2.頑固者の結婚観
それはクラルテが俺のもとに押しかけてくる数日前のことだった。
「結婚? 俺がですか?」
「そう、これ上官命令ね」
俺は直属の上司であるプレヤ氏に呼び出されていた。
腹立たしいほどにニコニコと微笑まれ、俺は思わず唇を尖らせる。
「プレヤさん、俺はもう結婚はしないとあれほど……」
「聞いたよ。それこそ耳にタコができるほどにね。だけどさ、考えてもみなよ。ほんの二年間婚約していただけの女に浮気されて、婚約を一方的に破棄されたんだろう? それだってもう五年も前の話だ。それなのに、未だにそんな女に操を立てる必要なくない? というか、相手は既にその浮気相手と結婚しているんだろう?」
プレヤさんは言いながら「やれやれ」と首を横に振っている。俺はさらに唇をムッと尖らせた。
「お言葉を返しますが、男として一度決めたことを覆すのはいかがなものかと思います。俺はロザリンデと結婚すると約束をして」
「で、裏切られた、と。そんな約束、完全に無効だ。第一、君たちの婚約は政略によるものだったのだし……」
「たとえ政略結婚でも! 裏切られたとしても! 俺は彼女を裏切らない。一生操を立てるべきだと思っています」
この件について己の見解を説明するのはもう何度目だろうか……しかし、未だに誰からも理解してもらえたことがない。曰く『俺は頭が固すぎる』んだそうだ。自覚はある。が、己を変えるつもりはない。
「ホント、ハルトって今時珍しいタイプの頑固者だよねぇ。損だよ、そういう考え方。もっと柔軟に生きていかなくちゃ」
「プレヤさんみたいにですか?」
「そうそう。女の子っていいよ? 一緒にいると癒されるし楽しいし」
「――自分は独身のまま遊び回っているくせに」
柔軟といえば聞こえはいいが、要はいつまでもフラフラしている遊び人だ。過去には結婚の話も出ていたらしいが、本人がこんな感じだからとたち消えになっている。上官としては尊敬できても、男としては尊敬しづらい――それが俺のプレヤさんに対する印象だ。
「まあまあ、僕のことはさておき。この結婚、命令元は僕じゃなくてもっと上なんだ。本当に断れない話なんだよ。実はこの春、君を小隊長に昇進させるって話が出ているんだ」
「……!」
思わぬことに俺は一瞬目を瞠る。
(昇進……素直に喜んでいいものだろうか)
しばし首を傾げつつ「そうですか」とこたえることにした。
「それでさ、上官ってのは君と同じで頭の固い古い考え方の人が多いわけ。昇進の条件に結婚を、って言われていて。この結婚を飲まないなら魔術師団を抜けろ、なんて話まで出ていて」
「――自分は独身のまま昇進したくせに」
「そういうわけだから! 君の結婚はもう決定。どうせ寮も出ないといけない年齢なんだし、ここらで所帯を持ちなさいって」
他人事だと思って――プレヤさんはおどけた様子で両手をパッと開いた。
「昇進のために結婚が必要……わからないな。より責任が増し、仕事が忙しくなるこのタイミングでどうして?」
そもそも、俺がロザリンデに婚約を破棄されたのは、俺が仕事にばかりかまけていたからだ。禄に会いにも行かず、デートや夜会に連れ出すこともしなかったから愛想が尽きたのだという。
おまけに俺は伯爵家の三男で爵位を継ぐ予定もなく、結婚するメリットが大してない。金持ちの子爵令息に流れるのは当然だとは思う。そんな俺に結婚なんて……。
「その辺僕に聞かれても、ねぇ? でもさ、僕らって日々命がけで仕事をしているわけじゃない? だから、生きて家に帰らなきゃならない理由ってのがあったほうがいい――ってことだと僕は思うな」
「……」
俺が所属している魔術師団消防局は、いわゆる火災に対応するための専門部隊だ。
水魔法が得意なものや転移魔法の使い手、それから救護魔法の使い手が数多く所属している。人命救助のためにまだ燃え盛る建物の中に突入することも多いことから、魔術の腕だけでなく騎士のように体力的な側面も多く求められる特殊な部署。
国の有事に備えて腕を磨いたり、結界を担当しているような他の部署とは異なり、俺たちの仕事は国民の日常生活と直結している。花形とは真逆の泥臭い職場だ。
けれど、俺はそんな自分の仕事に誇りを持っている。生きて家に帰る理由など必要ない。そう思うのだが――。
「まあ、そういうわけだから、さっさと寮を出ること! お嫁さんを迎える準備を進めてよねぇ」
「他人事だと思って……」
プレヤさんに恨み言を言いつつ、俺はため息をついた。
***
(それにしても、本気で展開が早すぎるだろう?)
家のなかを上機嫌で見て回っているクラルテを眺めつつ、俺は密かに唇を尖らせる。
半ば強引に寮の部屋を追われ、両親からもらった王都の家に移り住んだのはつい昨日のことだ。
年齢的に寮を出なければならないのはまあ仕方がない。そういう不文律があるのは知っていたし、もうすぐ新年度。ほんの数日後に新しい隊員たちが入ってくる。だから、引っ越しそのものについては了承している。
けれど、俺としては本気で婚約をする気はなかったし、自分一人のために使用人をつけるのも忍ばれる。大して大きくもない家だから、自分のことは自分でしようと思っていた。
だが、クラルテがこの家で暮らすと言うなら話が変わる。
この家は家具など生活に必要な道具は揃っているが、高位貴族のご令嬢が住めるような状態ではない。
「旦那様、旦那様! キッチンを使ってもよろしいですか? せっかくですし、お茶にしましょう!」
「ん? ああ……いや、だが茶葉なんて用意してないぞ? 俺はつい昨日ここに越してきたばかりで」
「お任せください!」
クラルテはそう言ってテーブルの上にそっと手をかざす。その瞬間、彼女の手のひらの上に小さな魔法陣が現れ、まばゆい光を放った。
「転移魔法……」
「はい。わたくしの得意な魔法です。数年前から必要にかられて練習をはじめたんですけど、思いの外上達しまして」
「……そういえば、土と木の魔法の使い手と言っていたか」
「そうなんです! なんでも、土属性の魔力持ちは転移魔法との相性がいいんだそうですよ?」
クラルテはそう言って、実家から転移したであろう茶器や茶葉を手に持ちキッチンへと移動する。気になって、俺も一緒についていくことにした。
「というか、クラルテは自分でお湯を沸かせるのか?」
「できますよ〜〜! だってわたくし、旦那様の使用人志望ですもの! 身の回りの家事は一通りできるように勉強してきました」
「……よく両親が許したな?」
貴族の令嬢は普通、家事なんてしない。着替えや身支度すらも侍女たちに手伝ってもらうような身分だというのに……。
「わたくし頑固なので! 一度『やる』と言い出したら聞かないから、半ば諦められていたんですよ。教える側の使用人たちもそんな感じで……そしたら、旦那様に結婚相手が必要になったって聞いたので、即立候補させていただきました! わたくし、旦那様はもう結婚をなさらないものだと思っていたから驚いて……」
「ああ……」
この子は一体、どこまで俺の事情を知っているのだろう? 手際よくお茶の準備を進めるクラルテを見つめつつ、俺は小さく息をつく。
「両親も『結婚なら』って、喜んでました」
「そりゃあ使用人になるよりかはマシだろうが……」
「いえいえ。そもそもわたくし、旦那様以外の人と結婚するつもりがなくて、独身で一生を終える予定でしたから」
「なに?」
嘘だろう? まさか、そこまで思ってくれていたとは……というか、本当に? 人違いではなく? そういえば『はじめまして』とは言われなかったが……。
「旦那様にとってはわたくしとの結婚は不本意かもしれません。けれど、わたくしとても嬉しかったんです。だって、旦那様が結婚をするなら、相手はわたくしにしてほしいってずっと思っていたから」
どこか憂いを帯びたクラルテの表情。思わず胸がドキッとする。
(いや、ダメだろ)
俺の結婚相手はロザリンデだ――もう彼女との結婚が叶うことはない。だが、彼女に一生心を捧げると、自分にそう誓ったのだから。
「さあさあ旦那様、お茶が入りましたよ! 一緒にゆっくりしましょう?」
「……ああ、そうだな」
楽しそうに微笑むクラルテを見つめながら、俺は少しだけ目を細めた。