3話「変身」
「ぜはっ、ひぃっ、ひぃ―――!」
「クキャアアアァァァッ!!」
ネズミのような化け物に追われながら思う。どうしてこんなことになったんだろう。
思い返すこと数分前、目を覚ました部屋でうんうん考えていた俺は胸の刻印が何故か消えていることに気が付いた。
「あれ…?」
恐る恐る部屋から出ても特に身体が痛むこともない。よく分からんがラッキーだと考えて部屋から出てみれば、そこから伸びた道が二つ―。フードの男達が逃げた地下通路のような道と、彼らの敵がこれから来るという逆側の大きな道。
「よし!あのクソ野郎共を追っている人達に保護してもらおう!」
そんなわけで俺は大きな道を選んだ。逃げているところをフードの男達に見られれば間違いなく敵意を持たれるだろうし、敵の敵ということなら彼らを追う者たちとは友好的な関係を築けるかもしれない。…そう思ったのだ。
結局その考えは甘かったわけだけど。
「うおおおおおおおっ!!」
「キシャアッッッ!!」
だって言葉すら通じない化け物が来るなんて思わないじゃない!俺は部屋の机を盾にしながら、巨大なネズミのような怪物の攻撃を間一髪で避ける。
大きな道の進んだ先は階段状になっていて、その先には石畳でできた大広間のような一室があった。それだけならよかったのだが、部屋の隅にはもぞもぞと動く二つ影―。
「キィィィ…ッ!」
「ギャァ…!!」
フードの男たちと似たような恰好をした死体を食らっている巨大なネズミ、しかも二匹。そいつらは俺の顔を見るなり襲ってきて―そして今に至る。
「くそっ、挟まれた…!」
ネズミたちには知能があるのか、こちらの退路を潰して二匹で囲う様に部屋の隅へと追いやってくる。
「シィ…ッ!!」
茶色い毛を威嚇するように逆立てて、巨大な前歯で噛みつくタイミングを伺っている―このままだと10秒も待たずに俺は終わりだ。
(何かないか何か…!)
辺りを見回すが武器になりそうなものはおろかまともな遮蔽物すら無い。この場を切り抜けるための『良い考え』はないかと考えを巡らせるが、そんな都合のいいアイデアなんてポンポンと浮かぶわけが―
『お前に埋め込んだ蟲を起動するための誓言は|『変身』だ』
「…!」
フードの男に言われた言葉を思い出す。目の前のネズミが飛び掛かる姿勢を見せて、もう悩む余裕も無く―。
「変身―!」
言葉を唱えた―その瞬間。
「う、うおおおおおおおおっ!!?」
「キイイイィィィ!?」
突如、黒き風と緑色の光が体を包み込む!光の中で感じる第一は―激痛。
(痛い、痛い、痛い、痛い、痛い―!)
身体を構成する骨肉が置き換わっているのではないかと思う程の痛み。そして挿入される異物感―。
筋組織の上から被せられる外骨格、前腕から肉を突き破って生えてくる鎌、そして視界を覆う逆三角形の仮面と青みがかかった視界―――。
刹那、何故か脳裏には巨大なカマキリがよぎった。何者をも噛み砕けそうな強靭な顎を持ち、光を宿さぬ虚空の目で俺を見つめる…そんな異相の昆虫が。―だが不思議な光景はすぐに痛みの向こう側へと消えていく。
「あ“あ”あ“あ”あ“あ”ッ」
俺は自分の体が明らかに人間ではない『なにか』へ変わったことを自覚した。
用を終えたのか身体を包んでいた光は消え、新しくなった己の全貌があらわになる。
「こ…これが俺の…体?」
まず目に付くのは深緑色の装甲。まるで甲虫の鎧のように曲線的で、分厚く、それでいて軽い。
装甲があるならその分動きが阻害されるかと思えばそうでも無く、装甲下には黒いゴムのように生地が見え、これが伸縮することで全く不自由さは感じられない。
そして前腕部から伸びるのは鋭そうな鎌―逆刃のそれは大抵のものなら触れるだけでも断ち切れそうな光を放っており、そのきらめきは俺の心を躍らせた。
「おお…こ、こいつはすげぇ…!」
最初の痛みが引いていくと、この体がいかに優れているのかが本能的に伝わってきた。五感の隅々まで全能感に満たされ、それが未知で不可思議な現象であるにも関わらず不安よりも好奇心が勝ってしまう。
「キ“ィッ…!」
ネズミたちは突然の光を警戒してか足を止めていたが、俺の姿を認めたとたん再び襲い掛かってきた。―不味い、俺も動かなくては。
「おお“っ―!」
衝動の赴くままに地を蹴って飛ぶ―が、思った以上に自分の脚力が強すぎた。距離を詰めるだけつもりが勢いあまってネズミにぶつかってしまう。
「ギィッィィィ…ッ!!」
意図せず突進の形となってネズミが横転―体勢を崩した敵が眼前に転がる。
「ウオオオオオオッ!!」
俺は右手に付いている鎌をネズミの腹に思いっきり振り下ろした。
「グッギィィィィィィ…!!!」
皮下の肉を断つ確かな手ごたえ。ネズミの横腹はスッパリと斬れ、噴水のような血流が臓物と共にあふれ出た。なんという切れ味!
そのまま昏倒したネズミの首筋を割いて、息の根を止める。
(あ、あれ…?つい流れで殺しちゃったけど、俺ってこんなに好戦的な人間だっけか?)
「ギィ―」
仲間の死に怖気づいたか、もう一匹はこちらに背を向けると一目散に逃げだした。
あっ―考えるよりも先に体が動く。
「逃がすか!」
半ば無意識に右手を伸ばそうして―目を疑う光景。なんと腕に付いている鎌が射出され、凄まじい速さで伸びていくではないか。
「はぁっ!?」
「ギイイイィィィ?!!」
鎌は二メートルほど離れたネズミの背中を貫いて心臓を抉る。ネズミは驚愕の表情で断末魔をあげたが、多分今の俺も似たような顔をしているはずだ。
伸びた鎌は一瞬にして戻ると、ジャキンという小気味の良い音をたてながら前腕部に収納される。
詳しい原理は分からないが、多分刃物がカマキリの前足のように折りたたまれているのだろう。なんとなくそんな気がした。
「す、すご~い」
ネズミたちが死に、脅威がなくなった後も面白くなって壁に向かって撃ってみる。
高速で射出される鎌は鋭く撃ち出されて壁を粉砕した。
「おぉ~!」
ドシュッ、ざしゅっ。ドシュッ、ぼこっ。何度か試して壁一面を穴だらけにする。
鎌の刃の部分を向けて打つと狙いを切裂いて、刃の背面側の部分…つまり峰で打つと打撃のような形で狙ったものを粉砕した。こいつはスゴイ。
「何をしてるの?」
背後から黒いトカゲ男が姿を現したのはそんな時だった。