黎明:呪いの剣
「おひょひょひょひょひょひょひょっ!」
今世のわたくしはお嬢様でしてよ!
大地主、ムーンヒル家の一人娘! 全てがわたくしの思いのまま! やりたい放題ですわ!
「とてもお似合いですエルダお嬢様」
「そうでしょう! わたくしは無敵なのですから!」
姿見の前でポーズを決めるわたくしに称賛の声があがりましたわ。声の主たる彼女はわたくし専属のお世話役・ヴィーでしてよ。
ヴィーは一見すると、シャープな顔立ちをした超絶美形ですの。パンツスタイルの執事服を着ているせいか、よく殿方と間違われておりますわ。まぁ、わたくしとしても目の保養になりますからそのままでいて欲しいですわね。
わたくしは何度も姿見に写る自分自身をチェックしますの。それは、これからに備えた入念な準備……絶対に負けられない戦いがそこにはあるのです。
少しクセのついた髪もカールで何とか誤魔化しつつ、綺麗な金色をなびかせるわたくしの姿には我ながらうっとりしてしまいますわね。
「お嬢様、そろそろお時間です」
「よろしい、行きますわよヴィー!」
◆
ここはわたくしの暮らすお屋敷。
だだっ広い廊下に豪華な装飾と絵に描いたようなセレブ感。いつ見ても、思わず鼻から笑いが出てしまいますわ。
わたくしがこうして派手なドレスを着こなすのも、正直なところ勘弁願いたいですわ。前世ではただの一般人だったわたくしからすれば、無駄に気品溢れる暮らしは胃もたれして仕方がありませんの。
「はぁ……やっぱり面倒ですわね、やる気が無くなってきましたわ……」
「そう仰らないで下さい。仮にも会合のお相手は王都親衛騎士を代々務めるフォルティーノ家なのですから」
「だからこそ面倒なんですの、もう少し気楽に構えられる相手なら良かったですわ……」
わたくしのボヤキもヴィーは淡々と受け入れてくれます。本当にいい子ですわね、後でご褒美をあげませんと。
そんなことを考えている合間にも、わたくしは決戦の場を隔てる扉を前に立っておりますわ。もちろん、扉を開くのはヴィーの役目。わたくしはただ、これからの出来事に憂いてため息をつくだけなのです。
「エルダ・ムーンヒル様のご入室です!」
ヴィーが開いた扉の先、そこは我が屋敷の大広間。わたくしに羨望の眼差しを向ける有象無象が真っ先に視界に入りましたわ。
どいつもこいつも鬱陶しくて仕方ありませんわね。いくらお父様の大事な会合とは言え、ここまで大人数を招待する意味がありますの?
「おお、我が愛しいエルダよ! こちらに来なさい!」
わたくしに手招きをするのは他でもないお父様、ヨルド・ムーンヒル。この屋敷ないし大地主ムーンヒル家の当主ですわ。
小太りのだらしないオジサンな見た目ですが、お父様のおかげで今の暮らしが出来ているのですから感謝ぐらいはしなければなりませんわね。
「紹介しようエルダ、彼はクロア・フォルティーノくんだよ」
わたくしがお父様の側に着くなり、いきなり紹介を始めましたわ。お父様が手で指し示す先には一人の男が立っていましたの。
「あぇ……」
わたくしとしたことが不虞でしたわ。男を一目見るなり呆気に取られてしまいましたの。
「クロアと申します。お会いできて光栄です、エルダ様」
「あ、えっと……」
クロアと名乗る男はわたくしの手を取り膝をつきましたの。物腰の柔らかそうな優男という印象でしょうか、クセ毛ひとつ無い綺麗な金髪に高身長でスラッと整ったスタイルをしていますわ。
何よりも、切れ長な目の下にある泣きぼくろが反則ですわね。上目遣いでこちらを見られると何だか身体中がムズムズとして仕方がありませんわ。
「エルダ? どうかしたのかい?」
「えっ……!? べ、別に何でもありませんわよ!?」
いけませんわ、完全に油断しておりました。
どうしてわたくしがこの男……クロアさんに動揺しなければなりませんの? こんな思いをさせられるなんて初めてですわっ……!
「お、お父様! それでわたくしに何かご用があったのではなくて?!」
「ああ、そうだった……」
お父様は咳払いをすると、真っ直ぐにわたくしを見つめてきましたわ。
「エルダ、お前には彼と結婚してもらうよ!」
「え?」
このオジサンは一体何を仰っているのかしら? 馬鹿も休み休み言って欲しいものですわね。
お父様はいつも突拍子の無いことを言ってわたくしを困らせるのですから、本当に……。
「ちょちょちょ! お父様! 意味がわかりませんのっ! け、結婚ってどういうことですのっ……!?」わたくしはお父様を捕まえてヒソヒソと話しますわ。
「何だい、そんなに慌てることは無いだろう?」
「わたくしは何も聞いておりませんのっ! 流石に唐突すぎますわ!」
「まぁ、今言ったばかりだからなぁ」
「はぁ?!」
意味不明にも程がありますわ! 結婚って、クロアさんと!?
この超絶金髪イケメンと結婚ですって?!
わたくしは今、天地がひっくり返る思いですわ! とりあえず、お父様にコトの真意を追求しなければ気が済みませんのよ!
「お前も知っているだろう、我がムーンヒルは女性が多く生まれる家系だ。それ故に、婿を迎え入れるのが通例となっている」
「そ、それはわたくしも存じておりますが……」
「フォルティーノ家は王都親衛騎士を代々務める名門、そのご子息を我がムーンヒルの一族として迎え入れるチャンスなのだ」
それって、ほぼ政略結婚なのでは? 家のために結婚を強要されているだけなのでは?
しかし、横目に見るクロアさんも素敵ですわね……案外、悪く無いのかも知れませんわ。
「ヨルド殿下!」
「これはこれは! カスーダ殿!」
「このような機会を頂き感謝するぞ!」
物思いに耽るわたくしを他所に、お父様は新たに現れたオジサンとお話しを始めましたわ。
カスーダと呼ばれたその方は、口ヒゲをクルッと上にカールさせる細身の男ですわ。おそらくフォルティーノの当主でクロアさんのお父上なのでしょう。
「そう言う訳だエルダ、お前も彼と仲良くするんだよ!」
「いや、どういう訳ですの?!」
わたくしそっちのけではありませんの! このオジサンを一発殴ってやりたい気分です!
ですが、そうこうしている間にお父様はカスーダ様を連れてどこかに消えてしまわれましたわ。
「あはは、取り残されちゃったね……」
「そ、そうですわね……」
クロアさんは苦笑いを浮かべております。
周囲の有象無象から寄せられるおめでとうムードも痛いですわね……早くここから消えていなくなりたいですわ。
「エルダ様、僕たちも話せないかな? 少しでも互いのことを理解できたらと思うのだけど……」
「え、あ……」
言葉が出てきませんわ。
クロアさんは優しく微笑むようにしてわたくしを見てきますのよ? そんな目で見ないでくださいまし……。
「ちょっ……とだけ、席を外してもよろしくて?」
「僕と話すのは嫌……だったかな?」
「ち、違いますわよ! お花を摘みにまいりますの!」
「あっごめん! 気が利かなくて……」
クロアさんは鈍感なのでしょうか。そこも可愛らしいと言ってしまえばそれまでですが、今のわたくしからすれば少々苛立ちも覚えますわね。
どちらにせよ、気持ちを落ち着かせる必要がありますわ……。
◆
「どうしようヴィー!」
「おめでとうございますお嬢様」
「全然嬉しくないですの! むしろわたくしの心は暴風吹き荒ぶ嵐の真っただ中でしてよ!」
わたくしはヴィーと二人で化粧室におりますわ。
頭を抱えて暴れているわたくしの姿が鏡に映っていて我ながらに滑稽ですわね。
「しかし、私もご主人様の通りに存じます。ムーンヒル家を発展させるための判断として、これ以上無いかと」
「それは、そうですけども……」
ヴィーは顎に手を添えて深く考えてくれていますわ。
フォルティーノ家は王都とも繋がりのある一族。ムーンヒルとしても、更なる飛躍を目指すならばこの婚約は受け入れるべきなのでしょう……。
ですが、わたくしに殿方と親密な関係を築くなんて無理ですわ……! だって、そんな経験なんて前世でも今世でも、一度も無いのですからっ……!
「まずはお相手様と話をされてみてはいかがでしょう? 何事も経験でございますよ、お嬢様」
「うぅ、ヴィーがそう言うなら……」
◆
わたくしはお屋敷の中庭にやって来ましたわ。
隣には、これからわたくしの婚約者となるクロアさん一人……何というか、とても気まずいですわ。
「ありがとうエルダ様、わざわざ時間を作ってくれて……」
「その”様”って言うのやめてくださる? こ、婚約者となるのですから、尚更に……」
「そ、そうだよね……うん、そうしようか……」
少し語調が強かったかもしれませんわ。別に、怯えさせたいとかそんなつもりはありませんのに。
口から心臓が飛び出してしまいそうで、つい……。
「エルダ……は、僕との婚約を聞かされていなかったんだよね?」
「ええ、さっきお父様から聞かされたのが初耳でしたの」
「そっか、実は僕も父上から今朝に聞いたばかりだったんだ」
「うぇっ!? クロアさんもでしたの!?」
うっかり変な声で驚いてしまいましたわ。
我ながらはしたないですわね、顔が熱いですわ……。
「あはは! 僕も同じような反応をしたよ、本当にいきなりだったからビックリさ!」
クロアさんは無邪気な笑顔を見せましたわ。
子供のように明るくて、なんと可愛らしい表情ですこと……。
「ここに来るまでもずっと緊張しっぱなしで、エルダに会ったらどうしようかなって……」
「それにしては随分と落ち着いているように見えますけれど?」
「買いかぶりすぎだよ、こう見えてずっとドキドキが止まらないんだ……」
クロアさんはそう言うと、わたくしの手を取りましたの。
「ほら、ドキドキしているだろう……?」
「っ……!?」
こ、こいつは何をしておりますのっ!?
わたくしの手を胸に当てて鼓動を聞かせてきますわ! どうしてこんな恥ずかしいことを平然な顔で出来ますの!? おバカなんですの!? おバカなんですのね!?
「あわわわ! は、離してくださいましっ……!」
「あ、ごめん! そんなつもりじゃ……!」
「す、少しは節操のある行動を心掛けてくださいまし! わ、わたくしがもたないですわ……!」
本当にこの人は何を考えておりますの!? まさか、生粋の女たらしという可能性も……。
いえ、気の利かない部分を踏まえるとその可能性は低いかもしれませんわ……。
「本当にごめん、何だか焦ってしまって……」
「焦る? どうしてですの?」
「確かに僕はフォルティーノ家の子だけど、家族からはあまり期待をされていないから……」
クロアさんは思い詰めた表情を見せましたわ。
家族から期待をされていない? 名門フォルティーノの子だというのにですの?
「僕には兄と弟がいるんだ。僕は真ん中、期待を受けて育った兄と愛情を受けて育った弟の間さ」
「そうなんですのね。でしたら、ご兄弟もさぞ優秀なのではなくて?」
「あはは、ありがとう。少なくとも僕以外は優秀だよ。実際、だからこそ僕がエルダの婚約者に選ばれたんだ」
「えっ……?」
「現実問題、フォルティーノから婿を出すなんて父上が許すはずがないんだ。例え、ムーンヒルが相手だとしてもね……」
「で、ですが……」
「うん、僕は君の婚約者に選ばれた。優れた兄弟二人と違って、出来損ないの僕を追い出すための口実なんだよきっと」
クロアさんは悔しそうな顔を見せましたわ。
ですが、その姿にわたくしはこれっぽっちも同情なんて出来ません。むしろ、はらわたが煮えくり返るような気分で仕方がありませんの。
「ふざけないでくださいまし。でしたら何なんですの? 貴方は罰ゲームでわたくしと結婚をするとでも言いたいのですか?」
「えっ……?」
「散々バカにされて、出来損ないと罵られて、好きでもない相手と結婚してオメオメと逃げるのですか? お生憎様、わたくしは貴方を慰めるための道具ではなくってよ」
「ち、違う! そう言う意味じゃ……!」
やっぱりダメですわね、ダメダメです。
ダメを通り越してもはやクソです。クソゴミへなちょこのポンコツですわ。
「わたくしにも真ん中の辛さは理解できます。だから何なんですの? 弱い自分に共感して欲しいのですか?」
「え、エルダって一人っ子だよね……?」
「……あぁ、まぁ古い友人の話ですわ。そこは気にしないでくださいまし」
わたくしも前世では三姉妹で真ん中でしたわ。まぁ、今では記憶しかないのですが。
彼女はわたくしとは違う名前で、もはや違う存在なんですの。
「とにかく! 貴方のようなポンコツはこちらからお断りだと申し上げたいのです! 顔を洗って出直してきてくださいまし!」
「そ、そんな……!」
わたくしはビシッと目の前のポンコツに向けて指を差し向けましたわ。
ヴィーの言った通りですわね、話をしてから決めるのが一番でした……。
「もうこんなところにいる必要もありません。お先に失礼させていただきますわ」
「待って!」ガシッと手を掴まれましたわ。
「離してくださいまし! これ以上は大声で叫びますわよ!」
「好きなんだッ……!」
「えっ……?」
「エルダのことが好きなんだ、だから君に釣り合う男になりたいと思った。出来損ないのフォルティーノじゃなく、君を守る剣として側に立つムーンヒルの人間として……!」
「な、何を言って……」
「女性にこんなことを言うのは変かもしれないけど、僕はエルダのことをかっこいいって思ってる。しっかりと自分を持っていて、何事にも物怖じしない君が好きなんだ!」
クロアさんはわたくしを抱き寄せてきましたわ。
わたくしを買いかぶりすぎと申したいところですが、今はそれどころではありませんわ。
殿方に抱きしめられることなんて初めてで、わたくし自身何が何だかわかりませんの!
「は、離してくださいまし……」
「嫌だ、僕は本気だから。君を離したくない……」
「そ、そうではなくて……! その……」
クロアさんはわたくしを抱きしめる力を強めてきます。
ごつごつとした殿方の体、しっかりとした筋肉の感触、全てがわたくしには初めてなんですの。
このままでは頭がおかしくなってしまいますわ、何とかしませんと……。
「お、お花を摘みに行きたいのです! 離してくださらないかしらっ……!」
◆
「なんですのなんですのなんですの! なんなんですの──ッ!!」
つい飛び出してきてしまいましたわ! 顔が熱くて仕方がありませんの! あの男は一体、なんなんですの!?
息が上がって上手く呼吸が出来ません……一旦、深呼吸をしましょう……。
「ひっ、ひっ、ふぅ……」
って、どうしてラマーズ法なんですの! というか、ラマーズ法ってなんですの!?
全く、漠然とした前世の記憶があるっていうのも考え物ですわね……!
「これでは話が違うじゃないか! どういうことだカスーダ殿!?」
ふと、お屋敷の廊下に漏れる怒鳴り声。それはお父様の声でしたわ。
普段は温厚なお父様が声を荒げるなんて珍しいこともあるのですわね、少々気になってきましたわ。
声のした先は来賓用のお部屋、その扉に耳を当てて中の様子を探ってみましょう。
「ヨルド殿下、貴方もおわかりでしょう? 我らフォルティーノは王都を守る役目を担っている。そのためには、ムーンヒルに伝わる名剣の力が必要なのだ」
「あれはそんなものではない……まさか、そのためだけにエルダとの婚姻を……?」
「お互い様であろう? 貴方も我らを利用しようとしていたのではないか? 愛娘を使って……」
「ふざけるな! 私は其方とは違う!」
ここまでお父様がお怒りになるなんて相当ですわね。
一体何があったのでしょうか? もう少し聞きたいですわ……。
「残念だよヨルド殿下、貴方なら理解してくれると思っていたのに……」
「がぁっ……!」
その声を最後に、静寂が訪れましたわ。
さっきまでの荒々しさが嘘のように、扉の先からは何も聞こえてきませんの。
ガチャ!
「ありゃっ……」
「おやおやこれはこれは、エルダ様ではないですか。盗み聞きとは感心しませんなぁ……」
突然扉が開き、わたくしは雪崩れるように部屋の中へと入ってしまいましたわ。
目の前にはカスーダ様がいらっしゃいます。強張った表情で睨むようにしてわたくしを見てきますの。
ですが、何よりも気がかりなのはその手に握られた刃物でしょうか。刃先からはドロドロとした液体が絶えず滴っていていますの。
「お父様は……? お父様はどうしたのですか……?」
「親子揃って困ったものですなぁ……少々お転婆すぎますぞ……?」
カスーダ様の先、それはわたくしの目に入りました。
「お父様……?」
お父様が机にもたれかかるようにして倒れているのです。
どう見ても普通ではありません、何かあったに違いありませんわ。
「見られてしまったのなら仕方ありませんな!」
瞬間、カスーダ様にわたくしの髪を掴まれました。
そのまま引き寄せられて背後から首を絞められてしまいました。
「嫌っ! 離してくださいましっ! お父様がっ……!」
「暴れないでもらおう! お前も死にたいのか?」
わたくしの目の前に刃先が向けられました。
今ならわかります。この刃物に付いた液体はお父様の血、そしてこの男がお父様を……!
「お前がクロアの婚約相手だろうと容赦はしない! もはや目的は果たしたも同然、ここで死んでもらうぞ!」
いけませんわ、このままでは殺されてしまうっ……!
何としても振りほどかなければ! ヴィーに教わった護身術を使うのですっ……!
まずは肘で相手のみぞおちを狙う、わたくしは右腕に渾身の力を込めましたわ!
ドスッ!
「うぐぅっ……!」
やりましたわ! カスーダが怯んだ隙に拘束を解いて離れることに成功しましたの!
「貴様ッ……!」
「これはオマケです! 食らいなさいっ!」
わたくしは怯んでいるカスーダの足の付け根、股間を目掛けて思いっきり蹴りをお見舞いしましたわ!
「あふぅっ!?」
カスーダは情けない声を上げて悶絶していますわ! この隙に逃げますのよ!
「エルダ!」
わたくしが部屋を出て廊下に出ると、遠くからクロアさんが姿を見せましたわ。
ですが今は構っているヒマはありませんの、早く逃げますのよ!
◆
「はぁ……はぁ……はぁ……!」
わたくしは息を切らしてお屋敷を走っていますの。
至る所にフォルティーノ家の衛兵が見えますわ、きっとわたくしを探しているのでしょう。
「ここはわたくしの暮らすお屋敷でしてよ……そう簡単に見つかってたまるかですわっ……!」
わたくしは幼い頃から一人で隠れんぼをして遊んでいましたの。お父様も遊び心で所々に秘密の通路を作られていたのですわ、それを使いましょう。
階段の下、ちょっとした窪みが秘密の入り口ですわ。子供一人通るのがやっとな狭さの穴を四つん這いで進むと、その先は地下の倉庫に繋がっていますの。
「お父様……」
先程の出来事を思い出すと自然と涙が溢れてしまいますわ。わたくしは倉庫の隅で膝を抱えながら隠れておりますの。
フォルティーノは初めからお父様を殺めることが目的だったのですわ。わたくしとの婚約も、お父様に近づくための手段に過ぎなかったのですわ。
「まさか、クロアさんもこのことを知って……」
ガチャッ!
扉が開かれましたわ。
わたくしはじっと身を隠します。震える体を何とか抑えなければ、見つかってしまうでしょう。
自分の呼吸も、心臓の音すらもうるさくて仕方がありませんわ。何とかやり過ごさなければ……。
「エルダ、ここにいるんだろう……?」
クロアさんの声ですわ。
わたくしを探して……いえ、きっと殺しに来たに違いありませんわ。
お父様の次はわたくし、その次は……。考えただけでも吐き気がしますわ。ヴィーは無事でしょうか、何も出来ずに逃げ隠れるわたくしをどうか許してくださいまし……。
「見つけたよ、エルダ」
「っ……!」
見つかってしまいましたわ。
クロアさんはわたくしに手を伸ばしてきました。
「やめてっ……! 助けてっ……!」
死にたくない……!
そうだ、エルダになる前の私も同じ気持ちを思いながら死んでしまったんだ。
こんな時に思い出すなんて、神様には慈悲なんてものが無いのだろうか。
「落ち着いて! 僕は君を助けに来たんだ!」
「嘘っ! そうやってお父様を殺したんだ! 私の大好きなお父様を……!」
私は必死に、手に取れる物全てを投げつける。石ころも、小さな木箱も、クロアには傷一つ付けられない。自分の無力さを思い知らされる。
怖くて仕方がない。死ぬのはこれで二回目か、この瞬間に立ち会うと私の本能はどうしても生きたいと叫ぶ。
「暴れないで……!」
クロアに腕を掴まれた。力強く握られていて振り解けそうにない。
「嫌っ!」
「うわっ!」
暴れた甲斐があった、何とか体勢を崩して振り解くことに成功した。クロアは近くの木箱にぶつかって、中身を周囲にぶちまけた。
その中に一際目立つものがあった。それは先の折れた剣だ、私は咄嗟に剣を拾い上げた。
「エルダ……! 何をするつもりだっ……!」
「あなた達に殺されるぐらいなら、自らの手で……!」
私は目を瞑り、折れた剣の先を自らの首に当てている。チクリと刺すような痛みを受けながら、首筋から生暖かい液体が垂れていく感覚がある。
死ぬことは怖い。それでも、自らの意思で選ぶのならば不思議と気持ちは穏やかな気がする。
「よせっ! そんなことしちゃいけないっ!」
ごめんなさいお父様。弱い私を許してください。
お父様の仇を討つことすら出来ない私を、どうか許してください……。
これで終わる。もし、また転生出来るならお嬢様にだけはなりたくないかな……。
「おい、オレは女を傷つけるための剣じゃねぇぞ」
聞き覚えのない男の声だ。
知るものか、このまま力を込めれば……。
「やめろ」
私の手が動かない。力強く、何かによって止められているようだ。
「オレに任せな、オレがオマエを守ってやる」
「えっ……?」
瞬間、私は誰かに引っ張られた。
そのままギュッと力強く、そしてたくましく私を包む。
「オマエはオレのもんだ、誰にも傷付けさせやしない」
「だ、誰……?」
目を開けると、銀髪の男が私を片手で抱いていた。男の鋭い眼光、赤色の視線が私に向けられている。
荒々しさの中にある確かな力強さに安心感を覚えさせる。この人なら信頼しても大丈夫だと思わせるほどに。
「お前、どこから現れた……? エルダを離せっ……!」
「あ?」
クロアは警戒して腰に携えていた剣を抜いた。対して、私を抱く銀髪の男は片手に持った剣を構える。
その剣は私が手にしていたものだ、先の折れた剣。どうして彼が持っているのだろうか?
「オレが相手になってやるよ、来な」
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