0-2 プロローグ2
「敵将!このデネブが打ち取ったァ!!!」
猛々しい雄叫びが戦場全体へと響き渡る。彼の勝利を喜ぶ豚鬼族たちもそれに応え、槍や鎧を打ち鳴らし、吠え返すことでその栄誉を祝す。
―今ここに、彼らの戦意は最高潮に達した。
「さ~っすがデネブ様!!鬼強えええっ!!!」
「オイ!見ろよあの無様な姿をよ!!ギャハハハハハハハハ!」
何時の時代も何処の場所でも敗者は等しく惨めである。首を無くしたアンドレの遺体はしばらくの間寄り掛かるようにして馬に乗っていたが、次第にずり落ちて地に擦られる。鐙―馬に足を引っ掛けるための馬具―に片足が引っ掛かったままなのだ。
物言わぬ屍は馬に引きずられるまま戦場を横切って、その無惨な姿を敵味方にさらした。
「しょ、将軍…!」
「あ…あぁ…っ、あ…!」
一騎打ちが終わった後もしばらく呆然とする他なかった兵士たち。彼らはそのなれ果てた姿を見てようやく実感する。
自分たちの知る最強にして最高の指揮官は、負けて死んだのだ―と。
「う、うっわああああああぁぁぁっ!!!」
アンドレの勝利に望みを託して保っていた士気―彼らの戦意は、今度こそ砕け散った。兵士たちは恐慌状態におちいり、武具を捨てて我先にと逃げ出していく。
「ま、待てお前たち!持ち場を離れるなァ!!敵前逃亡するなら出身の村も連罪だぞ!」
「うるせえっ…!あ、あんなのにっ、魔法も使えない俺たちが勝てるわけねぇだろうが!!」
「邪魔すんならテメェから殺すぞ!?」
逃げ出そうとする兵士と、それを食い止めようとする督戦隊が激突する―。
押しあいへしあい、雪崩のように押し寄せる人の波は容易く陣立てを押し潰し、圧死した者も出始めた。
―恐怖、混乱、絶望だけがこの場の全て。秩序と理性は崩壊し、混沌の渦が巻き起こる。
「今だッ!かかれェーッ!!!」
好機を見た豚鬼の猛将、モルガンが突撃の指示を出した。
殺意をたぎらせた豚鬼族たちが全速力で丘を駆け下りていく―!
「ひ、ひいぃぃぃ!?」
一頭三千キロを超える戦犀の突進はもはや崖を転がる岩のそれに近い。
地響き、絶叫。猛スピードで走る彼らは砲弾の如く敵陣を踏み砕く。
「ぎゃあああああぁぁぁっ!!?」
サイの群体に飲まれた兵は跡形もなくひき潰され、衝撃に巻き込まれた周囲十数名も一緒くたに圧死。死の嵐が人の波に大穴を空ける。
「殺せ殺せ殺せェー!人間共は皆殺しだァッ!!!」
遅れて豚鬼の歩兵も土煙を上げながら突っ込んできた。人間の突き出す小枝のような槍をへし折り、彼らの小さな頭蓋を兜ごと叩き割る。
質でも数でも敵いようのない暴力が、人の側だけに死を満たしていく。
「くっそおぉぉぉぉぉ!!」
わずかに残っていた魔術兵が抵抗の意思を示して魔術を展開―しかし
「フンッ!!」
「ガ―ッ?!」
すかさず投げられたモルガンの手斧が魔術兵の心臓に突き刺さる。力無く崩れ落ちた彼は、後から来た兵士に踏みつぶされて戦場を彩る血の絨毯となった。
この地獄のような状況で戦う意思を持てる人間など居ない。数少ない古参兵すら逃げ出して規律は完全に崩壊―もはや戦闘と呼べるものさえ起こらない、一方的な虐殺が始まった。
「助けてくれ助けてくれ誰か助けてくれ…!」
「死ねよ、毛無し猿」
「降伏します!どうか命だけは…!!」
「駄目だ、死ね」
「母ちゃん…アンナ…」
「お前の故郷の女は美人か?なら奴隷にしてかわいがってやる」
ある者はなぶられて死に、ある者は許しを請いながら死に、ある者は絶望の中で死んでいく。強者と弱者、殺す者と殺される者、完全に固定された関係性。
―ああ、爪や牙を前にして人とはなんと脆弱な生き物なのだろう!
撫でるだけで首は折れ、小突くだけで臓物はこぼれ出て、命令すれば命惜しさに犬の真似さえする。小さく、弱く、滑稽で、醜い種族。
―“これが万物の霊長を名乗っていたとは笑わせる“―豚鬼たちは逃げ惑う人族を競って殺し、遊び半分でその命を弄んだ。
「デネブ、左腕の傷はもう大丈夫か」
「おう!さっき回復術士に治してもらっただよ」
掃討戦に移行し、直接指揮をとる必要もなくなったモルガンが話しかける。
アンドレが決死の覚悟でつけた傷は既に全快し、綺麗な腕に戻っていた。
「ブヘヘヘヘ……さっきのアイツ、オラが魔術を使う時に見せた顔ったら無かっただねぇ」
「ああ…将といってもしょせんは人族、我らの敵ではなかったな」
「将軍様はこんな奴らに慎重すぎるだよ。もっと大胆にガンガン攻め込んで―」
「―む」
趨勢の決した戦場で緊張の糸が切れかけた―その時、彼らの嗅覚は遠くから漂ってきた新たな匂いを捉えた。
濃く、土のような、それでいて水気を含んだ独自の匂い。
「モルガン兄ィ…」
「うむ、これは…馬の匂いか」
嗅覚に優れる豚鬼族の鼻では逃しようがない特徴的な香り。間違いない、これは軍馬の匂いだ。敵の援軍が近づいているのかもしれぬ。そう思った矢先、上空から降りてくる者がいる。―翼とかぎ爪を持った半裸の魔族―翼女族だ。
「チッ」
モルガンはこの女が嫌い―というより、この種族が嫌いだった。
翼女は空ばかり飛んで弱った敵を付け狙うハイエナのような一族。将軍の命令で仕方がなく行動を共にしているが、そうでなければ顔を見るのも嫌な相手だった。
「モルガン様…遠くより近づいてくる一団が見えました。恐らく敵の増援かと、お気をつけください」
「分かっておる!それだけの用ならとっとと空に戻れ!」
「…それだけでなく、一騎とんでもない速さでこちらに向かってきている者がおります。もう間もなく森を抜けてくるかと…」
「なに?」
戦端を振り返ると森奥まで人間を追っていたのか、何人かの豚鬼たちが木々の向こうで騒いでいる。
鉄と鉄同士の擦過音、骨肉が潰れるような鈍い音、断末魔のような悲鳴…そうした幾つかの激しい音が去った後、森からは一人の男が出てきた。
―――部下ではない、見知らぬ男であった。
「なっ…!!」
―その男は異様だった。深緑色の装甲を身にまとい、両の腕横には鎌のような形をした巨大な刀剣を一本ずつ生やしている。
顔は逆三角形を丸めたような仮面でおおわれ、そこから伸びるのは一対の触覚。若干の光沢を放つ肉体は蟲族の装甲を思わせたが、骨格によってどちらかと言えば人族のそれに近いことが分かる。
まるで蟲と人を掛け合わせたような―そんな出で立ち。
何者であるかは分からないが、少なくとも味方ではない。
何故なら男の小脇には、血に塗れた豚鬼の首が抱えられていたのだから。
「―――――」
全身を震わせた後、足をしならせて男が跳ぶ。
そのまま虐殺を楽しんでいた豚鬼族の一団に突っ込んでいき、その中でくるりくるりと踊り回った。
「げうッ―!?」
「ガ…!!」
「ゲハアッ?!」
小円を描くような動きで正面の豚鬼に一太刀―袈裟斬りにて半身を斬り飛ばす。そのまま返す刀で反対側にも一太刀―裏で息を飲んでいた豚鬼の喉笛がこそび飛ぶ。最後に横合いから斬りかかろうとした者にも高速の打撃―殴打を浴びた頭部は粉砕、木っ端みじんに弾け飛んだ。
二つの斬撃音と一つの破裂音。その男はわずか一呼吸の間に三体の豚鬼を惨殺した。
「馬鹿な…っ?!なんだあの武器は…っ!!」
見れば男の両腕に備えられている刀は折りたたまれており伸縮が効くらしい。構えているだけなら只の鎌に見えるが、男が意をやると音を置き去りにした速さで何倍にも伸びて眼前の兵士を殺していく。
その場にいる誰もが知りようもないことだが、それは武器の全長を隠して攻撃射程を誤認させる別世界の戦闘技術―居合と酷似していた。
「―――」
尋常ならざる強者。その首が今、モルガンの方へと巡る―。
「新手だ!新手の敵が出たぞーッ!!」
襲撃に気が付いた周囲の兵が男を囲う。が、鎌の男はあっさりと正面の兵を斬り殺し、囲いを抜けて真っすぐこちらへと突き進んでくる―!
「お命頂戴―」
「させるかぁっ!!」
「―っ!?」
直線に走っていた男を横からデネブが魔術による水流で吹き飛ばす。更に転げたところをすかさず戦犀にて突進―
「ガハッ―!」
「デネブ!!」
「モルガン兄ぃ!コイツのことはオラに任せてくれ!」
衝突時に刺さったか、サイの大角が鎌男の太ももを突き刺している。男は苦しそうにジタバタと抵抗するが、深く刺さったそれは容易に抜けぬ。
「うおおおおおおおおっ!!」
「ゴファッ!?」
デネブは渾身の力で男の腹に半月刀を突き入れた!アバラの骨を斬り折って、更に内臓へ。
刃が致死の域へ届くようにぐりぐりとねじ入れて、止めを刺しにいく―。
「ガアアアアアアッ!!」
男は半狂乱になりながら両腕の鎌を振り回すが騎乗しているデネブには届かない。―が、次の瞬間にはそのことを察してかデネブではなく彼が乗るサイに鎌を向け直し、勢いよく振り下ろす。
「フウオオオォーーーン!!」
脳天をかち割られたサイが慟哭。数度ふらついた後崩れ落ちようとするが、刺されている男より騎乗しているデネブの方がわずかに速く対応して―――
「死ねえええええええッ!!!」
彼は宙へと投げ出されつつも鎌男の喉笛を捕まえ、全体重をかけてそれを地に叩きつけた―!
「―――“ッ!!“」
ベキンと大音量を立てながら鎌男の首は90度近く曲がった。首の骨が折れたのだ。
投げ出された両者は数メートル引きずられた後、ようやく静止する。
「……」
鎌男は足をピクピクとさせながら血の泡を吹いている。目に光は無く、腕はだらんと垂れ落ちて脱力の様を感じさせた。
いかに剛の者とて首の骨が折れては生きているはずが無い。得体のしれない相手ではあったが、デネブの方が一枚上手であったようだ。
「……ふぅ、なんとか勝てた…だかね?」
息を整えて顔を上げると、騎乗したモルガンが近づいてくる。
「デネブ…!大丈夫か!!」
「あぁ…オラは平気だよ。それよりモルガン兄ぃ、コイツは一体何者なんだ?」
「さぁな…見た目は蟲族に似ているが人間のようでもあるし、正直分からん。前線の方も騒がしくなってきているようだ、これから俺は兵をまとめて敵の増援を…」
―その時、不思議なことが起こった。
「ガハッ!?」
「ゴフ…っ?!」
突如二人の身体から刃が生える。貫かれた背から伸びる先には、うずくまった鎌男の伸びた刀。
「ガ…グゥ…ゲァアアアアア!!」
奇怪!死んでいたはずの男が起き上がる―両の目が赤く光り始め、割れた仮面下からは地獄の門番のような形相を覗かせ立ち上がってくる!
「な、なんで…っ?オラ確かにコイツを殺して…!!」
見れば男の折れた首や、大穴の空いた足がギチギチと音を鳴り響かせながら急速に回復しているではないか―。
回復魔法の重ね掛けでもこうはならない。化け物じみた再生能力。
「い、い、嫌だ…!!嫌だよう……!!オラこんな訳の分からない奴に殺されたくなんか…!!」
断頭一閃。刎ね飛ばされたデネブの首がごろりと転がる。
鎌男は首と泣きわかれた胴にすかさず飛びついて、突如死体の胸部に牙を立てた。
「●“×”△“◇”◎“……!!!」
表皮を噛み割いて血肉に顔を突っ込む。心臓を食らっているのだ。
ピチャピチャと音を立て、醜く、汚く、ただ貪る。粗暴で知られる豚鬼すら怖気づかんばかりのその蛮行。
デネブの心臓はあっという間に食べられてしまった。
「そ、そうか…思い出したぞ!コイツ噂のアレか…」
暗転しだす視界の中で、モルガンの脳裏には一つの言葉が閃いた。
「―――深緑の鬼神!」
モルガンが最後に見た光景は、振り下ろされる刀剣の鈍い輝きであった。