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第1話 月日は百代の過客にして


「ソルラよ、私は旅に出るぞ」


 イェドの都を流れる清流の、そのほとりにある庵で、私は弟子に宣言した。


「また、でございますか。」


 ソルラは怪訝そうな顔をして、続けた。


「マッツォ師、あなたが前の旅からイェドに戻られてからまだ半年でございます。あなたをお慕いして、その帰りを待っていた子弟が山ほどおりました。


 私をはじめ、幾人かは、あなたが編み出した『俳句』という奇跡の術法を教わる幸運に恵まれていますが、多くはいまだ、それを教わる機会を得ておりませぬ。


 どうか、ご自身の偉業を御自覚なさり、その力を後世に残すことにも時間を割いてはいただけないでしょうか」


 まったく、生意気な弟子である。


 師が「旅に出たい」と言ったのだから、「いってらっしゃいませ、お気をつけて」でよいではないか。


 それを、理路整然と、正論を並べ立ておってからに。


 なにより、この弟子の、顔立ちの良さよ。


 目鼻立ちはくっきり、生活感のあふれ、身の丈も身幅も、多くの男から見て理想の姿。


 男から見てそうなのだから、女からみれば、推して知るべしである。


 いや、別段、私の顔立ちが劣っているゆえのやっかみなどではない。


「不満が顔に出ておいでです、マッツォ師」


 ソルラが、曇りなき美しいまなざしで私を穿つ。


 如何にして、この難関を乗り越えようか。


 私は、旅に出たいのだ。


 ソルラの言うように、たしかに、つい半年前までも、旅に出ていた。


 このイェドで自分が果たすべき務めがあることは承知している。


 だが、やはり、私は旅に出たいのだ。


 イェドの街にいて、私を慕う弟子達にちやほやされながら、私が考案・思索している、俳句と名付けた術法を享受するのは、悪くはない日常だ。


 しかし、刺激が足りぬのだ。


 この国には、美味いものがたくさんある。


 だが、当地でなくば味わえぬ。


 この国には、良い女がいる。


 だが、行きずりでなければ具合が悪い。


 この国には、オークどもがいる。


 獣面人身の、恐るべき略奪者達がいる。


 だが、私が繰り出す五・七・五の術法にかかれば、赤子も同然。


 その戦いもまた、私に生を味わわせる。


 そういった緊張、興奮は、イェドの都にはないのだ。


 そして、それらのものこそ、句を詠む種となる。


 いや、もちろん、助けた礼にと、乙女が身を預けてくるのは拒みはしないが……


「顔がにやけておいでです、マッツォ師」


 ソルラがピシャリと言い放つ。


「よいか、ソルラよ」


 咳ばらいをひとつして、私は言葉を紡ぐ。


「はい」


「お前の言うように、私が編み出した俳句の術は、教えを乞う者でたくさんだ。なぜだ」


「それは、既存の術が長々と五音と七音を組み合わせて紡ぎあげる、練達の詩人だけが為せる難事だったのに対し、師の編み出された俳句は五・七・五という短さで、既存の術をはるかに凌駕する奇跡を起こすからでございます」


「そう、その通りだ。さて、それだけかな?」


「また、古い書物に残された様々な歌と比べて、師の俳句は芸術性が高く、術の行使を抜きにしても、味わい深い、まさに言葉の芸術だと言われています」


「そうだな。そこで、ソルラよ。私の身になってみよ」


 私はそう言い、ソルラに背を向けた。虚空を見つめて話す方が、格好良いであろう。


「百を超す子弟に押しかけられ、矢継ぎ早に将軍の使いが来訪し、この侘しい草庵で静かに詩作に耽りたいという私のささやかな願いが叶えられることは、まるでない。憐憫の情を感じずにはいられまい」


「いえ、師が慕われ、歴史に残る偉人であることの何よりの証。素晴らしいことです」


 こ、この石頭め。


 いや、待てよ。


 こやつは、私をあがめている。


 では、私の句は旅の中でこそ完成するのだと言えば、納得するのではないか。


「ソルラよ」


 私は弟子の方に向き直った。


「私の願いは、この俳句という術を、今よりも高みに登らせることなのだ。そして、それは、旅に出て、歴史に歌われるような詩人の先達や、歴史に埋もれた史跡を訪れ、芸術的な刺激を受けることでしか成立しないのだよ。そう、例えば遠い北の地にある伝説の都、ヒルライズミを訪れる、とかな」


 堅物の弟子は、目をそらすことなく一心に聴いている。


「分かるか、ソルラ。私は、今の私の技量のまま子弟に伝えることが心苦しいのだ。さらに洗練させた術をこそ、後世に伝えたいのだよ。そしてそれは、旅の中でしか叶わぬのだ」


「合点いたしました、師よ。そこまで、そこまでお考えだったのですね。」


 そう言って、石頭は立ち上がった。


 おお、この難物を説き伏せた。


 我ながら、さすがは言葉の芸術家と言わざるを得まい。


「分かってくれるか、ソルラ」


「私が浅はかでした。師の紡いできた五・七・五が既に高次元のものばかりだったために、その先があるなどとは、私のような愚物には想像もつきませんでした。」


「いやいや、ソルラ、お前の句も近頃は……」


「なれば、師の旅にお供し、路傍の石を私が取り払い、その道中に群がる雑多な邪魔を私が引き受けましょう。そして師は、俳句の完成に邁進してください!」


 まずい。


 同行するつもりか。


 こやつが付いてきたのでは、生真面目な旅になる。


「い、いや、ソルラよ、そうではなくて……」


「衣食住の手配や関所の云々はお任せください。こんなこともあろうかと、すでにトゥクガッハ将軍家と府の担当閣僚より、充分な路銀は預かっております」


「いや、ちょっと、ソルラ。本当にお前も行くのか?」


「もちろんでございます。この身を粉にして、師の旅、いえ、修行にお供します!」


 だめだ。


 もはや、ここから覆ることはあるまい……


 観念した私は、手慣れた旅支度をして、外に出た。


 この旅立ちを記念して、この草庵は人に譲ることにしよう。


 治安がよいイェドとはいえ、何カ月も留守にするのでは、何があってもおかしくない。こんなわび住まいだが、長年暮らしてきた愛着もある。ならば、ここを大切にしてくれる者に巡り合わせることこそ、幸福ではないか。


 私は思念を集中し、腹の奥に熱を込める。


 その熱が、腹から喉へこみ上げてくる。


 そして私の体が、陽炎に包まれる。


 瞬間的に、情景と言葉とが連鎖して頭にあふれる。


 ここを大切にしてくれるであろう、まだ見ぬ者達に、縁を結ぶ術をかける。


「草の戸も」


 紡いだ五音で、草庵がびっしりと草花に覆われ始めた。


 目の端でソルラが泣いている。


 感動しているようだ。


 むずがゆい。


「住み代わる世ぞ」


 私には見える。


 まだ若い夫婦が、小さな女の子を連れてここにたどり着き、穏やかに暮らしている。


 おお、あれは春の祭に用いる人形か。


 彼らにこの家を巡り合わせ、幸せな時間を過ごしてもらおう。


「雛の家」


 「春」の言葉を最後の五音に据え、句を締める。


 川のほとりの我が家は、そうあるべき者の目にしか映らぬ特異な空間となった。


 もはや、このマッツォにも、すぐそばで見ていたソルラにも、見えてはいない。


 季節の意をもつ言葉を交えながら、強く念じて五・七・五を紡ぐ。


 そうして起きるのは、超常の奇跡である。


 これぞ、このマッツォ=バッショールが編み出した術法「俳句」だ。


「お見事でございます、師よ」


「さて、行くとするか。時間とは旅人のようなもの、どんどん過ぎ去っていく。しからば我らも、旅人となって、この世界を存分に味わおうではないか」


 本当は一人で旅立ちたかったが、こやつがついてくる流れになったのもひとつの縁だろう。こういうめぐり合わせも、大切にしなくてはな。


 こうして、私とソルラ、師弟二人での長い旅が始まったのである。


作者の成井です。


今回のエピソードをお読み頂き、ありがとうございました。

「面白い話だった」「続きも読んでみよう」と思って頂けたなら、

下の☆☆☆☆☆欄で評価していただけると幸いです。


では、また。

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