第1章 1 異世界において行われたコスプレは、本物に類似した。
第一章
一
「よし、完成だ」
俺は自分の作った衣装を見て、思わず微笑んでしまった。
元里武尊。現在二十八歳。職業はオーダーメイドで服を作っている。まあ、服と言っても、正確にはコスプレ用の衣装なのだが。
被服関係の専門学校を出て、被服関係の仕事に就いていたが、オタク趣味が高じて、コスプレ衣装の自主作成を行っていた。そこから知り合いの依頼を受け、制作代行をしていたところ、その技術が認められ、これ一本で食っていけるようになったのだ。裕福ではないが、食うには困らない程度でしかないが。
今回の作成物は、依頼ではなく自分用だ。友人に誘われ、冬のイベントでコスプレ参加するための衣装だ。
コアラマスク一号。マスクヒーローシリーズの最初の作品にして原点キャラだ。金属製のマスクは外注したが、スーツについては完全に自作だ。かなり本格仕様になっている。友人は二号をやる予定だ。そちらは先に完成し、既に友人宅に配送済みだ。
コアラマスクのリアタイ勢ではないが、子供の頃、再放送を見て以来、当時の現行放送最新作よりも、コアラマスクの方にはまってしまった。おかげで、小さい頃の友人達には変わり者扱いをされたものだ。
因みに一号はコアラなのに、二号はパンダだったりする。これは、制作時に社会現象になっていたコアラとパンダをモチーフにしたためだそうだ。
変身方法は、実はコアラにとって毒であるユーカリを食べ、その毒をエネルギーに反転させる装置により変身するというものだった。今思うと、子供が真似したら危険なことこの上ない変身方法だ。多分だが、今だと放送できないのではないだろうか?
コアラマスクの顔は、当然コアラをモチーフにしており、大きな耳、灰色の顔。目の縁と口元は黒い。口元は、鼻をイメージしているらしい。
正直、少々不気味だ。猟奇性を作品のテーマにしていたので、こういうデザインになったらしい。愛らしさにおいて社会現象になったコアラなのに、何故、猟奇性をデザインに落としてしまったのだろうか……。
まあ、そのミスマッチが、子供に受けて、今も続くご長寿シリーズになったわけだが。
とりあえず、最終確認として試着だ。
スーツを着用し、メットを脇に抱える。
鏡を見ると、かなり上出来だった。改心の笑みを浮かべてしまう。
突如、地面が揺れた。
地震?
かなり激しい。何かに捕まろうとしたところ、突如、身体が宙に投げ出されたかのような感覚に襲われた。
床が崩れるような感覚は無い。しかし、感じるのは浮遊感。
気がつくと、意識が暗闇に落ちていった。
次の瞬間、目を覚ますと、俺は森の中に居た。空を見ると、月が出ており、月の高さから真夜中であることがわかった。
「どこだ、ここ?」
アパートの床が崩れても、森に居るなんて事はあり得ないはずだ。
いや、考えても仕方が無い。とりあえず、森から出なければ、落ち着いて現状の確認も出来ない。
月明かりのみな上に、木々がその明かりを遮っており、視界はかなり悪い。
正直、かなり怖い。自分が置かれている状況が不明な上、夜中に森に来ることなど、人生で一度も無いのだ。
スマホも充電していたので、身につけていなかったの。おかげでライトも無い。
と、そこでマスクに付けた一つの機能を思い出した。昼のコスプレイベントに使う予定だったので、不必要と思いながらも、興が乗って原作で付いていた機能である、暗視スコープ機能を付けていたのだ。
俺はマスクを被り、後頭部の辺りにあるスイッチを押した。すると、暗視機能が起動した。
これで視界はかなりマシになった。
マスクの所為で、音が聞こえずらい。だからこそ、獣の気配などに気をつけながら、周囲を見回しつつ、慎重に進む。
ふと、人の声が聞こえた気がした。人がいるというのならば、是非とも助けてもらいたい。
声の方向へと進む。
近づくにつれ、その声は怒声のようなものだと感じた。
助けを求めたいところだが、声の主の状況は不明だ。明らかに、尋常な状況には思えない。
思わず足を止めそうになるが、この意味不明な状況がこれ以上悪化することがあるだろうか? そう思い、意を決して、接触を試みるために、近づくことにした。
とはいえ、だ。平和ボケした日本人とはいえ、何も考えずに飛び出すほど危機意識を欠如はしていない。
様子を探ると、大人の女性が、十代半ばの少女と五歳前後の子供二人の三人を守るように剣を構えていた。
その女性らと対峙するのは、巨大な蜘蛛だ。自分の認識としては、手の平サイズの雲はデカいにカテゴライズされる。部屋に出現したら、その一匹のために煙を噴出するタイプの殺虫剤を焚く自信がある。
が、この蜘蛛はそんなもんじゃなかった。なんせ、全長が人の身長ほどもある。
この世の蜘蛛全てを知っているわけではないが、少なくとも地球上には人と同じ大きさの蜘蛛は存在していないことくらいは理解していた。
いや、今はそんなことはどうでもいい。助けなければ!
しかし、どうやって? 素手の自分に何が出来るだろうか? 格闘技として空手は学んでいたが、あの大きさの蜘蛛に効果があるだろうか?
女性の、あの大剣、あれならば蜘蛛を倒せるのではなかろうか?
それこそ、俺が囮になれば。
意を決し、木の陰から飛び出す。
そして、巨大蜘蛛へと襲いかかった。勢いを付けての正拳突き。これでも空手の有段者だ。昔は、スーツアクターなんかにも憧れて、様々格闘技、スポーツで身体を鍛えたものだ。
蜘蛛の身体は柔らかく、同時に産毛の感触に鳥肌が立つ。
蜘蛛が、敵対者として、こちらに身体を向けた。
これで、蜘蛛は女性に背を向ける形になった。
「や、やれぇ!」
女性に向かって叫ぶ。今ならば、背後から蜘蛛を斬り殺せる。
が、女性はこちらに対しても、警戒を示していた。
忘れていたのだ。自分も現在、コスプレにより、ぱっと見の姿は、怪人そのものであったのだと。
蜘蛛が、こちらの首筋に向かって、その口で突進してきた。
慌てて、左手でその口を受ける。腕に噛みつかれた事で、激痛が奔った。同時、身体に何かを注入されたかのような違和感を覚えた。
毒⁉
身体が、否、胸が熱い。
死ぬの、だろうか。このような、わけのわからない場所で、状況で。
そんなのは、嫌だ。嫌だ。嫌だ!
せめて、人として死にたい。こんなのは、俺の知っている、人の死に方ではない。
日本でも、熊に襲われて死ぬこともある。だが、それは、知っているだけで、俺が思う人の死に方ではない。
人の死は、事故や病気や、老衰だ。少なくとも、これは俺の納得できる死ではない。
『ならば叫べ』
頭に声が響いた。
これはまるでコアラマスク一話の変身シーンか?
ならば、次の台詞はこうだ。
『変身、と!』
「変……身……!」
喉が張り裂けんばかりの声を張り上げた。
瞬間、マスク越しの視界が昼のように晴れ渡った。マスク内にディスプレイが表示され、身体の負傷部位など様々情報が映し出された。
コスプレ道具に過ぎないこのマスクに、このような機能は搭載されてはいない。
加えて言うのならば、この作品は昭和の作品で、当然、こんなハイカラな設定は無かった。が、最近リメイクされた映画は違った。そう、これはリメイク映画作品のマスクの内部映像そのものだった。
なら!
理屈なんてどうでも良い。そもそも、いきなり森に居るとか言う不思議状況だ。なら、流されるまま、不思議なことに逆らわない。
乗ってやる、このビッグウェーブによぉ!
「音声入力、起動!」
ディスプレイにOKの文字。
「コアラパンチ!」
俺が原作通りに叫ぶと、自らの右腕の内部が意思を持ったかのように、躍動する。その右拳を蜘蛛に叩き付ける。
その一撃は、巨大な蜘蛛の身体半分を吹き飛ばした。
「か、勝った……」
安堵の溜息と共に、俺は彼女らを見つめた。
彼女らは、こちらのとの戦闘意思を継続させていた。
変身を解くか?
原作通りなら、首の後ろのスイッチを押せば、元に戻るはずだ。
が、次も変身できる保証は無い。それこそ、この森でただの人になったら、自分の身を守れない。
……仕方が無い。この姿のまま、説得を試みよう。
「俺は人だ。元里武尊だ」
彼女の見た目は西洋風だ。そもそも言語が通じるか不明だ。
「ほ、本当に?」
あ、通じた。どういう理屈かは不明だが、今はただただ助かる。
「ああ、本当だ。これは鎧のようなものだ。一度脱ぐと、再び着るのは困難なんだ。少なくとも、安全な場所に着くまでは、脱ぐことは出来ない」
夜間だが、マスクのおかげで、昼のように見えている。
少し落ち着いたので改めて彼女たちの様子を観察した。
大剣を構えた女性は、身長百六十センチ半ばほど。
金髪の長髪に、陶磁器のような白い肌。顔つきも通った鼻筋に、細い眉に知的な切れ長の瞳。下手な映画女優などよりも、余程魅力的に見えた。
金属製の鎧に身を包んでおり、彼女が騎士的な存在なのだろうと当たりを付けた。
背後の女性は、赤茶色の髪の毛を肩程の腰まで伸ばしている。身長は百四十半ばほど。年齢は十四くらいだろうか。
少し垂れ目気味な顔つきは愛嬌があり、小さめの鼻や少しあひる口なところも愛らしい。
美人よりは可愛い系。クラスに居れば、美人ランキングでは一位ではないが、男子の好感度的には一位になれそうな感じだ。
シャツとズボン姿であり、動きやすさを重視しているようだ。
残りの小さな子は、赤髪の少女に怯えるように捕まっていた。
「こ、怖くないよ~」と無害さをアピールして見せるも、あまり効果は無いようである。
大剣を構えた女性は、未だに構えを解こうとはしない。
「森を出るまででいいんだが、協力できないだろうか?」
こちらの提案に対し、背後に守られていた赤茶髪の少女が前に出た。
「わかりました。こちらの騎士である彼女は、実を言うと蜘蛛に噛まれており、毒を受けており、出来れば早く治療を行いたい状況にあります」
「ガーベラ様!」
どうやら赤茶髪の少女はガーベラという名前らしい。
騎士の少女の非難の声に対し、ガーベラさんは凜とした表情で告げる。
「どちらにせよ、このままではジリ貧よ。だったら目の前の方に賭けるとしましょうよ」
「直感に賭けるの、悪い癖ですよ」
「知ってる」
ガーベラさんがそう言って頷くと、騎士の女性はしぶしぶながら頷いた。
瞬間、気が抜けたの騎士はその場に座り込んだ。毒が回っているのかも知れない。
ガーベラさんが心配の声を挙げようとするも、獣に気付かれるのを恐れてか、なんとかその声を押しとどめた。
俺は「失礼」と前置きし、騎士の女性を抱きかかえる。どういう理屈かは相も変わらず不明だが、俺の身体はコアラマンと同性能もしくは、それに近い状態らしい。女性一人くらい、楽々と持ち上げられた。
「森の外まで案内をお願いしたい」
「わかりました、急ぎましょう!」
ガーベラさんは、二人の子供の手を取りながら道案内をしてくれる。道すがら聞いた話では、禁止されていたにも関わらず森に行ってしまった、この二人の子供を助けるために森にやって来たそうだ。発見したのは良かったものの、子供二人を護りながらの移動で、蜘蛛に襲われてしまったらしい。
要は、善人、素敵な正義の味方ということだ。
運が良いのか、それともあの強そうな蜘蛛の血が付着していたおかげか、他の生物と出会うことなく森を脱出できた。
森を出ると、遠くに明かりが見えた。
「あの村へ!」
「わかりました」
子供達を置いていかぬよう、それでいて早足で村へと向かう。
森が近いためか、それとも治安が悪いのか、村の入口には門番が立っていた。その門番達二人は、俺を見た瞬間、槍を構えた。
「大丈夫、こんな見た目だけど人、らしいです」
らしいって言われちゃった。確かに、まだ顔見せてないけど!
ガーベラさんの言葉と、彼女が連れた子供二人の説得力があったのだろう。門番達は顔を合わせてから頷き、俺も村へ入ることを許してくれた。
子供二人は門番に預け、ガーベラさんの指示で医者へと向かう。
門番の一人が医者の家を教えてくれた。
医者の家に着くが、時間は夜中だ。医者をたたき起こすことになってしまった。
寝起きで不機嫌そうな老齢の医師であったが、俺の手の中にある女性の顔色を見て、即座にベッドに寝かせるようにと指示を出した。
傷の手当てと毒に対する応急措置をするということで、男の俺は追い出される。
どちらにしろ、この状況で自分に出来ることはない。
少し自分一人の時間が出来た。折角なので、自分の置かれた状況を整理するとしよう。村の中ならば、森よりは安全だろう。
「ここは一体何処なんだ?」
思わず独り言ちると、まさかの反応が返ってきた。
『教えてやろう』
それは、蜘蛛に噛まれたときに聞こえた声と同じだった。
「だ、誰だ⁉」
念のため周囲を見回すが、誰も居ない。そもそも森で聞こえた声と同じだとしたら、ここに居る誰かなわけもない。
『儂は、AIシステムのおやっさんだ』
AIシステム「おやっさん」。それはコアラマスクの恩人であり、開発者のおやっさんが、死に際に自分の記憶を、コアラマスクの中にAIとして保存し、サポートしている。という設定だったはずだ。
が、こんな偉そうな話し方ではなく、もっとフレンドリーで温かさを感じるものだったはずだ。が、今はそんなことはどうでも良い。そもそも、既に不思議で理解不能な状況だ。
「教えてくれ!」
「ああ、いいだろう」
おやっさんの説明はこうだ。
俺の居た世界と、この世界が奇跡的な確率の事故として衝突したらしい。その衝撃で、俺はこの世界に落っこちてしまったと言うことだ。
その事故については、言ってみれば地球に彗星がぶつかるような低確率で起こりえるが、誰も悪いわけではない事故だということだ。
『この世界の人々は、生まれると同時に職業が与えられる。この世界の仕組みとして与えられる職業は種類が決まっており、その中のどれかが、その者の適正に合わせてあてがわれる。そして、お主についても、この世界に現れた瞬間に、同じ処理が行われた。しかし、既にお主には職業を持っていた。コスプレ衣装製作成代行業という、な。そのため、この世界は職業を与えることが出来ず、逆にその職業に能力を与え、この世界に組み込んだのだ』
つまり自分の職業と能力は唯一無二のものということらしい。
というか、衣装作成代行か。元々の世界でも、人に名乗るには少し恥ずかしかった仕事だが、こっちだと更に恥ずかしいことになりそうだ。
もう一つ疑問がある。AIおやっさんだが、随分と設定と違っていることだ。
『それは、このスーツである儂もこの世界に現れた瞬間、この世界から干渉を受けたためだ。AIという概念が無いこの世界において、AIに似たシステムをあてがった。それは、この世界のシステムそのものだったのだ。つまり、儂はこの世界のシステムに一時的に繋がり、今でこそ途切れているが、世界の劣化コピーなのだ』
だとすれば世界そのものだということだろうか。とんでもない性能なのではないだろうか?
「繋がりは立たれている。あくまで、一部しか残っていない」
漠然とはしているが、状況は理解できた。
「俺は戻れるのか?」
『ほぼ不可能だ。同じ現象が起き、お主が再び落下するという、奇跡が起きなければ、な』
この話を聞いて、一番最初に思い浮かんだのは友人の姿だった。あいつ、一緒に参加するコスプレイベント楽しみにしてたのになぁ。まあ、衣装は送ってあるので、参加だけなら出来るだろう。併せは、出来ないけど。
『因みにだが、あのままでは、あの女は死ぬだろう』
「は?」
『この村の医師では治療不可能だ。というか、あの医者の技術、熟練度では、あの女を治すだけの薬は精製出来ない』
この世界のシステムから、そういったことがわかるということか。
「誰なら治せるんだ?」
『お主が、治せるキャラになれば良い』
え~と?
『お主の職業はコスプレ衣装作成代行。作ったコスプレを着用した物は、本物と同じような力を得る。元の世界の人々の妄想が力となり、それ程の効果をもたらしたわけだな』
「つまり、医者のコスプレをすれば良いということか?」
『そう単純なもんではない。細部に神は宿るというが、お主のコスプレは、お主が魂を込めなければ、その力を発揮しない』
つまりは、会心の出来でないといけないということか? このコアラマスクのように。
『否、それだけでは駄目だろう。着衣後、そのキャラクターとして魂が入り込むかが必要になる』
要は、似合わないといけないということか。
「コアラアスクの変身前の姿と、俺は似てないと思うんだが?」
『それは、儂というか、スーツ自体が、この世界に現れた時点で、世界の加護を受けたからだ。お主の能力と共に、世界が影響を与えており、スーツ自体が一つの新たな存在となっているのだ』
とにもかくにも、今自分がやるべき事はわかった。
自分が着て成りきれるキャラかつ、毒を解毒できるキャラの衣装を作ると言うことか。
……難しくない?
例えば、某有名RPGの僧侶なんかどうだろう? タイツ的な素材が存在しているのだろうか?
いや、解毒を本人が出来る必要は無い。錬金術師のキャラとかどうだ? 以前、代行制作したキャラが居た。錬金術の天才キャラで、チートなポーションなんかも作成できるキャラだ。
舞台も中世風のファンタジー世界で、この世界でも十分用意できる素材で衣装が作れるはずだ。
と、その時、ガーベラさんが病院から出てきた。
「しっかりとしたお礼も出来ず、申し訳ありませんでした」
恭しく、彼女は頭を下げた。この世界でも、お辞儀の文化があるらしい。
「いえ、大丈夫です。と、ところで、まだその鎧を着られているのですね」
確かに不気味なことだろう。脱いでも、また着用できるのだろうか?
『可能だ。毒が身体に満ちれば、変身が可能になる』
なら、解除しても大丈夫だろう。俺は首の後ろの、解除ボタンを押す。
すると、視界が暗闇の中に戻り、綿のように軽かった身体に、普段の身体の重さを感じた。
胸に違和感を覚え、確認すると、昭和時代を思わせるコンピューター、電卓に毛が生えたような装置が胸元にくっついていた。これについては、どうやら外せないようだ。
この装置は、毒を反転させる、変身の為のアイテムだ。当時の子供で、このおもちゃを買えずに居た子らは、電卓で代用していたという話を聞いたことがあった。
「本当に人だったのですね」
「ええ、まあ。彼女は、大丈夫なんですか?」
おやっさんの話が間違っていないのかどうか、一応の確認。
「峠は今夜だと言われました。ただ、正直、厳しい、と」
ガーベラさんは、泣きそうな顔で、無理矢理笑顔を作った。
「もしかしたら、助けられるかも知れない」
「本当、ですか?」
「ああ。ただ、その為には服を作らなくちゃいけない、らしい」
思わず、最後に自信のなさが出てしまった。どうしても、まだ確信が持てないのだ。いきなり異世界に来て、その世界の仕組みを信じろというのは、難しい話だ。特に、歳を食えば、その分難しくなると思う。
その自信の無さが、怪しさを産んだのか。ガーベラさんの表情が訝しむように歪んだ。
「意味が、わかりません」
「俺を」
信じて欲しいとは言えなかった。なんせ、自分が信じられていないのだ。
「そういう冗談は、笑えません」
本来可愛らしいであろう顔付きが、射貫くような視線をこちらに向ける。
「ふ、服を作ることが出来れば、助けることが出来るらしいんだ。自分でも、半信半疑なんだが、その一か八かに賭けて欲しい」
本音だ。だからこそ、口に出来た。
彼女がぼそぼそと何かを口ずさむと、地面に光の円が現れた。その円の中には二本の縦線が伸びている。
「この中に、入って貰えますか?」
「えっと、危なくない?」
「ええ。害はないことは、聖女の名において保証します」
聖女?
その疑問については後回しだ。今は、この怪しまれている状況を解消しなければ。
疑いを解くために、言われるがまま、円の中に入る。
「貴方の目的はなんですか?」
「目的?」
「質問に答えて下さい!」
詰問に、思わず鼻白んでしまった。
「彼女を助けるためだ。服を作るのも、そのため、らしい」
「らしいって、どういうことですか?」
「お、俺も、この状況を理解しきれていないんだ。でも、彼女を助ける方法として、とある服を作って、着る必要があるんだ」
当然、彼女の眉は寄る。一から説明するにも、多分、コスプレや特撮、アニメ、理解して貰うのはかなりの時間がかかる気がする。
「彼女を助けたい。その気持ちに嘘は無い。信じて欲しい」
初対面の相手に、我ながら空々しい言葉だ。自分だったら、信じられるだろうか。ただでさえ、言葉を濁しているような状況だというのに。
「……いえ、助けるつもりなのはわかりました。協力、致しましょう」
「いいの、か?」
「ええ。この〈真実の眼〉の中では嘘はつけません。助けるという気持ちは、本気なのでしょうから」
この円の事だろうか? あ、二本の線は、眼を表していたのか。古代の壁画みたいだったので、言われなければわからなかった。
「服を作ると言うことは、布が必要なのですか? それとも革ですか?」
「布かな」
そこで、自分はこの世界のお金を持っていないことに気付く。
「お金持ってないんだけど、貸してもらえる、かな?」
「……助けるという言葉に嘘はないとわかっているんですけど、それでも詐欺じゃないかと、疑いたくなる言葉ですね」
自分でもそう思う。武尊、困っちゃう。
彼女は服屋を知っているらしく、そこまで案内して貰った。
真夜中だというのに、家の中には光が灯っていた。
「非常識でしょうが、仕方有りません」
彼女は、家のドアをノックした。
「どちら様、ですか?」
家主と思われる男性が顔を出した。彼女の顔をみた途端、「聖女様!」と驚きの声を挙げた。
「夜分、申し訳ありません。ご相談がありまして」
「いえ、いえいえいえ。お気になさらず。息子を助けて頂いたのですから!」
どうやら先ほど助けた子供の一人は、この家の子だったようだ。
「お上がり下さい」
家主がそのように促すと「貴方も」とガーベラさんがこちらに言った。
「そう言えば、貴方、名前は?」
テーブルに案内され、家主がお茶を煎れに行った間に、ガーベラさんか質問された。
「元星武尊」
「変な名前ね? まあ、顔からして別の国というか、大陸の方かしら?」
「一応、似たようなものかな」
「モトホシタケルは、なんであの森に居たの?」
「とりあえず、フルネームは止めて欲しい。モトホシか、タケルで頼むよ」
「家名があるの? 貴族だったのね。御免なさい」
「いや、俺の国では、みんな家名というか、名字があるんだ。でも、この国では誤解されそうだから、タケルと呼んでくれれば良い」
「そう、そんな国もあるんですね。では、タケルと呼ばせてもらいます」
年下の少女に呼び捨てにされるのはむずがゆい感覚だ。この国ではそういうものなのだろう。郷に入れば郷に従おう。
すると家主がお茶をもって戻ってきた。
「それで、どのようなご用で?」
「こちらのタケルが、服を作りたいそうなんです」
「こ、こんな時間に、ですか?」
ごもっともだ。非常識この上ない。
「毒に犯されたローズマリーを助ける為に必要なことなんです」
「騎士様は毒に⁉ 息子の命の恩人を助けるためでしたら、いくらでもお手伝いします」
とりあえず、この店を借りることが出来そうだ。
服を作るのに、行程を日数で分けずに、一気に行えば、自分の技術では三から四時間程。今回は、中世風の服で、多少飾りが付いている程度。ここで、原作が漫画だったことが役に立つ。あんまり服を複雑にすると、作画が大変になるためだろう。
が、ここで問題が生じる。型紙に起こそうにも、資料が無い。以前作ったとは言え、細かいところまで覚えているはずが無い。なんとなくで似せることは、まあ、出来るだろう。だが、それではコスプレに魂を乗せる、という条件を満たせるとは思えなかった。
『変身しろ』
頭の中に、おやっさんの声が響く。
やばい、怖い。俺の身体って、実際に改造人間になっているのだろうか?
変身するには、毒を取り込む必要があるんだったか。
え、難しくない?
冷静に考えると、毒なんてものは、簡単に手に入らない。そんな世界は恐ろしい。
が、今後のためにも手に入れる方法は見つけておく必要はあるだろう。
「毒って、あります?」
「ど、毒ですか⁉」
家主さんが、驚きの声を挙げた。隣のガーベラさんは、再三見かけた、訝しむ視線を向けてくる。
「変なこと言っているのはわかるんです。でも、必要なんです」
「……何で必要なの?」
とうとう、ガーベラさんから敬語が消えた。ちょっと悲しい。
「先ほどの鎧を着たいんだけど、それには毒を取り込む必要があるんだ」
「毒だけなら、なんとかなるわ。でも、死んだとしても、恨まないでよ」
そういうと、彼女が手の平をこちらに向けた。すると、手の平に粘性の高い液体が生まれる。
「毒よ。効能は、身体を麻痺させるわ。摂取量にもよるけど、量が多いと、筋肉が動かなくなり、最後は心臓の筋肉も止まるわよ」
覚悟はあるのか、と、その赤い瞳が言っていた。
「わ、わかった」
毒を飲むなんてのは、人生で初めてだ。
躊躇が無いわけではない。それでも、自分で言い出したことだ。
粘性の液体に恐る恐る触れると、胸が熱を持ったのがわかった。胸の反転装置が、作用している様子だ。
これなら、死ぬことはなさそうだ。
彼女の手の平から、自分の手の平に粘性のある液体を、零さないように慎重に移し、それをゆっくりと、嚥下した。
彼女の顔が、青くなる。これ程の量を飲み込むとは思っていなかったようだ。
「ば、馬鹿、死ぬ気なの!」
俺は、その言葉に返事をせず「変身!」と口にした。夜中だから、小声で。
すると、再び自分の視界がマスクの中のものへと変化した。両手を見ても、スーツを着用している。
不思議な現象だが、こういうものだと納得しよう。理系じゃなく、文系でよかった。変に疑問を持たずに済む。
家主は驚きに椅子から落ち、ガーベラさんも後ずさっている。いきなりの変身は、これからは控えるようにしよう。
「で、おやっさん、どうすればいいんだ?」
『データを映し出す』
マスク内のディスプレイに、以前、自分が用意した資料や型紙が映し出される。ただし、サイズの訂正こそ必要だろう。
そう考えた瞬間、型紙が自分のサイズに変化する。
『これで良いだろう』
AIってすげぇ。いや、地球のAIがここまで出来るのかは知らないけど。
「型紙に起こしたいものがあります。なにか書けるものはありますか?」
「は、はい。持ってきます」
羊皮紙でも持ってこられるのかと思ったが、持ってこられたのは紙だった。どうやら、紙については存在しているらしい。
俺は、ディスプレイのデータを、紙へと書き写す。驚くほど正確に書き写せる。自分が、人間じゃなく、機械になったのだと、少々恐ろしくなる。
服屋だけあり、家主は次の行程であるだろう、布選びの為に、布を幾つか用意してくれた。
欲しいものは、白と黒の布。質感的にも、この世界のもので良い。ただ、多少は上質な方が、あの作品のキャラに合っている。
申し訳ないと思いながらも、この店で一番高い布を使用させて貰うようにお願いした。
そして、鋏を借りて、型紙に合わせて布を裁断していく。
家主の方には、先に休んでもらって大丈夫と伝えたものの、こちらの服作りを、服屋として見てみたいと、見学を申し出てきた。断る理由もないので、そのまま見学してもらっている。
裁断が終わり、縫う段階になり、一つの問題に行き当たった。
「ミシンって、ありますか?」
家主の方に訊ねると「ミシン?」という、絶望的な回答が返ってきた。
ミシンがない。これには困った。ミシンが無くても、服は作れる。それはそうだ。この世界でも、作っているように、地球でも元々は手縫いをしていたのだ。
だが、掛かる時間に雲泥の差が出る。ついでに言うのならば丈夫さも。
そして、今夜が峠だというのならば、確実に間に合わないだろう。
家主の方が用意してくれた裁縫道具を見る。針と糸。基本中の基本の裁縫道具。
どう、する?
考えていても仕方が無い。だったら、その時間内に縫うしかないだろうが!
俺は、縫製を始めた。
え?
そこで気付く。
自分は、機械のように動けるのだ、と。そう、人の動きとは思えぬ正確さと速さで、縫製が出来たのだ。
つまり、俺がミシンになることだ。というわけだ。
これならば、間に合う。なんとかなりそうだ。
手縫いでありながら、圧倒的な速さと正確さ。家主の方が、驚きと尊敬の視線を向けて来る。
実際、この技術は手縫いにおいては神業だろう。惚れ惚れとした視線を向けるのものわかる。自分も逆の立場ならば、同じような視線を向けていたことだろう。
集中力も尽きないのが助かる。俺は、無我夢中でコスプレ衣装の制作を続けた。
二時間後、衣装は完成した。
俺はスーツを解除し、家主に着替える旨を伝えた。別室で着替えをし、元の部屋に戻る。
その部屋で鏡を見ると、衣装には問題が無いと感じた。ただ、キャラクターの年齢に比べ、自分が老けているのが問題だ。まあ、一回り年齢差があるのだ、なんとかする必要がある。
「化粧品って有ります?」
「妻のでしたら」
貸して欲しいと伝え、白粉、つまりはファンデーションを塗る。これで、大分年齢が若く見える。
つまり、女性の化粧は怖いということだ。正直、自分で化粧をすることになって、化粧の恐ろしさに身震いしたほどだ。
「すごい。別人みたい」
ガーベラさんから、嬉しい感想が漏れた。コスプレ冥利に尽きる。本物みたいが、最高の褒め言葉だ。この世界で、その言葉は望めないだろう。
この小さな村では、服屋が靴屋を兼業しているらしく、似ている靴があった。元のキャラがシンプルな革靴だったのが助かった。部屋からいきなりこの世界に来たから、スーツ脱いだら裸足だったし、普段から使わせてもらうとしよう。
実際にコスプレしてみたが、特に変化はない。満足いく出来だというのに。
そこで、一つ足りないものに気付いた。
「眼鏡だ!」
「眼鏡?」
ガーベラさんは、首を傾げて居た。
「うん、眼鏡が必要なんだ。金縁の」
他の眼鏡では駄目だ。このキャラがかけているのは、金縁の眼鏡なのだ。
「誰か、金縁の眼鏡持っている人居ます?」
「金縁は、高級ですし……」
家主は考え込む。
ガーベラさんも、困ったようにしている。この村では、可能性が低いのだろう。
「村長の親父さんが、普段していたような」
「なら、借りに行こう!」
時間が時間だが、人命がかかっているのだ。
「頼み込んででも借りましょう。必要、なんでしょ?」
「ああ」
村長の家を教えてもらい、俺とガーベラさんは、その大きな家へと向かった。村長といえども、それ程立派な家には住んでいなかった。この村の経済規模が見て取れた。
村長の家を訪ねると、迷惑そうな顔の四十代程の口ひげを蓄えた男が姿を現した。
が、ガーベラさんの姿を見て、「ああ、聖女様! 二人を助けて頂いてありがとうございました」と頭を下げた。
「いえ、お気になさらず。こんな夜分に変なことを言うと思われるでしょうが……」
少々言葉にするのを躊躇っている様子。
まあ、そうだろう。夜中に眼鏡を貸して欲しいなど、明らかに不審だ。
が、意を決した様子で、ガーベラは「金縁の眼鏡を貸して下さい!」とお願いした。
当然、キョトンとするお相手。
「えっとですね、服屋のご主人から村長のお父様なら、金縁の眼鏡を持っているとお伺いしまして」
気まずくなったのか、しどろもどろ説明する聖女様。
「父が持っているのは確かですが……。何故、必要なのですか?」
「あたしの親友、ローズマリーを助けるためにです!」
スタートからゴールまでの因果を省いたごり押しの回答。
だが、あちら側からしても恩人である聖女様だ。眼鏡を貸すだけで多少なりとも恩を返すことが出来るのならば、あちらとしても安いものだと思ったのだろう。
「親父に頼んできますよ」
と、家の中に消えていった。五分ほどで、眼鏡を手にした村長が戻ってきた。
「どうぞ。ただ、出来る限り早く返して頂くと助かります」
「はい。約束します」
ガーベラさんが頷くと、村長は再び子供達の件の礼を言って、ドアを静かに閉めた。
「これでいいの……?」
「ありがとう」
眼鏡を受け取り、着用する。一瞬、裸眼の人間が眼鏡をした際の歪んだ視界を経験する。しかし、視界はすぐに正常なものへと戻った。
これで、解毒薬を作れるのだろうか?
解毒薬について考えると、自分では経験したことも、理解したこともない、記録のようなものが脳裏にこみ上げてきた。
なんとかなりそうだ、と胸を撫で下ろす。
ガーベラさんと共に医師の家へと戻る。
医師は、危篤状態のローズマリーさんの傍らに座って、状態を観察していた。
突然いなくなった、ガーベラさんを軽く叱責した。ガーベラさんは、それに対して、一切言い訳せずに頭を下げていた。
「お医者さん、申し訳ないのですが、手伝って貰えますか?」
「今の状況でか?」
「はい。解毒薬を作れるかも知れません。ただ、材料や道具をお借りしたり、手伝っていただきたいのです」
呆気にとられたような表情を浮かべたが「薬師か、医師か?」とこちらに質問する。
この世界に錬金術師という存在が居るのかは不明だ。
「似たようなものです」
言葉を濁したが、ガーベラさんが頷いたのを確認すると、こちらへ、と別室に案内された。
ガーベラさんは、医師の指示でローズマリーさんの容態を観察し、異常があったら呼びに来るように言われていた。
ローズマリーさんが侵されているのは蜘蛛毒だ。原因がわかっているのは、とても助かる。そのおかげで、原因と対処の内の、原因究明という、時間が掛かるチャートをぶっ飛ばせる。
蜘蛛毒用の解毒剤について考えると、候補が幾つか思い浮かぶ。
病院の薬棚を見回し、作成可能な物があるかどうかを検討する。
『アレとアレとアレを使え』
おやっさんの声が頭に響く。どうやら、おやっさんも、俺と同じか、それ以上の知識を手にしているようだ。
もしかしたら、コスプレの影響を、おやっさんも受けているのだろうか。まあ、電卓みたいな装置、身体に埋め込まれちゃっているからなぁ。
指示された三つを手にすると、作成可能な解毒薬の、詳細な調合法方が脳裏に浮かぶ。
材料は簡易ポーションと名前の聞いたことのない毒草。更に、別の毒用の解毒薬の三つだ。
個々の必要な量を医師に頼んで、天秤で量り用意して貰う。
調合は、自分の仕事だ。適正な順番での入れ方、混ぜ方で行う。
不思議な感覚ではあるが、現在の自分の目には、解毒薬であることが確信できている。
それでも、無責任に他人に、それも弱っている人間に飲ませるのは、流石に怖い。毒が解毒薬に変化したかを確認するために、軽く口にする。胸が熱くならないので、毒の効果が消えていたことを確認。
大丈夫、大丈夫だ。
「これを彼女に」
「だ、大丈夫なのか? 混ぜた内の一つは毒じゃぞ」
「信じて下さい! もしもですよ? 彼女を殺そうとしているのならば、こんな手の込んだことをせず、森で襲うなり、今、見捨てるなりしていますよ」
その言葉に医師は合点がいったのか、ローズマリーさんの居る部屋へと足早に向かった。
ローズマリーさんの顔は青白く、息も苦しげだった。
ガーベラさんが声を掛けると、うっすらとローズマリーさんが目を開いた。
「これを飲んで」
親友の言葉だからか、得体の知らない薬であろうとも、躊躇いなく口を開き、それを受け入れた。
喉が鳴り、嚥下する音が、静かな病室に響いた。
しばらく、皆は無言で彼女の顔を覗き込んでいた。
日の出による薄明かりの中、頬に血色が戻っていくのを確認した。息も、整っていき、素人目に見ても、安静な方向に向かっていったのがわかった。
室内の誰かの安心したような深い溜息を耳にすると、他の皆も安堵の溜息を吐き出した。
解毒薬と確信する自分と確信しきれない自分が居たが、本物で安心した。ぶっつけ本番かつ不思議異世界の能力っていうのは、不安で仕方が無い。
しかも、命が掛かっているとなれば、尚のことだ。
室内は、徐々に顔を出した太陽の影響で、明るさを取り戻しつつあった。