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自己追放

 太陽が地平線の向こうに沈み、遠くの山々に続く荒れた道に長い影を落としている。アンドレイは、歩んできた多くの道の(ほこり)と他人の戦いのために負った傷を(まと)い、ねじれた木にもたれかかっている。彼の手は、警戒のためではなく身に付いた癖として剣の柄に置かれている。風が遠くの(たか)の鳴き声を運んできた。その声は、彼が長い間忘れようとしていた記憶を呼び起こした。

挿絵(By みてみん)

 アンドレイは、テリシア王国で最も偉大な武人と称された王ブランニスの息子だった。彼の父は、その体躯(たいく)でも評判でも巨人のような存在であり、戦いでは決して(ひる)まず、その名を聞いただけで敵が震え上がるほどの人物だった。アンドレイはその偉大なレガシーの影の中で育ち、父の期待は少年には重すぎる(よろい)のようにのしかかった。アンドレイは、当然のように幼い頃から剣術の訓練を受け、疑問を持つことなくその道を進んでいた。

 しかし、アンドレイは父とは違った。

 彼はあの日のことを昨日のように覚えている。敵が突撃してくる戦場に立ち、剣を手にしていた時のことだ。彼の感覚は、心臓の鼓動、戦いの轟音(ごうおん)、混乱の中で(そび)え立つ父の姿、前進を促す父の声だけに(せば)まった。そして、血が流れ、男たちの怒号(どごう)が空気を満たしたその瞬間、アンドレイの勇気は消失した。彼は剣を落とし、恐怖と恥に胸を打ち震わせながら逃げた。その夜、彼は父の叱責(しっせき)を待たずに王国を去った。彼の自己追放は、自分自身を罰するための手段であり、父の目に映る失望から逃れる方法だった。

挿絵(By みてみん)

 王国には、ある少女がいた――エレナ。彼女は貴族の家系ではなく、鍛冶屋(かじや)の娘であり、強い意志と鋭い舌を持ちながらも、その瞳にはアンドレイを()きつける温かさがあった。二人の絆はゆっくりと(はぐく)まれ、宮廷の重圧や父の期待の影から離れた静かな時間の中で育っていった。エレナは、アンドレイを偉大な武人王の息子ではなく、ただのアンドレイとして見てくれる数少ない人の一人だった。

 アンドレイが戦場から逃げ、胸に燃えるような恥と恐怖を抱えて去ろうとした夜、彼はエレナのもとへ向かった。彼女は鍛冶屋の作業場で待っていて、心配そうな表情を浮かべていた。彼の震える姿を見た彼女は、ほっとしたような顔つきになったが、その瞳は胸の痛みを映していた。

「行くのね?」彼女は理解を(にじ)ませた穏やかな声で尋ねた。

 アンドレイは(うなず)いた。「俺はここにはいられない。失望させてしまった。父が望むような人間にはなれない。俺は強くない、エレナ。俺は……」

 彼女は彼の言葉を(さえぎ)り、彼の手を取った。「あなたはお父様と同じになる必要なんてないのよ、アンドレイ。そんな必要は一度もなかったわ。でも、逃げるなんて……」

「行かないと」彼はか細い声で言った。「ここにいれば、俺はいつまでも父に失望を思い出させることになる。ここには俺の居場所はない」

 エレナの瞳は彼の表情を(さぐ)った。そこには、はっきりと葛藤(かっとう)があった。「私たちはどうなるの?」彼女の問いには、(こわ)れやすく言葉にされない約束が詰め込まれていた。

 アンドレイは答えることができなかった。彼女に待っていてほしいとは言えなかった。不確実な将来を彼女に強いることはできなかった。彼が分かっていたのは、自分自身と向き合うために、ここから去らなければならないということだけだった。たとえそれが王国や彼女から遠く離れることを意味しても。

 彼は彼女にキスをした。一度きりの絶望的なキス。そして、振り返ることなく去っていった。

挿絵(By みてみん)


目的のない放浪

 王国を去った後、アンドレイは田舎を()()もなくさまよった。彼は、王国の有名な武人王の息子として知られるリスクから村や町を避けた。それまでどこの家も扉を開いてくれた彼の高貴な出生は、今や彼の戦線離脱の話を知った人の目に腰抜けと映らせる(のろ)いのように感じられた。

 生き延びるため、アンドレイは川で魚を釣り、森で木の実や草の根を採った。しかし、王宮で育ち、常に食べ物や寝室が提供されていた彼には、旅の現実に対する準備が不足していた。彼は、常に空腹を抱え、日数を重ねるにつれて、彼の力は次第に衰えていった。時には戻ることを考えたが、父や友人たちに顔向けできないという恥が彼を前進させ続けた。

 数週間の当てのない放浪の末、アンドレイは生きる(すべ)を学び始めた。彼は農夫たちを遠くから観察し、彼らが土地をどのように耕しているのかを見て、時折果樹園や畑に忍び込み、リンゴやジャガイモを盗んだ。飢えと寒さは彼の誇りを()ぎ取り、彼は生き延びるためには剣の技術だけでなく、狡猾(こうかつ)さ、忍耐、そして謙虚さが必要だということを悟った。


 最初の数ヶ月間、アンドレイは漂流者のように村から村へと移動し、常に目立たないようにした。彼は食べ物や寝る場所を得るために雑用をこなした。(まき)を割ったり、柵を修理したり、農夫たちが重い荷物を運ぶのを手伝ったりした。彼は今でも父から贈られた剣を持ち歩いていたが、それを使うのは野生動物や盗賊から身を守るときだけだった。彼の戦闘技術はこれらの遭遇では未知数で、彼はできるだけ争いを避けた。

 孤独はアンドレイに重くのしかかった。彼は宮廷、兵士、家族に囲まれて育ったため、今彼が経験する孤独には慣れていなかった。静寂は耐え難いほど心に()みた。夜、星空の下で一人でキャンプを張りながら、彼の思考は逃げた戦場へと戻った。彼は自分の勇気が消失した瞬間を何度も何度も繰り返し思い出した。剣が激しくぶつかり合う音、戦闘の怒号、父が力強く立つ姿、そして彼の勇気が崩れ去ったあの瞬間を。

 この孤独な時間の中で、アンドレイの屈辱はさらに深まった。彼は自分が戦士としてだけでなく、人間としても価値がないのではないかと問いかけた。自分は偉大な王の息子でなければ、一体何者なのか?与えられた人生を放棄した今、自分にどんな目的があるのだろうか?

 しかし、疑念の中に小さな決意の種が芽生え始めた。彼はいつまでも漂流者として生きるわけにはいかないことを知っていた。彼は単に肉体的にではなく、精神的にも生き延びる方法を見つける必要があった。彼は自分が臆病者ではなく、何か他の存在であることを証明しなければならなかった。たとえそれが自分自身に対してだけの証明でも。


旅芸人一座との出会い

 アンドレイがこのような孤立の中で苦しんでいる最中、彼は旅芸人の一座に出会った。彼らは村々を(めぐ)り、地元の人々を楽しませて小銭を稼ぐ音楽家、曲芸師、語り部たちの寄せ集めだった。ある日の午後、アンドレイが道端に座っていると、空腹で(よご)れた風体(ふうてい)の彼を見つけた旅芸人たちは、彼をその夜のキャンプに招待した。

挿絵(By みてみん)

 最初は警戒したアンドレイだったが、彼らの申し出を受け入れ、数ヶ月ぶりに他の人々の仲間になることができた。旅芸人たちは社会の(ふち)に生きる者たちで、アンドレイが知っていた高貴な人々とはまったく違った世界を見ていた。彼らは王や武人に対してほとんど敬意を払っていなかったが、技術や知恵、そして生き延びる力を尊重していた。彼らにとって、アンドレイはただのさすらいびとに過ぎず、彼は生まれて初めて父のレガシーに関係なく、そのままの彼として認知された。

 しばらくの間、アンドレイは旅芸人たちと共に旅をし、できる範囲で手助けし、彼らの物語に耳を傾けた。彼らはアンドレイを品定めすることなく受け入れ、彼のぎこちない貴族的な態度を容赦なくからかったりした。彼らはアンドレイが過去を隠そうとする様子を見透かしていたが、彼を小ばかにする代わりに、世間に(まぎ)れ込む術を教えてくれた。彼らは、どうすれば目立たずに動けるか、どうやって食べ物を手に入れるか、そして少ないものでどうやってやりくりするかを教えてくれた。アンドレイは彼らの自由奔放(じゆうほんぽう)な生き方を完全には理解できなかったが、彼らとの仲間意識は、彼の孤立からの一時的な息抜きとなった。

 旅芸人たちと数ヶ月を過ごした後、アンドレイは彼らと別れ、自分自身の道を見つける決意を固めた。彼は戦士としてのスキルを活かして生計を立てるつもりだったが、まだ王国に戻る準備はできていなかった。また、真っ当な仕事では正体が露見するリスクがあったので、それは避けた。


傭兵(ようへい)との出会い

 ある夕方、隣国との国境近くの小さな町で、アンドレイは薄汚れた酒場に立ち寄り、荒々しい男たちが自慢話をしているのを目撃した。彼らは傭兵だった。誰それ構わず、一番高い値で雇う人のために戦う雇い兵だ。アンドレイは、彼らが戦闘のことや、契約のことや、命を危険に(さら)して稼いだ金について話すのを聞いた。

 彼は、その話を聞きながら、生き延びて、万一汚名を(そそ)ぐことが出来るとすれば、自分の生き方はこれだと察した。傭兵の仕事なら、王家の名前の重荷を背負うことなく戦士として自分のスキルを試すことができるし、父と比較されることなく、戦い、学び、成長することができる。さらに重要なのは、それが糊口(ここう)をしのぐ方法であることだ。過酷で危険な方法だが、方向性が定まらない立場の彼には合っていた。

 その夜、傭兵たちが酒場を去った後、アンドレイはその中の一人、白髪まじりの傭兵に近づいた。

挿絵(By みてみん)

「放浪している剣士でアンドレイという。話してもいいか?」

「いいよ。酒でも飲むか?」

「酒はいい。話を聞いていた。俺を雇う気はないか?」

 白髪まじりの傭兵は、アンドレイを値踏みするようにじっと見つめた後に言った。

「どれほどの腕があるのか分らんが、俺らの一団に入りたかったら明日の昼過ぎ町はずれの広場に来い。俺はケランという」

「分かった」と言ってアンドレイは右手を出したが、ケランは口元を(かす)かに緩めただけだった。

 こうして、アンドレイの傭兵としての旅が始まった。


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