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第8話 夏山に

 クロバンヌの街に着いて、十日が経った。


 分かっていたつもりだったが、ここの領主はとにかく客人をもてなすのが好きなようだ。


 今日はあちらの社へ、明日はこちらの神殿へ、明日は向こうの塚へと、毎日近隣の名所へ連れ出された。


 ソルラと話したように、旅の歩みを緩めることは考えていたが、このままでは旅がここで頓挫してしまいかねない。


 領主の館で昼下がりの茶を飲みながら、私は懐中から取り出して手帳を開いた。


「おぉ、マッツォ殿。一句詠まれるのですかな」


 恰幅の良い領主が、めざとく私の動作に気付いた。


「ご期待に沿えず申し訳ないが、ちょいと記録を確認しようと思いましてな」


「記録と言いますと」


「初日にお伝えした通り、ニツコの地からここに至るまで、少々気になることが続きましたゆえ、気にかかったことを備忘の為に記しておいたのです」


 すぐそこに天変地異が近づいている、とは思っていない。


 また、人の身で、地震や津波を防げるとも思っていない。


 しかし、それらに何らかの予兆があったとして、民にそれを伝え、備えを意識づけることが出来れば、それは善行と呼べるだろう。


 俳句で術を行使できることよりも、そういった微力に努めることこそが肝要だ。


「どのようなことを記録しておられるのですか」


「意味があるやらないやら、私のもまだ分からないのですがね。

 ニツコの地、花の咲くのが遅れる。

 ニツコから北、撫子の花がひと月早く狂い咲く。

 クロバンヌの地、狐の怪の岩周辺、平年と変わるところなしと聞く。

 古の弓の英雄譚に登場する神殿を訪れたが、荘厳な雰囲気は神聖そのもの。

 行商の者曰く、近頃、北からの陸便が遅れがちである。

 下流で釣った魚に奇異なものが混じっていた。

 今年は山菜がやけに大きい。

 ……とまぁ、このような具合です」


「なるほど、確かに意味があるやらないやら、私にはさっぱりですな」


 領主はどすんと椅子に腰かけ、茶を飲んだ。


「話は変わりますが、マッツォ殿、滞在に不便はありませんかな」


 領主のまさかの言葉に、私は首を振った。


「まさか、滅相もない。むしろ何から何まで世話していただき、恐縮です」


「誤解されたくはないのだが、下心あってのことではないので、ご安心召されよ。

 ここらは昔から肥沃な土地で、食うに困らず、山の恵みも多く、民は幸せに暮らしております。

 ゆえに、この地を訪れた客人には心を尽くせというのが、私を含めた領民すべての在り方なのです。

 マッツォ師でなくとも、また私でなくとも、この街ではもてなすものなのです」


 そう言って、領主は豪快に笑った。


「まことにありがたいことです。

 ただ、私が目指すは北の古都、ヒルライズミ。

 こちらの饗応に後ろ髪引かれるが、心のどこかで旅路に戻らねばと思ってしまっておるのも事実。

 明日にでも、あらためて北の地に向かおうと思っております。」


 私がそこまで告げたときに、ちょうどよくソルラが手洗いから戻ってきた。


「おお、ソルラ。今、ちょうど領主殿に、明日あたりに出発しようかと相談しておったところだ。」


 ソルラは深く頷いてみせた。


「この街に滞在して早十日経っておりますからね。私としては賛成です。

 旅を急いでは師の本願が成就しないと思いつつも、あまり時間をかけてはイェドの門下の仲間達に申し訳ないという思いもありますので」


「師弟そろってのお考えなら、あまり引き留めるのもしのびないですな。


 私としては、ソルラ殿の世話をしきれていないことが悔やまれるのですが」


 領主の言葉に、私は吹き出しそうになった。


 根掘り葉掘り聞いてはいなかったが、やはり、ソルラは貞操を守っているようだ。


 男なら、望んでいるわけでなくても、拒む理由がなければ受けそうなものだが、こやつの場合は違うらしい。


 もしや、と思い至ったのは、イェドに恋人でもいるのではないかということだった。


 思えば、弟子達の暮らしぶりについて、私が積極的に聞いてまわったことはない。


 ましてや、弟子達に家族があるかどうか、妻子がいるかどうか、恋人がいるかどうかなどは、向こうから話してこない限りは知る由もない。


 だから、ソルラにそういう相手がいるかは、聞いたことがなかった。


「そ、それはともかくとして……」


 咳き込みながら、ソルラは言う。


「あらためて旅の支度もありますから、今日これからすぐにというのは難しいですね」


「そうであれば、あと3日留まって頂こう。実は、お二人に渡そうと思っていた物があるのですが、それが完成するのが3日後でして。旅に役立つ物ですので」


 領主の申し出を、私はありがたく受け取ることにした。


「何から何まで、感謝いたします。

 実は、この辺りで行ってみたい場所がいくつかありますゆえ、行ってみるとしましょう」


 残っていた茶を飲み干し、私とソルラは借りている部屋に向かった。


「急といえば急でしたね。それにしても、行きたい場所、とは?」


 それぞれの部屋へ別れる所で、ソルラが言う。


「名残惜しい気もするが、いつまでも逗留しているわけにもいかんからな。

 実は、この近くに、私に術法の手ほどきをしてくれた僧が山ごもりしていた社がある。

 そこを参拝したいのだ」


 その僧はすでに他界しているが、縁の地の近くに来て、寄らぬわけにもいくまい


「いくつか、とおっしゃっていましたが、他には」


 その問いに、私は少し間を置いてから答える。


「お前も知っている所だ」


 ソルラは少し考える様子を見せた後、少なからぬ驚きを顔に浮かべた。


「まさか、狐の怪を封じた石の地ですか」


「まさしく」


「かの地には、いまだ邪悪な気が渦巻いているとも聞きますが」


「だからこそだ。ニツコの地で見た異変が偶然なのか、それとも違うのか。

 それを知るには、怪にまつわる地を訪れるのも手であろう」


「それはそうかもしれませんが……心しておきます」


 にわかにソルラが緊張した面持ちになる。


「何を緊張しとる。まずは明日の社めぐりだ。

 それに、狐の怪の伝説は何百年も昔のことだろう。

 今日び、それを恐れて幼子が寝小便をするほどの祟りはあろうが、それだけよ」


「……まずは、天気が荒れないことを祈りましょう」


 そう言われてみると、旅の中で名所をめぐってきているが、不思議と天候に恵まれている。この街を拠点にしている間も、足を伸ばそうとした日は晴れ、雨はそうでない日に降ってくれたように思う。


 不意に、古い修行僧が底の高い履き物で夏の山を縦走する様子が脳裏に浮かんだ。


「夏山に足駄を拝む首途かな」


 術の行使のためではなく、ただの作品として口ずさむ。


「何か、祈祷の術ですか」


「いやいや、ただの戯れよ。さて、明日の支度をして、まずは夜に備えるとしようか」


 私の言葉に、ソルラは失礼します、とだけ言って自室に入った。


作者の成井です。


今回のエピソードをお読み頂き、ありがとうございました。

「面白い話だった」「続きも読んでみよう」と思って頂けたなら、

下の☆☆☆☆☆欄で評価していただけると幸いです。


では、また。

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