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1.押しかけ令嬢クラルテ

 それは新年度を目前に控えた、うららかな春のある日のことだった。



「こんにちは、旦那様!」



 越してきたばかりの新居の前に、大きな荷物を背負ったうら若き女性が立っている。

 栗色の柔らかそうな髪の毛、鮮やかな紫色の大きな瞳、身長は俺より四十センチほど低いだろうか? 小柄でか細く、可憐な容姿をしている。化粧っ気がなく、雰囲気は清涼感に満ちていて、純粋培養のお嬢様、といった印象だ。



「君は……」


「クラルテと申します。旦那様のお嫁さんになるため馳せ参じました! これからよろしくお願いいたします!」



 ペコリと大きく頭を下げ、クラルテが俺の顔を覗き込んだ。



「君がクラルテ……?」


「はい、旦那様!」



 クラルテはそう言ってニコニコと嬉しそうに微笑んでいる。俺は思わずドギマギしてしまった。



(本当に? こんな愛らしい子が俺の妻になろうとしているのだろうか? なにかの間違いじゃなかろうか? というかこれ、倫理的に大丈夫なのか?)



 いや、年齢的には十分結婚可能なはずなのだが――こうも愛くるしいと、色々と罪悪感が湧いてしまう。無骨な俺と正反対のタイプだ。



(いや、そもそも俺はこの結婚に納得していない。第一、まだ寮の部屋を引き払ったばかりで、この家には使用人も誰もいない……空っぽの状態だ。それなのに、どうして……)



 疑問が次々と浮かび上がってくる。

 そんな俺をよそに、クラルテはポンと手を叩いた。 



「これから一緒に暮らすのですし、簡単に自己紹介をさせてください! 私はブクディワ侯爵の娘、クラルテと申します。年齢は十八歳、土と木の魔法の使い手です。先日アカデミーを卒業しまして、晴れてハルト・ディクケプフィガー様――つまり旦那様の婚約者に内定した次第です! よろしくお願いいたします!」



 もう一度ペコリと大きく頭を下げ、クラルテがはにかむように笑う。俺は思わず言葉に詰まってしまった。



「とりあえず、中に入れていただけませんか? 色々とお話したいこともございますし、早く片付けなければ日が暮れてしまいます! お夕食の準備もしなければなりませんし、他にも色々……」



 クラルテが上機嫌な様子でまくしたてるが、俺はまったくついていけていない。



(ダメだ。このままこの子を家に入れるわけにはいかない)



 確かに、彼女との婚約話については上司や家族から聞き及んでいる。けれど、こんな急展開を迎えるとは思っていなかった。ゆっくりと状況を整えて、丁重にお断りするつもりでいたというのに。



「クラルテ……俺は、その……大変言いづらいのだが」


「わたくしとの結婚に納得していない、断るつもりだった、ですね? 大丈夫です、存じ上げています!」



 クラルテはそう言って、ビシッと敬礼のポーズをとる。



「え……?」



 存じ上げている? 一体どういうことだ? そもそも、クラルテはそれでいいのだろうか? 婚約を拒否されているとわかっていて、俺のもとにやってくるとは……。



「わたくし、元々は旦那様の使用人志望だったんです。だけど、さすがにそれは両親が許してくれなくて……」


「いや、当然だろう? 君は侯爵令嬢なんだから」



 あまりにも突拍子もないクラルテの主張に、俺は目を丸くする。



「いえいえ! 侯爵の娘であっても、侍女として働いている女性はたくさんいますもの! ですからわたくしも、数年前から旦那様にお仕えしたいと思っていて」


「いや、俺は爵位を継ぐ予定もない伯爵家の三男だし、君のほうが身分は上だ。それなのに、どうして仕えるなんて発想になるんだ?」



 身分の高い令嬢が侍女として仕える相手は、自分よりも高位な貴族――王族がほとんどだ。俺みたいな貴族と呼んでいいかも怪しい男の下で働くなんてありえない。第一、ブクディワ侯爵は大層な資産家なのだから、クラルテが働く必要など一切ないはずだというのに。



「だって、旦那様はとっても素敵なお方ですもの! 少しでも力になりたいと思うのは当然です!」



 クラルテはそう言ってキラキラと瞳を輝かせる。その力説ぶりに俺は思わず怯んでしまった。



「いや、君は一体俺のなにを知っていると……」


「魔術師団消防局の若きエース! その水魔法の威力や技術は他の追随を許しません。これまで旦那様が火災から救ってきた人々は数知れませんし、頑固で真面目、仕事一筋のその姿勢に、わたくしは強い感銘を受けてまいりました。加えて凛々しく麗しいその容姿! 美しい黒髪も、青い瞳も、引き締まった体躯も、すべてがわたくしの理想そのもので、本当に惚れ惚れしてしまいます!」



 ひとつ質問を投げかけただけだというのにこの回答……聞いているこちらのほうが恥ずかしくなってくる。頬が熱くなるのを誤魔化していると、クラルテはずいと身を乗り出し、俺の顔を覗き込んだ。



「そういうわけですから、わたくしは旦那様が婚約に納得していなくても一向に構わないのです! お側で身の回りのお世話ができたらそれで幸せで、そのために婚約者という立場を最大限に利用させていただいているだけですから! 当然、愛してほしいだなんて申しません! その辺はきちんとわきまえております。それに旦那様、わたくしとの結婚が出世の……魔術師団に残る条件なのでしょう?」


「うっ……」



 なるほど、クラルテはすべての事情を知っていたらしい。そのうえで、それでも構わないと……彼女自身がその状況を利用している、と言っているのだ。



(天真爛漫で純粋無垢なお嬢様というわけではない、ということか)



 持ちつ持たれつ。互いにとってデメリットがないのだ。一旦は受け入れて然るべきじゃなかろうか? 

 そもそも俺が婚約を拒否しようとしていたのだって、相手を愛せる見込みがないこと、その罪悪感が嫌なだけだったのだし。



「……好きにしろ」


「はい、好きにさせていただきますっ!」



 嬉しそうなクラルテの横顔を眺めつつ、俺は小さくため息をついた。


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