30.お呼びでないんだよ①
(すっかり遅くなってしまった)
ため息をつきつつ、俺は夜会会場へと急いで戻る。
クラルテをひとりで会場に残してきたのは、どう考えても失敗だった。彼女のことが気になって、プレヤさんの話があまり入ってこなかった。
そもそも今は非番だし、クラルテに聞かれても差し支えのない内容だったのだから、わざわざ彼女と離れる必要などなかったというのに。
もう一度ため息をつきつつ、会場内へ足を踏み入れようとしたそのときだった。
「久しぶりね、ハルト」
おもむろに声をかけられ、俺は思わず振り返る。次いで視界に入ったのは真っ赤なドレスにゴテゴテした宝飾品、化粧の派手なブロンドの女性だった。
(はて……誰だったか)
俺を呼び捨てにする女性など思い当たらない。クラルテですら敬称をつけてくるというのに……そう思ったとき、脳裏に一人の女性が浮かび上がった。眉間にしわを寄せ、まじまじと見る。
「ロザリンデか……?」
「そうよ。あなたの人生に登場するこんなにも美しい女性なんて、あたし以外いないでしょう?」
ロザリンデはそう言って、ふんと大きく鼻を鳴らした。
(……この人はどうしてこんなに自信満々でいられるのだろう?)
――失礼だとは思いつつ、俺は首を傾げてしまう。
そもそも、彼女はこんな顔だっただろうか――そう思ってしまうほど、俺のなかのロザリンデの印象は薄い。
それに、先程ロザリンデは『こんなにも美しい』と自称したが、顔の形が整っているというだけ。ドレスも宝飾品も高価であることは疑いようがないが、どこか下品で浮いて見える。美しいとは思えないのだ。
「なんとか言ったらどうなのよ」
「ならば遠慮なく。俺にとってはクラルテがこそ唯一無二。美しい女性というなら、彼女をおいて他には考えられない」
「なっ……!」
促されるままに本音を吐けば、ロザリンデは大きく目を見開いた。
「なによそれ……クラルテって、あなたがさっき連れて歩いていた地味女?」
「地味? クラルテが? ……君は美醜の基準が狂っているのではないか?」
「なんですって!」
ロザリンデはそう言って、頬を真っ赤に染めあげる。
(まったく、なにを言っているのやら)
クラルテは愛らしく、美しい。どこにいても目を惹く華がある。地味だなんてとんでもない。彼女の魅力がわからないなんて、目か頭がおかしいとしか思えないのだ。
「……その言葉、そっくりそのままお返しさせてもらうわ。まったく! ハルトって、あたしと婚約していたときには、夜会なんて来たがらなかったじゃない? 元々人付き合いは最悪だし、あたしに婚約破棄されて以降も全然こういう場に来てなかったし。見る目を養う機会に恵まれなかったのね……気の毒だわ」
「それで……一体なんのようだ?」
早くクラルテのもとに戻りたいのに――苛立ちを隠せないままため息をつくと、ロザリンデはフンと鼻で笑った。
「知り合いを見かけたら声をかけるのは当たり前でしょう? しかも、あなたは一応あたしの元婚約者だし。おまけに、あたしのことが忘れられなくて未だに独身みたいだから、せめて会話ぐらいしてあげなきゃって思うじゃない?」
「必要ない。あいにく、もうすぐ俺は独身じゃなくなる」
「は?」
俺の言葉に、ロザリンデは素っ頓狂な声を上げる。
「先程一緒にいた女性――クラルテと結婚するんだ。挨拶はこの辺で。クラルテが待っているから」
これ以上彼女に用はない……横をすり抜けようとしたらロザリンデは「待ちなさいよ」と俺の腕を掴んできた。
「結婚? あなたが? 冗談でしょう? こんな融通の効かない堅物と結婚する女がいるっていうの?」
どこか小馬鹿にした表情。婚約時代によく見た顔だ。
「変わらないな、おまえは」
何度目かのため息をつきつつ、俺はロザリンデの手を振り払う。
「質問の答えになっていないわ。ハルトが今更結婚? 笑わせないでよ。あなたは一生をあたしのことを想いながら終えるんだろうって、そう思っていたのよ?」
「それは君の勝手な想像だろう?」
反論しつつも、ロザリンデの主張は半分当たっていたと自嘲する。
――実際のところ、もしもクラルテが現れなければ、俺はロザリンデ――というより、過去の婚約者に禊をたてなければならないという訳のわからないルールに縛られ、一生を独身で終えていただろう。
とはいえ、それは俺がロザリンデを愛していたからというわけでは全くない。
現に今、ロザリンデを前にして湧き上がるのは、嫌悪感以外のなにものでもなかった。
「……どうせ、つまらない政略結婚なんでしょう? あたしのときみたいにね。だって、あなたを自ら好きになる女性なんていないもの。ねえ……あなたが望むなら、夫にバレないように時々会ってあげてもいいわよ。あなた、未だにあたしのことが好きなんでしょう?」
「は?」
この女は、一体なにを言っているのだろう? もはや呆れてものが言えない。
首を振り、踵を返す。とその瞬間、背中に思いきり抱きつかれ、ゾクッと悪寒が走った。
「待ってよ、ハルト」
「いや、俺は……」
女性に対してこんなにも腹を立てたのは久しぶりだ。本気で話が通じない。そもそも、説明に時間を割くのも鬱陶しい。暴力も声を荒げるのもご法度だとわかってはいるが、俺のイライラは最高潮に達していて、いつまで我慢できるかわからない。
(さて、どうしたものか……)
「ハルト様っ!」




