ステラ座の看板女優たち
「ダリア……とても残念だ」
「一体なんのことでしょう?」
「君がリリーをいじめたことはわかっている」
滑舌の良い大きな声が天井を震わす。言葉が途切れ、静かになった一瞬で観客達が息を飲む音が聞こえた。彼らは爛々と目を輝かせながら拳を握り、悪役令嬢がやり込められる様子にのめり込んでいる。
「あの時の野蛮人共が殿下達の変装だったということ……!? では私のしたことは全て……!?」
「あぁ、リリーがわざと囮になってくれていたからね。救い出すのは容易だった」
畳み掛けるような伏線の回収。どんどん追い詰められていく悪役令嬢に観客達からは、ほぉ、と感嘆のため息が聞こえてきた。
(よっし!!!)
小さくガッツポーズを取りながら、僕、脚本・演出家のクロード・フェロウはにやけそうな顔をひきしめる。とはいえ真っ暗な劇場で、舞台袖にいる僕の顔が見えるわけもないし、観客達はお芝居に夢中だから気づくことはないだろう。
「ダリア様、証拠はここにそろっております。どうか、罪をお認めになってくださいませ」
「私は……私は認めることなどできません! 貴方のような、努力で家柄すら霞ませてしまうような淑女がいるだなんて、あぁ、あまりにも胸が苦しい……! その努力する姿で、私のロイ様を奪ってしまわれた!」
少々大袈裟で芝居がかっているようなセリフも仕方ない。だってこれは芝居なのだ。
僕が作った創作劇である『花物語』。内容は平凡な少女が学園で出会った王子様と恋に落ち、その王子の婚約者である、所謂悪役令嬢にいじめられながらも逞しく成長し、恋を勝ち取るラブストーリーである。
悪役令嬢を諌めているのは主人公のリリー。ふわふわの桃色の髪を持つ美少女だ。大きな青緑色の瞳をキラキラと潤ませ、観客達を魅了している。ヒロイン役を見事に演じる彼女はこの舞台の座長であり、劇団のオーナーだ。観客達を納得させる演技力に加え、その場を支配するような存在感がある。そのせいか小柄なのに舞台ではとても大きく見えた。
そんなヒロインの正面に堂々と立つのは長い黒髪を靡かせる綺麗な少女。紫水晶のような瞳をきつく釣り上げている。その目力の迫力たるや、悪役令嬢という言葉がよく似合う面立ちだ。彼女は経験が浅いながらもこの劇団ではトップクラスの演技力を誇っていた。
「君がこのような道徳に反する道を選んでしまったのは全て私がはっきりしないからだ。義務としてしか君の隣にいることができなかった。本当にすまない。……しかし、君がリリーにしたことを許すわけにはいかない」
ヒロインをかばうように前に立ち、美青年は苦しそうに顔を歪める。ヒーロー役である美青年はプラチナブロンドに藍色の瞳を持つとんでもない美形で、身長が高くスタイルが良い。すらりと長い四肢は実に舞台映えする。一度その視線が観客に向かえば、老若男女関係なく悲鳴にならない声をあげ心臓を抑えるほどだ。現に今も、最前列のお姉さまお兄様おばさまおじさま方が必死に胸を抑えながらクライマックスシーンを見逃してなるものかと目を血走らせている。すごく怖い。
「リリー、これで全てが解決した。こんな不甲斐ない私だけれど、ともに未来を歩んでくれるかい?」
「はい。私は貴方とともに……。いつまでも離れません」
悪役令嬢は衛兵に連れて行かれ、二人は舞台の階段の一番上で唇を重ねる素振りを見せ舞台が終わる。鳴り止まない拍手に僕は引き締めたはずの口元を緩ませた。今回の舞台も大成功だ。
***
アルカ大陸最大の街ブラッドウェイ、ここは芸術の都と呼ばれ、数多くの劇団が創立している激戦区である。その片隅の片隅にあるステラ座と呼ばれる場所が僕たち劇団セレネの本拠地であり専用劇場だ。
千秋楽(舞台公演の最終日)が終わり、劇団でささやかな打ち上げをしたあと、僕と主演三人はステラ座の舞台の上で打ち合わせという名のささやかな二次会を開催していた。
「なぁ、やっぱ変に悪役令嬢に同情するんじゃなくてよ。もっとこー……残虐な悪役令嬢をバッタバッタとなぎ倒すヒロイン! とかのほうがスッキリしねぇか?」
デビルキラーと書かれた一升瓶を握りしめ、ピンク髪の美少女がおっさんのような口調で僕に話しかけてくる。初見の人はまず目を疑う光景だろうが、これが彼女の、座長であるクレアの通常営業だ。
見慣れているはずなのに、僕は毎回悪夢を見ているような気分になる。せっかく素材自体は最高に可愛いのに……と残念なものを見る目で彼女を見つめた。
「座長、何度も言いますけどあぐらかいてスルメ噛みながらおっさんみたいな言葉で喋らないでくださいよ。せっかく『見た目だけ』は美少女なんですから。ほら、正座がだめなら乙女座りしてください! こうですよ! こう!」
「げぇっ! なぁにが乙女だよ。やるわけねぇだろ! ってか何でお前がやってるんだよ。よく座れんなぁ、男女じゃ骨格が違うからできねぇんじゃなかったっけ?」
僕が乙女座りはこうだとやって見せても、クレアは嫌そうな顔で膝を指先でポリポリかくばかりだ。一向に座り直す気配がないおじさんじみた美少女にがっくりと肩が落ちる。
「俺が男らしいっていうより、お前がなよなよしいんだよな」
「男っていうかおっさんというか……って、僕はなよなよなんかしていませんよ!!」
「おまけにチビだし?」
「はぁ!? 座長よりは大きいんですけど!?」
「クレアもクロードも喧嘩、しちゃ、だめです」
少しヒートアップした僕とクレアの間に入ってきたのは舞台で悪役令嬢を演じていた黒髪美人系女優のターシャだ。いやいやと頭を横に振って、うっすら涙の浮かんだ瞳で僕達を見つめている。メソメソ、と効果音が聞こえてきそうだ。そこには主人公を睨みつけていた悪役令嬢の姿は面影すらない。
クレアに負けず劣らず、ターシャも舞台とプライベートでのギャップが大きい。物静かで本が大好きなターシャは舞台では役に取り憑かれたような迫力のある演技ができる。所謂憑依型と呼ばれる天才肌の役者だ。
それでいてこの劇団では末っ子の16歳だというのだから驚きである。ゆえに打ち上げの彼女はいつも大好きなオレンジジュースを飲んでいた。グラスは可愛いウサギ模様だ。
「その通りだよ。せっかく舞台が黒字になったんだ。まずはそれを喜ぼうじゃないか」
ハスキーな声がさらに僕とクレアを宥める。ポンと肩を叩かれて振り向くと、美青年、の顔をした美少女、アリアナが眉をハの字にして微笑んでいた。男性と見紛う中性的な美しさとスタイルの良さを持つアリアナはこの劇団一の人気者であり、貴重な男役だ。
「そうだね。じゃあ女性劇団セレネ、黒字を祝ってかんぱーい!」
安酒の入ったグラス(+オレンジジュース)を四人で傾け、カチンと縁をぶつけ合いながらほんの僅かな黒字を祝う。
「ったく、役者の給料払ったらほぼ0じゃねぇかよ。この劇場も大分ボロっちくなっちまったしな~。はぁ~! ゴールドが恋しいぜ~~!」
「クレア、お母様が守った劇場、ボロとか、だめ」
「へいへい」
ターシャに窘められたクレアが面倒くさそうに頷く。それを見たターシャが無言になってジト目で抗議するのもいつもの光景だった。
僕達の家ともいえるほど慣れ親しんだこの劇場はクレアの母親が遺産としてクレアに残してくれたものだ。クレアの母親が購入した当時もそこそこ年数がたっていたらしく、今となってはアンティークと言って差し支えないぐらいには年月を感じる。
劇場の座椅子はキィキィと軋む音がするし、下手するとパイプ椅子の方が座り心地がいいかもしれない。それでも劇団員の殆どがこの劇場に愛情をもち、大事にしている。その筆頭はきっとクレアだろう。そうでなければ赤字も多いこの劇団をなんとか維持しようとなどしないはずだ。
「興行収入はクロードさんがきてから右肩上りだ。利益をもっと出せるようになったら直そうじゃないか」
「あはは、そう言って貰えて光栄です」
「まぁ確かにな。流行りに上手くのれてんのもクロードの脚本や演技指導が上手く言ってるからか。とはいえ、今回の公演もほぼアリアナの人気のおかげみたいなもんだけどな」
「ふふ。クロードさんのためなら、私はいくらでも頑張るよ」
ずい、と急に顔を近づけてくるアリアナに僕はヒェと悲鳴をあげそうになるのを飲み込んだ。アリアナの顔が輝かんばかりに美しすぎて頭に何も入ってこない。睫毛が長い! いい匂いがする……!
「うわぁ! ち、近いです……!」
「クロードさんは私の光だ。悩み苦しんでいた私を救ってくれた恩人、もはや神。私にできることなら何でも言ってくれていいんだよ。私は嫁にいくことも辞さない」
「ひぃ!! 顔が良い……!!」
「アリアナ、クロードの目が潰れる前に顔を近づけるのやめろ。今どんなにアピールしたってそいつの記憶に残んねぇぞ」
「……私が凛々しく美しすぎるばかりに」
「アリアナも、クレアも、全然舞台と、違う。みんな、いっぱい、騙されてるね」
「「それを君(お前)が言うのかい?(言うのかよ?)」」
一瞬の静寂に僕はハッと意識を取り戻す。なんだか一瞬記憶がとんだ気がした。理由はふわっとしているが、よくあることなので多分アリアナのせいだろう。アリアナは自分の顔面の強さの自覚がないのか、僕によく顔を近付けてくる。間近で見る顔の麗しさに記憶が持っていかれるのだ。
「あ、そうだ……!」
何の話をしていたかを思い出して、僕は口を開く。
「次の公演だけど、そろそろ焼き直しみたいな平凡少女と王子の恋はやめたいって思っているんだ」
「あ? でも今はそれが舞台の一大ブームなんだぜ? 令嬢恋物語を謳わなきゃ客は公演のチラシすら見やしねぇ」
「うん……それが困ったところなんだよね……」
現在、この街で星の数ほどある劇団のうち、六割以上が上演しているのは令嬢恋物語と呼ばれる可憐な少女が悪役令嬢を打ち倒す物語である。
なんせこの内容なら大半の客は喜んで見に来てくれるのだ。大手の劇団は資金に余裕があるから色々な種類の公演もできるけれど、うちみたいな弱小劇団は冒険できるほどの余裕がないのが悲しいところである。
「……まぁそういう俺もさすがに飽きてきたわ。せめて相手が絶世の美男子だったら多少は楽しくやれんだけどよ」
「男と女が同じ舞台にあがるのは違法ですよ」
「わかってらい」
この街に男女混合の劇団は一つもない。不純な事件が起こるとして街の法律で規制されているからだ。街の外、特に他国では『街の法律にそんなものがあるのか!?』と驚く人も多い。これは芸術に特化したこの国独特のルールなのだ。
それでいて劇作家や美術担当者は異性でもいいので意味がないように思うけれど、役者を恋い慕いすぎて無理矢理入団しようとする異性の抑止力になっていることもあるので、全然役に立たないわけではないらしい。同性は……考えないでおこう。
「私も、毎回、悲しいめにあうの、やだな」
「ターシャ……毎回ごめんな」
「ううん、クロードの、お芝居、どのお話も楽しい、よ。演じるのは、好き」
王道恋物語というジャンルにおいて、きつい顔立ちに見えるターシャは大抵主人公に意地悪をする令嬢役ばかりだ。ヒロインにしてあげたいけれど、彼女をヒロインにするといじめる側の悪役令嬢ができる人間がいなくなる。演技力が釣り合わないのだ。
同じくずば抜けた演技力を持つクレアはというと、小柄で目が大きくキュルンとした美少女。どう見ても悪役令嬢には見えない。見た目だけなら完全にトップオブヒロインである。
こんなのよほどの性悪じゃなければ……ん?
「そうだ! 今回はヒロインと悪役令嬢の配役を逆にしよう!」
「はぁ? 俺が悪役令嬢するのか? そんなもん誰が怖がるんだよ」
「だから、か弱く見えていたヒロインが実は黒幕なんだよ! 王子を騙してるんだ! それを悪役令嬢に見えたけど本当は心根の優しいヒロインが救うんだよ!」
もっと腹黒くしたいならば王国の転覆を画策する亡国の王女、なんて設定もいいかもしれない。湧き上がってくるアイディアに僕は胸が熱くなるのを感じていた。
最初は懐疑的だったクレア達も僕が溢れ出して止まらないアイディアを口にすると徐々に目が輝き始める。クレアに至っては珍しく酒を飲む手が止まっていた。
「……なるほど、確かにそれは新しいかもな。令嬢恋物語の逆、悪役令嬢恋物語か」
「すごい! 私、したい!」
クレアは顎を撫でながら何度も真面目な顔で頷き、ターシャは珍しく大きな声を出して頷いていた。アリアナはどうだろう? と彼女を見ると、優しい笑顔を浮かべて僕を見つめていた。え? 麗しすぎる……。
「基本的に私は愛おしいクロードさんがしたいことならなんでも肯定するから、何も問題ない」
「……。ハッ!? 顔が良すぎて気を失ってた」
「……。私は何も問題ないです」
「良かった!」
アリアナは問題ないというわりには不服そうな顔をしている。
僕が「気乗りしないのでは?」と不安になって問いかけると「いえ、時間をかけるので大丈夫です」と猛禽類のように目を光らせていた。そんなに役作りに不安になっていたとは思わなかった。
確かにヒロインに騙される王子という設定だと少々、わりと、馬鹿ということにはなるので、凛々しい彼女には難しい役なのかもしれない。ならば少し設定も変えれば……。あぁ、考えれば考えるほどわくわくしてしまう。内側から湧き上がるような謎のエネルギーが勢いよく僕を突き動かしていた。
「よし! それじゃあ僕は悪役令嬢恋物語の台本を作るよ!」
「みんなで、アイディア、出しあう」
「おう、女の裏側は女のほうが詳しいからな。いくらでも聞かせてやるよ」
「クロードさん、他の女性はともかく、私は決して裏表のない清らかな人間だ。ゆえに君にぴったりだと思わないかい?」
「あ、クロード、アリアナに、顔、覗き込まれて、気絶した」
「……」
「報われねぇなぁ」
カッカッカ、とクレアはおじさんのように笑っていた。
***
この舞台の構想は他の劇団員にも『新しい!』『楽しそう!』と好評を得ることになった。
ターシャは正義側の役ということでいつも以上に演技に気合が入っていて、アリアナもそんなターシャに触発されたのか、つきっきりで演技指導をしてくれとせがまれるほどだ。
「殿下、どうか私の話を聞いてください。私は本当にそのようなことをしていないのです!」
「……君には謹慎してもらう。悪いが、これは僕がくだしたのではない。君のお父上と陛下との話し合いの結果だ」
僕は悪役令嬢の演技をしながら必死にアリアナに縋り付く。不思議なことに自分も演技をしている時はアリアナの煌めくご尊顔を見つめても記憶は失われない。もしかしたら僕に役者をしていた経験があったのが良かったのかもしれない。集中して役に入り込んでしまうので、才能の差があれどターシャと僕は大きく分類すれば同じタイプの表現者だ。
「そんな……どうして信じてくださらないの? こんなの、おかしいわ……。殿下のいうことは身に覚えのないことばかり……まさか……ッ!」
「冒頭はもう完璧だな。アリアナ、クロード、少し休憩しろ。朝から昼飯食べずにずっと練習し続けてんぞ」
「クレア!? え!? もうそんな時間!?」
僕達が練習しすぎていることに気づいたクレアから声をかけられ慌てて時計を見る。もうすでに2時をすぎていた。どうやら集中しすぎてしまったらしい。
申し訳ないことをしたとアリアナに謝ると大変参考になった、とにこやかに微笑んでいる。しかしその頬は激しいシーンもなかったのに赤く染まっていた。
「とっても、参考になった!」
「ターシャ!?」
声の聞こえた方を振り返れば、ターシャもみていたらしく稽古場の端でウンウン頷いている。朝は用事があるからいなかったはずなのに、いつの間にいたのだろうか。もしいるのであれば僕が代役をする必要なんてなかったのだが……。
「ターシャの演技に僕の演技が役立つことあるの……?」
「? 当然、では?」
ターシャは不思議そうな顔で僕を見ている。ターシャは天才だから、どんな演技でも参考になるのだろうか。さすがだなぁと僕は一人納得し、思い出したかのようにお腹が鳴って三人に笑われたり呆れられたりして少しばかり恥ずかしい思いをした。
***
ここが劇団の名前の売り時だと、クレアが公演のチケットを関係者や記者達にばらまいた。そして舞台公演初日の彼らの反応は殆どが好意的で『悪役令嬢物語』は目論見通り歌劇ファン以外にも話題となったのだ。
『アリアナ様の王子様、愚かだけど顔が良い~~!! ターシャちゃんも新しいヒロインだった!』
『クレアちゃんの悪役ヤバくない? あたし鳥肌たったわ……』
『新しい風を感じる……! きっと今期の流行りは悪役令嬢恋物語になるぞ……!!』
おかげさまで開催される公演チケットは全て即日完売した。クレアは売上を見ながら今回のヒロインという名の悪役令嬢ぴったりの黒い微笑を浮かべている。
舞台を行えば行うほど劇団セレネも一躍有名となり、似たような舞台が次々に公演されてもなお、劇団セレネの『悪役令嬢物語』は元祖として人気を博している。飽きられないように色々な趣向をこらし定期的に世界観や設定を変えたのも良かったのだろう。
ターシャは誤解されても恥じることも隠れることもせず堂々と立ち振る舞う美しきヒロインとして女性達から支持を得ており、騙されている王子はちょっとアホな役どころであるにも関わらずアリアナの人気はとどまるところを知らない。そのうち王子も実は騙されたフリをしている、なんて設定で格好良さを増々にした脚本も大いに受けそうだ。
クレアは人気が落ちると思いきや、インタビューのサバサバした(おじさんみたいな)対応にギャップが面白いとなぜか子供たちに人気が出ていた。
順風満帆とはこのためにある言葉ではないか、そう思えるような忙しくも楽しい日々が劇団セレネの日常となりつつあった。
***
「は? と、特別公演!?」
劇団セレネの絶頂期といっても過言ではない今、ブラッドウェイ演技協会から打診された特別公演依頼に僕達は目を見張った。
「はは、こりゃあヤバイ。でっけぇところの劇場関係者や大物俳優、今人気の若手俳優、おまけにスポンサーになってくれそうな商社の役員に国のお偉方まで集まるときた……」
「す、すごい……」
渡された書類には国営新聞社の名前まである。とんでもない。もしこれで最高の舞台を演じることができたら、ステラ座と劇団セレネは舞台業界の歴史にその名を残すに違いない。
「敵に不足はないね」
「敵って、アリアナ、敵はいない、よ?」
「ぼ、ぼくも手が震える……でも……」
「断るなんて、情けねぇこといえねぇよなぁ?」
クレアは悪役も真っ青などす黒い笑みを見せる。これじゃあ令嬢ではなくギャングの女ボスだ。しかし彼女の胸に燃え上がった熱い気持ちはきっと僕達も一緒だ。
「……」
「ターシャ? どうしたんだ?」
「ううん。まずは、次の公演!」
少し黙って俯いていたターシャに声をかけると、ゆるゆると頭を振った。確かにまずは目の前の公演に集中しなくてはならない。ここで大きなミスがあれば特別公演の話がなかったことになるかもしれないのだ。
「よっしゃ。今日の公演前に最終打ち合わせだな。その時に特別公演の話でもしてやるか」
「どうだろう? 皆浮足立って気も漫ろになりそうだし、終わってからの方が……」
僕達は特別公演に思いを馳せ、声を弾ませながら舞台へと向かう。あまりにも順調にいきすぎて浮かれているのは僕達も同じだったのだろう。
その時の僕達は、後ろで不安そうに自分の足を見つめるターシャに気付くことができなかった。
***
ついに特別公演が明日に迫った夜、僕達は最終打ち合わせを行っていた。
端役の子達も舞台道具を確認してくれたり、新たに小道具を作ってくれたりもしている。最近は芝居の稽古の時間も大きく増えていた。特にターシャは主役ということもあり随分居残りしていたようだった。
「クロード」
「? ターシャはまだ演技に不安があるの? いつも通り、全然問題ないと思……ターシャ!?」
台本をもって近付いてきたターシャに声をかけた瞬間、ターシャはゆっくりと足を抑えて崩れ落ちていく。慌てて抱きとめるが、ターシャの右足は倍近く腫れ上がっていた。
「ターシャ……!?」
「足が……!」
明らかに異常なほど足が赤く、腫れ上がっている。いつから痛かったのだろうか。今回演じている役は活発で下町にも変装して出かけるようなアクティブな女性だっただけに、ターシャの足は余計に悪化してしまったのかもしれない。
もっと早く申し出てくれれば……とも思ったが、特別公演前の話を聞いて、ターシャが問題をおこさないよう我慢していたことにすぐ思い至った。それが公演前に丁度爆発するなんて、ターシャだって思いもよらなかったのかもしれない。大人びているが、彼女はまだまだ子どもなのだ。
「ターシャ、もうこれは折れてるかもしれないッ……! 今すぐ病院に行こう!」
「やだ……明日、絶対、成功させないと……!」
ターシャを病院につれて行こうとするが、ターシャは嫌だと頭を振って泣く。そんなターシャを僕とアリアナが慰め、その少し離れた場所では病院に向かうため車を動かせるメンバーを呼び出そうと険しい表情のクレアが電話をかけていた。
「舞台は明日……だ、代役……!」
慌てて劇団員の面々の顔を見ようとするが、全員目や顔をそらす。「何でだよ!?チャンスだぞ!?」と訴えても、みんな青白い顔をして首を横に振っている。
「むむむむりです! 私達、ターシャさんほどの演技力がありません! あといじめる時の座長が生き生きしすぎて怖いから無理です!」
「私も絶対ムリです! アリアナさんに恋する王子様の瞳で見つめられるなんて! 心臓が止まります!」
「止まります!」
「私も!」
「私もです!」
「ははは、失礼な子猫ちゃん達だな」
「はう!」
「無理!」
「お写真買います!」
一気に場がシリアスからコメディと化した。うちの劇団はラブコメが一番好評なのだが、理由がわかる気が……している場合ではないな。
本来であればこういう時のために代役が務まる相手を用意しておくべきなのだが、貧乏劇団にそんな余力はそもそもなかった。それがこんなタイミングで問題になるだなんて、と自分の浅慮さに頭を抱える。いつかしないとな~と頭の片隅であったはずなのに、ここまで放置してしまったのは痛恨のミスだ。
「クロード、こうなったらお前しかいない」
そんな僕の肩をガシリと小さな手が掴む。顔をあげるとクレアが僕を力強い目で見つめていた。
「は?」
何の話かわからず、変な声が喉からこぼれる。
「お前は今日から女だ」
「いや、男ですよ!?」
急に何を言ってるんだ!? は!? また隠れて酒煽ってたな!?
こんな事態なのに、と責めようと開いた口はクレアの強い視線に負け、思わず閉じてしまう。
「お前が俳優を諦めたのって、当時所属していた劇団のトップスターから俳優として華がないって笑われたからだろ?」
「……そう、ですけど。それが何か?」
苦い思い出が頭をよぎり、自分の顔がくしゃりと歪んだのがわかる。
まだ俳優を目指していた頃、僕は大きな劇団に入れたものの、当時の花形俳優の先輩からボロクソに笑われたのだ。
『本気でスターになれるとでも?』と揶揄され、何も言い返せず『で、ですよねー!』なんて、道化のようにおどけて笑うしかなかった。
何も言い返せずに俳優への道を諦めた今となってはただただ辛い記憶でしかない。
「そいつは演技に関してなんか言ってたか?」
「……。それは……そう言われてみるとなかったと思いますけど」
「そりゃそうだろうなぁ。お前の演技は俺よかすげぇ」
「へ!?」
「お前の演技はすげぇ。座長の俺が認めてやる。だからそいつの言うことなんぞ真に受ける必要なんかねぇんだ。ただ嫉妬されただけなんだよお前は」
「嫉妬って……」
そんな馬鹿なことがあるか、と苦笑いをする。自分が入れた大きな劇団でも貰えるのは端役で、身長のせいで子供や腰の曲がった老人役ばかりだった。
それに俳優の才能より脚本や演出の才能があったから、この劇団に拾ってもらえたのだ。そう反芻するように自分に言い聞かせる。
そう。ずっと僕は言い聞かせている。
俳優としてじゃなくても舞台から離れたくないと必死にしがみついて、今もなおスポットライトに照らされた舞台を見つめ続けているのだ。
「クロード……」
「ターシャさん、安静にしていなきゃだめですよ!」
這いずりながらやってきたターシャが僕の服の裾を掴む。どこにあったのだろうと思えるほどその力は強い。
「クロード……私、このお芝居も、この劇団も、終わらせたくない」
「……」
「ごめんなさい……私、役、譲りたくなくて、我慢して、だめにしちゃった……!」
「ターシャ……」
ターシャのつり上がった瞳からポロポロと透明な雫が溢れていく。ごめんなさい、と何度も謝るターシャの姿を見て、責められる人間はこの劇団にはいない。ターシャの熱意と努力をここにいる皆が知っているからだ。
「今回はスポンサーになりたがってる企業や大手劇団の脚本家、俳優と軒並み面倒臭い奴らがやってくる。ケチがつきゃあ、記者達だって面白おかしく記事を書いて客足だって遠のくだろう。この芝居からも、劇団からも」
クレアの声は悲しみと諦めが滲んでいた。ターシャの気持ちはわかるが、実際問題この状況をなんとかしなければ 劇団が終わってしまう。二度と公演できなくなってしまう。そうなったら皆バラバラだ。
そんなの、誰も望んでいない。
「クロード、ごめんなさい、ごめんなさい」
「ターシャさん……」
謝り続けるターシャに大丈夫ですと口だけの言葉を言うのは容易い。けれど躊躇してしまう。
それを言ったら、きっと自分は代役をやると言っているようなものだ。女性劇団セレネ。つまり僕は女装どころか本物の女性のフリをしなければならない。
悲しいことに僕とターシャは体型も身長もさほど変わらない。おまけに僕の顔はさほど特徴がないので、化粧でどうにでもなることを舞台に関わる人間として理解している。喉仏もあまり出ていないので隠す必要もあまりないかもしれない。……あぁ、もうこんなことを考えている時点で僕の負けなのだ。
「わ、わかりました。僕がやります。だからターシャさんはちゃんと休んでください!」
「クロード……? あり、ありがとう……!」
「よく言った!!」
「クロードさんが私のお嫁さんに……!?」
「え!? アリアナさん!? どうして倒れて……まさかアリアナさんも……!?」
アリアナが謎の興奮で一瞬倒れるというハプニングはあったが、体調には問題なかったため一晩かけて通し稽古を行う。元々台詞は僕が脚本を書いた時から頭に入っていた。
「自分ならこうする」ということが念頭にあったし、演技に定評のあるクレアにもお墨付きを頂けたのでほんの少しだけ安堵する。
ターシャは半泣きのまま病院に連行され、あえなく入院となった。めそめそしながらも次は絶対舞台に立つと舞台への執着を見せていたので、僕は安心してしまった。その執着がきっと彼女をもっと良い女優にしてくれるに違いない。
「明日ぶっつけ本番か……」
僕は一人最後まで稽古場に残っていた。クレアにお墨付きをもらったとしても、一回の通し稽古だけでは不安だった。少し休憩しようと立ち止まると、怒涛の展開を思い出して目をまわしそうだ。
『クロードごめんなさい』
そうしていると頭に過るのは辛そうに泣く年相応の女の子の顔だ。僕はもうターシャのあんな顔は見たくない。彼女が帰りたいというならば、その場所を絶対に守らねば。
僕は決意を新たに今一度台本に視線を落とす。不安なはずのに、それだけじゃない。心がどこかむずむずとしてうるさかった。
***
翌朝、クレアとアリアナの行動は早かった。僕を羽交い絞めにしたかと思うと、素早くドレスを着せるて化粧を施し、カツラで短い髪を隠す。舞台用の濃い目の化粧は、ぼんやりした僕の顔を華やかなものに大変身させた。
鏡を見て、あんぐり口を開けるくらい、どこをどう見ても僕は女性だ。しかもまぁまぁ美人の。
もし前に俳優として所属していた劇団でこの化粧ができていたら、僕は一生女性役をさせられていた気がする……。
準備を終えて舞台袖に立つ。ざわざわと人々の声が聞こえてくる。チラリと見える面子は新聞や雑誌でよく見る人物達で、僕が以前いた劇団よりさらに大きい劇団でトップをはるような大物女優、俳優の顔も見える。演技できるだろうか……顔パネルだと思えば……現実逃避してしまいそうだ。
「うわぁ……本物だぁ……」
さらにその俳優たちの横には演技も顔もよくて人気絶頂の若手俳優もいる。僕と彼は同年代なのでプレッシャーとストレスで胃がキリキリし始めた。
「あぁ、やばい足が震えてきた」
「大丈夫だよクロード。私がいる」
「アリアナ……?」
「失敗しても私が稼いでクロードを養うよ」
アリアナが僕の両手をぎゅっと握る。アリアナの手は緊張しているのか少し冷たくて、僕よりも緊張していそうだった。それなのにこんなふうに慰めてくれるなんて……。
なんて良い子なんだ。僕が身の程知らずや勘違いするタイプの人間だったらすぐに好きになってしまっていただろう。
「ふ、あはは! アリアナの冗談は面白いな!」
「え? いや冗談じゃ……あのクロード、手が……あうあう……!」
「おかげで緊張がほぐれたよ。舞台の上ではライバルだからね?」
僕は挑むように言うと、アリアナは目を丸くしたあと、真面目な顔で僕を見つめていた。
「……全力で行きます」
「もちろん僕もだよ」
アリアナの冷たい手を今度は僕が包むように握る。少しでも手が温かくなって、緊張がほぐれますように。しかし励ますために握った手は温かくなったものの、震えが酷くなってしまった。
そこに呆れたような顔をしたクレアがやってくる。クレアは胆力があるからか、いつも通りで少しも緊張が見られない。むしろ舞台袖から観客達を見てとても楽しそうに眉を持ち上げる。
「なーに乳繰り合ってんだよ。……ここからは戦争だ。勝って目にもの見せてやろうぜ」
僕とアリアナはクレアの言葉に頷く。舞台開始のブザーが鳴り、アナウンスが流れる。その頃には心臓がはち切れそうなほどドキドキしていたが、それ以上にワクワクする自分にも気付いていた。
***
舞台にあがると不思議なことに不安などどうでもよくなる。涙は瞳に溢れない程度に溜めた方がいい、そんな繊細な体のコントロールも難なくできる。通し稽古とわずかな練習、それだけなのに以前と同じ感覚を僕はすぐに思い出すことができた。
「ちょっとそこの方、スラムの道ってこちらでよろしくて?」
ちょっと思いついて、僕は食い入るように舞台を見ている若手俳優の青年に声をかける。彼はキョロキョロしながら自分を指さし、僕が頷くと目を大きく開いた。
「……え!? 俺ですか?」
「えぇ、あなた以外に誰がいらっしゃるの? スラムはこちらでよろしくて?」
「え、えぇ……あ、たぶん、こっち? ですかね?」
「まぁ、ご親切にありがとうございます。ところでこのあたりは危ないそうですから、ちゃんと座っていらした方がよろしくてよ」
「え、あ、本当だ。うっかり呼ばれて立っちゃった……すいません」
「ごきげんよう」
落ち着いていれば大手劇団の舞台ではやらないような、観客に話しかけて劇に軽く混ぜるようなパフォーマンスもアドリブですることができる。相手が今人気の俳優だったこともあり舞台は大いに沸いて笑い声が響いた。
今回の悪役令嬢はおしとやかに見えるけれど活発に自分から悪事の証拠をつかむような強い女性だ。凛としつつ、それでいて淑女であることは忘れない。足は開かず、ステップを踏むように歩く。
そして断罪劇ではその証拠を自ら出してヒロインを追い詰める。
今まですました顔で悪事を働いていたクレアの演技が良すぎたのだろう。鬱憤がたまっていた観客がどんどんすっきりした顔になって、目が子供のように輝くのが面白い。
「……あの日スラムで助けてくれた方が変装した貴方だなんて気づかなかったわ。ありがとう」
「いや、それは俺のセリフだ。彼女の悪事の証拠が手に入ったのは君の勇気のおかげなのだから。ありがとう。ヒルデ。……君はまだ俺を信じてくれるかい?」
「えぇ、勿論よ! 愛しているわ!」
抱きしめ合う二人には大きな歓声と拍手が送られる。
客席から立ち上がる人々の笑顔に僕は涙が溢れそうになった。あぁ、そうだ。僕はこの景色が見たくて役者を志し、今もなお諦めきれず、劇作家になってまで舞台にしがみついていたのだ。
「王子アーサー役、アリアナ・ギブソン、侯爵令嬢ヒルデ役、ルゥ・ミステリー」
演じた役者達が次々に紹介され、僕がドレスを軽く持ち上げ、カテーシ-を披露すると、割れんばかりに拍手が大きくなる。眩いスポットライトに目を細める。ずっと憧れていた場所に、僕は立っていた。名前は即席で作られた偽物だけれど、涙が出るほど眩しくて、狂おしいほどに嬉しかった。
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特別公演の舞台の評判はかなり良く、セレネには多数のスポンサーがつくことになった。
古かった劇場は昔の名残を残しつつも新しいものに変わり、クレアは夜にピカピカになったステージで母親の写真と晩酌をしている。
ターシャはすぐに退院し、早々に舞台に立った。高みを目指し誰よりも練習するターシャの演技はずば抜けて上手く、観客は誰しもターシャの一挙一動に胸を打たれた。アリアナはそんなターシャに負けじと演技を磨き、足の開き方に至るまで男役の研究に余念がない。女性の理想を体現する存在となっていた。
そんなターシャやアリアナを目指してこの劇団のオーディションを受けようとする女性達は何十倍にもなり、大人気となった二人には大手劇団から誘いがくるが、今もなおセレネに残ってくれている。
「さて、次の舞台はどうしよっかな~? せっかくだからスポンサーの商品を小道具にしてみるなんて新しくて良いかもな!」
そうして僕は今日も新しい脚本を考える。
俳優になりたいと願う気持ちはまだくすぶっているけれど、この劇団から離れることなど僕には考えられなかったのだ。
僕がのんびり次の舞台の構想を考えている頃、特別公演にのみ姿を見せた『謎の若手女優ルゥ・ミステリー』の演技やその美貌は、観客や記者から絶大な支持を受け、僕の知らぬところで一人歩きしまくっていた。
「彼女に声をかけられた時の高揚感が忘れられないんだ」と熱っぽく溜息をつく人気俳優や、あの演技を見れないなんて人生の楽しみの七割を損している、なんて誇大広告を真に受ける人間が山ほどいるなんて誰が想像できるだろう?
僕は諦めたはずの舞台に再び性別を誤魔化したまま放り出されることになるのだが、この時は知るよしもなかった。




