第3話「新たな空の下で」その2
夜の静けさは、翔太にとって不思議な感覚だった。
ベッドに身を横たえ、目を閉じると、現代の喧騒とはまったく異なる音が耳に届いてくる。
虫の羽音。木々のざわめき。どこか遠くで水が流れるような音。自然が息づく気配に包まれながら、彼は現実と夢の境界をふらふらと彷徨っていた。
(夢なら、そろそろ覚めてもいい頃だよな……)
天井は見知らぬ木材の梁が走り、空気には乾いた土とハーブの香りが混ざっている。
ベッドの硬さも、毛布の質感も、どこか異国めいていた。だが、それが“嘘”の世界だとはまったく思えない。むしろ、やけに馴染んでしまいそうな居心地のよさすらある。
(あんなに現実から逃げたがってたくせに、いざ本当に世界が変わると怖いもんだな……)
今、窓の外には見たこともない夜空が広がっているはずだ。星座の形も、月の色も違う。
だけどそこに、妙な安心感があった。もしかすると自分は、こうなることをどこかで願っていたのかもしれない――そんな思いがふと頭をよぎる。
「……っ」
目を閉じたまま、手を握ってみる。震えていた。
怖さは確かにある。けれど、それ以上に、なぜか胸が高鳴っていた。
(もし、ここで何かを始められるなら。もし、自分を変えられるなら)
どんなに小さくてもいい。
一歩踏み出せたなら、それは今までの自分にはなかったことだ。
いつしか思考は緩やかに沈み、翔太は深い眠りへと落ちていった。
◇ ◇ ◇
朝が来た。
柔らかな光が窓の隙間から差し込み、部屋の空気に微かな温度の変化をもたらしていた。
鳥のさえずりが目覚ましの代わりのように響き、翔太はゆっくりと目を開ける。
「……あれ、まだ夢じゃないのか」
ベッドの上で軽く伸びをすると、昨日までの疲れが少しだけ和らいでいる気がした。
身体のだるさはまだ残っているが、視界ははっきりしていた。
隣の机には、折りたたまれた衣服と手紙のようなものが置かれていた。
手紙を開くと、リアーナの丁寧な字でこう書かれていた。
おはよう、翔太。
ひとまず身体は大丈夫そうね。
今日は村の魔力診断師に会ってもらう予定よ。魔素への適応状態と、基礎素質を確認しておきたいから。
起きたらこの服に着替えて、玄関で待ってて。案内するわ。
――リアーナ
「……ほんとに、始まっちゃったんだな」
現実だ、と言い聞かせるようにもう一度周囲を見渡す。
服を手に取り、袖を通す。素材は見慣れないが、着心地は悪くない。昨日の衣装よりは幾分動きやすそうだった。
玄関へ向かうと、リアーナは既にそこに立っていた。
朝日を背に受け、やわらかな光の中に銀の髪がきらめいている。村人の視線がいくつか向けられていたが、彼女は気にする様子もなく翔太に声をかけた。
「よく眠れた?」
「ああ……まあ、意外と」
「ならよかった。今日は少し歩くから、無理はしないでね」
彼女はそう言って歩き出し、翔太はそのあとに続いた。
村を抜けると、森の手前にある小さな石造りの建物が見えてきた。どうやらそこが目的地らしい。
「ここが……診断っていうか、そういう場所?」
「ええ。正式には“感応術士”の住居兼施術所。今は村に一人しかいないけど、彼の腕は確かよ」
扉をノックすると、中から穏やかな老年の声が響いた。
「どうぞ。お入りなさい」