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第4話「風鳴く森の先で」その1

 朝露が残る石畳の道を、翔太はリアーナのあとについて歩いていた。空は高く晴れわたり、村の木々がそよ風に揺れていた。森の緑と陽の光が交差する小道は、どこか幻想的で、現実離れした景色に見えた。


「今日から、魔素の訓練を始めるわ」


 リアーナの声はいつもと変わらない落ち着いた調子だったが、どこか楽しげな響きがあった。


「訓練って、本当に……俺に魔法が使えるのか?」


 翔太は昨日の感応術士の言葉を思い返していた。「君には“魔導の素質”がある」と告げられてから、何度も自分の手を見つめた。だが、その手は日本で暮らしていたときと何も変わらず、ただの高校生のものに思えた。


「魔法は才能だけじゃないの。世界の流れに気づくこと、そこに自分を重ねること。感応はその第一歩にすぎないわ」


 リアーナは森の奥へと歩を進め、小高い丘を越えた先に広がる空間へと翔太を導いた。

 そこには、丸く並んだ石柱が建ち、中央には苔むした木製の標的がいくつか立っていた。足元には柔らかな草が生い茂り、鳥のさえずりと風の音が響く。人の気配はなく、静謐な空気が広がっていた。


「ここが、訓練場?」


「ええ。“初等訓練場”と呼ばれている場所よ。主に来訪者や子どもたちが最初に魔素に触れるための場所。ここでは、世界に満ちる力と向き合うことを学ぶの」


 翔太は石柱のひとつに手を触れた。ひんやりとして、指先に湿った感触が残る。だが、その中に“力”と呼べるものは感じられなかった。


「まずは魔素を“感じる”ことから始めましょう。翔太、目を閉じて」


 リアーナは柔らかく言った。翔太は深く息を吐き、ゆっくりと目を閉じる。


 風が頬を撫で、木々のざわめきが耳に届く。鳥の声、草の匂い、そして地面に伝わる微かな振動――感覚を研ぎ澄ませると、確かに世界は“音”や“動き”に満ちているようだった。


「……魔素って、どんなふうに感じるんだ?」


「説明は難しいけれど……たとえば、水面に小石を落としたときの波紋のような揺らぎ。空気の流れとは少し違う、静かな震え。それに気づくことができれば、きっと見えてくるわ」


 翔太は息を吸い、肺に空気を満たし、ゆっくりと吐き出した。二度、三度と繰り返すうちに、頭の中から雑念が抜け落ちていく。

 世界が静かになり、感覚だけが研ぎ澄まされていく。


 ――それは、風の合間に確かにあった。


 草の揺れが、一定のリズムをもって動いているように見えた。目を閉じているはずなのに、どこかで淡い光が揺れているような気配もする。


「……なんとなくだけど、空気が重たいっていうか……濃く感じる」


「それが魔素の気配。感じられたなら、第一段階は合格よ」


 翔太が目を開けると、リアーナが微笑んでいた。

 彼女の指先には、ふわりと小さな光の粒が集まっていた。それは淡い青緑の輝きを放ち、風に乗って舞う。


「これは、私の魔素に反応した“風素”。魔法はね、こうやって視覚化できることもあるの」


 翔太はその光に目を奪われた。ゲームのエフェクトとも違う、自然で、それでいて美しい光だった。


「……本当に、魔法なんだな」

 翔太の目の前で舞う光の粒は、空気の流れに乗るようにゆっくりと広がっていった。

 まるで生きているかのような動きに、彼は思わず手を伸ばしたが、指先が触れる直前でふわりと消えてしまった。


「消えた……」


「魔素は不安定なものなの。今のあなたは“見る”ことはできても“留める”ことはできない。でも、十分よ。魔素の気配を感じられるようになっただけで、大きな前進」


 リアーナは優しく言った。その口調には、師としての温かさがあった。

 翔太は深く息を吸い込んで、自分の胸の内を落ち着かせようとした。自分が確かに何かに“触れた”という感覚が、まだ指先に残っていた。


「じゃあ……次は、動かしてみるとか?」


「焦らないの。次の段階は“魔素を通す”こと。感じた気配を、自分の内側に取り込むの」


 リアーナは広場の中心に立つと、両手をゆっくりと胸の前に構えた。


「見てて」


 そう言って彼女が軽く目を閉じると、風が広場を渦のように巻き始めた。足元の草が一斉に揺れ、リアーナの銀髪が風にたなびく。そして彼女の身体を中心に、透明な気流のようなものがゆらゆらと揺れ始める。


 翔太は思わず息をのんだ。

 それは目に見える風というより、“空気の層そのもの”が動いているようだった。


「魔素は世界のあちこちに存在してるけど、魔法として放つには、一度自分の中に通す必要があるの。私がいまやっているのは、その流れを制御している状態」


 翔太は口を開いたまま、その様子を見つめていた。

 風の音が変わった。空間が、彼女を中心にして呼吸しているように思えた。


「……リアーナって、本当にすごいんだな」


「すごいかどうかはともかく、私はこれを十年以上かけて学んできたのよ。あなたはまだここに来て数日。比べる必要はないわ」


 リアーナが微笑むと、風がすっと収まり、広場に再び静寂が戻った。

 翔太は、膝をついて地面に手をついた。

 まだ頭が熱い。体の奥で何かがうごめいている感覚があった。


「なあ、リアーナ。俺、本当にこの力を使えるようになるのかな」


 リアーナは真剣な顔で翔太のほうを見た。


「なるわ。あなたには、世界の揺らぎに気づける感性がある。そしてそれは、才能や訓練以上に、魔導において重要な素質よ」


 その言葉を聞いて、翔太の中で小さな灯が灯った気がした。

 たしかにまだ何もできない。けれど、ここでなら、自分は何かを“始める”ことができるかもしれない。


「――あら?」


 ふと、森のほうから子どもたちの声が聞こえてきた。翔太とリアーナが顔を向けると、木立の間から数人の子どもが走ってくるのが見えた。


「おーい! リアーナ先生!」


 その中のひとり、元気そうな男の子が手を振っていた。翔太は昨日、村で彼に話しかけられたのを思い出す。


「訓練場に来てたのか。こりゃにぎやかになりそうだな」


 翔太がつぶやくと、リアーナは少し肩をすくめて笑った。


「この時間は、村の子たちも使っていい時間なの。ちょうどいいわ。次は“観察”よ。あの子たちがどう魔素に触れているか、じっくり見てみて」

 子どもたちは三人だった。年の近そうな少年がふたりと、少し年下に見える少女がひとり。彼らは慣れた様子で訓練場に入り、木製の標的に向かってそれぞれの持ち場に立った。


「おはよう、リアーナ先生!」


「おはようございますっ!」


 元気な挨拶にリアーナが微笑みを返すと、翔太の隣で説明を始めた。


「彼らは村の子どもたち。週に何度かここで訓練をしているの。魔素への感度を養うための、基本の呼吸と集中、それと属性の適性を測る簡単な演習ね」


 翔太はじっと観察した。子どもたちは瞳を閉じ、深く息を吸い込むと、手を前にかざして空気の流れに集中し始めた。その姿は驚くほど真剣で、遊びとは明らかに違う“訓練”だった。


「リアーナ先生、今日も“風通し”から?」


「ええ。まずは風素の感応から始めましょう。心を静めて、空気の流れを読むのよ」


 翔太は言葉の意味を追いながらも、子どもたちの動きに目を凝らした。すると、ひとりの少年の手元に、ふわりと淡い風が生まれた。細い葉が舞い上がり、標的の手前をかすめて飛んでいく。


「……すげぇ」


 思わず漏れた言葉に、リアーナがうなずいた。


「彼は風素に適性があるの。魔素の流れをつかむのが早い子ね。でも、もうひとりの子は火素のほうに傾いているわ」


 もう一方の少年の手元には、小さな光点のようなものが灯り、じりじりとした熱気を帯びていた。それはやがてぱちりと弾け、消えた。


「属性って、いくつあるんだ?」


 翔太の問いに、リアーナは指を三本立てた。


「主に“風・火・水・土”の四大属性。そして人によっては“光”や“闇”といった希少な属性に適性を持つこともあるわ。ただし、複数に適性を示す者は珍しい」


 翔太はなるほどと頷いた。現代の知識にある“魔法の属性”に近い概念だが、それが現実として目の前にあることに、改めて驚かされる。


「……俺にも、こういうのが使えるようになるのかな」


「焦らなくていいのよ。まずは感応の段階をしっかり積むこと。それに――」


 リアーナがふと目を細めて翔太を見る。


「あなたの中に眠っている魔素は、少し普通じゃない揺らぎをしているの。焦らず、自分の“形”を見つけていきましょう」


 その言葉に、翔太の胸が少しだけ高鳴った。自分が特別だと思いたいわけじゃない。けれど、どこかで何かが違うのだとしたら、それを確かめてみたいという気持ちはあった。


「うん……やってみるよ。今はまだ分からないけど、見てると、やってみたくなる」


 リアーナは満足そうに頷いた。


 その後しばらく、翔太は子どもたちの訓練を静かに観察していた。彼らは失敗を繰り返しながらも、何度も魔素に触れようとし、少しずつコツを掴んでいく。その姿に、翔太は小さな勇気をもらっていた。


 ――少しずつでいい。焦らず、けれど前へ進もう。


 訓練場に吹く風が、今日も静かに草を揺らしていた。


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