第9話 夏木立
その山に入ると、すぐに若い男の一団に出会った。
話を聞くと、彼らはクロバンヌの街を拠点にしながら大きな街を渡り歩いている一団で、街や里で困っている人がいればその力となり、報酬をもらうことで生計を立てているということだった。
山に来たのも、クロバンヌの領主からの依頼で定期的に山々を見て回り、オークや害獣を排しているからだと言った。
なるほど、四人の男の顔つきは精悍で、腕っ節の強そうな者ばかりだ。
各々が、なめされた革鎧やら、鎖をつないだ鎧やらを身に着けている。どれにも共通しているのは、かさばらず、軽量だが、致命傷を避けるには充分な代物のように見えた。
聞けば、術の心得はないということだったが、腰に帯びた剣や短刀は、いかにも使い込まれた色味をしていて、術など必要ないという言葉も強がりというよりは本音のようだった。
「術が使えたらなぁ、と思うこともあるんですがねぇ」
山中に入ってしばらくすると、栗色の目をした男がそう言った。
「術法が使えたら、街から街へ飛んで移動したり、何もないところから食糧を出せたりするんでしょう。なんなら、危険を冒して働く必要もなくなりそうじゃないですか」
豪快に笑いながら話す男に、ソルラも笑って応えながら言う。
「巷ではそのように万能の力だと思われていますが、実のところ、そういうわけでもないのですよ」
ソルラの言葉を聞いて、また別の、無精ひげの男が話に加わった。
「そうなのかい。俺ゃあ、てっきりなんでもありの出鱈目もんかと思ってたんだが」
「例えば、今お話があった空を飛ぶ、食糧を出すというのは、歴史上で成功した例しがないですね。あとは、命に関わる奇跡も、伝説でしかありません。火を出す、水を出す、者を動かすという術は、私にも可能ですが」
先に話した男が首を傾げる。
「火と水はよくて、食い物は駄目なのかい。でも、俺達は以前、木に花を咲かせる坊さんやら、柿の実の渋みをとるじいさんに会ったことがあるぞ。」
「実は、何百年も研究されているわりには、分かっていないことばかりなのですよ」
ソルラは申し訳なさそうな表情で言った。
「言葉を連ねるのにも時間がかかりますし、その間の集中も肝要です。
また、五音と七音の定型から外れすぎてもいけません。
威力を高める技法がいくつかありますが、そこに意識が流れるとそれもまた。」
聞いていた男達が笑い出す。
「戦に使われるって割には、存外あやふやなもんだなぁ。
それでも、手習いで俺にも使えるもんなのかい」
「困ったことに、才が必要なようで、人を選びます」
ソルラが大げさに頭を抱えてみせる。
この石頭にしては珍しい。
年が近いからか、気を許しているのだろう。
「それなら俺たちには無理ってもんだ。しゃべっている間に剣を振るわな」
私とソルラは互いに見合って、笑い、肩をすくめた。
確かに術法については分かっていないことが多いのだ。
誕生して間もない俳句ならば、なおさらで、これで生計を立てるのは難しかろう。
私の門下も、別に商売をしている傍らで術を学んでいるものばかりのはずだ。
「時にみなさん、私たちは奥深い社を目指しているのですが、そこまで一緒に行かれますか」
ソルラの言葉に、四人の内で先頭を歩いていた男が答える。
「俺等は、特に目的地が決まっているわけでもないんだ。
旅は道連れって言うし、邪魔じゃなければご一緒させてもらいたいね」
男が私の方を見るので、私は笑顔で返す。
「こちらこそ、そなたらの邪魔にならぬよう気をつけるよ。
ただ、一番の年配は私だろうから、途中で誰かにおぶってもらうかな」
どっと笑い声が響く。
旅をしていて、こういう出会いも嬉しいものだ。
ソルラと術法や俳句について議論し、思考を深める時間も有意義だが、こういった朗らかな雰囲気を共有する時間もまた、有意義である。
しばらく歩いて行くと、木々が途切れ、開けた場所に着いた。
そこから、縦横五尺に満たない簡素な庵が見えた。
その奥に、古めかしい、しかしどこか荘厳な雰囲気をまとった社があった。
「おぉ、あれだ。あれが、私に術の手ほどきをした僧が居たという場所だ」
私が棍で指すと、皆がそちらに目を向ける。
同時に、全員の表情が変わった。
草庵から、のっそりと姿を現したのは、肌の赤いオーク。
「なんだ、驚かせやがって……赤かよ」
無精ひげの男が額の汗を拭いながら言う。
しかし、頭巾をかぶった、一団の頭領らしき男が声を抑えて反論する。
「ただの赤じゃない。見ろ」
男の言うとおり、目を凝らしてみると、その悪鬼は前腕や脛に、革で出来たような防具を装着していた。そして腰にいくつもしゃれこうべをぶら下げている。
何よりもその体躯が、巨大だった。
よく見る個体の、ゆうに倍はある。
「異常だ。あんなやつは見たことがない」
頭領が言う。
ソルラが私を見たが、私は首を振った。
頭領が続ける。
「群れを抜けたオークが、生き延びるために成長して、並のやつの何倍も手強くなったなんて話は聞いたことがあるが、あんなにでかくなるもんなのか……?」
そこまで言った、その時。
巨大な悪鬼は、小ぶりな斧を手に持った。
そして次の瞬間、振りかぶり、我々がいる方へ投げ放った。
「よけろっ!」
ソルラの言葉よりも早く、全員が斧の軌道線上から離脱する。
あそこからここまで、弓の名手でも届くか否かという距離だった。
それに、どうやって気付いたのか。
間違っても聞き取られるような声の大きさでは話していないはずだ。
一団に動揺が走る。
赤い戦鬼は石を跳び、岩を跳ね、風を越す勢いで迫ってくる。
「やってやろうじゃねぇか、上等だ!!」
無精ひげの男が背中から大斧を引き、低く構える。
男に呼応して、各人が自分の得物を構えた。
長剣、曲刀、日本の短槍。
一瞬で表情が引き締まっている。
それなりに命のやり取りをした経験があるのだろう。
「マッツォ師、おさがりください」
ソルラも鉄棍を構え、私に言う。
「言うね、ソルラ。
だが、まだまだ若造に守ってもらうほど、老いちゃいない」
私も棍を構える。
術を使うことも出来るが、どれほどのものか、後学のために見ておきたかった。
幸い、この男たちは手練れのようだ。
命を落とすような下手は打つまい。
「ゴアァァッ……」
人の丈の二倍ほどの巨躯が、私たちの前に躍り出た。
右手には錆びた大鉈、左手には何のつもりか、土塊を持っている。
にらみ合い、間合いをはかる。
二本槍の男が、その内の一本を、軽く鬼に放る。
なんだそれは、敵に武器を渡してどうする……と思うより速く、男はもう片方の槍を勢いよく引っ張った。
槍は柄の尻を鎖でつながれており、先に投げた槍が持ち主の所に返る。
戦鬼の目が槍を追う。
瞬間、大斧の男が、戦鬼の首元めがけて大きく薙ぎ払う。
戦鬼はそれをのけぞってかわすが、グクッ、とうめき声をあげた。
露出していた膝に、短刀が突き刺さっている。あれは頭領の男のものだ。
たまらず蹴りを放つ戦鬼、だが頭領の姿は既にない。
戦鬼が大鉈を振り回し、男たちは距離をとる。
見事な連携だった。
負わせた傷は深いものではないが、手斧の不意打ちによる動揺はかけらも残っていない。
じり、じりと四人が間合いを詰める。
私とソルラは、一歩引いた位置で棍を構えて待つ。
彼らの波状攻撃には、異物が混じらぬほうがよさそうだ。
動いたのは、曲刀の男だ。
蛇のように地に近づき、そこから鬼の腹めがけて刀を振り上げる。
戦鬼は鉈を合わせ、それを止める。
だが、湾曲した刃は鉈の切っ先を滑るように抜け、鬼の左脇腹に走った。
焦ったか、戦鬼は鉈で男を追いかけるが、今度は追った先の方向から大斧の一撃が繰り出されていた。
致命打か。
誰もが思ったが、そうはならなかった。
鬼が土塊を握り、弾け飛ばし、斧の男の重心がぶれたのである。
そこに鬼が膝蹴りを見舞う。
吹っ飛ぶ斧の男。
吹っ飛んだ先に、刀の男。
抱きかかえるように身を翻したが、大岩に背中を打ち付けて動かない。
一連のことに、双槍の男が半歩あとずさる。
鬼がそれを見るが早いか、大鉈を男に放った。
男が右手の槍でそれを弾く。
だが、鉈の重さに弾ききれず、後方へのけぞってしまった。
すかさず間合いを詰める戦鬼が繰り出したのは、張り手だった。
体勢を整える間もなく、巨大な手で突き飛ばされる男。
一瞬だった。
三人の仲間が離脱しても、頭領はたじろがない。
長剣を正面に構え、呼吸は整っていた。
「推して参る!」
叫んだのは、ソルラである。
いつ回り込んだか、戦鬼の左手の側に構えたソルラは、棍で突きを放つ。
戦鬼がそれを左手で掴もうと試みる。
そこに飛びかかった頭領の長剣。
狙いは左前腕。
切る……寸前、戦鬼は手首を回転させ、腕甲で剣を受けた。
ギシュッ、という固い革がきしむ音が鳴り、剣は振り下ろした方の反対に戻された。
戦鬼はその腕でもって頭領を殴り払う。
空中にいた頭領はなす術なく、後方に飛ばされた。
「なんという……化け物め!」
ソルラが棍を握り直し、雄たけびをあげる。
戦鬼は、それを見てニタリと笑った……が、すぐにその笑みは怒りの表情に変わった。
私が小石を放り、顔にぶつけてやったのである。
顔に怒りが煮えたぎっている。
「赤が赤に染まっては、茹で上がったタコのようだな。
私が相手をしてやる。
ほれ、かかってこい」
私は棍を下段に構え、空いた手で手招きした。
戦鬼は鉈を振り下ろし、振り上げ、拳を突き出し、蹴りを放ち、怒涛の連続攻撃をしかける。
私はそれをさばき、いなし、かわし、間合いを詰め、開き、流れの中で四人が付けた膝の傷を抉ってやった。
術法を使えば一瞬だが、あの四人の奮闘を見て、私は少しばかりたぎっていた。
勝ち誇っているこの愚物に、負けを味わわせねば気が済まん。
「ほれ、どうした。小僧を何人か倒した程度で、お疲れかな」
「グアァァッ!!」
正面から大鉈を振るう鬼の顔面に、渾身の突きを見舞ってやる。
鼻っ柱が折れる手ごたえ。
たまらず勢いが消える巨体。
ぐらっ、とのけぞる戦鬼。
だが、私は追い打ちを仕掛けなかった。
「誘っているつもりかね。
大方、詰めた瞬間に蹴り上げるつもりだったのだろうが、
芝居をうつには精進が足りないようだ」
言葉が分かるわけでもないだろうが、戦鬼は上体を戻し、私をにらんだ。
いくら体がでかかろうと、人の形をしている以上は同じ部位が弱いか。
人は鼻を強く打つと血が噴き出し、戦意が挫かれるもの。
そこまでの効果はなくとも、足がぐらつく程度には効果があったらしい。
「ゴオオォォッ!!」
叫ぶ戦鬼。
だが、次の瞬間、ひどく鈍い打撃音が響き、赤い巨体は崩れ落ちた。
ソルラが背後から後頭部をしたたかに打擲したのである。
「ソルラ……」
「師よ、何もおっしゃらないでください。
御身に何かあっては、事です。
私にお任せいただければ、片付きましたのに」
ソルラの言葉に、私は頷いて応える。
「お前の気持ちはありがたく受け取るが、私にも思うところがあってな。はじめから術を用いていれば、彼らに怪我をさせずに済んだ。私の見誤り、私の失策、私の責任だ。
だから、けりをつけるのも、私でなくてはならんのだ」
ソルラは頷き、四人の介抱へ向かった。
私は、倒れた巨体をあらためて見る。
そして、その頭部に向かって棍を強く強く振り下ろした。
巨体が小刻みに痙攣している。
「鬼のための祈りはあるまい。
朽ちて山に帰るがいい」
勝ちはしたが、強かった。
少なくとも、経験豊富な戦士たちが返り撃ちに合うほどには。
戦い慣れているのはもちろん、とっさの機転の働きには、正直驚いた。
古を訪ねれば、このような存在の記録もあるのだろうか。
「マッツォ師、四人とも怪我は負っていますが、無事でした。」
「そうか、それは何よりだ。回復のために、あの庵が使えるかどうか、見てきてくれ。
私が四人のそばに居よう。」
了解したソルラは駆けて庵まで行き、安全を確認して合図した。
庵は、思いのほか、小綺麗だった。
あのオークが寝食の場にしていたのならば、醜悪な光景が広がっているかと思ったが……これはどういうことなのか。
考えて答えが出るわけでもない。
まずは、この者達の回復が先決だ。
私は腹に気をためる。
そして先の戦闘ではなく、この山の澄んだ空気、木々のざわめき、鳥たちの息づきを思い描く。
それらが癒しの力となってこの草庵を包み、生命を目覚めさせる。
その光景、念を、言葉にする。
「きつつきも庵は破らず夏木立」
唱え終わると、庵が薄緑色の光に包まれる。
四人の男たちが、傷の癒えるのに驚き、ソルラを問い詰めた。
確かに、ソルラの説明では、命に関わる術は不可能だとしていたな。
何事にも例外はある、という良い勉強になっただろう。
……
例外?
自分で発した言葉に、自分ではっとした。
私の術、俳句は例外と言って差し支えないが、あの鬼もまた、例外なのではないか。
このところの異変と、その例外とに関連はないのか。
まかり間違って、例外が例外でなくなるようなことがあれば、どうする。
あれは、赤だった。
赤で、あの強さだった。
あれが徒党を組んだら、青だったら、黒だったら。
いやいや、悲観はよそう。
どんな化け物が誕生しようと、勝てぬ道理はない。
一息ついて下山し、明日に備えねばな。
私は山々の清涼な空気をたっぷりと吸って、深呼吸をした。
作者の成井です。
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