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第7話 かさね

 ニツコの地を発ち、ヌースの原野と呼ばれる地を進む。


 道中に、撫子の花がそこかしこに咲いていた。


「ニツコでは花の開きが遅いなどと言っていたが、山を下りれば逆のことが起きているようだな」


 私のつぶやきに、ソルラは頷いて応えた。


「えぇ、そのようで。撫子の花が咲くのは、確かもうひと月は後だったように思います。おかしいですね」


「うーむ、どうにも妙な気配だのう。旅を止めるまでは行かずとも、歩みを緩めてまいろうか」


 トゥクガッハの世になって百年は経っていないが、百年弱は人同士の争いがなく、国中が平穏無事に時を刻んできている。


「よもや、人と人とが争うことはもうなかろうが、地震をはじめとする天変地異の類は誰にも予測することは出来まい。野宿は避けた方が無難かもしれんのう」


「天災は忘れた頃に、という諺もありますからね。そういえば、あとふたつ、峠を越えれば、クロバンヌの街に着きますね。確か、あそこには師の知己がいらっしゃったかと」


「あぁ、あそこの領主は、とにかく接待好きの男でな。こちらにそのつもりがなくとも、まぁ、一週間は足止めを食らうだろうな」


 それは楽しみです、とソルラが笑う。


「ほう、意外だな。お主が接待を楽しみにするとは」


「どういうことですか」


「分からぬか。領主が接待をするということは、夜の世話もしてくれるということだぞ」


 私の言葉に、ソルラは憮然とした。


「私はあくまでも、その領主様がどのような方なのか、お会いするのが楽しみだと申したまでです」


「しかしなぁ、供された食事を断るわけにはいくまい」


「食事は、ありがたく頂戴いたします」


 まったく、まさかと思うが、本当に経験がないのではないかと心配になる。


 戦国の乱世では、男子は十五ともなれば家督を継げるよう儀式をし、家によっては婚姻も執り行ったと聞く。


 そうでなくても、戦士の家に生まれれば、いや、貴族でも農民でもどの家に生まれようが、戦続きのこの国ではいつ命を落とすとも知れなかったのだ。


 だからこそ、男も女も、互いを求めて契りを結ぶのは、割合早かったようである。


 泰平の世になったとはいえ、人の暮らしがそう変わるわけでもない。


 二十歳を過ぎて経験がないというのは、稀有に思うが……


「ソルラよ、ちょいと踏み込んだことを聞くが」


「旅の方~!」


 後ろから声をかけられ、私とソルラは振り向いた。


 馬に乗って、女が駆け寄ってくる。


 女は私たちのそばにくると馬をなだめ、颯爽と降りた。


「旅の方、わたくしはニツコの地で命を救われた者でございます。」


 そう言うと、女は深々と頭を下げた。


 スッと上げた顔つきは、疲労を浮かべてはいるものの、美人と形容して差し支えなかった。年のころは、ソルラより十から十五は上だろうか。


「ニツコの僧正様にお聞きしましたところ、急ぐ旅ではないとのこと。よろしければ、この先の集落で、一晩お世話をさせていただけないでしょうか」


「いやいや、成り行きでああなっただけのこと、お気になされるな」


 私は笑って断ったが、先のソルラとの会話を思い出した。


「いや、しかしお招きいただけるというのなら、一晩の宿をお願いしたい。我々も思うところあって、歩みを緩めようと思っていた次第でな」


「それは渡りに船というもの。さぁ、荷物はこの馬に括って、お師匠さんは馬に乗って下さいな」


 健脚を自負しているが、甘んじて受け入れよう。


 女の集落は、二つ目の峠の麓にあった。


 途中途中に分かれ道も多く、女の案内がなければもう少し時間を要しただろう。


 合縁奇縁、ありがたいことである。


「おかえりなさい、お母さん」


 出迎えてくれたのは、齢は二十になるかならないかという娘だった。


 花も恥じらう、という古い言い回しがぴたりとはまる、美しい顔立ちである。


「この方たちは?」


 娘に聞かれ、女はニツコで起きたことを説明した。


 女の話ぶりは上手かったが、それにつけても、娘の表情が豊かだった。


 驚いたり、笑ったり、恐怖にひきつったりと、感情が素直に表に出る。


 その様子は、顔立ちの美しさも相まって、娘をひときわ魅力的にしていた。


 そして、話の途中から、娘の目が明らかにソルラに注がれていた。


 まぁ、あの戦いの最中、風のように切り込んだのは、確かにソルラだった。


 勝負を決したのは、私だったが。


 多くの僧兵の志気を上げたのは、まあ、ソルラの句だったか。


 駆けつけるための句を詠んだのは、私だが。


 この娘と年が近いのは、私よりはソルラだ。


 あくまで年が近いというだけで、男ぶりの話ではないが。


「それで、命を救っていただいたご恩に、一晩、泊まっていただくことにしたわ」


 女が言うと、娘は頬を赤らめて家の中に入ってしまった。


「すみません、娘は人見知りがひどくて。」


 女は笑ったが、こちらの石頭も同じようなものだと言って、私も笑った。


 日が傾き始めた辺りで、女に一献勧められた。


 断る理由もなく、一杯、また一杯と進んでいく。


「この里は、昔から家々で酒造りをしておりまして。そうそう、申し上げておりませんでしたが、私どもは、一応里の長をしておりますので、遠慮なさらず召し上がってくださいね」


 女も酌をしながら飲み次いでいく。


「ご主人の姿がないが……外はもう暗い。何事かあったのでは」


 ソルラが余計なことを聞く。


 馬鹿者め。


 この時間に母娘二人しかおらず、早々に夕餉を始めたのだから、それについては、よんどころない事情があるに決まっているだろう。


「主人はこの子が物心つく前に、オークに……」


 ほら見たことか。


「失礼しました……」


 ソルラが目を伏せる。


 まったく、そんなことだから女が寄り付かぬのだ、と娘の方に目をやる。


 娘は、爛々としたまなざしでソルラを見つめていた。


 まったく……女心というものは、分からん。


「ソルラ、そういえば、イェドで持たされた土産のなかに、干した果物がなかったか。ちと、甘味が欲しくなった。見てきてくれ」


「ほら、馬小屋まで、ソルラ様をご案内して差し上げて。慣れない土地で、この暗さでは危ないから」


 両者ともに、了解の返事をして戸外へ行った。


「まこと、失礼いたしましたな。弟子の無礼、代わってお詫び申し上げる」


「いえいえ、お気になさらず。それに、オークに……というのは、方便ですので」


 私の言葉に、女はくすくす笑って見せた。


「と、言いますと?」


「あの子が生まれたときから、父親はおりません。この里は人も少ないので、実は、旅の方から……」


 なるほど、山間や田舎では、そういう風習があると聞いたことがある。近親の危険性も避けねばならぬので、外の男の世話になったいうことか。


「まぁ、あの娘もあの年ですから、もう分かってはいると思うのですけれどね」


「なるほど、それでソルラを見る目が」


「えぇ、あの年ですから興味はあったでしょうが、里には同じ頃の殿方はおりませんし、旅人と言っても、あのように整った顔立ちの方は珍しいので」


 女はそう言って、また一口、酒を含んだ。


「あ、でも……」


 そして、続ける。


「わたくしは、お師匠さんの方が、良い男だと思いますけれど」


 分からぬはずの女心だが、これは分かるというのが男の性よ。


「オーク相手の大立ち回り、お見事でした。こう、体の奥が火照るような」


「それは重畳。して、その火照りは、冷めやりましたか」


「いえ、まだ。どこかの素敵な殿方に、静めて頂くのがよいかと存じております。命を救っていただいた殿方であれば、お礼の意味も込めて」


「二人が、戻ってくるのでは?」


「かさねには、こういうときは、お客様を小屋の向こうの離れに連れて行くように、しつけてありますので……」


 ………………


 明くる朝、井戸端で顔を洗っていると、ソルラもやって来た。


「おはようございます、マッツォ師」


「おはよう、ソルラ。よく眠れたかな」


 意地の悪い質問かもしれんなぁ、と笑いながら問う。


「いえ、夜通し、あの娘との話に興じてしまい、いささか寝不足です。」


「話に興じてしまい?」


 予想だにしていなかった答えに、我ながら素っ頓狂な声を出してしまった。


「えぇ、かさね殿は、かさねというのがあの娘の名ですが、彼女は詩歌に興味があるようで、私の知っている知識や拙作などを伝えたところ、即席でいくつもの句をつくるほどの才でした。それどころか、術の基本も伝えると、奇跡のいくつかを起こすことが出来ました。」


「そうか、それは……それは、すごいな」


 何がすごいと言えば、年頃の、しかも盛んなはずの男女が一晩共にして、男女の仲にならなかったことが、すごい。


「師に言われた果物のことも、初めは覚えていたのですが、彼女と話している内に熱中してしまいました。お待ちしておりましたか」


「いや、私たちもほどなく寝てしまったのでな。気にするな」


 女心は分からぬが、この弟子の心はもっと分からぬ。


 私達は母娘に深く礼を伝え、里を後にした。


「して、お主はどのような歌をつくったのだ」


 歩き始めて、私はソルラに尋ねた。


「術の行使とは関わらず、ただ詩作に集中して詠みました」


 そう言って、ソルラは手帳を差し出した。


「かさねとは八重撫子の名成るべし……美しい娘を撫子の花になぞらえるが、かさねという名は、その中でも八重撫子の花を指しているようだ、という意か」


「えぇ、彼女を、純粋に美しいと感じましたので。イェドに暮らしているときも、彼女のような美しい女性は見たことがないかもしれませんので」


「ソルラよ、これを詠まれて、そのかさね殿はどう応えたのだ」


「応えたと言っても……矢継ぎ早にその意を問われたくらいですが」


 目の前で、あなたは美しいという歌を詠まれたのなら、その先があるかと思って当然ではないか。母がそうであるように、娘もそうなることを期待していたのではないか。


 それをこの石頭は、自分たちは純粋に歌を詠んでいただけで、男女の仲とは無関係だと考えているのか。まったく、信じられん。


「ソルラよ……お主、貴族の歌合せの文化などを学び直した方がいいかもしれんな」


 はぁ、と要領を得ない返事をする弟子に、私はもう何も言わないでおいた。



作者の成井です。


今回のエピソードをお読み頂き、ありがとうございました。

「面白い話だった」「続きも読んでみよう」と思って頂けたなら、

下の☆☆☆☆☆欄で評価していただけると幸いです。


では、また。

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