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第6話 夏の初め

 ニツコの地。


 将軍トゥクガッハの守護神を祀る神殿や社を擁する霊山。


 この地を旅の目的とする者も多く、将軍への義理がなくとも、北へ向かう折に寄っていきたい名勝地であった。


 ニツコという名は、今から数百年前に実在した聖人ク=カイが開基したときに改められたものだという。


 ク=カイはその際に、周辺の邪悪な者どもを一掃し、後にイェドとなった地も含めて一帯に強力な結界を張った。


 その結界は、彼のたぐいまれな詩才によって編まれた壮大な術法で紡がれ、驚くべきことに、現在に至るまでオークたちの筋力を削ぎ、体力を穿ち、知力を損なっているのだと言われている。


 巷で私のことを俳聖と呼ぶものもいるが、過去の偉人と比べてしまうと、とてもその名を享受する気にはなれないというものだ。


 …………?


 この神聖な地で、まさかとは思ったが、風に乗って漂っているのは血の匂いだ。


「マッツォ師!」


「何やら大事のようだな。駆けるか」


 私は足を止め、術の行使を始める。


「あらたふと青葉若葉の日の光」


 名勝の地にいるがゆえか、スラスラと文句が出てくる。 


 私は日の光がはるか遠くに、一瞬で届く様を想像した。そしてその輝きを、念じて私とソルラの足に付与する。初夏の風のさわやかさとひとつになり、超人的な速さで走ることが可能になったはずだ。


「行くぞ」


 言うや否や、私とソルラは血の匂いの源へ向かう。


 駆けながら、ここならばソルラも一句詠むことが出来よう、と思う。


 見えてきた。


 倒れ伏す人々。


 煙を吐く社。


 棍を振り回す僧達。


 相手どっているのは、百はいようかというオークの群れ。


 ソルラが、その群れの只中に舞い込む。


「剃り捨ててぇぇ~~!!」


 五音、ということは、一句詠む気か。


 民が倒れている光景に憤りを覚えたか。


 堅物の弟子らしいといえばらしいが、鉄の棍で切り結びながら文句をつなぐとは、もはや戦士を超えて物語の英雄のようではないか。


「黒髪山にぃぃ~~!!」


 ソルラの鉄棍に、黒い稲妻が走り始めた。


 薄々感づいていたことだが、ソルラは戦に関わる術法を行使すると、私に劣らぬ威力を発揮するようだ。


「ころもがえぇぇ~~~い!!」


 ソルラの絶叫がこだまする。


 黒い稲妻は千々に分かれ飛んだ。


 ひとつはあるオークの両腕を焼き、ひとつは別のオークの両脚を焦がした。またひとつは他のオークの頭を燃やし、もうひとつは隣のオークの首を熔かした。


 邪な者どもだけの、頭部や四肢を狙い撃っている。


 威力もかなりのものだったらしく、オーク達はそれぞれが痛みに悶え、叫びながら膝をついたり倒れたりしている。


 私の術は必要なさそうだった。


「ソルラよ、よくぞやってのけた! 疲れたなら下がっていてよいぞ!」


「御冗談を召されるな、師よ! オークども、五体満足でこの場を去れると思うな!」


 鉄棍をひと振り、ふた振りし、次々とオークを叩き伏せていく。


 突如現れた勇者の登場に、人も鬼も呆気にとられた瞬間の一刹那後、どこからか怒号が飛んだ。


「今だっ、みんな、行くぞぉぉぉ!!」


 ニツコの僧兵達である。


 サッと目で追うと、戦力になりそうな者は十を少し超える程度の人数しかいないようだったが、手負い相手なら問題なかろう。


「グアォォォッ!」


 眼前に躍り出てきた、オーク。


 色は青。


 手には両刃の長剣。


 だが、その手からは煙が立ち上り、もともと出来物や腫れで歪な顔が、さらに奇怪なことになっている。


 あらためて、醜い造形である。


 私達、人の子の目は白に黒目だが、こいつらは黒に黄色い瞳をもつ。


 その黄色の中に、青い血が走っている。


「まさに血眼というやつだねぇ。おとなしく洞穴に帰った方が身のためだが、ここで命を散らすか」


 句を詠むには、距離が近すぎる。


 やれやれ、切り結ぶしかあるまい。


「グオォッ!」


 大上段に構えて振り下ろした刃を、右に半身ずらして避ける。


 前にのめった鬼の横腹に向かって、鋭角に左肘を突き当てる。


 グボォ、と濁った音がする。青い血を吐いたか。


 体をひねり、体を回転させる。


 勢いをつけて敵の後ろに向かい跳び、延髄をめがけて左で手刀を見舞う。


 オークは膝から崩れ落ち、顔面から倒れた。


「南無三」


 私はオークの首に棍を当て、力を込めてその骨をへし折った。


 悪鬼と言えど、命をとることを善しと思ってはいない。


 だが、私やソルラのように武や術を身につけている少数の人間を除いて、こいつらは恐怖の具体である。略奪の徒である。


 後の憂いを、というより、力なき者達の憂いを、多少なりとも断つ。


 ふーっ、と息を吐き、次の相手を探す。


「ゴガァッ!」


 背後からの声に、大きく翻りながら間合いを取る。


 振り下ろされた金棒が土を抉る。


「せっかくの奇襲で、声を出しちゃいかんよ、素人くん」


 今度も青。


 まぁ、赤も青も、黒に比べれば大したことはない。


 聞いた話では、小さな群れの長になると青に、集落を治めるほどになると黒に、肌が変色するのだとか。


 しかし、これまで何度も相まみえているが、青が厄介な相手であったことはない。


 黒の相手も、少々疲れるといった程度だ。だが、膂力も増すし、知恵もある。そういう機会がないに越したことはない。


 そもそも、後天的に肌の色が変わるなど、奇天烈な話だ。


 どこまで本当の話やら、と笑ってしまう。


「ゴガガアァァッ!!」


 おっと……挑発する意図はなかったが、誤解させてしまったようだ。


 オークは下から上、上からまた下へと金棒を振り回す。


 こういう類の武器は、どうしても攻撃が直線的になる。


 これを避けるには、ただ軸をずらしてやればよい。


 オークは憤然、今度は横に薙ぎ払う。


 身をかがめてこれを避け、愛用の棍をしかと握り、敵の脇へ鋭く突きを放つ。


 面より線、線より点の方が、痛みが強い。


 痛みが強ければ、どんな生き物だろうと動きが止まる。


 グク、と濁ったうめき声をあげるオークに、すかさず二撃目を放つ。


 狙いはまったく同じ箇所、寸分たがわず突きを見舞う。


 一で出来た棍のくぼみを貫くつもりで、万力を込める。


 たまらずよろめくオーク。


 私は身をひるがえし、回転の勢いでもって、棍をオークの鼻っ柱に叩き込んだ。


 今度は声もなく、オークは背中から地面に沈み込んだ。


 要か不要か、私は棍を持ち直し、喉笛にとどめの突きを放つ。


 周囲を見る。


 多勢に無勢とは言わないまでも、数的不利は否めない状況である。


 先のソルラの術によって弱ったとはいえ、一対多になっては勝敗の行方は知れない。


 気を整える。


 初夏に照る日、暑気に合わせた衣替え、とくれば、次は水のせせらぎが恋しくなる。


 目を閉じると、瞼の裏に滝の光景が浮かんだ。


「しばらくは」


 私の身をつつむ陽炎が、辺りに広がっていく。


 空間が歪む。


 獣面の蛮族に、四季のうつろいを理解する心があるとは思えぬが、術法による空間の変化は分かるらしい。


 異常の中心にいるのが私だと見て、怒号とともに駆けてくる……つもりだったのだろう。


「滝に籠もるや」


 人ならざる者共が、水のかたまりに包まれて空中に浮く。


 水中でもがき、四肢をばたつかせているが、どうすることもできない。


 オークを内包した水のかたまりは、どんどん上空へ昇っていく。


 そして齢を重ねた大樹ほどの高さに辿りついた。


「夏のげのはじめ


 次の瞬間、水はしぶきとなって弾けた。


 不意に解放されたけだもの達は、なすすべもなく落下し、それぞれに絶命した。


「おおおおぉぉ~~~~!!」


 歓声が上がる。


 僧兵ではなさそうな、一般の人々も安堵の表情を浮かべている。


 僧兵のひとりが駆け寄ってきた。


「ありがとうございました、もしや、あなた様はマッツォ=バッショール様では」


「いかにも、私はマッツォだ」


 僧兵は膝をついてこうべを垂れた。


「よせよせ、私はただの旅好きのおっさんに過ぎんよ」


「俳聖と名高い賢人に、お目にかかるばかりか、お力添えを頂き、感謝に絶えませぬ。何卒、本殿にお越しいただき、礼を尽くさせていただきたい」


 ふむ、と言いながらソルラを見ると、黒山が出来ている。


 心なしか、こちらには僧兵が集まり、あやつのところには若いおなごが集まっているように見える。いや、気のせいであろう。


「長く留まることは望まぬが、事の初めを聞いておきたいのも確か。では、邪魔するか」


 私とソルラは、ニツコでもっとも大きな社に案内された。


 絢爛豪華な外装、瀟洒な内装。


 トゥクガッハ将軍家がここを重要視していることがありありと見える。


 その中の一室、応接の間に腰を下ろすと、これもまた立派な装束をまとった老人が姿を現した。


「あらためて、感謝申し上げます、マッツォ殿。そして、ソルラ殿。私はこのニツコの神殿一帯を任されております、僧正でございます」


 僧正も腰を下ろし、私は単刀直入に尋ねる。


「僧正殿、此度の災は、なにゆえに」


 私の問いに、僧正は首を振った。


「皆目見当もつきませぬ。少なくともこの二十年、私がこの地に赴いてから一度も、オークが姿を現したことはありませんでした。」


 僧正の言葉に、ソルラが頷いた。


「それもそのはず、聖人ク=カイの編んだ結界が向こう千年この地を守ると言われています。それが先ほどのような事態になるとは、誰も予想だに出来ますまい」


 沈黙が部屋を包む。


「とりあえずは、イェドに遣いを出し、警護を増やした方がよかろう」


 私は進言した。


「また、ニツコに地に邪悪が及ばぬよう、微力ながら結界を重ねてまいるとしよう」


「おお、それはありがたい。音に聞こえしマッツォ殿の術とあれば、心強い」


 それから小一時間ほど話をした。


 しかし、オークの出現、結界を突破の原因とおぼしきことは見つけられなかった。


 その日はそのままもてなしを頂き、心身の疲れをとらせてもらった。


 翌朝、見送られて出立すると、昨日の戦いの野のあちこちに焦げや染みが出来ていた。


「黒い焦げは何者の仕業かな、ソルラよ」


 にやりと笑って目をやると、ソルラはうなだれた。


「戦いの後のことにまで気が回りませんでした。それに対して、師の術はニツコの地を焼くことなく、敵を倒し、さらには水の恵みを草木にもたらしたのですね」


 それを聞いて、昨夜の僧正の言葉を思い出した。


 そういえば、ここ二週間ほど雨の降りが悪く、例年ならば咲いている花々がまだ咲かぬとか。それとオークの襲撃には関連はあるまいが、風流を愛でる者達は気にかけていると。


 たしかに、初夏の割には色づいた花が少ないような気がする。


 だが、所変われば品変わるのだから、僧正の話を聞いていなければ、ニツコの花は遅れて咲くのだろうとしか思わないだろう。


「戦いの最中、花の付きが悪いことにまで気が回るとは、師の深さ高さを思い知らされました」


 まったくのたまたまだが、弟子に良く思われることは良いことだ。


「うむ。お主もゆめゆめ精進を忘れぬことだ。しかし、先の戦いで詠んだ句、あれは見事であったな。歌としても良し、術としても良し。師として鼻が高いわ」


 高らかに笑う私に、ソルラは恐縮した。


 それにしても、まさかこのニツコの地でこのような異変に見舞われるとは。


 これがただの偶然か、それとも天変地異の前触れか。


 この旅が無事に終わればよいが、と私は北の空を見上げた。


作者の成井です。


今回のエピソードをお読み頂き、ありがとうございました。

「面白い話だった」「続きも読んでみよう」と思って頂けたなら、

下の☆☆☆☆☆欄で評価していただけると幸いです。


では、また。

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