救難信号
いつも彼は小さな船で空からやってくる。積める限りの種、積める限りの苗を積み込んで。
もう何度その船を迎え、送ったか知れない。あの花、この花、あの草、この草、あの樹木、この樹木。
私の中には全てそうした種類の植物たちを育てるための情報がインプットされている。けれども、どんなにその情報を活用し、正しく運用したとしても、成果ははかばかしくなかった。
土が悪い。水も汚染されている。それに打ち勝てるような種はそうそうない。ほとんど全土が砂漠であるが故に、気候も荒く、昼の気温は60度以上に達し、夜はマイナス以下に下がってしまう。気温差を減らすためのこの覆いがなければ、ここにある植物の大半は皆枯れてしまっていただろう。
私の日付を数える機能はこの惑星向きにできていないのではっきりとは分からないが、彼の言葉から判断するに、もう20年余りがたっているらしかった。たった1メートル四方ほどしかなかった私の管理する「庭」は今はそれでも3メートル四方ほどにはなっている。赤茶けていた庭の土は黒みを帯びた色になった。手に取ればしっとりと柔らかい。
いつものようにやってきた船には、今日は彼以外の人物も同乗していた。地質学者なのだと言う。
「へえ、家事用ロボットを管理人にねぇ」
地質学者は私が珍しいのか、眺め回してそんなことをつぶやいてから、仕事に取りかかった。そこここの土のサンプルを採取し、きっちりと箱につめて行く。時折簡単なテストをしてみては、けれども彼は難しい顔で言った。
「こう申し上げるのは何ですが、無理があると思いますよ」
「ですが、見てください」
彼は言って「庭」を指差した。
「それでもあれだけ育つんです」
「それはそうですが、しかしここ全域ともなれば、かなりの大仕事になります。覆いをかけるのでさえ簡単なことではない。それに、やはり土が悪すぎる。この環境では私の開発した土壌改良用微生物も恐らく住むことは無理でしょう。酸性値が高すぎる」
「もっと石灰を混ぜましょう。それでどうです?」
「ええ、まあそうなんですが・・・それに、水も必要ですし。この土はあまりに乾燥し過ぎている」
「雨がほとんど降りませんからね。それに降ってもかなり酸性が高いですから、そのままではいずれにせよ利用できません」
かつて「生命の惑星」と呼ばれたこの惑星は、今はほとんど死に絶えて何もいない。一面の荒れ果てた土地に降る強酸の雨は、私にとっても脅威である。
とにかく、いま少し調べてみましょう、地質学者はそしてしばらくの後、彼に送られて帰って行った。
なあ、フロム。
地質学者を送り、戻って来た彼は、長い沈黙の末そう私に話しかけた。
この惑星は土も水も、大気も、生物が住むには厳しすぎる環境になってしまっている。動物が住むためには餌となる植物が必要で、植物が育つためには、それに適した環境が必要だ。酸の強すぎない水に、養分、適度の日当たりと適正な気温。
彼が運んでくる植物は酸性を和らげる力を持っている。けれど、この惑星では酸が強すぎ、そのままでは、ほんの小さな植物性プランクトンでさえ生きて行くことができない。惑星全体がまるで巨大な殺菌装置になってしまったかのごとく。
植物を育てるためには改善が必要、その改善のためには植物が必要。これではどうすることもできない。
小さな植物が育ったなら、土は急速に改良されて行くだろう。植物たちが広がったなら、やがてそれは森となり、動物たちが生存できる環境を生み出すだろう。動物たちの屍は土に返り、土を豊かにするだろう。
森はやがて海を蘇らせる。そして惑星はまた命を取り戻す。全ては連なる輪っかなんだ。ひとたび回り始めれば、後はきっと自力で回って行くだろう。
これはね、フロム、
彼は疲労の色濃い顔に更に影を映して言った。
「究極の永久機械ともいえると思わないかい?」
乾ききったこの惑星に四季はない。あるいはほかの場所ならばあるのかもしれないが、私には分からない。
荒れ狂うように降り降りた雨がぬかるみを作り、あっという間に流れ去って行く。ただそれだけが、私に分かる「気候の変化」だった。
そしてまた、船がやってきた。幾度目とも知れぬ船が。植物たちの様子から見て、もうとうに来ていなくてはならなかった筈のその船は、いつもと寸分違わず、決められた着陸地点に下りた。
いつものようにその脇で彼が降りてくるのを待つ。が、何故かいつまで待ってもハッチが開かれる気配はなかった。
故障したのかもしれない。
通信を送ってみたものの返事はない。とりあえずハッチを開くよう船のコンピュータに信号を送るとあっさりとハッチは開かれた。ハッチ部分の故障というわけではないらしい。
ハッチから中へと入る。つめる限りの資材と苗、種。ほとんど足の踏み場もない。かきわけるようにして操縦席へ行くと彼はまだそこに座っているらしかった。
----いつか時がきたらね、フロム-----
彼はいつもそう言っていた。その時が来たなら・・・
座席を回り込んで、そして私はその「時」が来たことを知った。脈を取り、瞳孔を確かめる。そして全ての機材、全ての資材を下ろすといつものように作業に取りかかった。
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「驚いたな」
初めに降り立った男はそんなことを言った。警戒しつつ後に続いて皆が降りる。誰も住む者のないはずの惑星から突然強力な救難信号が送られてきたのである。
「・・・船だ」
一人が気づいてそんなことを言った。半ば土と葉に埋もれるようにして錆び果てた機体がそこにあった。
「非常に酸性度が高い」
地味を調べていた別の一人が言う。
「ということはこれは変異種か」
船体を覆う蔓を引くようにしてもう一人が言った。
「そうかもしれない。少しサンプルを持って帰って調べてみよう」
やや目を転じれば、壊れかけた人造の建造物がある。辺りを覆い尽くす蔓性植物の海をかき分けて彼らは歩み寄った。無造作に茂った植物たち。花の季節を迎えてとりどりに色を放っている。
「発信はこの辺りから出ている」
一人が指向性の通信アンテナを向けながら言った。壊れた扉を開く。
----時がきたらね、フロム、私の体を惑星に埋めるんだ。木や草を植え、彼らの糧となるように----
触れればぼろりと壁が削れるような小屋。その片隅に奇妙な植物の塚がたたずんでいた。まるで苔むした古木のように。
「ここだ」
アンテナを持った一人がすぐ傍まで歩み寄りそしてはっとしたように立ち止まった。残る三人もどうした、と近づき、そして驚きに足を止めた。
「これは----」
一瞬、何か分からなかった。植物の隙間から見える金属片がかすかにそれが人造物であることを示していた。
「ロボット・・・か」
そっと手を触れた一人がそうつぶやいた。触れたところの植物がはがれ、腕に埋め込まれていたプレートがわずかにむき出しになった。
フロム
ほとんど消えかけていた文字はそう読めた。改めて皆がぐるり辺りを見回す。小屋を侵食して広がる植物の群れ。
「機能停止すると信号を出すように組んであったのだろう」
すっかり侵食されたその人造物の塊は、表面を覆う植物をわずかにかきわけるだけでも、ぼろりと一緒に剥がれ落ちてしまう。今やその内部にはケーブルや部品と共に根が絡み合い、到底分離できそうになかった。
一体どれほどの年月をこの人造物はここで過ごしてきたのか----
「どうする?」
誰に聞くでもなく一人がつぶやいたその問いに、どこからともなく深い吐息の音がもれた。
「これでは持ち帰るのは不可能だろう」
「そうだな・・・」
いつしか日は傾き始めていた。一行は、ひとまず戻って報告を出そうと、引き返して行った。
S・O・S、S・O・S・・・
変わらず続く信号に思いを残しながら。
終