再起:私を守るもの
突然現れた銀髪の男、その風貌はどこか野性的だ。こうして彼に抱き寄せられていると、不思議と安心感を覚える。それを裏付けるように私の体の震えも消えていた。
男はクロアに剣先を向け、互いに睨み合っている。
「いや、僕たちが戦う必要はないよ……」
「あ?」
クロアは構えていた剣を収めた。
本当に私を殺すつもりがないのか、それとも別の目的があるのか……。
「この場所はまだ、僕以外には見つかっていない。でも、時間の問題だ」
クロアはそう言うと、扉を開けて部屋から出て行こうとした。
「僕が注意を引き付けるから、君たちは隙を見て逃げるんだ」
「オレに指図するな、戦わねぇのか?」
「ま、待って……逃げなきゃ……」
「あ? わかった、オマエが言うならそうしてやる」
反抗的な男を説得して何とか脱出の準備に取り掛かる。
色々とハッキリさせたいことはあるけれど、今は気持ちを落ち着ける場所に行きたい。
◆
私の暮らしていた屋敷は緑生い茂る森の中にひっそりと佇んでいる。その様を、私は銀髪の男とともに高台の崖から望む。
どうやってここまで来たのか正直覚えていない。銀髪の男に連れられて何とか逃げることに成功したことだけは確かだ。
「あなたは、誰なの……?」
「オレはオマエを守る剣だ、マーセラスと呼べばいい」
マーセラス……それが男の名前らしい。マーセラスは私の首筋に付いた傷に手を当てて憂うような顔をしている。
私を守る剣、彼の腰に携わる先の折れた剣。それは私が地下倉庫の中で咄嗟に手にした物だ、彼とは何か深い関係がありそう。
「お嬢様──っ!」
ふと、どこかから呼ぶ声がした。
ヴィーだ、この聞き覚えのある声は間違いない。やがて森の草をかき分け、全身に木くずをつけたヴィーが目の前に姿を現した。
「ヴィーっ……!」
「お嬢様……!」
私はヴィーに抱きついた。
途端に込み上げる震えとぐちゃぐちゃな感情。つい力が入ってしまい、ヴィーを締め付けてしまっているのが申し訳ない。
涙も止まらない。頭がおかしくなりそうな感情をただ、ヴィーの胸元で吐き出していく。
「ご無事でよかったです、お嬢様……」
「ヴィー、どうしてここに……?」
「私はお嬢様のお世話役ですよ。何があっても必ず、お嬢様のもとに駆けつけますから……」
答えになっていないが、これほど頼もしいと感じることはない。ヴィーがいてくれて本当に嬉しい。
「こうしている間にもフォルティーノ家はお嬢様を探しております、まずは対策を考えなければ」
「フォルティーノ……お父様……」
「はい、ご当主の死は私も存じております。そして、その罪がお嬢様に掛けられているのです」
「そ、そんな……! 私、お父様を殺していないわ!」
「勿論、お嬢様がそんなことをするとは思っておりません。これもフォルティーノの策略でしょう」
なんてこと……お父様を手にかけた罪を私に着せたってこと? カスーダ、本当に下劣でろくでもない人……。
「私、これからどうすれば……」
「ひとまず隠れ家にご案内します。そこの男も合わせて、私に付いてきてください」
◆◇
「めぐみ! あんたって人はっ……!」
女の人の怒鳴り声だ。
めぐみ……確か私の名前だった気がする。長い間そう呼ばれていなかったから忘れていた。
しかし何も見えない。暗くて、体も動かせそうにない。
「あんたがいるからっ……! あの人はっ……!」
「そうだ! あんたのせいだっ!」
私を責めているの? どうして私が責められるの?
反論したいのに声は出ない。どうしてか、胸の奥が痛くて仕方がない。
息が苦しい。どうして? どうしてなの……?
「んん……」
私は目を覚ました。どうやら夢を見ていたようだ。
見たことのない天井、私を包む布団の温もり。確か、ここはヴィーに連れられてやって来た隠れ家だ。
心臓がバクバクと高鳴っている。息も乱れていて呼吸がしにくい。
落ち着け、とりあえず深呼吸をしよう。
入り組んだ街路を抜けて階段を上った記憶はある。隠れ家は私の暮らしていた屋敷とは違って質素な、同じ見た目が連なる建物の一室だった。
流石に色々あって疲れていたせいか、ベッドに入るなりすぐに寝てしまったのだろう。この場所に来た時以降の記憶が曖昧だ。
「……えっ」
寝返りをうった瞬間だった。
私の間近に見覚えのある顔が、すぅすぅと寝息を立てるマーセラスが、私の隣で寝ている。
「ぬっ……!?」
どうして私の隣にいるの!? というか、マーセラスの上半身が裸なんですが!?
マーセラスは細身ながらしっかりとした筋肉がついている。細マッチョというやつだろうか、そして何よりも鎖骨のラインが綺麗だ……。
最初に見た時はおでこを出していたが、今は髪を下ろしていてどこか幼い印象がある。野蛮そうな雰囲気から一転、この寝顔も相まってちょっと可愛いかもしれない。
「いや、だからどうして私の隣に……って! うわぁぁぁっ!!」
私は絶叫を上げて飛び起きてしまった。何故なら、私もすっぽんぽんだったからだ。
「どどどどど! どうして私まで何も着ていないのっ……!?」
「……うるせぇぞ、騒ぐなよ……」
「み、見るなっ! まだ起きるなぁっ!」
「わぷっ!」
私は咄嗟に手元の枕をマーセラスの顔に押し付ける。
頭が沸騰しそうだ。暴れて抵抗するマーセラスを何としても黙らせなければなるまい。
というか見られた? ずっと隣で寝ていた? そもそも誰が脱がせた? え、まさか……?
「お、オイっ……! 殺す気かッ……!」
「ひゃっ……!」
マーセラスの力強さに負けてしまった。
私は両手を掴まれ、押し倒される形でマーセラスの下になった。
こうしている間にもマーセラスは私を鋭く睨んでくる。やめて、そんな目で私を見ないで……!
掴まれている手首が痛い。怖い……? でも、この人は私を助けてくれた。私を守ってくれた人だ……。
マーセラスは私を守る剣だと言った。それがどういう意味かはわからないけど、私を掴む大きな手は怖いくらいに頼もしいと思わせる。
私はマーセラスに、何を……。
「貴様、お嬢様に何をしている」
「いてっ」
瞬間、マーセラスの頭に何かが飛んできた。ゴスッと鈍い音を立てたにも関わらず、マーセラスは平然とした様子で頭を左右にグラグラと揺らしている。
部屋の隅に視線を向けると、そこには一人の女性が腕を組んで立っていた。
「……何もしてねぇよ、コイツの方からオレを襲ってきたんだっての」
「ちが……くないかも……」
「いいから早くお嬢様から離れろ」
マーセラスはため息をつくと、渋々と私の上から離れていった。
しかし、私をお嬢様と呼ぶ謎の女性が気がかりだ。綺麗な黒髪のロングヘア、質素なロングワンピース、ここの大家さん? いや、どこかで見たことがあるような……。
「もしかして、ヴィー……?」
「はい、お嬢様」
「うえぇぇぇっ!?」
つい大きな声を出してしまった。
私の目の前にいるのがあの、クールビューティなヴィーだって!? 全くの別人に見える。むしろ、よく気づけたと自分に感心すら覚える。
しかし、日頃から男に間違われているヴィーが女性らしい姿をしているのは新鮮だ。何というか、綺麗すぎて見ているだけで感動する。
「こ、これは身を隠すために仕方なくです……あまり見ないでください、恥ずかしいので……」
「身を隠すため……?」
そうだ、私たちはフォルティーノ家から逃げてきたんだ。
お父様を殺害した犯人にされて、住んでいた屋敷から逃げてきた……。
悔しい、そんな言葉じゃ足りないほどに私の手には力が込み上げてくる。
「あの服では目立ちますので、しばらくの間は街の住民を装った格好になる必要があったのです」
「そっか、それで私も服を脱いでたんだ……」
「お嬢様の服も調達しましたので、こちらにお着替えください」
私はヴィーの用意してくれた服に着替えた。
ヴィーと同じ質素なロングワンピースで、赤色を基調としたカジュアルなものだ。
「すごい、サイズぴったり……」
「お嬢様にこのような恰好をさせるなど、私としても心苦しい思いです」
「き、気にしないで! 仕方のないことなんだから……!」
お嬢様暮らしが長かったせいか確かに違和感は感じる。それでも今の私はどこか、今までの自分とは違うような感覚がある。まるで自分がエルダではなく、別の自分という感覚……。
「終わったか? いつまで外に立たせるつもりだ?」
「勝手に入ってくるな。貴様はそのまま立っていろ、お嬢様に無礼を働いた罰だ」
扉からマーセラスが顔を覗かせてきた。ヴィーは辛辣な態度で、険悪な雰囲気に先が思いやられる……。
「待って、マーセラスって何なの?」
「あ? それはどういう意味だ? ケンカ売ってんのか?」
「そうじゃなくて! あの時、急に現れたからどういう人なのかなって……」
「マーセラス……聞いたことはあります。確か、ムーンヒルに伝わる名剣……」ヴィーが考え込んでいる。
「え、何それは……?」
「何でオマエが知らないんだよ、ムーンヒルの後継者だろうが」
「うぅ……」
それはそうだけど、本当に私は何も知らないんだよな……。
でも、ムーンヒルの名剣ってどこかで聞いたことがあるような気がする。まぁ、それが何なのかは全くわからないのだけど。
「オレはムーンヒルを守る剣だ、オマエたち一族のために剣を振るってきた」
「剣って言っても、人間にしか見えないけど……」
「あ? 剣だけでどうやってオマエを守るっていうんだ?」
「いやそうだけど、そうじゃないっていうか……」
いきなり私の前に現れて、私を守るとか言い出す謎の男ということ以外に何もわからない。この男、本当に信用していいのだろうか。
「オマエ、本当に何も知らないんだな……」
「ちょっ……」
マーセラスは目の前に来るなり、私の頬に手を添えてきた。
憂うような目をして大きな手で包み込んでくる。
「んむっ」
マーセラスが私の頬を掴んでむにむにと挟んできた。
「オレがオマエを守る。だからオマエは、ただオレの側にいればいい」
「気安くお嬢様に触れるな」
ヴィーがマーセラスを引き離した。
「オイ、誰がコイツを屋敷から連れ出したと思ってんだ?」
「それとこれとは話が別だ。私にはお嬢様を守る盾としての使命がある」
「ほう? 一番のピンチで側にいなかったヤツがか?」
「貴様……」
「もう! 二人とも喧嘩しないで! 次に喧嘩したらここから出て行くから!」
ムーンヒルの娘として、しっかりと二人の手綱を握る必要がありそう。
これからどうすればいいのだろう……。今はフォルティーノから逃げて隠れていることしか出来ないのだろうか……。
「お嬢様、変装をしたとはいえこの隠れ家もいずれフォルティーノに見つかってしまうでしょう。ずっとここにいるわけにもいきません」
「そうだよね……今はいいかもしれないけど、またどこかに隠れないといけないよね……」
「ご安心ください、このような状況の対処方法はご当主から直々に聞かされております」
「だからここに隠れ家があることを知ってたの? ヴィーなら何とかしてくれる?」
「はい、ですがフォルティーノが敵である以上、全ての方法が安全とは限りません。少し調べる時間をいただきたいのですが……」
「もちろんだよ! 私にも何か出来るなら手伝うから……!」
「ありがとうございます、その気持ちだけで十分ですよ」
やっぱりヴィーは頼りになる。対する私はムーンヒルの娘だと言うのに何も知らない、何も出来ない……。ただ、自分を守ることに精一杯で情けなくなってくる。
「オイ、だからってずっとここに籠ってるのか? そいつは流石に退屈すぎないか?」
「黙れ、お嬢様を危険に晒す方がどうかしているだろう」
「関係ねぇ、オレが守るからな」
「貴様……」
「だから! 喧嘩しないで!」
私はマーセラスとヴィーの間に立つ。
マーセラスの言い分もわからなくもない、ずっとここに残ってヴィーだけに任せっきりなのも心苦しい。それに、マーセラスがここまで言ってくれるなら信用していいのかもしれない。
「ねぇ、ヴィー? いざという時のためにも少しぐらいこの街のことを知っておいた方がいいかなって思うんだ」
「しかしお嬢様……」
「心配してくれているんだよね、ありがとう。でも、私だけ待っているのは性に合わないよ」
「お嬢様……」
「マーセラスが私を守ってくれるって言ってるし、ちょっとくらいなら外に出てもいいでしょ?」
我ながら無茶なお願いだとは思う。ヴィーも頭を捻るようにして考え込んでいる。
「……わかりました。ですが約束してください、危険が訪れたら必ず逃げることを」
◆
清々しいほどの晴天、追われている身でなければ心地いいと感じるのだろうか。顔を隠すために巻いたスカーフが日差し除けになってくれている。
私はマーセラスとともに街に出ている。石造りをした建物が並ぶ街路、多くの人が行き交う大通りを歩く。
「ありがとう、私のために言ってくれたんだよね?」
「あ? 何のことだ?」
「ほら、私がヴィーの手伝いをしたいって言ったから……」
「勘違いすんな、オレは引きこもってるのが嫌いなだけだ」
「ふふっ……そういうことにしといてあげる」
「オイ、オレは本当に……」
隣を歩くマーセラスが誤解を解こうと必死になっている。何だか可愛いかも、例えるならワンちゃんとか? 私がご主人様で、マーセラスが飼い犬……ちょっとアリかも。
「聞いてんのか、オレはな……」
「わかってる! せっかくだから楽しもうよ、マーセラスが私を守ってくれるんだから!」
お嬢様暮らしでは味わえなかった街歩き。こうして街の景色を眺めるだけでも、正直ワクワクが止まらない。
通りに立ち並ぶ建物はお店だろうか、どんなものが売られているのだろう。私の知っている世界とは違うのだろうか、この街の人々はどんな暮らしをしているのだろう。
「待て」
「ちょっ、マーセラス?」
突然、マーセラスが私の手を掴んできた。そのまま、マーセラスに引き寄せられる。
マーセラスの胸元が近い、手も握られていて離れることも出来ない。
「急に何っ……どうしたの?」
「静かにしろ、フォルティーノがいる」
「えっ……」
マーセラス越しに、遠目に見える二人組の男。腰に剣を携えた軽装の騎士が、道行く人々の顔を確かめるようにして歩いている。
きっと私を探しているんだ、マーセラスはそれに気づいて私を守ってくれている……。
「ヤツらが探してるのはオマエだろう、少なくともオレは知られていないはずだ。一人を除いてな」
「一人……? あっ……」
クロアのことだろうか。確かに、あの男以外にマーセラスを見たフォルティーノ家の人はいないはず。そうなると、ここで私が見つかるわけにはいかない。
「もうフォルティーノが来ているなんて……」
「ヤツらはまだオマエがこの街にいることを知らないはずだ、たまたまだろう。変に意識すれば疑われる、堂々としていろ」
「わかった……」
マーセラスは私の手を引いて歩き始めた。
堂々となんて言われても、意識しない方が難しいかもしれない。やっぱり外に出ない方がよかったかな、どんな顔をしていればいいのだろう。
こうしている間にも、進む先からフォルティーノの二人組の姿が迫ってくる。あまりジロジロと見ない方がいいか、どこを見ていようか。
私の手を握るマーセラスの大きな手が目に入る。そうだ、マーセラスが私を守ってくれている。マーセラスを信じて進めばいいんだ、きっと何とかなるはず……。
どうか見つかりませんように、そう願いながらフォルティーノの二人組とすれ違った。
「おい、お前!」
私の背後から声が響いた。
背筋を撫でられたような、血の気が引いていく感覚が私を襲う。
まさかバレた? この声は、私たちを引き留めているの?
「マーセラスっ……!」
マーセラスは私の手を引く力を強めてきた。立ち止まらずに進め、そう言うように、ただ私を引いて先を歩いている。
「急にぶつかってきやがって! 謝りやがれコノヤロー!」
「うるさい! 今は貴様に構っている暇はない!」
何やら後ろが騒がしい。どうやら引き留める声は私たちに向けられたものではなかったみたいだ。
拍子抜けだ、自然と息をするのも忘れてしまっていた。
「言ったろ、堂々としていろって」
「そうだね、マーセラスの言う通りだった……」
こんなことで緊張していたのがバカみたいだ。騒ぎの方を見ると、フォルティーノの二人組が一人の男に言い寄られている様子があった。
タイミングが悪いと見るべきか、おかげで私から意識を逸らすことに成功したと見るべきか。どちらにしろ、フォルティーノに見つからなくてよかった。
「すまない、僕から謝らせて欲しい」
「おやめください! かようなものに頭を下げるなど……!」
その時、私の全身が強張るのを感じた。
騒ぎの中心である三人組に混ざるように、もう一人の男が姿を見せていた。
金髪をした細身の男、あれは間違いない……。
「オイ、行くぞ。少し人目を避ける」
「う、うん……」
マーセラスは再び私の手を引いて歩く。今度は少し焦るように、早足で大通りを抜けていく。
◆
薄暗い裏通りに着いた。そこはジメジメとした、石造りの細い道だ。
「無事か?」
「ごめん、震えが止まらなくて……」
私の手の震えが止まらない。
マーセラスは震えを抑えるようにぎゅっと手を握ってくれている。それでもこの震えは止まる気配が無い。いや、この震えは手だけじゃない、全身から震えているんだ。
「まさかアイツまで来ているとは、流石に予想外だった」
「どうしよう……私、見つかったら……!」
「落ち着け、オレが守ってやる」
息が苦しい、呼吸が上手く出来ない。
あそこにいたのは間違いなく、あの男だった。お父様を殺したカスーダの息子、私の結婚相手になるはずだった男……。
「クロア……」
「よせ、考えるな。今は何も考えるな……」
マーセラスに抱きしめられる。
この震えがマーセラスにも伝わっているのだと思うと少し恥ずかしい。でも、人肌の暖かさを感じると落ち着くような気がする。
「そこのお前、その子を離しな」
「あ?」
空気が震えるような低音の、男の声がした。
私はマーセラスに抱かれる隙間から声の正体を探る。
「彼女、怯えているだろ。こんなとこに連れ込んで無理矢理なんてよくないな、離してやりな」
「何だオマエ? 何か勘違いしてんじゃねぇのか?」
「いいから言う通りにしろ、でなければ痛い目を見るぞ」
低い声の男は壮年の男性という印象だ。肩幅の広いしっかりとした体つきで、あごには僅かに髭が生えている。
男はマーセラスを睨みつけている。どうやらマーセラスのことを暴漢と勘違いしているようだ。
「オマエには関係ねぇ、とっとと消えな」
「そうはいかない、見ちまったからには放っておけないだろ?」
マーセラスが私を抱きしめる力を強めてくる。流石にちょっと苦しい。
あの人が勘違いをしているのはマーセラスの態度が悪いせいだろう、何とかして誤解を解きたいがマーセラスは私を離すつもりはなさそう。
「お前がそのつもりなら俺にも考えがある」
男は右手を掲げると、その手に光が集い始めた。
あれは魔法だ、まさかこんなところで戦い始めようとでも言うの?!
「ま、マーセラスっ……! 逃げた方がいいかもっ……!」
「あ? 確かに、ここで騒ぎを起こしてフォルティーノに見つかりたくは無いな」
マーセラスが私の手を取って走り出した。
「おい待て! 逃げるな!」
私はマーセラスに手を引かれて走るので精一杯だ。
思えばずっと手を握ってくれている、マーセラスは本当に私を守ってくれているんだ。
私が外に出ようなんて言わなければこんなことにはならなかったのかもしれない。でも、そのおかげでマーセラスのことが少しだけわかったような気もする。
マーセラスは私を守る剣で、私のために戦ってくれる剣……。
◆
気がつくと、街を一望できる高台にやって来ていた。
「ここまでくれば大丈夫だろう。ったく、次から次へと……」
「ありがとうマーセラス……助かったよ」
「あ? オイ、オマエ……」
マーセラスの視線が私の頭に向かっている。
視線の先に手を伸ばすと、身につけていたスカーフが無くなっていた。どうやら逃げる途中で無くしてしまったようだ。
「あはは、どこかに行っちゃったみたい……」
「それじゃ顔を隠せないな、もう帰るしかないか」
「そっか……」
もう少しだけ街を歩きたかった。
フォルティーノに追われていなかったら、もっと楽しめたのだろうか。
私がムーンヒルの娘じゃなかったら、命を狙われることも無かったのだろうか。
これからもずっと逃げて、隠れて、楽しく生きることは出来ないのだろうか。
「……あれ、おかしいな。なんで私、泣いているんだろう……」
自然と涙が溢れてくる。別に泣きたい訳じゃないのに、涙が止まらなくて仕方がない。
そんな自分が惨めだ、こんな自分をマーセラスは慰めてくれるだろうか。こんな私を、マーセラスは笑わないでくれるだろうか。
「エルダ・ムーンヒル、オレの望みを聞いてくれるか」
「……えっ?」
ぼやける視界の中でマーセラスを捉える。彼はただ真っすぐに、私のことを見つめていた。
「オレはオマエを守る剣だ。だが、ただの剣じゃない」
「マーセラス……?」
「オレはムーンヒルに縛られた、呪いの剣だ」
「呪いの剣……? 一体、何を言って……」
「呪いの剣はオマエだけを守る。だが、それは同時にオマエを呪いで蝕むことになる」
「わかんないよ……何を言ってるの? マーセラスは一体……」
「オマエに戦う意志はあるか、オレを手にする勇気はあるか」
マーセラスの言葉の意味を理解できない。
マーセラスは突然現れて、私を守る剣だと言った。ムーンヒルに伝わる名剣だと言った。
マーセラスが普通の人ではないことは理解している。もしかしたらきっと、人間ですら無いのかもしれない。
「……私は生きたい。この世界でもう一度、生きたいと思う……」
「ならば、呪いの剣を抜け。戦う意志を示せ、オレを手にすることを選べ」
「マーセラスを、私の……」
私の手は無意識にマーセラスへと向かっていた。
欲するように伸ばした手を、マーセラスが受け止めてくれる。
「オレはオマエだけを守る、そして……」
「私はあなたを手にして戦う……」
互いに手を絡ませる。
マーセラスを近くに感じる。
背の高いマーセラスの顔は遠い、背伸びをして少しずつ近づいていく。
「これは契約ではない、呪いだ。オマエにその覚悟はあるか」
「……わからない。だけど、マーセラスなら怖くないよ」
眼前に迫る、憂うようなマーセラスの目が、少しだけ優しく微笑んだような気がした。
ほんの僅かな距離、その距離を縮める。
私はマーセラスと、唇を重ねた。
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