この空の続く場所で
はじめまして。
この作品を見つけてくださり、ありがとうございます。
この物語は、
「言えなかった恋」と「十年越しの再会」をテーマにした恋愛小説です。
高校生の頃、いつも隣にいた人。
一緒に笑った帰り道。
何気ない会話と、当たり前の時間。
でも――
一番大切な「好き」という言葉だけは、どうしても言えませんでした。
そしてそのまま、二人は別々の道を歩むことになります。
それから十年。
大人になった主人公が、
ふとしたきっかけで思い出したのは、
あの日一緒に見上げた空でした。
遠く離れていても、空はどこまでも続いている。
同じ空の下で、また会える日があるかもしれない。
そんな小さな願いが、
やがて思いもよらない再会へと繋がっていきます。
少し切なくて、でも最後には温かい。
そんな物語を書きたいと思い、この作品を作りました。
もしよろしければ、
主人公たちの十年越しの物語を、最後まで見届けていただけたら嬉しいです。
「あなたは今、どこで何をしていますか?」
夕焼けに染まる空を見上げながら、私は小さくつぶやいた。この空は、どこまでも続いている。だからきっと、遠く離れた場所でも同じ空が広がっているはずだ。もしそうなら――あなたも今、この空のどこかの下にいる。そう思うだけで、胸の奥が少しだけ温かくなる。でも同時に、どうしようもない寂しさも込み上げてくる。なぜなら、その空の下にあなたはいても、もう私の隣にはいないから。
あなたと出会ったのは、高校二年の春だった。桜が散り始めた頃、教室の席替えがあった。私は窓際の席になった。
その隣に座っていたのが、あなただった。最初の印象は、静かな人だった。教室が騒がしくても、あなたはあまり話さない。休み時間も、机に肘をついて窓の外を眺めていることが多かった。ある日、私は思わず声をかけた。
「ねえ」
あなたは振り返る。
「何見てるの?」
あなたは少し驚いた顔をして、それから笑った。
「空」
私はつられて窓の外を見る。青い空が広がっている。
「……普通の空だけど」
そう言うと、あなたは小さく笑った。
「でもさ、続いてるだろ」
「え?」
「この空」
あなたは指で遠くを示す。
「どこまでも続いてるじゃん」
私は黙って空を見る。確かに、空は広かった。
「だから、いいなって思うんだよ」
あなたはそう言って、少し照れたように笑った。その笑顔が、不思議と心に残った。それが、私たちの始まりだった。それから、私たちは少しずつ話すようになった。
あなたは見た目よりずっと面白い人だった。
授業中、ノートの端に変なイラストを描いてきたり。
「これ見て」
そう言ってノートを見せてくる。そこには、先生をデフォルメしたような絵が描いてある。思わず吹き出すと、あなたは得意げに言う。
「似てるだろ」
「似てるけど怒られるよ」
「バレなきゃ大丈夫」
そんなくだらない会話を、毎日のようにしていた。放課後になると、私たちは一緒に帰るようになった。駅までの道は十五分くらい。短い時間だったけれど、私にとっては特別な時間だった。コンビニに寄ってアイスを買ったり。
テストの愚痴を言い合ったり。特別なことは何もない。
でも、あなたと一緒にいるだけで楽しかった。
ある日、帰り道であなたが言った。
「将来さ」
「うん?」
「どこか遠いところに行ってみたい」
「旅行?」
「いや、住むとか」
あなたは空を見上げる。夕焼けが広がっていた。
「知らない街とか、知らない景色とか。見てみたい」
私は少し寂しくなった。
「じゃあ、この街出るの?」
あなたは笑った。
「どうだろうな。でも」
そして私を見る。
「もし離れても、この空は同じだろ」
私は空を見上げる。
「だから、どこにいても同じ空見てるって思えばさ」
少し笑って言った。
「そんなに遠くない気がする」
その言葉を聞いたとき、胸の奥が少しだけ痛くなった。
なぜだか分からないけれど。でも、私はそのときすでに気づいていた。自分の気持ちに。
私は――あなたのことが好きだった。
三年生になっても、私たちは変わらなかった。
毎日話して、毎日一緒に帰った。
友達には「付き合ってるの?」とよく聞かれた。
でも、私たちは笑って否定した。
「違うよ」
本当は、違わなかったのかもしれない。でも、どちらもその一歩を踏み出せなかった。この関係が壊れるのが怖かった。ただ隣にいられるだけで幸せだった。そう思っていた。でも――その時間は、突然終わった。
三年の夏だった。放課後の教室。窓から夕日が差し込んでいる。あなたは静かに言った。
「俺、引っ越すことになった」
世界の音が消えた気がした。
「……え?」
「父さんの仕事の都合でさ」
あなたは机に視線を落とす。
「来月にはもう、こっち出る」
胸が強く締めつけられた。
「急だね」
それしか言えなかった。
「俺も昨日聞いたばっか」
あなたは苦笑する。沈黙が流れる。言いたいことが、頭の中で渦巻いていた。行かないで。寂しい。好き。でも――
何も言えなかった。
あなたがこの街を離れる日。駅のホームで、私はあなたを見送った。夏の風が強く吹いていた。
「元気でな」
あなたはいつもの笑顔で言う。その笑顔を見るだけで、涙が出そうになった。
「うん」
それしか言えない。電車がホームに入ってくる。ドアが開き、あなたが乗り込む。そして――ドアが閉まる直前。
あなたが言った。
「またな!」
手を振るあなた。電車がゆっくり動き出す。遠ざかっていく背中。その瞬間、胸が張り裂けそうになった。
言わなきゃ。
そう思った。
「待って――」
でも、声は電車の音に消された。電車は小さくなり、やがて見えなくなった。ホームには、私一人だけが残った。
そのとき、初めて気づいた。私はどれほどあなたに支えられていたのか。どれほどあなたの笑顔に救われていたのか。失って初めて、分かった。私はその場で泣いた。声を上げて泣いた。でも――もう遅かった。
それから、何年も経った。大学に進学し、社会人になり、
忙しい日々を過ごしていた。それでも。夕焼けを見ると、思い出す。帰り道の十五分。コンビニの前。そして、あなたの笑顔。もし、あのとき。気持ちを伝えていたら。
もし、あのとき。引き止めていたら。何度もそう思った。
でも、時間は戻らない。あなたとの時間は、まるで風のように遠くへ流れてしまった。それでも、私は空を見上げる。この空は、どこまでも続いている。だから、きっと。
どこかであなたも――同じ空を見ている。
あなたがいなくなってから、季節はいくつも過ぎていった。高校を卒業して、大学に進学した。新しい街。新しい友達。新しい生活。最初は毎日が慌ただしくて、あなたのことを思い出す時間もあまりなかった。
けれど――ふとした瞬間に、思い出してしまう。夕焼けの空。コンビニの前。帰り道の十五分。そして、あなたの笑顔。そのたびに胸の奥が、静かに痛んだ。
大学三年の冬。久しぶりに高校の友達と集まった。居酒屋で、懐かしい話をしていた。
「そういえばさ」
友達の一人が言った。
「あの人、どうしてるんだろうね」
私は一瞬で分かった。あなたのことだ。
「引っ越したんだよね?」
「うん」
「連絡取ってる?」
私は首を横に振る。
「取ってない」
正確には、取れなかった。あなたが引っ越してからしばらくは、何度かメールのやり取りをしていた。でも、だんだん回数が減っていき、いつの間にか途切れてしまった。
新しい生活に追われていたのは、きっとお互い様だったのだと思う。
それでも――
最後に送ったメール。
『元気?』
その返事は、結局来なかった。
社会人になってからも、私は忙しい毎日を送っていた。
朝早く起きて会社へ行き、夜遅くに帰る。そんな生活が当たり前になっていた。ある日の帰り道。駅を出たとき、空が真っ赤に染まっていた。思わず立ち止まる。夕焼けの空。あの頃と同じ空。胸の奥が、少しだけ締めつけられる。そのとき、不意に思った。もし今、あなたがここにいたら。きっと言うだろう。
「空、綺麗だな」
私は小さく笑った。
「本当だね」
そうつぶやく。でも、隣には誰もいない。
社会人三年目の春。久しぶりに実家に帰った。母が、押し入れから古い段ボールを出してきた。
「これ、高校のときの荷物」
中にはノートやプリントが入っていた。懐かしくなって、一枚ずつ見ていく。そのとき。一冊のノートが目に入った。見覚えがある。授業中、あなたが落書きしていたノートだ。いつの間にか私の鞄に入っていて、そのまま返しそびれていた。私はノートを開く。ページの端には、あの頃と同じイラストが描いてあった。先生の似顔絵。変な動物。思わず笑ってしまう。ページをめくる。すると、最後のページに文字が書いてあった。私は息を止めた。
そこには、あなたの字でこう書いてあった。
『もしこれを見つけたら』
『空を見てほしい』
胸がドクンと鳴る。
続きがあった。
『俺、将来どこか遠い街に行くかもしれない』
『でもさ』
『空は続いてるだろ?』
私はページを握る。涙がにじむ。
『だからさ』
『もし俺がいなくなっても』
『同じ空を見てくれたら嬉しい』
最後の一行。
『いつかまた会えたらいいな』
視界がぼやけた。
「……ばか」
私は小さくつぶやく。どうして今まで気づかなかったんだろう。どうして、あのとき――気持ちを伝えなかったんだろう。涙がこぼれた。でも同時に、心の奥で小さな光が灯った。いつかまた会えたらいいな。その言葉が、胸の中で静かに響いた。
それから数ヶ月後。
会社の研修で、地方へ行くことになった。新幹線で三時間ほどの街だった。研修が終わった帰り道。私はふと駅前の広場で立ち止まった。夕焼けが広がっていた。その空を見上げたとき。なぜか、強く思った。
あなたは今、どこで何をしているんだろう。
この空の続く場所にいるのかな。いつものように笑っているのかな。今はただ、それを願うしかないとそう思って歩き出そうとしたとき――後ろから声がした。
「……やっぱり」
私は振り返る。でも、そこには誰もいなかった。気のせいだと思った。でも胸がざわつく。私はもう一度空を見る。夕焼けは、どこまでも続いていた。
まるで――
何かが始まる前のように。
私は振り返る。人が何人も歩いている。でも、その声は聞き間違えようがなかった。胸がドクンと大きく鳴る。
ゆっくりと視線を動かす。そして――その人を見つけた。
時間が止まったような気がした。そこに立っていたのは、
あなただった。少し背が伸びた気がする。髪型も変わっている。スーツを着ていて、少し大人びていた。
でも――その笑顔は、あの頃と同じだった。
「……久しぶり」
あなたが言った。声が震える。
「どうして……」
やっとそれだけ言えた。あなたは少し照れたように笑う。「本当に会えるとは思わなかった」
「え?」
「俺、この街に転勤になったんだ」
頭が追いつかない。
「今日、初めて駅前来てさ」
あなたは空を見上げる。
「夕焼け見てたら、なんか懐かしくて」
そして私を見る。
「そしたら、いた」
信じられなかった。
10年。10年も経っていたのに。
「……ずっと会いたかった」
気づいたら、口から言葉がこぼれていた。あなたは驚いた顔をした。でもすぐに、優しく笑った。
「俺も」
その一言で、胸がいっぱいになった。しばらく二人で黙って空を見ていた。夕焼けは少しずつ暗くなっていく。
あなたが言った。
「覚えてる?」
「何を?」
「空の話」
私は笑った。
「覚えてるよ」
「どこにいても繋がってるってやつ」
「うん」
あなたは少し遠くを見る。
「正直さ」
「うん?」
「最初は寂しかった」
その言葉に胸が締めつけられる。
「でも、空見るたび思い出してた」
あなたは笑う。
「お前もどこかで見てるのかなって」
私は涙が出そうになった。
「私も」
声が震える。
「ずっと思ってた」
私はバッグからノートを取り出す。
「これ、覚えてる?」
あなたは目を見開いた。
「それ……」
「あなたのノート」
最後のページを開く。
あなたが書いた言葉。
『いつかまた会えたらいいな』
あなたは少し恥ずかしそうに笑った。
「そんなの書いたっけ」
「書いてた」
私は言う。
「それ見つけて、泣いた」
あなたは驚いた顔をする。私は深く息を吸った。そして言った。
「私、ずっと後悔してた」
あなたが静かに聞いている。
「あの日、駅で」
声が震える。
「好きって言えなかったこと」
空気が止まったようだった。
でも、私は続けた。
「本当は、ずっと好きだった」
涙がこぼれる。10年間、言えなかった言葉。やっと言えた。あなたはしばらく黙っていた。それから――小さく笑った。
「俺もだよ」
「え?」
「ずっと好きだった」
世界が止まった気がした。
「でもさ」
あなたは苦笑する。
「引っ越すって決まったとき、言えなかった」
「どうして?」
「遠くなるの分かってたから」
あなたは空を見る。
「中途半端な気持ちにさせたくなかった」
胸が締めつけられる。
「でも、後悔した」
あなたは真っ直ぐ私を見る。
「だからノートに書いた」
「……会えたらいいなって?」
「うん」
あなたは少し照れて笑う。
「そしたら本当に会えた」
涙が止まらなかった。10年の時間が、一気に溶けていく。
あなたが一歩近づく。そして言った。
「もう後悔したくない」
夕焼けが二人を包む。あなたは少し緊張した顔で言う。
「好きだ」
胸がいっぱいになる。
「ずっと好きだった」
私は泣きながら笑う。
「私も」
その瞬間、風が吹いた。夕焼けの空が広がっている。
どこまでも続く空。あなたが言う。
「やっぱさ」
「うん?」
「空は繋がってるけど」
そして、少し照れて言った。
「隣にいるほうがいいな」
私は笑う。
「うん」
帰り道。
駅までの道を二人で歩く。十五分の道。あの頃と同じ道。でも、今は違う。あなたが隣にいる。
「なあ」
「うん?」
「これからも空見るたび思い出すと思う」
「何を?」
あなたは笑う。
「今日のこと」
私は空を見る。夜が少しずつ広がっている。星がひとつ光っていた。そして思う。あの頃、何度も問いかけた言葉。
あなたは今どこで何をしていますか?
この空の続く場所にいますか?
その答えはもう分かっている。
あなたは今――
この空の続く場所で私のすぐ隣にいる。




