2話「魔族」
薄暗い通路を三人の男達が走っている。男たちは走ることに慣れぬ足取りで、その動きはヨタヨタと酷く遅い。
それもそのはず、彼らは中年二人と老人一人。年老いた身体で慣れぬ運動は辛いのだ。
「あ、あいつ…ちゃんと足止めしてくれますかね」
「さぁな…だが時間稼ぎ位にはなるだろうよ」
奴隷紋は主人が死ぬか奴隷自身が死ぬまで効力が続く。古典的でシンプルな魔術だが、それだけに強力なものだ。
「埋め込まれた蟲もあの女のものなのだ…弱いはずが無い。案外魔物共に勝ててしまうかもしれんぞ?」
「それはそれで恐ろしい話ですけどね…」
「それにしても教祖様、あの女は一体何者なんですか?人体の改造にせよ異世界人に言葉を覚えさせる巻物にせよ、あんなものは初めて知りました」
「全くです。私は帝都の大学で大抵の魔術なら見知ったつもりですが、あんな高度なものは見たことも聞いたことも無い」
「…余計な勘ぐりはよせ、あの手の輩に好奇心を持つとロクなことがないぞ。世の中には知らない方がいいこともある」
―この三人男たち、その素性には変わった共通点が一つある。
魔術が使えること?神を仰いで心に信仰を宿す教徒であること?―否、そのどちらもごくごく一般的で当たり前のことだ。
魔術を扱える人間は貴重ではあるが『変わっている』と形容するほど珍しくはないし、信仰に至ってはこの世界で生きる者の多くのが当てはまる。王族、貴族、商人、町人、農奴…身分の上下を選ばず、ある多神教を信奉する教徒がこの国の多数を占めており、それはとてもありふれている。
彼らが変わっている点―それは大らかな教義を持つその宗教グループ内にあって、本流から追放されるぐらいには先鋭化した集団であるということ。
つまり、彼らは異端の信者であった。
「あの女と関わったのはあくまで利害が一致したからだ。ワシらが得意とする召喚魔術があれの実験に適し、それでできた副産物が我らの役に立った…それだけのこと」
彼らは困窮していた。追放処分を受けて教団内の信者は減り、信者が減ったことで神々の力も以前ほど借りられなくなってしまった。―それこそ、得体の知れない相手に協力を持ちかけられた時、それを断れなかったほどには困窮していたのだ。
それからぜえぜえと息が上がるほど走ってしばらく、ようやく出口である鉄扉が見えてくる。
「み、見えました…!出口です!!」
「おおっ!」
この先には配下である教徒が逃亡用の馬を用意しているはず、それに乗って逃げれば一まず命の危機からは解放されるに違いない。
男たちは飛びつくようにして扉に近寄った。
「よし!開けるぞ」
手下の二人が左右の取っ手を引いて扉を動かす。開く向こう側からは眩しい陽の光が差し込んで―――
「やっと来たのね、待ちくたびれたわよぉ」
―――配下だった者の死体に腰をかけた、巨体のトカゲがそこにはいた。
「なっ…!」
爬虫類特有の細長い頭、ぬめった眼光、口調に反して低くしわがれた声―その異形の姿、明らかに人ではない。魔族である。
彼は全身を赤い鎧で身につつみ、その下からは黒光りするウロコが覗いている。時折チラチラと出す舌は獲物を前にした舌なめずり感じさせ、見る者の恐怖を煽った。
だが、真に彼の恐ろしさを伝えるのは周囲の光景―辺り一面は血の海のようになっており、十数人いた配下はそのことごとくが殺されている。
どのような殺され方をすればそうなるのか―体が上下に真っ二つにされている死体、腹に大穴が開いて腸がはみ出ている死体、中には全身が焼けただれて原型をとどめていない死体もあった。
「こいつらにも聞いてみたんだけどサ、やっぱり下っ端って何も知らないのよねぇ……。ネェ、あなたがこの人たちのボスなんでしょ?」
「だ、だったらどうだと言うのだ…」
トカゲ男―彼は筋肉の付き方からして少なくとも肉体は男性―は長い尻尾を機嫌よさげに揺らして笑みを返す。
「なら聞きたいことがあるのよぉ。青髪で、眼帯をしている老人口調の妙な女のこと…知ってるわよね?」
「……!」
覚えがあった。まさしく先程まで話題に出していたあの女のことだ。
「私たちその女のことを追ってここまで来たの……。ね、教えてくれるのなら特別に命だけは助けてあげるわ」
問いかけられた老人はしばらく考え込むような仕草をした後、ゆっくりと答える。
「…いいだろう、その代わり我らのことを本当に見逃してくれるのだろうな?」
「あら、案外話が分かるじゃない。魔族との取引に応じてくれるなんて開明的だわ」
「当然だ、何故なら……こういうことだからだッ!」
突如老人は後ろ手に隠し溜めていた魔力を火球に変換―トカゲ男に投げつけた!
「―お“っ」
不意を突かれたトカゲ男は放たれた火球に直撃、何一つ動作をする間もなく倒れ伏した。
「ハハハハハハハ!!このワシを誰だと思うてかーっ!一時は枢機卿団にも名を連ねたグレンヴィル家のテオとはワシのことだ!!汚らわしい魔族との取引なぞに応じる訳が無かろうが!!」
「さすがテオ様!鮮やかな手並みです!!」
「言葉巧みに時間稼ぎして不意打ちなんて中々できる事じゃないですよ!」
「よせやいお前ら」
「……あ、もう起きていいかしら?」
「なっ…!?」
丸焦げになったトカゲ男はむくりと立ち上がると、焼き割れた自身のウロコを剥き始め―下から現れたのは傷一つ無い新しいウロコ。
「…なにか企んでたのは分かってたから先手は譲ったけどサ、普通こういうのは初手に全力をぶつけるものじゃない?それとも今のが全力なの?」
「う、うおおおおおおおおおおっ!!!」
致命傷かに思えた傷が一瞬で治る化け物に恐怖して―今度はテオの両隣にいた配下たちも加わって必死に攻撃する。
風魔術で作ったかまいたち、雷魔術で生み出した電撃、土魔術で作った岩石…ありとあらゆる魔術で攻撃を繰り返す。
トカゲ男の手足や尻尾は千切れ飛び、皮膚が貫かれ、骨が潰される。―が、生まれた傷は次の瞬間には元通り。千切れた手足尻尾は生え変わり、空いた穴は塞がり、潰れた身体もすぐに戻った。
「ば、馬鹿な…っ!無茶苦茶ではないか…ッ!!ワシが30年以上もかけて磨いた魔術が手も足も出ないなぞ…こんな…こんなっ」
「あらもう魔力切れ?人間は鍛え方が足らないわねェ」
「ひ、ひぃ…っ!化け物だぁ!!!」
「逃げろッ」
「あっ、待たんかお前たち!」
トカゲ男の驚異的な再生能力は戦う相手の心を折った。
敵わないと知るや、二人の配下たちはテオを置いて逃げ出していく。
「いけない、いけないわ。敵前逃亡なんて武門なら末代までの恥よ」
トカゲ男は腰からサーベルを二本抜き放つと、そのまま彼らの背中へ投げ入れた。「ガッ!!」「ぐぇっ!?」鋼鉄に貫かれた男たちは悲鳴をあげて倒れると、少し痙攣した後動かなくなる。
「さて…と」
「ヒッ」
あっという間に二人を殺した男がテオに近づいてくる。もはや抵抗する気力も無ければ逃げることもできないこと悟った彼は、ヘナヘナとその場にへたり込んでしまった。
「あの女のことを教えなさぁい。居場所や連絡方法、使ってた魔術とか名前でも何でもいいわよ」
「言う…っ!言います、言いますからぁ!」
「まぁ素晴らしい。やっぱり恫喝は最強の交渉術ね♪」
深く皺の刻んだ顔に汗と涙を溜め、老人はブルブルと震えて口を動かす。
「あ、あのっ、あの女の名は…」
「名は?」
「名は―ぜ」
―その瞬間、テオの舌が木っ端みじんに爆発した。
「なっ!?」
「―――――」
テオは口内の爆発で即死。もくもくと黒煙をたなびかせる彼は頭ごと吹き飛んでしまっていた。
(これは…起爆魔術?)
トカゲ男は急ぎ散らばった肉片を回収して魔術が刻まれていた舌とその術式を確認。四割ほどしか回収できなかったが、推測まじりで一つの結論を得る。
(特定のキーワードを喋りそうになった時に爆殺して…情報が漏れるのを防いだ?あらあら、あらあらあら……)
そんな緻密な魔術はあり得ないと思いかけて彼は頭を振る。「あの女が噂通りの人ならやりかねないかも…」
しばらくポリポリと尻尾で頭をかいていたが、気を取り直して背筋を正す。
「ま、この人たちの拠点を調べれば手がかりの一つぐらいは手に入るでしょ」
黒焦げた死体を投げ捨て、トカゲ男はテオたちが出てきた通路の中へと消えて行った。