本も見ているからデータは豊富だ。想像力も豊かなほうなので、すぐ射精できるようになった。

 だが授業中はそうもいかない。手をあげてトイレに行かせてもらうことも可能だがズボンの中ではちきれんばかりに膨張している男性器に気づかれるのは嫌だ。しかたがないので授業が終わるまでは妄想をすることになる。性欲プログラムに逆らってがまんするのはやめた。疲れるだけで得るものがない。性欲は快楽だ。とてつもなく大きな快楽だ。その快楽は射精するまで続くので、エロ動画はできるだけ時間をかけて女性との生殖行為を描く。あらゆる衣装を着せ、あらゆる姿勢をとらせ、あらゆる道具を使い、あらゆる個所に男性器を挿入させる。オスはそれらを妄想している間ずっと悦楽状態にいられる。ほんとバカみたいだ。本来は直接メスを見つけた時にだけ発動したのだろうが、あいにく人間は想像力でメスのハダカをいつでも脳内に描ける。

 僕はクラスの女子全員のハダカを想像する。脳内を快楽物質が駆け巡る。僕はこの快楽が嫌いだ。射精して醒めた後にむなしさと恥ずかしさとバカバカしさしか残さない。もちろんそれは遺伝子存続率のアップにつながらないからだ。メスの性器に射精しなければ何の意味もない。だったら性欲は子供が必要になった時だけ発動すればいい。この快楽は自分の意志とは関係なく勝手に発生してきて、がまんすることはできても、発生そのものを止めることができない。しかもきわめて強力だ。何の努力もしないで得られる大きな快楽、だから嫌いだ。

 この性欲の生み出す快楽が多くのオスによる性犯罪を生んでいるのなら、そんなものは必要ない。新しい精子を作り出すために定期的にたまった精子を放出しなければならないのなら、おしっこといっしょに出してしまえばいいじゃないか。自分でこの遺伝子プログラムを修正できるなら今すぐにでも修正してやりたい。

 発情した男子は全員一度はユカちゃんのハダカを想像するのだろう。ユカちゃんは僕の真ん前の席に座っている。髪をかきあげる時に見せるうなじや、短いスカートからのぞかせる太ももや、振り向くたびに揺れる大きな胸や、よく動く小さな唇が、無条件に僕を興奮させる。そして僕が興奮していることを、おそらくユカちゃんは察知している。ちょっとむかつく。

 なぜオスは若くて美しいメスを見ると興奮するのか。外見から得られるデータ量はわずかだ。若いかそうでないか。形状が整っているかどうか、胸が大きいか小さいかくらいしかない。若ければそれだけ体力もあるだろう。美しいというのは形状が整っているということだ。形状が整っていればそれだけ物質的に安定しているだろう。乳房が大きければそれだけ産まれてくる個体に栄養が与えられるだろう。おそらくそんな短絡的な理由から、他のメスより若くて美しくて胸の大きいメスに魅かれる。そういうメスに自分の遺伝子を受け継がせたほうが遺伝子存続率がアップするだろう。そんなくだらないことなのだ。科学的根拠は何もない。

 食欲と同じように、性欲はメスとの生殖行為を求める。空腹が限界になれば「食べられるものなら何でもいい」と思ってしまうように、性欲も限界になれば「ヤレるなら誰でもいい」と思ってしまう。

 ドラマでよくある「男女が一夜を共にして何もないはずかない」「男女間に友情はあり得ない」というのは、すべてこのオスの性欲が原因だ。

 授業が終わりに近づくと、僕はズボンの中の性器の膨張を鎮めるために単純な数学の計算を始める。少しは効果があって、性器は小さくなっていく。

 授業が終わるとすぐにトイレを目指して席を立つ。教室を出たところでいきなりユカちゃんが腕を組んできた。胸を押し付けてきて僕の耳元でささやく。

「ねえ、アタシもう濡れてるんだよ」

それはユカちゃんの性器がいつでも僕の性器を受け入れられる状態になっていることを意味しているとすぐに理解できた。僕は真っ赤になってユカちゃんの手を振りほどいてトイレに駆け込む。すこし漏らしてしまった。トイレで射精処理を終えて、醒めた自分に戻って考える。

 あれは何だった? いったいどこであんなセリフを仕入れてきた? 一度使って効果を見たかったのか? だが腕を振り払った時、一瞬見たユカちゃんの顔も真っ赤だった。もしかして本当のことだった? 口にするのにどれだけの勇気がいった? わからない。


 その夜夢の中で、僕はハダカで登校していた。気が付いて恥ずかしくなってトイレに駆け込んだら、なんとユカちゃんがハダカで待っていた。

「ねえ、アタシもう濡れてるんだよ」

そう言いながら、ゆっくり近づいて来る。

「僕はアキちゃんが好きなんだ」

「それがどうしたの」

「僕が好きなのはアキちゃんだ」

「そんなことどうでもいいじゃん」

どうでもいいのか?

突然トイレのドアが開いて、アキちゃんが現れた。アキちゃんの蹴りが炸裂するところで目が覚めた。アキちゃんが蹴ったのはユカちゃん? それとも僕か? こんな夢を見たから?

 翌朝、いつものようにアキちゃんを誘って、いつものようにわかりにくくてつまらない話を始める。あの夢は忘れよう。


 体育の授業は男女別々だから気楽でいい。ユカちゃんはグラウンドのどこにいても目立つ。よく笑うし、おしゃべりが好きで、華やかな空気にまとわれている。美しい女子は美しい音楽や美しい絵画と同じように鑑賞すべきだ。生殖行為の対象である必要はない。遠くから見ている分には、こちらもしあわせな気分になる。一方で逆に悪いオスに狙われやすいんじゃないかとよけいな心配もしてしまう。幸いなことに、同じクラスのツヨシくんがいつもユカちゃんを見守っているようだ。ツヨシくんは柔道部のキャプテンという大男だ。だったらツヨシくんと付き合えばいいじゃないか。そう思ってツヨシくんに話しかけてみた。

「あのさ」

「おう。何だ、カレシ」

僕はカレシと呼ばれているのか。

「ユカちゃんのことだけど」

「ユカちゃんか。いいな。そんなふうに呼べるのおまえだけだぞ。しあわせ者だな」

しまった。普通みんなは姓で呼び合うもんだった。鈴木くんとか田中さんとか。親しい女子はユカちゃんと呼んでいるけど、男子はそうは呼ばない。下の名前で呼ぶのは僕の脳内でだけだったのに。気を付けるべきだった。だがこうなったらしかたがない。

「キミのこともツヨシくんって呼んでいいかな」

「おお、うれしいぜ。なんかすげえ仲いいみたいじゃん」

「ツヨシくんはユカちゃんが好きなんだろ?」

ツヨシくんの顔が真っ赤になった。

「ば、ばか言え。オレはそんなんじゃねえよ」

「どんなんだよ」

「オレはおまえみたいに頭よくないし、バカだし、わきまえてらあ」

何をわきまえているんだ。

「でも好きなんだろ?」

「何だよ、おまえ、オレが彼女に手を出すと思ってんのか?」

「手を出さないのか?」

「心配するな。オレはな、頼まれただけだよ」

「何を?」

「一度だけな。『キミ強そうだから、ワタシが危なくなったら必ず助けてね』ってな。だからまあ、雇われボディーガードみたいなもんさ」

そういうことを気軽に言ってしまうユカちゃんも罪深いが、真に受けてしまうツヨシくんもおかしい。任務を与えられると忠実に全うするタイプなんだろうか。

「でもさ、本当は僕はユカちゃんのカレシでもないし、ユカちゃんを好きでもないんだ」

「なんだ、おまえオレが怖くてそんなこと言ってるのか? 情けない奴だな。心配するな。オレはおまえのこともちゃんと認めてるし、おまえのことも守ってやるから。そんなに怖がるんじゃねえよ」

「いやそうじゃなくて」

「ウソでもそんなこと言うのやめろよ。彼女が悲しむぜ。もっと大事にしてやれ」

「親戚のおじさんみたいだな」

「いいか。彼女がおまえを選んだんだ。うらやましいぜ、まったく。青春は短く、貴重なもの、だろ? 中学時代のステキな思い出になってやってくれよ」

なりたくねえよ。


 僕の望みはアキちゃんとずっといっしょにいることだ。ユカちゃんのせいでそれが乱されるのはいやだ。アキちゃんは僕がユカちゃんの公認カレシみたいになっていることを知っているんだろうか? そりゃ知っているだろう。知らないわけがない。アキちゃんは誰とも口をきかないけど、ウワサは耳に入ってくるだろう。なぜ何も言わない? いや僕が何も言わないからか。僕の方からアキちゃんに相談するべきなんだろうか。今までは何でも話せたのに、なぜユカちゃんのことは話題にできない。ユカちゃんに発情しているから? やめてくれ。それは僕のせいじゃない。いや僕の身体の反応だけど僕の意志じゃない。僕の性器はユカちゃんとヤリたがってる。そんなこと言えない。どうやって話すきっかけを作ったらいいのかわからない。僕はアキちゃんが好きだとハッキリ伝えるべきなのか。でもそんなよけいなことをしてアキちゃんが僕を避けるようになってしまったらどうしていいかわからない。

 今までどおりでいたい。校門を出たらいつものようにアキちゃんが待っていて、いつものように話しながら帰る。ただただそれを続けたい。ユカちゃんは校門の外までは追ってこない。ユカちゃんは放課後のクラブ活動にいくつも所属していて、どこへ行っても人気者なのだ。僕とアキちゃんは授業が終わればすぐいっしょに帰る。

 僕とアキちゃんの家は市街からはずれた田舎方面にある。だから人通りは少ない。僕の両親は静かな場所で暮らしたかったからそこに家を建てた。アキちゃんの家族が近くのアパートに住んでいるのは家賃が安いからだろう。通学路の田舎道はずっと僕たちの散歩道みたいなものだった。

 アキちゃんとキスしたい。唇と唇を重ねて吸い合うという気持ち悪い行為に、なぜ大量の快楽物質が脳内に分泌されるのかわからない。感染の危険が増すだけだ。だがユカちゃんがそれを狙っているのは間違いない。スキあらば僕とキスしようとする。ユカちゃんの場合、人前だろうが何だろうがおかまいなしなので、いっ時も油断できない。そうなる前に、先にアキちゃんとキスしておきたい。アキちゃんは僕とキスしたいのかな。そうだといいけど。アキちゃんの方からしてくれないかな。そしたら喜んで応じるのに。アキちゃんの方からユカちゃんのことを聞いてくれたら、僕がどんなに困っているかいっぱい話せるのに。だがアキちゃんはユカちゃんのことを聞いてこないし、キスしようともしてくれない。もしかしてアキちゃんも同じことを思っているかもしれない。どうしてユカちゃんのこと話してくれないの? どうしてキスしようとしてくれないの? そう思っているかもしれない。でもそうじゃないかもしれない。僕はどうしたらいいんだろう。

 もしアキちゃんが同じクラスだったらユカちゃんを蹴って追い払ってくれたんだろうか。あ、そうなるとツヨシくんvsアキちゃんのバトルになるのか。むむむ。


 今日もユカちゃんは遊園地に誘ってくる。誘われても一度も行ったことはない。毎回毎回スッポかされて心が傷つかないんだろうか。それとも傷ついているのか? 毎回毎回小さな傷がユカちゃんの心に残っているかもしれない。ああそんなこと考えてもしかたない。早く別のターゲットを見つけてくれ。早く心変わりしてくれ。誰でも大喜びでカレシになってくれると思うよ。だがそれは台風に向かって来るな来るなと祈るようなもので、当てにすることはできない。


翌朝。

「ユカちゃんってすてきな子だよね」

待っていたチャンスは突然やってきた。

「女子にもすごい人気だよ」

「やめてくれ」

「なんで?」

「僕はアキちゃんがいい」

言えた。言えた。言えた。言えたぞ。

アキちゃんは黙ってうつむいてスタスタ歩き続ける。どんな顔をしてるのかわからない。のぞきこもうとしたら顔をそむけられた。

「ユカちゃんは好きじゃない」僕が言う。

「いつもいっしょにいるくせに」

「向こうがくっ付いて離れないんだ」

「うらやましいこと」

「うらやましくない。とんだ迷惑だ」

「ふうん」

「ほんとだって。困ってるんだ」

「でも悪い気はしないよね」

「悪い気分だ。最悪だ」

「わかった」

ちょっと待て。何がわかった?

それっきりアキちゃんは話さなくなった。でも僕は『アキちゃんがいい』とハッキリ言えたことで、ちょっとスッキリした気分になったので、いつものわかりにくくてつまらない話を始めた。


 学校に着いて教室の席についたらさっそくユカちゃんがくっ付いてきた。そこへいきなりアキちゃんがやって来たから驚いた。ツカツカとユカちゃんの方に近づいて来る。ツヨシくんがその前に立ちはだかった。ツヨシくんvsアキちゃん。

「誰?」「誰?」

みんながささやき合いながら、遠巻きに僕たちをとり囲む。アキちゃんは背が低いので大柄なツヨシくんが巨人に見える。にらみ合いが続いた。ツヨシくんの性格からして女子に乱暴をするとは思えない。だがアキちゃんの蹴りが入ったらどうなる? 止めなければ。

「友だちだよ」

ユカちゃんがツヨシくんを押しのけて、アキちゃんの方に歩いていく。

「ね、友だちだよね?」

みんなをとりこにしてしまうあのキラキラした笑顔で話しかける。

アキちゃんは一瞬とまどってから、もう一度キッとユカちゃんをにらみつけた。一歩踏み出した。

「やめろ!」僕は思わず叫んでしまった。

アキちゃんは一瞬僕の方を見て、それからサッと踵を返して教室から出て行ってしまった。息をのんで見つめていたみんなのため息が一斉にもれた。

「誰だ?」

ツヨシくんが僕に聞いた。

「僕の…」言葉に詰まった。どう答えたらいいかわからない。

「…ボディーガード」

「なるほど」

え、納得するの?

「あーあ、仲よくなりたかったのに」ユカちゃんが残念そうに言った。


 放課後、アキちゃんは先に校門で待っていた。

「なぜ止めたの?」アキちゃんがボソッと言った。

「いやいつも止めてんじゃん。止めても蹴ってたくせに。そっちこそなぜ今日は蹴らなかったのさ」

「友だちになりたい」

うそでしょ。まさか。

「誰と?」

「ユカちゃんと」

おいおい。おいおいおいおい。

「誰だってなりたいでしょ」

そうなのか? 僕はアキちゃんだけでいいというのに。

「ユカちゃんにそう言っといて」

「うん…わかった」

それきりアキちゃんが何も言わなくなったので、僕はいつものわかりにくくてつまらない話を始めた。


 ユカちゃんが例によって今度の休みに動物園に行こうと誘ってきた。ずっと無視してきた僕が

「アキちゃんとツヨシくんがいっしょならいいよ」と答えたので、

ユカちゃんの目がパッと輝いた。

「ワオ」

「ワオ?」

「うれしい。でもなんでツヨシくんと?」

「ボディーガードなんだろ?」

「そうなの?」

ツヨシくんがあわれだ。


 母は僕とアキちゃんがいっしょに動物園に行くと聞いて、大はしゃぎでアキちゃんを連れて買物に出かけ、帽子と洋服と靴一式を買いそろえてきた。すでにいっぱいあるのになぜ新しく買う必要がある。

「だめだめ、デートの服装はね、その時と場所にふさわしいものでなくちゃ」

休日の昼間の動物園にふさわしい服装って何だ。

「アキちゃんだって成長してるんだから」

 母の『アキちゃん着せ替え人形ごっこ』には慣れていたつもりだったが、今回着飾ったアキちゃんはちょっと違って見えた。家の中でのおしゃれと家の外に出る時のおしゃれは違うのか。髪がきれいにセットされ、うっすらメイクもしている。小さな胸のふくらみにドキッとして僕の性器が少し固くなった。確かに成長している。スカートから伸びる足のラインがとてもきれいだ。かわいい。

「ほら、見違えたでしょ」得意そうに母が言う。そうとう力を入れたな。


 動物園の入口でユカちゃんが待っていた。今日のユカちゃんはアイドル顔負けだ。フリルのついた超ミニスカートがまぶしい。そのままグラビア雑誌の表紙になりそうだ。道行く人がみんな振り向いてる。スマホで写真も撮られてる。ユカちゃんは普段からそういうことに慣れているので全然平気だ。ツヨシくんはというと、少し離れたところに立っている。白シャツに黒ズボン。まさに警護要員。

 僕は背も高くないし顔もよくないし、さすがに注目を集めているユカちゃんに近づく勇気はなかったが、ユカちゃんがこっちを見つけてしまった。僕は思わずツヨシくんの方に近づく。

「よう」ツヨシくんがうなずいた。

ユカちゃんはアキちゃんとケラケラ笑っている。話がはずんでいるようだ。こっちを見たので『先に行け』と身振りで合図した。ユカちゃんは口をとがらせたが、アキちゃんといっしょに入っていった。チケットは前もってもらっていたので、少し後から僕たちも入った。


 ユカちゃんたちは10メートルほど先で楽しそうにおしゃべりしている。近くで小さな男の子がポカンと口を開けてユカちゃんを見ている。きれいなお姉さんを見るのは初めてか。

「ユカちゃん目立つなあ」僕がツヨシくんに言う。

「パンツが見えそうだぞ」とツヨシくん。

「見せパンだろ」

「見せパン?」

「見せてもいいパンツ」

「よく知ってるな」

「誰でも知ってるぞ」

「ほんとか?」

 女子の二人連れに見えるから声をかけてくる野郎は絶対にいるなと思っていたら、案の定背広姿の男が名刺を出して近づいてきた。ツヨシくんが近づいていく。先にアキちゃんの蹴りが炸裂した。かわいそうに。男は足をかかえて転げまわっている。誰かがスマホの動画撮影を始めた。ユカちゃんは目を丸くして両手を口元に当てている。そりゃ初めて見たらびっくりするよな。

「すごいな」ツヨシくんも驚いている。

「向こうずねは弁慶の泣き所と言って、筋肉量が少ないから鍛えられないんだ。衝撃が骨に直接伝わるからすごく痛いんだ」

「おお? 頭いい奴はオレらとは言うことが違うな。今までにもあったのか?」

「小学生の時ひとり病院送りにしてる」

「うそだろ」

「それから手加減するようになったんだ。本気で蹴ったらたぶん骨が砕けてる」

「なるほど。だからおまえのボディーガードなんだな」

「いや、それは」


「ちょっと、二人が離れてるから変な奴に声かけられちゃったじゃない」

ユカちゃんがプンプン怒ってやってきた。スマホ撮影していた誰かは引き下がって行った。ツヨシくんは大男だ。

 ユカちゃんはさっと僕と腕を組んで歩き出す。ツヨシくんはなんとアキちゃんに蹴りについての質問をしている。格闘家談義か。さすがにアキちゃんの蹴りの瞬間は誰も撮ってないだろうからSNSにアップされる心配はなさそうだ。


「アキちゃん化けたわねえ。いや化けているのは学校でのほう? わざと髪ボサボサの制服ヨレヨレ姿してるわけ? あんなカワイイのに」

「そういうことじゃないと思うけど」

「ふうん。でも仲よくなれそう」

「そりゃよかった」

「アタシたちも仲よくしよ」

「それは断る」

「なんで?」

「僕はアキちゃんが好きなんだ」

「そんなことどうでもいいじゃん」

いつかの夢の中の会話だ。アタシもう濡れて…やめろ。


 家に帰ったら母が祝宴を開いていた。父はごちそうと酒に大満足しているようだ。

「初デートに乾杯」と母。

「アキちゃん、かわいい」父は酔っているな。

「どうだった?」と母がうれしそうに聞く。

「ユカちゃんと仲よくなった」

「ユカちゃんって誰?」

「お宅の息子さんのこと大好きなんだって。カレと同じクラスの女の子」

「蹴ったの?」さすが母だ。

「蹴らなかった」

「なぜ?」

「仲よくなったから。だってすごい美人でかわいくて胸もこんな大きいんだよ。それだけじゃなくて明るくておしゃべりも上手ですてきな子なんだ」

「蹴るべきだったわね」さすが母だ。


 次の日の朝、アキちゃんに聞いてみた。

「昨日、楽しかった?」

「楽しかったよ」

「ふうん」

「ああ、やっぱり」

「やっぱり?」

「つまんなかったんだよね。わかる。ああいうの向いてないもんね。時間のムダだとか、時間がもったいないとか思っちゃうんだよね」

「でもアキちゃんは楽しかったんだ」

「わたしはね。だっていつもいっしょにいられるわけじゃないもん」

「え?」

「二人っきりでいられるのってこの時間だけだし。それ以外の、いっしょにいられない時間も楽しみたいんだ、わたし」

「僕は…」

「知ってる。誰にもじゃまされずに考え事がしたいんでしょ。それが大好きだから。だから今日もいつもの話をして。わたしはそれを聞くのが好きだから」

「わかった」

僕といっしょにいない時のアキちゃんのこと、考えたことがなかった。自分のことしか考えてなかった。学校内でいつもひとりで、ほとんど誰とも口をきかず、アキちゃんは孤独だったんだ。だからユカちゃんと友だちになりたかった。僕はバカだ。情けない気持ちで、いつものわかりにくくてつまらない話を始めた。


 考えてみたらユカちゃんがアキちゃんのことを知らないはずがなかった。小学校では僕とアキちゃんは有名?だったし、その僕がユカちゃんの公認カレシとなれば、同じ小学校出身のクラスメートがユカちゃんにあれこれ進言しないわけがない。アキちゃんの『必殺の蹴り』情報も含まれていただろう。ユカちゃんにしてみれば敵にするよりは味方にほしい人材。だから友だちになるというしたたかな作戦に出たのか? アキちゃんは利用されているのか? ん? ユカちゃんがしたたか? 計算高い? そうなのか? 僕のイメージではそもそも計算そのものができそうもないんだけど。持って生まれた抜群の容姿を武器に結果オーライで生きているようにしか見えない。僕のようにあれこれ考えて悩むタイプにとって、あのあっけらかんとした笑顔と行動力は恐怖だ。『そんなことどうでもいいじゃん』という声が頭の中で響く。『アタシもう…』そこはいらない。


 ユカちゃんとアキちゃんがお昼休みに会うようになって、僕は少し解放された。授業と授業の間の休憩時間はあいかわらずユカちゃんのまったく中身のない話を聞かされ続けている。目に入ってくるユカちゃんのよく揺れる胸や、よく動く小さな唇がまた僕を興奮させる。トイレに行って射精してこよう。これはオスがメスを求めているだけで、僕がユカちゃんを求めているわけじゃない。サイテーだ。くそ。

 お昼休み、教室の窓際に立って見下ろしたら、ユカちゃんとアキちゃんが笑いながら歩いている。楽しそうだ。よかった。僕といっしょにいる時、アキちゃんはあんなふうに笑わない。僕には無理だ。ユカちゃんに感謝。これで僕にかまわないでいてくれたら最高なんだけど。ツヨシくんはやはり離れたところに待機している。ツヨシくん、がんばって学年トップになってくれないか。


 放課後、アキちゃんは先に校門で待っていた。

「あのね」

「うん」

「ユカちゃんに誘われたんだけど」

「何?」

「夏休み、ユカちゃんの別荘に泊まりに来ないかって」

別荘を持ってるのか? どんだけ金持ち?

「へえ」

「いっしょに行ってほしい」

「さすがに男子はまずいでしょ」

絶対にまずいと思う。

「ユカちゃんのお父さんはいいみたいだよ」

どんな父親だ。

「ユカちゃんの頼みなら何でも聞いてくれるんだって」

そういう父親か。それともああいう娘を持つとそうなるのか?

「僕たちまだ未成年だし」

「保護者同伴なら問題ないって言ってた」

何でも言うことを聞いてくれる保護者だろ。

「ユカちゃんが僕をカレシにしたがってるのは知ってるよね」

「うん」

「それでもいいの?」

「このまえ、わたしのほうがいいって言ってくれたじゃん」

「そうだけど」

僕の性器はそうじゃないんだよ。くそ。

「うちの親と相談しよう」

とりあえず僕はいつものわかりにくくてつまらない話を始めた。


「いいじゃない。行ってきなさいよ」と母が言う。

「間違いがあったらどうするとか思わないのかよ」

「アキちゃん、絶対にユカちゃんに負けないでね。ここが勝負よ」

待て。それはどういう意味だ。

「産まれてくる子のことは心配しないで。わたしたちもまだ若いから、いっしょに育ててあげる」

「何の話だよ」

「光源氏は12歳で葵の上と結婚した」父が口を出した。

「今は平安時代じゃねえよ」

「それでも葵の上が妊娠するまで10年もかかった。早いうちからトライするにこしたことはないぞ」

「ユカちゃんに狙われてるんでしょ。緊急事態じゃないの」

「いやいやいや。たしかに狙われて、いやそうかもしれないけど、僕は好きじゃないし、相手にもしてないし」

「それでもあきらめないんでしょ。そういうオンナが一番危険なのよ。どんな手でも使ってくるんだから。酔わせてわからなくさせるとか、薬を盛るとか」

それは自分のことを言っているのか?

「だったら行かせなきゃいいじゃんか」

「アキちゃんがいっしょに行きたがってるんだからしょうがないじゃないの」

「今から二人で部屋へ行って先に済ませてしまったらどうだ?」父がとんでもないことを言い出した。

「それはひきょうよ」

まともな夫婦の会話じゃないな。

 そこへアキちゃんのお母さんが迎えにやってきた。

「アキちゃん、わかった?」母が念を押す。

「わかった」

え? 何がわかった?

「何の話?」アキちゃんのお母さんが尋ねた。

「アキちゃんから聞いてちょうだい」母が笑顔で言う。

アキちゃんはお母さんとアパートに帰って行った。


 新幹線の席は3人掛けで僕が真ん中、窓側にユカちゃん、通路側にアキちゃんだった。ユカちゃんが寝たふりをして僕の肩にもたれかかってくる。アキちゃんも反対側からもたれかかってきた。これは。僕の性器が痛いくらいに膨張して、ズボンからはみ出そうになる。はたから見たら、美女二人にはさまれたものすごく幸せな男に見えるんだろう。がまんできなくなってトイレに立った。二人ともすぐに起きたから、やっぱり寝たふりだったのか。後ろの方の席にツヨシくんがいた。とりあえず先にトイレで処理をすませてツヨシくんに声をかけたら、落ち込んだ様子で

「オレはいいから、早く向こうに行ってやれ」と言われた。

席に戻ったら二人は駅弁を食べ始めていた。僕の分も置いてある。

「ツヨシくんは?」とユカちゃんに聞いたら

「うん。アキちゃんがついてるからツヨシくんはもういいよって言ってあげた」

ツヨシくんがあわれだ。

「それより二人は登下校の時どんな話してんの?」

そこで僕はいつものわかりにくくてつまらない話を始めた。


「もういい。全然わかんない。アタマ痛い」

「ちゃんと聞けばおもしろい話だよ」とアキちゃん。

「ムリムリムリムリ。アタシには絶対ムリ。アキちゃんにまかす。まかした」

「だから言ったろ。僕とは話が合わないって」

「そんなことどうでもいいじゃん」

どうでもいいわけないだろ。


 駅に大きな迎えの車が来ていた。別荘に着くとユカちゃんのお父さんが待っていた。

「ユカの父です。よろしく」

「このたびはお招きありがとうございます」

「言っておきますが」と僕の方を見て

「娘の望みはどんなことでも、叶えてやろうと決めております」

なんだかこわい。

 別荘は海の見える丘の上にあった。まわりに家はなく、大声で助けを呼んでも誰も来てくれない、ホラー映画の舞台になるような場所だ。だが二階のテラスから見る景色はとてもきれいで、来てよかったと思った。美しい風景は心をきれいにしてくれる気がした。僕はできるだけアキちゃんから離れないようにしていたが、ユカちゃんは平気で割り込んでくる。母の言葉が頭をよぎった。そういうオンナが一番危険なのよ。薬を盛られる?ほんとに?


 夜。与えられた部屋でくつろいでいたら、ノックもせずにユカちゃんが入ってきた。ピンクのネグリジェ。透けている。下着つけてないのか。まる見えだ。動画じゃない、生まれてはじめて見るナマの女子の裸体。僕の全血液が股間に流れ込み、これ以上ないほど僕の性器を大きくさせる。後ろ手でカチャッと鍵を掛ける音がした。ユカちゃんはうつむいて、恥ずかしそうにしながら、ゆっくりと近づいて来る。僕はレイプされるとわかった瞬間の被害者の気持ちがわかるような気がした。絶対抵抗しなくてはいけないのに、いくら抵抗してもムダだぞと言い渡されてしまう気持ち。オスの本能。僕の身体は勝手にメスとの生殖行為に向けて暴走を始めている。目の前にいるのは若くて美しくて胸の大きい理想的なメスだ。脳内は快楽物質に溢れ、思考は停止。飛びつきたくなるのをこらえる。ユカちゃんの性器に自分の性器を…。やめてくれ。息が苦しい。ユカちゃんの姿態から目を離すことができない。アキちゃんごめん。本能に負ける。性欲に負ける。じわじわと後ずさりしてベッドの端まできた。

「ねえ、アタシもう濡れて…」

「言うな!知ってる!わかった!だから言うな!」

 その時ドンドンとドアを叩く音がして、アキちゃんの大きな声がした。

「ユカちゃーん、あそぼー」

ユカちゃんはフッとため息をついてドアを開けに行った。

「よくもじゃましたわねー」

「うわー、なにその恰好。攻めたねー」

「そりゃそうでしょー。気合の入れ方が違うんだからー」

「わたしにも貸してー」

「もっとすごいのあるよー」

「ほんとー」

「アタシさー、どうしても頭のいい子がほしいわけー」

「じゃあカレぴったしじゃん」

「でしょー」

「でもあげなーい」

「えー、ちょっとわけてよー」

「やだー」

「いいじゃん。一晩くらいー」

「ぜったい、やだー」

二人とも頭がおかしくなったのか? お酒?悪い薬?

それとも…これが女子トークなのか?


 その後、僕はアキちゃんが僕のベッドの中にもぐり込んできてくれるのを期待していた。僕の性器は極限までそそり立ち、いつでも生殖行為を行なえる状態だった。さんざんエロ動画を見てきたから、やり方は知っている。僕はアキちゃんとの行為を妄想し、だんだん眠くなってきて、もしもぐり込んできたのがユカちゃんだったとしても、あるいは見知らぬ女性だったとしても、僕はこのまま生殖行為をしてしまうだろうと思った。旅先での間違い。ハニートラップ。男はみんなケダモノだ。性欲プログラムの修正には何世代もかかるのか。それとも突然変異体として、一世代で修正された個体が産まれるのか。草食系男子や、絶食系男子は、その成功例なのか。

 結局ひと晩中待って、誰も来なかった。朝が来て、目が覚めても、僕の性器はそそり立ったままだった。むなしい。さっさと射精してしまおう。


 性欲プログラムにおいて、オスにとってはすべてのメスが生殖行為の対象であり、それが性犯罪や売春や風俗業やハーレムや大奥など問題を生み出す原因となっている。

 しかしメスにとっては違う。自分の遺伝子と結合させて子を産む相手の遺伝子は見た目ばかりではなく能力も高くなければ困る。力があって、賢くて、何より自分と生まれてくる子の遺伝子を守ってくれなければならない。他のメスに時間を割いてもらっては困る。ゆえにオスはしばしば浮気をし、メスはそれを許さない。メスはオスに自分の遺伝子だけを守ってもらえるよう努力する。テクニックを磨く。着飾り、化粧をし、かわいい仕草をし、肌を見せる。結婚する。約束させる。

 だがオスに守ってもらう必要がないメスはどうだ。守ってくれる人が他にいっぱいいて、お金もいっぱいあって、自分に子を産ませてくれさえすれば、相手のオスが何を考え何をしようが誰を好きだろうが、そんなことどうでもいいじゃん。


 食堂に行くと、テーブルに朝食が用意されており、アキちゃんとユカちゃんは夕べのトークの続きをやっていた。

「帰りたくなーい」とアキちゃん。

「いいよー。ずっといていいよー」

「お父さんはー?」

「じゃまだから帰ってもらったー」

お父さんがあわれだ。

「でも着替え持ってきてないよー」

「みんなの分も用意してあるよー」

「すごーい。準備万端だねー」

「まかせてー」

「今日は何するー?」

「何しよっかー。あ、またアタマ痛くなる話なら、二人で散歩しながらやってねー。アタシはパスするからー」

「いいよー」

「庭にプールあるからいっしょに泳ごー」

「いいねー」

疲れる会話だ。僕は朝食を食べ始めた。

「夕べはごめんねー」とユカちゃんが僕に言う。

「わたしに黙ってはないよー」とアキちゃん。

「結局ジャマしにきたじゃん」

「わたしの時はジャマしちゃだめだよー」

「なんでよー」

「こっちは両想いなんだからねー」

僕はこの会話を聞き続けてていいのか。

「アキちゃんの後ならいいのかなー」

「ぜったい、だめー」

「じゃあ隠れてやるー」

「ぜったい、だめー」

「黙ってりゃわかんないでしょー」

「ひどーい」

頭が痛くなってきた。

「ちょっと散歩してくる」

「わたしも行く」とアキちゃん。

「いってらっしゃーい」


 高原の朝は涼しい。鳥の鳴き声や木の葉のざわめきが心地いい。いつもの通学路じゃない、本当の散歩道だ。まわりには誰もいない。ベートーヴェンの散歩道もこんな感じだったのかな。『田園』の第1楽章が頭に浮かぶ。アキちゃんと並んで歩く。風がふわっとアキちゃんの髪をなびかせる。いい香りがする。

「ユカちゃんと話す時って、いつもあんな感じ?」

「そうだよ。ふふ。中身カラッポ頭カラッポって思ってるでしょ。それがいいんだよ。わからないかな。わからないよね。でも楽しい」

「ならよかった」

「いつもの話して。聞きたい」

僕はいつものわかりにくくてつまらない話を始めた。


 ユカちゃんがきわどい水着を着てプールに誘いに来た。僕は夕べのユカちゃんの裸体を思い出して、頭をブンブン横に振って、かたくなに断った。股間のふくらみは絶対に見せたくない。ユカちゃんは目を細めていじわるそうに

「バスローブ着てプールサイドチェアに座って見てたらいいじゃん」と言った。

「いやだ」

「アキちゃんの水着姿だよ。見たくないの?」

「また今度見る」

「今度って?」

「とにかく今日はいい」

「いじわる」

どっちがだ。

部屋は庭側にテラスがあるので、庭側のテラスに出ればプールは見えるけど、きっとユカちゃんがこっちを見て笑うに違いない。キャッキャはしゃぐ声が聞こえてくる。部屋を出れば海側のテラスに出られる。僕は書棚で見つけた本を読んで過ごすことにした。アキちゃんが楽しく過ごせているなら、それでいい。


 夜、やっとアキちゃんが部屋に来てくれた。

「今夜のお相手はわたしだよ」アキちゃんが冗談っぽく言った。

かわいい。アキちゃんのネグリジェは透けてない。でも柄がかわいい。アキちゃんもかわいい。僕はなんだか心臓がドキドキして、息も苦しくなってきた。性器がそそり立つ。きっと昨夜ずっと妄想をふくらませていたせいだ。もうがまんする必要はないよね。アキちゃんとならいいよね。これって犯罪じゃないよね。平安時代ならオッケーだよね。自然の営みだよね。

僕はアキちゃんの肩をつかむと、いきなりベッドに押し倒した。

「いやっ」

衝撃と激痛が僕の身体を走った。僕はベッドからころげ落ちて、床をゴロゴロ転がって、壁に頭をぶつけた。意識が遠のいていく。

どこかでユカちゃんの声がする。

「なにっ、何の音? うそっ!まさか蹴ったの? 蹴っちゃったの? えー!」

「どうしよう、わたし…なんか…身体が勝手に抵抗しちゃった…みたいで…」

「救急車、救急車」


「骨も折れてないし、脳も異常なかったみたいだし、よかったな」父が言った。

「アキちゃんは悪くないのよ。はじめての時はみんなそうなの。その気がなくてもつい抵抗しちゃうの。普通はもっとかよわい抵抗なんだけどね」母が言う。

「こりゃ命がけだな」

「次はだいじょうぶよ、きっと。たぶん」

次があるのか。

「縛ってやるしかないか」

「やだ、それって変態プレイじゃない」

「昔やったな」

「やめてー。恥ずかしい」

子供の前でする話か?

「縛ろうとして蹴られたらどうする?」

「やっぱり薬を使うしかないわね」

「それ、間違いなく犯罪だから」僕が言った。


 翌朝。アキちゃんは気の毒なくらいしょげていた。

「…ごめんね」

「気にしなくていいよ」

「まだ痛む?」

「いや全然」

ほんとはすごく痛い。

「わたし…」

「アキちゃんは悪くないって」

「…」

しかたなく、僕はいつものわかりにくくてつまらない話を始めた。


 教室に着くなりユカちゃんが話しかけてきた。

「アキちゃん、どんな感じ?」

「しょげてる」

「あははははは」

「笑うとこ?」

「だってー、『こっちは両想いなんだからねー』とか余裕ぶっこいてたくせに、蹴るとかあり得ないよねー。あーおかしい。もう笑っちゃう」

「とにかくスゴく落ち込んじゃってて」

「だいじょうぶ。お昼休みにアタシがしっかり慰めといてあげるから」

「傷口に塩を塗るなよ」

「塗りたくってやる。うそうそ」

「なんてやつだ」

「いきなり襲われたから蹴りましたって言ったら、あの医者警察呼ぼうとしたんだよ」

「そりゃ説明の仕方が悪すぎるだろ」

「でも生きててよかったねー。一瞬死んだかと思った」

「殺すな」

「貴重な精子があやうく失われるとこだった」

「そういう言い方をするな」


 放課後。ユカちゃんがどんな慰め方をしたか知らないが、アキちゃんは少し元気になっていた。

「具合はどう?」

「うん、次はだいじょうぶだと思う」

次があるのか。

「高校生になってから、大学生になってから、大人になってからでも…」

「そんなに待てないよ」

「どうして?」

「ユカちゃんは待ってくれないもん」

「?」

「ユカちゃんの使い捨ては、やだ」

僕はユカちゃんに使い捨てられるのか? ユカちゃん、いったいどんな慰め方をした?

わからないまま、僕はいつものわかりにくくてつまらない話を始めた。


 僕はアキちゃんが好きだ。でも僕がユカちゃんの使い捨てになったら、アキちゃんはいやだと言う。それなら僕は絶対にユカちゃんに使い捨てられるわけにはいかない。


 家に帰ったら、母がアキちゃんに薬を渡して、

「先に部屋へ行ってこの薬を飲んで待っててちょうだい」と言った。

「おい」

「だいじょうぶよ。害のない薬だから」

「だからそれは犯罪だって」

「同意の上ならオッケーでしょ」

「同意したのか?」

「オッケーだよ」アキちゃんが顔を赤らめながら言った。

家族ぐるみの不純異性交遊なのでは?

「ユカちゃんに先を越されたいの?」母がきっぱりと言った。

ユカちゃんが先を越すのはすでに決定事項なのか?

アキちゃんは素直に部屋に上がって行った。

「こんなことしていいのか?」

「アキちゃんが望んでることよ」

母の望みじゃないのか?

「さあ、行って行って」

「健闘を祈る」父は無責任だ。

 僕は2階への階段をゆっくり上がりながら、これをどうしたものかと思案した。アキちゃんは望んでいるのか? あの様子だと望んでいるな。僕はどうだ。もちろん僕も望んでいる。なら問題ないのでは?

 部屋に入ったら、アキちゃんはもう僕のベッドで横になっていた。目がうつろだ。

「ねえ、おねがい」

そう言って目を閉じた。しばらくして、寝息をしはじめた。かわいい。

 僕はふと思った。無意識の抵抗ってあるのでは? そこでゆっくりと用心しながら、アキちゃんに抱きかかった。とっさに蹴りが飛んできた。予測してなかったら間違いなく食らっていた。腰が抜けた。

 下に降りて行ったら

「あら、どうしたの?」と母が言った。

「蹴りが飛んできた」

父と母が顔を見合わせた。

「やっぱり縛るしか…」

そこまでしてやるものなのか?

「僕がユカちゃんに気を付けてればいいだけの話だろうが」

「そこがいちばん不安なのよねえ」

「女はしたたかだからな。男は所詮、女にはかないっこない」

父は母のことを言っているに違いない。

「ユカちゃんはそんな子じゃないよ」

「ほら、もうだまされてる」父と母が声をそろえた。


 夜遅く、アキちゃんのお母さんが迎えにやって来た。

「ごめんなさい。アキちゃん疲れてたみたいだからお昼寝してもらってたの。すぐ起こして来るわね」母は役者だ。

2階でおそらくアキちゃんを慰めるか、励ますか、そそのかすかして、いっしょに降りてきた。

アキちゃんは小さな声で

「…ごめん」と言い残して帰って行った。


 翌朝。

「わたし、縛られてもいいよ」とアキちゃんが言った。

やっぱり母がそそのかしたか。

「やめろ」

「でも…」

「そんなことしなくても」

「でも…」

「僕はいやだ」

「いいんだよ。わたし自分で足を縛るから」

「待って、待って。はやまるな」

「はやまるよ」

「あとで、あとで話そう」

僕はいつものわかりにくくてつまらない話を始めた。


「ぜったい手を出さないでよー」

「自分は足出してできなかったくせにー」

「ぐぐ」

「アタシはふつうにできるよー」

「そんなことわかんないじゃん」

「じゃあ、ためしてみよーかー」

「やだー」

「バレなきゃいいよねー」

「蹴るよー」

「あ、それこわーい」

ユカちゃんとアキちゃんが楽しそうに会話している。内容はとても楽しそうに思えないけど。

 ユカちゃんは僕の母と違って策を練るような頭脳は持ち合わせていない。攻めて来るとしても、ど真ん中ストレート真向勝負しかできないはず。心配いらない。偶然ふたりっきりになるようなことさえなければ。そこさえ気を付けていれば。


 策を練ったのはユカちゃんのお父さんだった。放課後校門に着くと、アキちゃんはまだ来ていなかった。黒いバンが走ってきて、スライドドアの中から黒ずくめの男が出てきたと思ったら、あっという間に車の中に引きずりこまれた。一瞬の出来事だった。誰か気づいてくれただろうか。通報してくれるような生徒がいただろうか。僕はふだんからみんなを無視しているいやな奴だ。みんなから無視されていても文句は言えない。

 

 気が付いたらベッドの中にいた。目の前にユカちゃんの顔があった。

「目が覚めた? だいじょうぶ?」心配そうに覗き込んでくる。大きな胸が揺れる。

僕は掛布団を頭の上まで持ち上げて、何も見ないようにした。

いきなりユカちゃんは布団の中にもぐり込んできた。

「せっかくだから、ここでしちゃおうよ。アキちゃんにはナイショだよ」

ユカちゃんの手が僕の太ももを触ってくる。やわらかい。僕の性器がそそり立つ。

「ひ、ひきょうじゃんか」

「ひきょう?」

「さらって、連れて来るなんて、犯罪じゃんか」

ユカちゃんの手が止まった。

「ちょっと待って」

ユカちゃんは布団から抜け出した。

「ちょっと、お父さん!」口調からして、たぶん怒っている。

「カレが道で倒れていたから、助け上げて家に連れてきたって言ったわよね。ウソだったの? ウソだったのね? ウソだったんでしょ? もう!」

僕は起き上がった。ユカちゃんは腰に手をあてて両足をひろげて立っている。仁王立ち?

「誰がそんなこと頼んだ? 勝手なことしないでよね!」

お父さんが叱られている。

「アタシ、アキちゃんに連絡する。待ってて」と言いながらユカちゃんは部屋を出て行った。


 やがてアキちゃんがやってきた。ユカちゃんが迎えの車を手配したみたいだ。

「ごめんねー。うちのお父さんが勝手なことしちゃってー。でも残念。ひと足遅かったというかー、手遅れになっちゃったというかー」と言ってわざと僕の方を見る。

アキちゃんの顔が青ざめた。

「うそうそうそ!待った!タンマ!蹴らないで!」ユカちゃんがあわてて言った。

アキちゃんがすがるように僕を見た。

「だいじょうぶ。うそだよ」

「ひどーい」

「アタシじゃなくて、お父さんなんだってば」

「ひどい…」アキちゃんは泣き出した。

ユカちゃんが抱きしめた。いやそこは僕の役目だろう。


「ユカちゃんは、母さんとは違うよ」

「ほら、やっぱりだまされてる。そうやって徐々に自分を信用させて、完全に無防備になったところで、襲う計画なのよ」

完全に自分の話だな。僕は一瞬父と母がどうやって結婚したか知りたくなったが、やっぱり聞かないでおこうと思った。

「アキちゃん、2階で待ってるわよ」母が言った。

 僕は部屋へ上がって行った。アキちゃんは両足を大きく広げて、それぞれベッドの足にくくりつけていた。掛布がかかっているのでわからないが、パンツはもう脱いでいるのだろう。僕は安っぽいエロ動画みたいだと思った。こんなの…。ユカちゃんの別荘であの夜アキちゃんが思い描いていたのは、こんなんじゃなかったはずだ。アキちゃんはたぶん僕を蹴ってしまったことで、自分で自分が許せなくなって、こんなことをしている。ユカちゃんが挑発したせいで、よけいにあせっている。僕は悲しくなった。僕が望んでいるのは、こんなんじゃない。はじめてが、こんなんでいいわけがない。アキちゃんの足をほどき始めた。

「やめて。なんで?」

「こんなのいやだ」

「そんなこと言ったって」

「絶対いやだ」

アキちゃんは泣き出した。

「じゃあ、わたしどうしたら…」

それは僕にもわからない。でもこれはいやだ。

 アキちゃんは泣きじゃくって、部屋をとびだした。降りて行ったら母がアキちゃんを抱きしめていた。

「この、いくじなし」と母がなじった。

「いや…」

「女の子にこんな恥をかかせて、平気なの?」

「情けない奴だな」父が追い打ちをかける。

「僕はアキちゃんが好きだ。大好きだよ」

「それ言い訳のつもり?」

「でも、こんなのはいやだ」

「ユカちゃんと先にやりたいの?」

アキちゃんの泣き声が大きくなった。母は間違いなく事態を悪化させている。

「そんなわけないだろ」

「でもそうなっちゃうでしょ、このままじゃ」

なぜそうなるんだ?

「もうアンタはいいから、部屋へ行ってなさい」

僕はしかたなく部屋に戻った。なぜ父も母もアキちゃんもそんなにユカちゃんを怖がっているんだ? 僕は性欲に負けそうになった夜を思い出した。アキちゃんがじゃましに来なかったら…。今日だってユカちゃんが手を止めなかったら…。なるほど。わかってなかったのは僕ひとりか。ユカちゃんが母のようなタイプだったら、僕はとっくの昔に使い捨てにされていた。

 翌朝。アキちゃんは口をきいてくれない。

僕はいつものわかりにくくてつまらない話を始めた。


「ねえねえ、アキちゃんを拒否ったんだって?」

なんで知っている? いやアキちゃん、なんでユカちゃんに話す? 親友なのか? 恋敵じゃないの? わけがわからない。

「なんで泣かすようなことするかなあ。そういう趣味?」

「ちげーよ」

「やっぱりアタシの方がいいとか」

「それは絶対ない」

「だったらかわいそうじゃん」

おまえが言うか?

「アタシはアキちゃんの後でいいからさー、先にやってあげなよ」

「ほんとか?」

「何が?」

「アキちゃんの後でいいってことは、アキちゃんとするまではユカちゃんは何もしないってことだよね」

「それはどうかなー」

「くそ」

「アキちゃんの後だったらしてもいいと思った?」

「思わない」

「でもアキちゃんがじゃましに来なかったら絶対してたよね」

「ばか言うな」

「そーかなー。そんな感じじゃなかったけどなー」

「どんな感じだよ」

「なんかー、ハアハア言っててー、とびかかってきそうだった」

それは僕の性器のせいだよ。ああくそ、なんで。

「アキちゃんが『ぜったい、だめー』って言ってるのにするのか?」

「あ、ウマい、似てた。うーん。そうなんだよねー。でもこっちにはこっちの事情があってさー。アキちゃんには悪いんだけどー」

「蹴られてもいいのか?」

「蹴られた本人がそれ言う? でもバレなきゃいいじゃん。そっちだってそうなったら絶対ホントのこと言えないでしょ?」

「悪魔か」

「魔女と言ってよ」

僕の性器は勝手にユカちゃんを生殖行為の対象にしているのかもしれないが、僕はアキちゃんが泣くようなことは絶対したくない。バレなきゃいいじゃん。いいわけないだろ。


 放課後。

「ユカちゃんがね。僕がアキちゃんとするまでは待つって言ってた」

僕はウソをついた。

「ほんと?」

「ほんと」

「へえ」

アキちゃんは安心したみたいだ。素直でかわいい。明日にはバレるウソだけど。

僕はいつものわかりにくくてつまらない話を始めた。


「何だって?」

「だからもうこうなったら、アンタに薬を盛るしかないって話」

「気が狂ったのか?」

「警告はしたわよ。だからいつ盛られても文句言わないでね」

「どうかしてる」

「だいじょうぶ。ちゃんとアキちゃんには手ほどきしてあげるから」

処女の子にそんなことをさせるのか?できるのか?

「そんな母親がいるか」

「ここにいるじゃない。なまじ変に動かれるよりやりやすいのよ。どちらかと言えば、こっちのやりたい放題だし」

「薬盛られてやるのも気持ちいいぞ」父はどれだけ変態プレイをやっている。

「はじめてがそんなのはいやだ」

「文句言える立場?」

「立場だろう」

「世の中なにもかもが思い通りになるわけじゃないのよ」

「一般論にすりかえるな」

「手遅れになる前に、決着をつける。それしかないでしょ」

「ユカちゃんは僕がアキちゃんとするまで待つって言ったぞ」

「あきれた。それ信じるの?」やはり母には通用しないか。

今後いっさい母の出すものは口にするまい。自分の分はコンビニで買ってこよう。

 翌朝。

「ふつうにしよう」

「何を?」

「だから縛るのも薬もなしで」

「また蹴っちゃったら?」

「落ち着いてやればきっと…」

「…自信ない」

「僕もできるだけ注意しながらするから」

「そんなんでできるの?」

「やってみなきゃわからないけど」

「わたし…二度と蹴りたくない」

「僕も蹴られたくない」

「でもそうね。ユカちゃんが待ってくれるなら」

「そ、そうだね。あせることないか」

僕はいつものわかりにくくてつまらない話を始めた。


「やってくれたわねー」

「何が?」

「アタシが待つって、いつ言った?」

「否定しなかったのか?」

「あんな目をうるうるさせながら感謝されたら、何も言えないでしょー」

「やさしいんだ」

「アタシはもともとやさしいんだってばー。アキちゃん好きだしー」

「じゃ、そういうことで」

「ふたりでアキちゃんをだますってことね」

「ちがうぞ」


 はじめてが、薬を盛られて気が付いたら終わっていたなんて、そんなのいやだ。僕とアキちゃんのはじめては、最高の思い出であるべきだ。そういえば父と母のはじめての思い出は、どんなだったんだろう。いやそれを考えるのはやめよう。聞きたくない。

 とにかく今のところアキちゃんはユカちゃんが待ってくれると信じたみたいだから、すぐにバカな行動にでることはないだろう。気を付けるべきは、母と、ユカちゃんだ。ユカちゃんのお父さんにも気を付けよう。


 家に帰ったら、食卓に僕の大好物がズラリと並べてあった。

「いらない」見ないようにして2階へ駆け上がる。

「チッ」母の舌打ちが聞こえた。

「うわー、おいしそー」とアキちゃん。

「いっぱい食べてねー」

「はーい」

「あとで2階にも持って行ってあげてねー」

「はーい」

くやしい。これが毎日続くのか。耐えられるのか。

しばらくしてアキちゃんが母の料理を持ってやって来た。

「薬盛ってると思う?」聞いてみた。

アキちゃんの顔が真っ赤になった。

やはりアキちゃんもグルか。

「手ほどきされたの?」

「ええと…まあ…なんとなく…わかったような…わからないような…」

「アキちゃんはそれでいいの?」

「…いいというか…しかたないというか…それしかないと…」

母に洗脳されているのか。

「言ったじゃん。ふつうに試してみようって」

「でももう…蹴りたくない」

「だから」

「お母さんに聞いたの。最初はすごく痛いんだって。だから絶対蹴っちゃうって」

そうなのか。


 結局母の料理は食べなかった。母の言うことが正しいのかもしれない。でもこちらにも心の準備というものがある。


 母はユカちゃんを信じてない、というよりも、自分と同類だと思っている。美人で巨乳で人気者と聞いて対抗意識を燃やしているのかもしれない。母は経験上、よく言えばオスの生態を理解している、悪く言えばオスは簡単に落とせると思っている。だから息子が簡単に落とされるのを黙って見ていられない。僕の思い出なんて二の次だ。アキちゃんは母のお気に入りだ。3歳の時から息子の嫁にと決めている。アキちゃんが泣くようなことは母が許さない。僕がアキちゃんを拒否って泣かせた時、母は思いっきり僕をなじった。もちろん僕だっていろいろあって、今まで以上にアキちゃんが好きなのだとわかった。僕の大切な宝物だ。ポッと出てきたユカちゃんに使い捨てられるわけにはいかない。なのになぜ僕の性器はユカちゃんの誘惑に勝てないんだろう。いやそれは僕だけじゃないだろう。おそらく男子のほとんどがそうだ。やっぱり人間のオスは最低だ。


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