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第5話「旅立ちの朝と騎士の誓い」その1

 朝靄が村を包み込んでいた。

 まだ陽が昇りきらぬ静かな空の下、翔太は村の入口に立っていた。手には支給されたばかりの旅装束と小さな革のポーチ。中には乾燥保存食、水筒、そしてリアーナが用意してくれた魔素感応石が入っている。


「……これから、本当に旅に出るんだな」


 昨日までの訓練が、まるで遠い記憶のように思えた。

 魔獣との遭遇、初めての魔法、そして自分の決意。すべてが繋がり、今の自分を動かしている。だが、それは同時に“日常”との決別でもあった。


「お待たせ」


 リアーナが、いつもよりやや軽装のローブを羽織って現れた。その手には、旅の地図と巻物が抱えられていた。


「目的地まではおよそ二日。途中、エルダリア騎士団の駐屯地を経由することになるわ」


「騎士団?」


「ええ。王国の西側警備を担当している小規模な中隊。……そこで、ある人物と合流する予定なの」


 翔太が問い返そうとしたその時だった。


「やはり、出発はここだったか」


 低く、凛とした声が響いた。翔太が振り向くと、銀の鎧に身を包んだ男が馬に乗って現れた。端正な顔立ちと鍛えられた体躯、背筋の通った姿勢。その全てが“騎士”という存在を体現していた。


「……あなたが、翔太殿か」


 馬を降り、男は堂々とした足取りで翔太の前に立つ。


「ガレス・ラインハルト。エルダリア王国第三騎士団所属」


「……ガレスさん?」


「王宮からの命を受け、貴殿の護衛および訓練補佐を務める。今後は共に旅をし、剣の指南も任されている」


 翔太は呆然としながらも、思わず一歩後ずさった。

 その威圧感は、決して敵意によるものではない。むしろ、研ぎ澄まされた精神が放つ緊張感。それが翔太の体を自然と正させる。


 リアーナがそっと口を開いた。


「ガレスは、私の信頼する騎士のひとりよ。翔太の剣の資質を見てほしくて、王都から呼び寄せたの」


「……俺に、剣の才能が?」


 ガレスは翔太をじっと見つめ、やがてゆっくりとうなずいた。


「少なくとも、魔素だけでは道は狭まる。剣もまた、身を守る力となる。今の貴殿に、それを持つ資格はある」


 言葉は短く、重かった。だが、その中に押しつけがましさはない。

 翔太は無意識に拳を握った。魔法だけでなく、剣でも自分を鍛える――それは自ら望んだ“力”へのもう一つの道だった。


「……お願いします。俺に、教えてください」


 ガレスはわずかに口元を緩めた。それは、騎士としての礼儀の中にある、ごくわずかな“承認”の微笑みだった。


「まずは騎士としての基本から始めよう。礼儀、姿勢、剣の構え、そして心の在り方。剣はただの武器ではない。意志の表れだ」


「意志の……表れ」


「そうだ。力を持つ者は、己を律する強さを同時に持たねばならぬ。剣を抜く理由があるならば、抜かぬ理由も知るべきだ」


 その言葉に、翔太は不思議と心を打たれた。

 剣を持つということ。それはただ戦うことではなく、“なぜ戦うのか”を問い続けることでもある――。

 出発前の準備を終え、三人は村の門の前に立っていた。翔太は新調された旅装束の裾を直しながら、胸の内の高鳴りを押さえようとしていた。


「緊張しているのか?」


 ガレスがふと問うた。翔太は苦笑を浮かべながら頷いた。


「……うん、まあ。こうして本当に外に出るのって、まだ信じられないっていうか」


「当然の反応だ。だが、緊張は悪ではない。正しく恐れ、正しく向き合うことができる者だけが、生き延びる」


 それは厳しさの中に、経験に裏打ちされた重みがあった。

 翔太はその言葉を心に刻みながら、リアーナに目を向ける。


「リアーナ。村……いや、この場所を離れるって、寂しくない?」


 リアーナは空を見上げ、小さく微笑んだ。


「寂しさはあるわ。でも、それ以上に希望がある。翔太、あなたとこうして旅立てることは、この世界にとっての小さな転機になると信じているから」


 その眼差しは、穏やかでありながら、芯の強さを湛えていた。

 翔太はその視線に背を押されるように、大きく息を吸い込んだ。


「よし、行こう」


 ゆっくりと門が開かれた。

 その先に広がっていたのは、見渡す限りの草原と、遠くにそびえる山並み、そして点在する森と丘。初めて見る“アルセリア大陸”の広がりに、翔太は言葉を失った。


「……これが、外の世界」


 足元を踏みしめる感触すら、どこか新鮮だった。

 地面の温もり、風の匂い、空の広さ――全てが彼の五感を揺さぶった。


「ここから北西へ進む。まずは“ルグラン丘陵”を越え、エルダリア第三騎士団の駐屯地を目指す」


 ガレスが地図を広げ、指でなぞりながら説明する。リアーナが補足するように口を開いた。


「丘陵地帯は視界が開けているから、魔獣の襲撃は少ないわ。ただし、天候の変化が激しいから注意して」


 翔太はうなずき、改めて背負った荷物の重みを感じた。

 この数日で、少しずつ体力はついてきたはずだが、それでも旅の重みは思った以上に現実だった。


「……こんなに遠くに行くの、初めてだから」


「だからこそ、学ぶ機会でもある。すべての経験は、力になる」


 ガレスのその言葉に、翔太は小さく笑った。

 彼の口調はどこまでも厳しく、理屈めいているようでいて、不思議と温かい何かがこもっている。だからこそ、耳に残るのだ。


 しばらく歩いたところで、リアーナが立ち止まった。


「そういえば、翔太。旅に出る者には、“誓い”を立てる風習があるのよ」


「誓い?」


「ええ。騎士や冒険者たちは、それぞれの旅立ちに際して、自分自身に誓いを立てるの。“何のためにこの道を進むのか”という、心の道標」


 翔太は立ち止まり、青空を仰いだ。

 この世界に来てから、いくつもの戸惑いや恐怖があった。けれど――今、ここで始まろうとしているのは、自分自身の物語なのだ。


「……俺は、自分の力で、この世界を歩けるようになりたい。誰かの後ろじゃなく、自分の足で。迷いながらでも、進みたい」


 リアーナとガレスは、その言葉に無言で頷いた。

 翔太にとって、それが最初の“誓い”だった。

 丘陵地帯を進む道中、空はゆっくりと蒼さを増し、雲の切れ間から射す陽光が草原を金色に染めていた。翔太は汗ばんだ額をぬぐいながら、整えられた石畳ではない不整地を一歩ずつ踏みしめていく。


「思ったより……道が険しいな」


 ぼやくように言った翔太に、ガレスが振り返らずに応えた。


「これでも平地の部類だ。山に入れば、足場はもっと悪くなる。今のうちに慣れておけ」


「そっか……」


 翔太は荷物を背負い直し、前を歩く二人の背中を見つめる。

 リアーナはローブの裾を器用に避けながら、ガレスはまるで迷いなく進んでいる。その背中には、“旅慣れた者”の風格があった。


 (俺だけが足手まといになってないか……)


 そんな不安が胸の奥で小さく燻る。

 だが同時に、それを打ち消すように、今朝自分が立てた“誓い”が思い出される。


 (誰かの後ろじゃなく、自分の足で――そう言ったんだ、俺は)


 だからこそ、諦めるわけにはいかない。歯を食いしばって歩を進めると、ガレスがふと足を止めた。


「翔太、短剣を出せ」


「えっ、今?」


「今がいい。手元の武器を自在に扱えるかどうかは、生死を分ける」


 翔太は腰に差していた短剣を引き抜いた。刃は簡素だが、よく研がれており、日差しを受けて鈍く光っていた。


「構えろ」


 言われるままに剣を構えるが、ガレスはすぐに首を振った。


「腕に力が入りすぎている。剣は振り下ろすものではなく、流すもの。力ではなく、重みと意志を乗せろ」


 翔太は試しに構えを変えてみる。すると、驚くほど手の内が軽くなり、先ほどよりも体全体の重心が安定した。


「……なるほど」


「お前にはまだ経験がない。その代わり、無駄な癖もついていない。まっさらな者は、学ぶ速度が早い」


 それは、ただの励ましではなかった。

 翔太は目の奥が熱くなるのを感じた。

 この世界で、自分の存在を“認めてくれる”言葉。それが、これほど胸に響くものだとは思わなかった。


「ガレス。俺、本気で上手くなりたい。剣も、魔法も。ちゃんとこの世界で通用するように」


「ならば、その意志を剣に込めろ。技術は後からついてくる。意志なき剣は、刃に過ぎん」


 ガレスは翔太の肩に手を置くと、一歩下がった。


「よし、今日はここまでだ。訓練はまた日を改めて行う。次の休息地まではあと二時間だ。歩けるな?」


 翔太はしっかりと頷いた。


「歩けます!」


 その声に、リアーナが小さく笑った。


「少しずつ、旅人らしくなってきたじゃない」


 翔太も笑った。疲労はあったが、それ以上に充実感が胸を満たしていた。

 旅は始まったばかりだ。けれどその一歩一歩が、確かに彼の内側を変えていく。


 (きっと、俺は――変われる)


 陽は高く昇り、三人の影を遠くへと伸ばしていた。

 旅の始まりの朝は、確かに彼らの背中を押していた。


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