5話「死線」
「な、何…?」
突如異変が起きた鎌男と距離を取るカーピブ。緑色の装甲は完全な漆黒へと染まりだし、目を覆っていた仮面上部は青から赤へと変色している。
明らかに様子が変だ。そして先程まで沈黙を守っていた彼はにわかにガタガタと震えだして―
「ギッ、ギガガガガガガガガガ!!!」
―――奇声をあげながら暴れ出した。
仮面から見える目の焦点があっていない。男はガバリと上半身を起こすと大声で叫び出した。
「●×△◎▼!!!□×▽□◆!!!」
意味も理性も何も無い、獣のような咆哮をあげて床に頭を打ち付ける。その様子を見てカーピブは思わずぽかんとしてしまった。
「いきなり気でも狂ったのかしら…?」
仮面で細かな表情は分からないが、怒っているのか泣いているのか判断のつかない絶叫が続く。
「○◆◆×▼!!!!!×◎□※▽!!!!!」
言っている言葉の意味は分からないが、肩を怒らせて縛る縄をミシミシといわせ―なんと腕の力だけで引きちぎってしまった!
「なっ―!?」
拘束から自由になる鎌男。彼は半狂乱になりながら暴れ出す。
「※×◆◎◎×◆▽×!!!!!」
壁に額を打ち付けながら血塗れになり、刃の付く両手をがむしゃらに振り回して己の身体を傷つけていく。
自傷、自殺、自己否定…まるで気が狂ってもそれだけは忘れられない長年続けた習性のように男は繰り返す―。
(いけない!このままじゃせっかくの生け捕りが台無しよ!!)
あっけに取られていたカーピブは我を取り戻す。うっかり死なれてしまっては尋問も解剖も出来なくなってしまう。「もう一度眠らせてあげる…!」再度の気絶を試みようと地を蹴って接近。
カーピブの脳は状況から適切な戦闘方を直感―つまり『経験』から瞬時に導き出す。
今回は相手を殺せない以上、痛みか肉体の損壊で物理的に動けなくすることが望ましい。加え、鎌男は足の腱が切れおり、四つん這いや中腰で動いているため立ち技を当てるのは困難である。
―こういう時には関節技か寝技がベター。
「シイィィィッ!」
二本の足と、そして尻尾の三軸で身体を跳ね上げる。鎌男が振り回して伸びた腕に全身で飛びつき、首筋を足で固定。腕を極める。『飛びつき腕挫十字固め!』
カーピブが戦士としての己を認める時、自身の最も優れている点は鱗竜族の中でも傑出した再生能力それ自体にあるとは思っていなかった。彼が誇っていたのはむしろ、それで幾度の死線を乗り越えて養ってきた戦場勘とも呼ぶべき判断力にこそ自信を置く。
彼がこれまで立ち合ってきた死闘の数は三十を超える。その莫大な経験量に裏打ちされた体さばきが、わずかコンマ数秒の間に至難の関節技を可能にする―!
(腕の一本ぐらい折っても死にはしない…!)
軋む骨!歪む肉筋!一度極まった関節技から抜け出すのは不可能に近い。
鎌男の腕はミシミシと鳴って―――しかし、折れない。
「なっ…!?」
十字固めという技の骨子は腕力より数倍勝る背筋力で腕関節をへし折ることにある。多少の体格や筋量差で覆せる技ではないのだ。―まして人の筋力は鱗竜族のそれに劣る―人体の構造上これで折れない道理が無かった。
にも関わらず鎌男の腕はまるで鉄棒のように硬く、曲げられない。それどころか肩を回し、腕一本で振りほどこうとしてくるではないか!
(それだけ強力に改造されているとでもいうの…!?)
負けじと両足を伸ばして更に力を入れようとした刹那、それを見てしまう。
「な、なんなのそのアゴはッ!?」
それは異様としか形容できない光景であった。
先程まで顔を覆っていた仮面の下部が4つに割れ、その中から赤黒くおぞましい2本の牙が現れたのだ。
鎌男は牙を広げると、勢いよくカーピブの足にかぶりついた。
「~~~~~ッ“!!」
たまらず技を解いてしまうカーピブ。もう片方の足で体を蹴って距離を取る。
噛まれた足は根本の辺りから千切れてしまったが、強力な再生能力によってすぐに生え変わった。
「ンガッ…モグッ…グ…ゲプ…!」
「こ、こいつ…あたしの足を食いやがった…!」
「―お前が俺を産んだのか?お腹を痛めて」
「は?」
組みついてようやくこちらに気が付いたのか、狂人の赤き焦点がカーピブを向く。
「お前が俺を、産んだのか?」
…意味が分からない。問われたカーピブは質問を無視して目の前の男を観察―理由は不明だが、気絶する前とは別人になったのだと判じて気を引き締める。
(あの剛力に加えて気狂い…もはや手加減は難しい。ならば捕獲を諦めて―)
腹の下に力を入れて一呼吸―柄に手をやり、腰を落とす。
何百何千と繰り返し、洗練された殺法の動作。
「殺すッ!!」
意を決したカーピブは腰の二刀を抜き放つ!超速の剣筋は常人なら受ける間も無く絶命する必殺の一撃―だが、
「―――?!」
響き渡る金属音が場を満たす。刃の先には鎌を構えた敵手、剣を受け止められたのだ。しかも両の足で立ち上がっている!
(馬鹿な―っ!)
腱が裂けたはずの足を見れば、今まさに途切れた肉同士がくっついて傷が塞がっていく最中ではないか。
その回復の仕方にカーピブは見覚えがあった。魔力が必要な回復魔術でもなければ、手間と暇がかかる医術の類でもない。身に覚えのある一族の血がなせる技―
(鱗竜族の回復能力を奪われた…?!そうか、改造でコイツに組み込まれているのは食った相手の能力を奪える大食鎌虫か!!)
「◎※▽◆×□×!!!!!」
「ぬおっ―!?」
つば競り合いを剛腕のみで押し通され、空いた身体に一閃―――戦士カーピブの左脇腹が裁断された。
「ガアアアアアアアッ!!」
だが斬られた竜剣士は痛みに臆さず、密着した状態から即座に炎魔術を起動―口から火炎を放射して牽制。しかし鎌男はそれに一切ひるまず、燃えるままにつかみかかってくる。恐らく理性の存在しない、敵愾心という本能のみで。
「□“■”□“■”□“■”□“■”!“!”!“!”!“」
「ヒッ―」
焼かれながら動くそれはカーピブを引き倒して馬乗りになった。力任せの大鎌が振り下ろされ―
「ギャアアアアアアアアッ!!!?」
肩口に激痛。カーピブは慌て力を込めて脱出を試みる―が、抜けぬ。
「―――っ!?」
刺された場所を見れば鎌が肉を貫通して下の石床ごと突き刺さっている。
それが杭の役割を果たしているのだ。
(しまっ―!?)
気付いた時には時すでに遅く、開いていた傷口が“刺さった鎌を包み込んだまま”回復してしまう。
皮肉にも、彼の持つ強力な再生能力が拘束を完全に固定してしまった。
「ぐっ…!ぬっ、オオオオオオ!!」
拘束から抜けようと力を尽くすが抜けられぬ。刀は手を離れ、今の体位から寝技は不可能。火炎は吐けたが敵は燃えるそばから治り出す。
―もはや打つ手が無くなって、殴る蹴るを繰り返すも戦いは終わらない
「離せッ!離せぇええええええ!!!ふざけるなアアァァァ!!!」
引っ掻いて、目を潰し、嚙みついても、すぐに治る。
かつてあれだけ頼もしかった自分の能力―それが敵に宿って戦ってみると理不尽さを感じさせた。いくら怪我を負わせてもすぐに治るので拘束を脱する隙が作れないのだ。おまけに身体能力だけなら黒き鎌男の方が上。
(動きも力も先程とはまるで別物…!コイツは一体なんなのよ……!!?)
他ならぬカーピブは知っている。自分の回復能力は絶大で、それを奪った鎌男は恐らく心臓を止めるか首を刎ねるかしない限り傷が瞬く間に治るのだと。
無論、鎌男だけでなくカーピブの傷も即座に治る。が、故に戦いは終わらない。
「おのれエェェェッ!!!」
もはや殺し合いという表現すら文化的で不適切。いまやカーピブは完全に血と泥にまみれた地獄の世界へと引きずり込まれたのだ。
―そこには戦士としての名誉も無く、言葉を交わせるだけの知性も無く、互いを認めあう心も無く。ただただ永遠を思わせる殺意の応酬だけが続いていった。
任務を預かる武人としてカーピブが諦めず抵抗を続けていたのが最初の二時間。
止まない殺意に許しを請い、涙ながらに訴えるが何も変わらない時間が一時間。
なされるがままに食われていき、苦痛と恐怖の中で叫び続けた時間が一時間弱。
全てを諦めてカーピブが自害。回復止まった肉体が食われきるまで更に二時間。
―その間、鎌男は狂人故憎しみを忘れることも無ければ行為に飽きることも無かった。
完全に完全に静かになった時、戦いの始まりからは既に六時間あまりが過ぎ去っていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「か、体中が痛てぇ…」
目が覚めた時、俺の体は変身が解けてバキバキに痛んでいた。
痛いと言っても怪我ではない。腱が切れていた足も何故か治っていたし、特に血が出ている箇所は無かった。つまり、ただの疲労と筋肉痛である。
「何となくトカゲ男を倒した気がするんだけど…全然記憶が無ぇ。クソ、俺はどれぐらい寝てたんだ?」
しゃくとり虫のようにヨイショヨイショと這って移動する。足腰が痛いからね。
(正直頭がクラクラするからまだ寝ていたいんだが…動ける内に落ち着ける場所を探さないと。じゃなきゃまた魔物がやってきそうで怖いんだよなぁ)
まずは外に出てここを離れたかった。疲れ切った体に鞭を打つ思いで移動していくと、ようやく光が差し込む玄関のような場所へ出た。
「おお!出口!!」
隙間風の吹く段差を苦労しながら登り、急ぎの扉の前まで来る。ああ、俺を迎えてくれる外気が心地いい!
だが期待して扉を開いた先には見当違いの光景が広がっていた。それは大自然。
「なっ……こ、ここって山の中だったのか…」
目に付くものは草木と空。木々の間からのぞく山々も大きくそびえたつばかりで、人里らしきものが欠片も見えない。
つまり、助けや食料のアテが無くなったということだ。
終わった。俺は絶望のままに崩れ落ちる。
(こんな山奥じゃ誰かが通りかかることも無いだろう…。あぁ駄目だ、もう何もかもおしまいだ)
気力が萎えると思っていた以上に限界が近かったことに気が付いた。指の一本も動かせないのだ。
(このまま一人で飢え死ぬんか俺…)
その時、ふと自分の首から垂れさがるヒモに目が付いた。フードの男たちに起こされてからずっと首に付いていたあのヒモだ。
―“カシャン!”―
頭の中で、奇妙な音が鳴り響いた。
(―――あっ)
不思議な感覚だった。腹の中から這い上がって来た謎の熱が頭に溶けていく―すると脳にある一つの封印が解かれるような、そんな『何か』が開く音がしたのだ。
―そしてたった三つだけ、俺は記憶を取り戻していた。
「ぉ…あ…え?」
一つは俺がこの世界の住人ではないということ。言葉にするのは難しいが、何となく今いるこの場所は、故郷のある世界とは別の世界にある。そんな直感があった。
二つ目は俺の名前。俺の名前はカマタシラオ、鎌田白男だ。
そして最後に三つ目の記憶、それは―――
「そうだ…俺、自殺したんだった」
首から下がるヒモはフードの男たちに結ばれたんじゃない。この世界へ来る前に自分で結んだものなのだ。
自殺した理由は思い出せないが、俺は間違いなく自分の意思で首吊りをして己の命を絶っている。
その強烈な実感が今、記憶と共に蘇ったのだ。
「……」
恐ろしさで全身から力が抜け、ヘナヘナと地に伏せる。
何で俺は死のうとしたんだ?何故今三つだけ記憶が蘇ったんだ?そもそも何で俺は記憶を失ったんだ?ここは何処なんだ?あのトカゲや、トカゲから逃げていたフードの連中は一体何者なんだ?
色んな疑問が浮かんで頭の中をぐるぐるするが―直ぐにまぶたを閉じて考えることを止める。
どうせ助からないと諦めがついて、もうどうでもよくなったのだ。
(土が冷たくて気持ちがいいや)
まどろむ意識、落ちるまぶた。
ゆるゆると五感が遠のいていき―――
―――その時、地面から奇妙な振動が伝わってきた。
(……?)
遠くから何かの音が近づいて来ている―――?
また魔物だろうかと思い、頭を上げて見えるのは土煙と人影。馬を駆る数十の人間が近づいてきている。
もし敵だったらどうしようもない。疲れ切った体は指一つ動かせないし、抵抗の気力も残っていなかった。もうなるように身を任せるほかはない。
(―――)
―近づいてきたそれは騎士の一団であった。銀の鎧の上から青黒の外套を身に着けた、精強という文字の似合う武装集団。
そしてその騎士たちの中にあって、目立つ少女が一人。
「……」
銀細工のように美しく長い髪、軍装の隙間からのぞく白い肌、理知的な光を宿した翡翠色の瞳。幼さを残しながらも、どこか高貴さを感じさせる少女がそこにはいた。
(め、女神…?)
そこで限界を迎えた俺は、ついに意識を手放した―。
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