第2話 魚の泪
旅立つにあたって、さすがに黙って出て行くわけには行かない。
門下子弟、府の役人、将軍など、イェドに住む知己には一言伝えてから、跡を濁さずに発つべきだ。
……と、ソルラが言って譲らぬので、仕方なく二人であちこちまわって一言ずつ伝えてまわることにした。
私の弟子達は町中に住んでいるものだから、そのすべてに顔を出すわけにもいかない。それに、古い考え方ではあるが、やはり身分が上の者から順に挨拶をしていくのが礼節というものであろう。
私はまず、城へ向かった。
堅牢な石壁、美しい白い城、太陽に輝く天守。
この優雅な光景も、やがて歴史の中に朽ちていくのだろう。
なんとも無常なものだが、散りゆくものこそ美しいとも思う。
「お疲れ様です!」
門に近づくと、番兵が勢いよく挨拶をしてくれた。
「将軍にお目通り願いたいのだが、よろしいかな」
「はっ、お通りください! 術法訓練場へは赴かれますか?」
ふたりの番兵の輝く目がまぶしい。
術法訓練場など、もっとも近づきたくない場所のひとつである。
現在、この国の戦では術法が重要な鍵を握っている。
古来より、人は剣に槍に弓にと、様々な殺人道具が開発してはきたが、結局のところ、一人が一度に奪える命は一つである。
しかし、術法は違う。
地を割り、雷鳴を呼び、大水を生むことで、寡兵で大軍を破ることができる。
今のトゥクガッハ家が天下を治め、泰平が訪れるまで、術法は戦の切り札として開発・研究が進められてきたという歴史的事実がある。
その名残で、このイェドの城でも未だに術法の鍛錬は行われている。
そして当然と言うべきか、今もっとも研究が進められているのは、私が考案した俳句だ。
人と人の争いが落ち着いても、野にはびこるオークどもを相手取るために、術法が必要なのは理解できるし、俳句が従来の術法に比べて短く実戦的なのも理解している。
また、戦いに限らず、市井の生活を向上させる利便性を、俳句に期待している向きがあることも、充分理解している。
しかし、人が人の世で幸せに暮らすために、そこまで利便性が必要か、とも思う。
楽をすれば力は衰えるものだ。
苦によってこそ人は成長する。
であれば、俳句などという奇跡の業に頼るのではなく、手足を使って日々を暮らすことこそが、人としての道ではないか。
まぁ、たんに指導と教授が面倒くさいというのもあるが。
「いやいや、今日は将軍に一言挨拶に来ただけだから」
やんわりと番兵の熱意をかわし、私とソルラは城内に進んだ。
歩きながら、ソルラは言葉を紡ぐ。
「私は、俳句の絶大な効果を知っている身ですが、師の作が、純粋に美しいと感じている一人でございます。また、多くの同胞が、同じように申しております。」
弟子に気を遣われてしまったようだ。
そう悪い気はしない。
「術の機能としての美、言葉の芸術としての美」
ソルラが続ける。
「俳句は素晴らしいものです。誰もが師のように術を行使できる日が来れば良いのかもしれませんが、その日が来なくとも、俳句は文化として歴史に残ると思います。」
「ふむ。まぁ、私が俳句で術を行使したときだけ奇跡の威力が高まるという、その理由は私自身にも分かっておらぬからなぁ」
「この旅の中で、分かることもあるかもしれませんね」
談義を続けながら歩いている内に、いつも将軍に会っている広間にたどり着いた。
「さて、私が来ているという話はすでに番兵から伝わっているとは思うが、すぐには出てこんだろうな」
私の言葉に、ソルラがためいきをつく。
「とにもかくにも、好色の人ですからね」
「英雄色を好む、を地で行く方だ。まぁ、若いし、彼の治世で万事がうまくいっておるのだから、咎めることもあるまい」
広間に沈黙が訪れると、遠くから、細く、しかしそれと分かる声が聞こえる。
嬌声である。
これもいつものことであるが、少なくとも声が四種類はある。
ちらとソルラを見ると、目を閉じて平静を装いながらも、頬が紅潮している。
この弟子は、二十歳は過ぎているはずだが、どうにもうぶである。
よもやとは思うが、女を知らぬのかもしれぬ。
旅の最中に、こいつを男にしてやるというのも面白い。
思案を進めると、ほどなく将軍その人があらわれた。筋骨隆々の上半身を露わにして、汗ばんでいる。豪快な男である。
「やぁ、マッツォ殿。お待たせしてすまないな。して、今日はいかにした」
「いやなに、ちょっとまた旅に出ようと思いまして、その挨拶に」
「そうか、お主も好きだな。また、イェドの周辺をぶらつくのか」
「今回は北へ。古都ヒルライズミを目指そうかと」
「北か。北の女は肌が美しいと聞くな。ぜひ感想を持って帰ってくれ。我が奥を望む女が居れば、それも持って帰ってかまわんぞ。もちろん、そなたの句も、みやげのひとつとして期待しておるからな」
将軍へのお目通りを終え、術法院に顔を出してから、私たちは城を出た。
それから、門下子弟が集う道場に寄り、慰留を退け、その道場を金銭支援してくれている貴族のいくつかも訪ね、餞別を受け取った。
そうこうしている内に日が傾いてきた。
「もうすぐ宵ですね。出立は明朝にいたしますか?」
「いやいや、思い立ったが吉日よ。こうしてばたばたと旅立つ方が、ふりかえったときの話に花が咲く」
何事もそうだと言うつもりはないが、情熱の赴くままに始めてみるというのも良いものだと私は思う。準備は大切だが、勢いも大切だ。男女の関係などは、特にそうではなかったか。
私たちは途中途中で当面の食糧や飲料を仕入れつつ、イェドの外れにある橋についた。
そこには、門下子弟をはじめ、普段世話になっている者、世話をしている者など、中々の人数が集っていた。
「みなさん、見送りにきてくださったようですね」
別段、イェドの街に未練があるわけでもないと思っていたが、泪を誘われる光景だった。
私はそれほど人付き合いが得意なほうではないし、顔の広い商人達や万人に愛を注ぐ僧侶達を見ると、自分にはない美徳をそこに見る。
そんな自分を慕い、見送ってくれる人がこれほどにあろうとは、ありがたいことだ。
「行く春や」
頭に浮かんだ文句を口にする。
一抹の寂しさ、旅への期待。
旅立つ自分、残る知己。
それぞれの前途に、活力があふれることを願おう。
そのために、今はこの悲嘆を味わおう。
「鳥泣き魚の目は泪」
周囲一帯に、しんみりとした雰囲気が満ちる。
私もソルラも、集まった全ての人が目に涙をためている。
居合わせた鳥も、魚も、目に涙を浮かべているだろう。
それと同時に、心身の充実をふつふつと感じる。
言葉としては出さぬ思いを、言葉の余韻にしたためて奇跡を為す。
これもまた、俳句という歌づくりの妙である。
素晴らしい旅立ちになった。
旅から戻ったら、この句をひとつめとして、旅の紀行文としてまとめるのもいいかもしれない。
こうして、私と弟子のソルラは、イェドの街を発った。
作者の成井です。
今回のエピソードをお読み頂き、ありがとうございました。
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では、また。