第1章 2 おっさんと呼ばないで
二
俺とガーベラさんは、皆が起床したと思われる時刻まで待機した後、再び村長の家を訪れた。既に起床していた村長の親父さんに、直に眼鏡を返却することができた。
礼を伝えたが、聖女様のして下さったことに比べれば、と笑ってくれた。
病室に戻ると、ローズマリーさんは目を覚ましており、上体を起こしてベッドに座っていた。
顔色も血色が良く、少なくとも回復に向かっていることは理解できた。
ローズマリーさんはガーベラさんに笑顔を向けたが、こちらに対しては、警戒の色を含んだ視線を向けてきた。
彼女にしてみれば、謎の男性になるので仕方が無い。
そのことに気付いたのか、ガーベラさんが、これまで経緯を説明した。説明を受けたローズマリーさんは、先ほどとは打って変わって、感謝の念を浮かべて、恭しく礼をした。
「命の恩人に失礼を。本当にありがとうございました」
「いえ、気にしないで下さい」
見捨てるなど出来なかったし、忙しなく動いていたため、異世界に来た不安を忘れられた。内心、こちらが感謝しているくらいだ。
「ところで聞いても良いかしら?」
ガーベラさんがこちらの顔を覗き込む。
「なんだい?」
「なんでロズィには敬語で、あたしにはため口なのよ?」
「そりゃ、子供と大人だし」
「これでも! あたしと! ロズィは! 一つしか年齢違わないわよ! あたしが十七、ロズィが十八!」
女性の年齢はわかりにくい上、西洋系の年齢は更にわかりにくいが、それでもガーベラさんは十四くらいにしか見えない。逆にローズマリーさんは二十前半くらいに見える。
それにしてもガーベラさんは、幼すぎる気がする。
こちらの表情から、考えが読まれたのか「仕方が無いでしょう。祖母が小人族だったんだから。成長は、既に打ち止めよ」
本人は不服そうだが、これはこれで需要はあるはずだ。日本だったとしても、後一年で、所謂合法ロリだ。
「とまぁ、冗談はここまでにしておいて、本当に聞きたいことはこっち。貴方、何者なの? 服を作って着替えると、別のスキルを使えるなんて、聞いたことないわ。そりゃあ、あたしだって世界にある全ての職業を把握しているわけじゃ無いけど……」
自分の境遇について話して良いのかどうかを考える。
この世界において、自分がどのように扱われる存在なのかは不明だ。
それこそ異世界人などという存在は、標本にでもされるのかも知れない。
だが、なにもわからぬ異世界。誰の案内もなく、やっていく自信も無い。
だったら見ず知らずの子でも助ける様な善人である彼女らに命運を賭けるのは、そう分の悪い賭けでもないのかも知れない。
そうして俺はこの二人に全ベットすることに決めた。
「ガーベラさん、この前の真実の眼を使って貰えないか?」
「え、なんで?」
「これから話すことは、かなり荒唐無稽だ。だからこそ、嘘を吐いていないという担保が欲しい」
「……貴方がそうして欲しいというのなら、構わないわ」
床に光の円が生じ、俺はその円の中に入る。
そう言えば、嘘を言ったらどうなるのだろう?
俺は女だ、と言ってみたところ、口からは「俺は男だ」という真実が飛び出した。
二人が眉をひそめている。そりゃそうだ。いきなりわかりきった性別を宣言したのだ。わけがわからないだろう。
しかし、こういう仕組みか。この円の中では、迂闊に喋るだけで、ボロがでそうだ。
「ごめんごめん。嘘を吐いたら、どうなるのかを試してみたんだ」
謝罪した後、自分の身に起きたことを説明する。説明しながらも、自分自身にも現実感が乏しく絵空事のようだ。
彼女らは、真剣にこちらの話を聞いてくれた。そして、「というわけだ」と説明を締めると、ガーベラさんが口を開いた。
「確かに、真実の眼が無かったら、信じられない内容ね。それにコスプレ衣装作成、ね。コスプレ自体、初耳な単語だけど、異世界の言葉なんでしょうね」
コスチュームプレイないのだろうか、この世界には。否、絶対あるはずだ。この世界にも男はいるのだから! 居るのだから! 大事なことなので、二度言いました。
「今度は、こっちも自己紹介しないとね。あたしはガーベラ、職業は……」
「聖女様、なんだろう?」
「え? 聖女は、職業じゃ無いわよ? って、そういう事も知らないのね。いいわ、説明してあげる」
聖女とは聖痕を刻まれた女性のことらしい。刻まれた、といっても、突然、身体に浮き出るものだそうだ。タイミングや周期は不明だが、世界に五人同時に、同じ年齢になった際に、聖痕は刻まれるということだ。
つまり他にも四人聖女様がいるらしい。聖女である五人は、十五になると、旅に出ることになるらしい。その期限は、聖女の内の誰かの聖痕が、大聖痕と呼ばれる大聖女の証になるまで終わらないそうだ。
簡単に言うと、聖女の中の聖女を決める旅で、大聖女が決まると同時に旅は終了といわけだ。
「つまり、君は大聖女になるために頑張っているわけか」
子供を助けたのも、修行の一環と言うことか。むしろ腑に落ちたと言える。
「え、目指してないわよ?」
予想外の返答が返ってきた。
「ふふん、大聖女なんてやりたい奴がやればいいわ。あたしはね、昔から人助けや正義のために働きたかったの。でも、この聖痕のせいでず~っと修道院に閉じ込められていたのよ。だから、今までの分、大勢の困った人を助けるために旅をしているのよ」
彼女の言葉には、全く裏が無かった。そう確信させるだけの晴れ渡った表情、説得力があった。
彼女に聖痕が刻まれた理由がこれだけで理解できる。
きっと今の日本で、これだけ真っ直ぐなことを言ったら、笑われ、陰口を叩かれることだろう。
何も間違っていないのに、むしろ正しすぎるというのに。
自分にはたどり着けなかった正しさは、まぶしすぎるのだ。皆で笑って、安心したいのだ。あいつがおかしいのであって、自分たちは正常だと。
元の世界では最早見ることが出来なくなった、真っ直ぐすぎる少女。
素敵だな。心の底から、そんな思いがこみ上げてきた。自分より一回りも年下の少女に、憧れにも近い感情を抱いてしまう。
「どうしたの?」
どうやら、見惚れて、間抜けな顔をしていたようだ。取り繕うとして、何でも無いと口にしたつもりだった。
「素敵だなと思って」
ぎゃー! 真実の眼のことを忘れていた。
ガーベラさんの頬が紅く染まっている。
やだ、忘れて! 十以上も年下の少女を口説いているみたいじゃん! これ親友に見られたら、一生からかわれる案件だ。
「じゃ、じゃあ、職業はなんなんだい?」
あからさまだが別方向に会話の舵を切る。
「え、あ、そうね」
しかし、何やら職業については言いにくいのか、言い淀んでいる。
「じょうたいいじょうふよじゅつし、よ」
「じょうたいいじょうふよじゅつし?」
思わずオウム返し。口にすることで、頭の中で文字が変換されていく。
状態異常付与術士、か。
「毒とか、麻痺とか、相手にマイナスの影響を与えるの。これでも稀少な職業なのよ」
そう言って胸を張った後、しょぼん、と顔を曇らせた。
「聖女っぽくないって思ったでしょ?」
無言でアルカイックスマイルを浮かべる。前回と同じ轍は踏まない。真実の眼の中では、沈黙こそが金なのだ。
「何よ、その顔! 馬鹿にしてんの⁉」
ここでも日本人のアルカイックスマイルは不評らしい。
昨晩のとあるシーンが思い起こされる。確かに彼女は、手の平に毒性のある粘液を生み出していた。あれは彼女のスキルだったのだろう。
「次はわたくしですね。名は、ローズマリーと言います。ガーベラ様の騎士です」
聖女は旅立ちの際、一人以上の護衛を付けることを強制されるらしい。これには、聖女に取り入ろうとする者の意図や政治的な思惑もあるらしいが、教会側としても認めた事柄だそうだ。
ただし、聖女を有する教会としても、護衛には一定の条件を付しているそうだ。定められた職業の者が、一人以上居ること、となっているそうだ。
「わたくしの職業はガーディアン。守護的前衛職の一つですわ」
守護的前衛職という言葉に、眉根を顰めた俺を見て、ローズマリーさんは説明をしてくれる。
守護的前衛職には三種有り、ナイト、パラディン、ガーディアンだそうだ。性能としては、ナイトは攻守の割合が五分五分、パラディンが攻三守七、そしてガーディアンは守り十割だそうだ。
希少性については、圧倒的にガーディアンであり、次いでパラディン。ナイトについては結構な数が居るらしい。
「じゃあ、二人は凄いんですね。どちらも稀少なんでしょう?」
「まあ、そうなのですが……」
ローズマリーさんが苦笑する。ガーベラさんの顔も晴れない。むしろ曇っていく。
「実際、我々の職業は、パーティを組むときには引く手数多です。状態異常付与術士は、格上を倒す時に、必須な職業ですし、ガーディアンは敗戦時の撤退の際、死亡率が激減します。とても頼りにされる職業です」
とても凄いんですよ、と話しながらも、表情は暗いままだ。
「ただ、この二人だと、攻撃手段がないのです。我々だけでは、負けませんが、勝てないのです」
攻める手段が無いということか。毒にする、麻痺にする、でもそれは決定打ではない。相手が一匹ならば、その後ボコボコにすれば良いだろうが、複数だとそうもいかないだろう。
「というわけで提案があるわ!」
ずいっとこちらの顔を近づけるガーベラさん。
「さっきの話だと、この世界の事がわからないし、行く宛もないのよね?」
「まあ、そうなるね」
「なら、一緒に来ない? 少なくとも、あの鎧、いえ、スーツだったかしら。それを着た貴方は前衛として文句ないわ」
「いや、それは助かる提案だけど……」
「なによ?」
「仮にも、ほら、俺は男だし。怖いとかないのかなって……」
ふむ、と考え込むガーベラさん。
「貴方は、あたし達に手を出すの?」
「そんなつもりはないけど」
「なら大丈夫でしょ」
「いや、そんな言葉だけで信じちゃ駄目でしょ」
送り狼は、皆、何もしないと言うのだよ。
世間知らずも甚だしい。
だが、ガーベラさんは勝ち誇った課億で、床を指さした。
「信じるに足りる言葉だったと思うわよ?」
真実の眼、か。確かに、これならば下心を簡単に見抜けるだろう。うん、男にとって、とても不都合だろう能力だ。
「それに、貴方だったから提案したのよ。困っているだろうからってのは当然あったけど、見ず知らずのあたし達の為に頑張ってくれたでしょ。自分も大変な状況なのに。だから、信用したってわけ」
少女は屈託のない笑みを浮かべていた。全く、素敵な聖女様だ。
「ここまで言われたら、うん、甘えさせて貰うよ。正直、君たちが善人なのは疑う余地は無いだろうし、俺の荒唐無稽な話を信じてくれる相手が、今後現れるかと言われると、可能性は低いからね。多分、今後を考えても、最高の良縁だと思う」
この言葉に、彼女は、やった、とガッツポーズをとった。聖女様のイメージには合わないが、ガーベラさんという女性らしいとは思えた。
「それじゃあ、改めてガーベラさん、ローズマリーさん、よろしく」
「さん付けはいらないわよ。旅のお供になったんだもの。ガーベラ、もしくは」
そう言って、ニヤっと笑う。
「ベラって呼んでも良いわよ」
ニックネームというか、愛称という奴か。地球でも外人の名前は略されて呼ばれていた。例えばフレデリックがフレッド等だ。メアリーがポリーと呼ばれるのは、日本人には、どう略してそうなるのかと、不思議に思う。
「じゃあ、折角だからベラって呼ばせて貰うよ」
これからしばらくは一緒に行動する相手であり、打ち解けようと、相手から提案してくれたのだ。こちらからも歩み寄る努力をしよう。
それに、途中から呼び名を変えるのって、照れ臭いし。なら、最初に頑張っちゃう方が良い。
「にゃ⁉」
ベラから素っ頓狂な声が上がる。
「え、えっと、そう、呼ぶの? からかった、だけ~、だったんだけどな」
……若い子の冗談わからん。
「なら、ガーベラって呼ぶよ」
「あ、ゴメン。いいの、いいの。ベラって呼んで。ただ、歳の近い男性にそう呼ばれるのは初めてだったから!」
ん、歳の近い?
「え、俺のこと幾つだと思ってるの?」
「二十歳ってとこでしょ?」
「いや、二十八だけど」
アジア人は若く見られがちだというのは本当なんだと、ここで実感。流石に八つも下に見られているとは。
「「え⁉」」
今度の声は二人分だった。
どうやら相当衝撃的だったらしい。
「おっさんじゃん⁉」
この言葉は、異世界に来たことよりも、蜘蛛に襲われたことよりも、俺の心の柔らかい部分を締め付け、オーバーキルしたのであった。