第2話「境界の村と銀の導き手」その2
風が吹き抜ける草原の中を、翔太はリアーナのあとをついて歩いていた。
足元の草はふかふかして柔らかく、けれど靴を通じて地面の重みもしっかりと伝わってくる。歩けば汗ばむ程度には陽射しが強いが、吹き抜ける風は乾いていて心地よかった。
先を行くリアーナの足取りは迷いがなく、まるでこの道を何度も歩いてきたかのように軽快だ。翔太はといえば、見知らぬ風景と慣れない装備に戸惑いながらも、とにかくついていくことだけを考えていた。
「……なあ、リアーナ」
不意に翔太が声をかけると、リアーナは横目でちらりと彼を見やった。
「さっき、魔獣が出るって言ってたよな。そんなに危ない場所なのか? ここ」
「ええ。昼間はまだ安全だけど、日が落ちるとこの辺りは一変するわ。特にこの季節は、“影這い”っていう夜行性の獣が出るの」
「影……這い……? 名前からして嫌な感じだな……」
翔太が顔をしかめると、リアーナはくすりと笑った。
「見た目も、もっと嫌な感じよ。夜の闇に紛れて忍び寄ってくるから、“気配を殺す”練習にはいいって、一部の戦士には人気なんだけどね」
冗談めかした口調の中にも、どこか現実味を帯びた響きがあった。
この世界は、ただ美しいだけではない。危険が確かに息づいている。
「それにしても……」
翔太は周囲を見回した。遠くには木立があり、小さな丘を越えた先には川のような流れも見える。そのすべてが、まるでゲームやファンタジー小説の中の風景のようで、現実感がまだ曖昧だった。
「この世界……すごく広そうだな。俺がいた場所とはまるで違う。空の色も、空気の匂いも」
「そうでしょうね。あなたの世界に“魔素”が存在していないなら、感覚はまるで異なるはずよ」
「魔素……?」
「この世界に満ちる根源的な力の粒子よ。風、火、水、土――すべての自然を構成する基礎であり、魔法の源でもあるわ」
翔太は思わず立ち止まり、深く息を吸い込んでみた。
鼻の奥に微かに残る、金属のような清涼感。それが魔素の匂いなのかもしれないと思った。
「君の世界では、きっと科学と理屈ですべてを測っていたのでしょう? でもここでは、“感じること”の方が大事になるわ。身体に流れる力や、周囲の気の流れ……そういうものを、まずは意識してみて」
言葉の意味はまだ分からない。だが、リアーナの口調には、揺るぎない説得力があった。
歩きながら、翔太の中には、じわじわとある感情が芽生えつつあった。
恐怖や不安に隠されていたそれ――それは、好奇心だった。
(もしかして、ここでなら……俺も変われるのか?)
異世界。魔法。魔素。魔獣。
現実では考えられない非日常が、すぐ目の前にある。
今のところ何もできない自分。でも、もしかしたら――ここでなら、“何者か”になれるかもしれない。
「もうすぐ、村が見えてくるわ。エルダリア王国の辺境にある“ミスト村”。私が今、仮住まいしてる場所よ」
「村……って、普通に人が住んでるのか?」
「もちろん。人間だけじゃなく、獣人やエルフの血を引く者も混ざってるけどね。偏見の少ない土地柄なの」
翔太は思わず目を丸くした。
獣人、エルフ――ファンタジーの代名詞のような存在が、本当にこの世界にはいるというのか。
「君って、こう見えて結構親切なんだな」
ぽつりとこぼしたその言葉に、リアーナは少しだけ驚いたような表情を浮かべた。
「親切……そうね。珍しいと思う? 私が?」
「いや、なんとなく……こう、最初はもっと冷たいのかと思ったから」
リアーナはくすっと笑い、再び前を向いた。
「そのうち分かるわよ、私がどんな人間か」