第17話 ぬかり道
「笠島はいづこさ月のぬかり道」
私が唱え終わると、感覚が研ぎ澄まされた。
目指している笠島に向かう方角が、明瞭になる。
「師よ、森を抜けられそうですか」
「うむ、こちらで間違いないだろう。行くとしよう」
先日、術の多用はよろしくないなどと高説を垂れておいて、情けない。
私とソルラは森に入り、街道が途切れ、進むうちに、迷っていた。
季節柄か、雨の降ることが多くなってきたと思っていたが、雨も降って来た。
これまでにも、道の脇に立っている札の名前を見て、近くに名所があると知っているような所も、天気が悪いからと足を運ばずに通過することがしばしばあった。
しかし、笠島というところは一度目にしておきたいという思いがあり、ソルラを説得して街道から少し逸れたところ、このありさまである。
「すまんなソルラ、時間の浪費に付き合わせてしまった」
私の自嘲気味な言葉に、ソルラは笑って応えた。
「こういったことの方が、ふりかえったときに良い思い出になっているものです」
「今はお前の優しさが、雨よりも身に染みるな。
記憶ではなく思い出になるように、せめて笠島を一目見なくてはな」
私は術で得た、鳥のような感覚を頼りに、道なき道を先導した。
舗装されていない土の道は、時間が経つにつれてぬかるみを増し、足を取る。
木々が枝を伸ばして屋根を作っている部分と、そうでない部分とがあるせいで、出来上がったくぼみには大きな水たまりが広がっていた。
それを避け、回り込み、時に飛び越えて、私たちは森を抜ける。
「あとどのくらいの距離で、目指す場所に着きそうなのですか」
さすがに疲れが隠せなくなってきたソルラが、言葉を絞る。
「随分近くまで来ているようだ。
さすがにこの天気ではオークもあなぐらに籠もっているだろうし、もうひと踏ん張りだ」
私は答えながら、研ぎ澄まされた感覚でそれが事実であるという自信があった。
その会話をして小一時間も経たぬうちに、私たちは厳粛な雰囲気の漂う丘に着いた。
そして、その中でも土が盛り上げられている所に、黒光りのする墓石があった。
「これが、光の君の墓、ですか」
ソルラの言葉に、私は頷いた。
「貴族社会でもっとも流行した書物の一つ、光の君の物語。
あまり知られていないことだが、その人物の元となったのが、この笠島の将だ」
光の君の物語とは、見目麗しい妾腹の王子が、宮廷で数々の浮名を流し、恋に明け暮れ、数奇な人生を辿る物語である。
時代を超えてなお読み継がれてきた名著であり、私も愛読者の一人だった。
「師が、光の君の物語を好んでいらっしゃるとは、初めて知りました」
ソルラが肩で息をしながら言う。
「好色な若者が宮中の姫君を次々と手籠めにしていく下賤な物語、と思っているだろう」
私がにやりとすると、ソルラはばつの悪そうな表情を浮かべ、苦笑した。
「確かに、そういった低俗な面白さもなくはない。
だが、人と人、男と女が、恋をし、愛し合い、体を求めるのは、世の真実だ。
同じ時代の、自然や教養の素晴らしさを書いた書き物も素晴らしいが、光の君の物語の素晴らしさも、やはり本物であると私は思うのだよ」
そういうものですか、とソルラは頷く。
「さて、来たからには、きちんと参っていこう。
ソルラ、酒をくれ」
私はソルラから酒を受け取り、墓の前の杯にそれを注いだ。
雨はまだぽつぽつと降っているが、構わずに手を合わせた。
私にならい、ソルラも横に並び、手を合わせる。
目を閉じている内に、雨が弱まってきているのを感じる。
同時に、体の中に熱がこもってくるのを感じる。
終わって立ち上がると、ソルラが不思議そうな顔をしていた。
「なんというか、不思議な心地です。
こう、活力にみなぎっているというか」
「そうだろう、そうだろう。
このために、悪路を歩んできたのだからな」
弟子にもご利益があったことを、私はおおいに喜んだ。
「どういうことですか」
「笠島の将は、性と欲の守護神として祀られている。
彼を参拝した男は、かの将の力の片鱗を授かり、男としての格が上がるという。
どうだソルラ、いろいろな所に活力がみなぎってきただろう」
頭を抱えるソルラである。
「さあ、急いで次の町を目指すぞ。
運が良ければ、この活力をいかすべき幸運が、そこにあるかもしれんからな!」
作者の成井です。
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