第29話:教団の巫女(1)
僕たち――――――僕とティエル、カルアにエディックはイタリアの首都であるローマの街を歩いていた。
約二千年以上の歴史があると言わるローマは、街を歩いているとその通りの光景が見える。古い造りの建物や街道はまるで遺跡を探検している気分だ――――――そこが普通の場所であったなら。
そこは僕が観光パンフレットや歴史の勉強で知っていたところではなかった。
街は汚れ、ゴミがはっきり判るほど散乱している。建物は窓ガラスが割られ、中は強盗でも入ったようにメチャクチャになっているのが見えた。更に街道には壁に凭れて力なく何人か座り込んでいた。その中にはぐったりと横になったままピクリとも動かない人もいる。そんな中を歩いている僕たちの方がすごく不自然な存在だと思うくらい異様な光景だった。
「・・・・・・」
皆、無言だった。
僕たちはこの街に入ってからずっと口を閉ざしている。当然だ。こんな風景を見せられれば誰だって気が重くなる。
現在。源綯さん率いる商団の船がローマの空港に停泊している。僕が日本に行く依頼をしたからと言って、直通で送ってくれるわけではない。商業連合団を名乗っている彼らは、僕たち以外にも数々の依頼を様々な国から受けているのだ。一応、今乗っている船以外にも支店的な船がいくつかあるのだが、それでも間に合わないらしい。商団が足として使っている飛行艇が大きさのわりに搭乗員が少ないのも理由にあるのだろう。
海外に寄る理由は解るが、何故僕らがこんな場所を歩いているのか。それは、停泊期間内の観光でも、日常品の買い物でもない――――――僕たちは商団の仕事を手伝っているのだ。手伝いと言うのも、正確には少し違う。
僕が商団に日本に行く依頼したのはいいのだが、実際に仕事を頼むだけのお金がなかった。だから、その代わりに依頼の料金分を働いて払うことになったのである。同じように、先日会ったレインやミシェルさんも、僕たちのように商団の仕事をこなしながら目的地に向かっているのだそうだ。レインとミシェルさんが勝手に船を出て怒られたように、商団の仕事をすることで料金を払う客に対する規約があることから案外普通のことなのかもしれない。
僕たちの仕事はとある物をこの街にある施設に届けることだ。それは僕が持っている頑丈そうな金属のアタッシュケース。物理的な鍵は勿論、電子的なロックもしっかりされていて中身が判らない。
小さな電子画面が付いた近代的な鞄をしっかり握りながら街中を進んでいく。
暫くすると、角を曲がったところで人が歩いている街道を見つけた。今僕らがいる場所と違ってそれなりに整備が行き届いているところだ。僕はそっちの通りに向かいながら、商団の社員から貰った地図を見る。海外の土地の地図なのに僕でも解り易く書かれている。少人数でやっているだけあって、全員が優秀な人たちなのだろう。お陰ですぐにに目的の建物を見つけることが出来た。
『fresco aria』と看板の掛かったカフェ。カフェなのに何故か人を寄せ付けない雰囲気を漂わせ、もう昼間なのにも関わらず店内は電気すら点いていない。営業していないのだろうか。
古い木製のドアを開ける。中は埃っぽく、人が出入りした形跡が見当たらない。目でハッキリ映るほど埃が付いた卓上呼鈴を押して店員を呼ぶ。
「すいません。誰かいませんか!」
言ったが、反応が返って来ない。呼び鈴を何度も鳴らしても誰かが出て来る様子もない。日本語で言ったのがいけなかったのか、とエディックにでも頼もうと思った時、
「いやー、すまない。研究所からここへは少し遠くてね。君たちが商団からの使いで間違いない?」
奥の扉を開けながら二十代後半くらいの白衣を着た男性が柔和な笑みを浮かべて入ってきた。いきなり現れてベラベラ喋り出したので、僕はうまく返事が返せずに頷くしかなかった。それを気にした様子もなくズカズカとこちらにやってくる。
「イニシャライズは持ってくれたかい?」
「イニシャライズ?」
思わず出てきた単語に僕は首を傾げてしまう。僕のその態度に男性は不快な表情になる。
「おいおい。僕が頼んだモノのことだよ」
「あ、すいません。これです」
そう言って僕はアタッシュケースを男性に手渡した。
すると、男性はすぐにアタッシュケースを開錠して中身を鞄から取り出す。
「おぉー! これだこれだ!」
歓喜の声を上げて男性は中身を眺める。男性が持っていたのは金属性の筒の形をしたモノだ。
「あのー・・・・・・」
筒を子供が新しい玩具を手に入れたような顔で見ている男性に戸惑いながら僕は声をかける。
「ああ、すまない」
男性は白衣のポケットから部厚い封筒を取り出して僕に渡す。中身はお金だ。この国の通貨はよく解らないのでカルアに封筒を預けた。
「それじゃあ、失礼します」
あまり長居をしたくなかったので、早々に挨拶をする。しかし、男性は僕の声が聞こえていなかったかのようにアタッシュケースを持って奥へと戻ってしまった。それだけイニシャライズとやらに夢中らしい。
「なんだよ・・・・・」
僕は嘆息しながら外に出て行く。
外は賑やかとまでは行かないが人が幾人か行き来している。軽く見ても僕たちのことを見ている者はいない。それを確認した上で尋ねる。
「カルア、ちゃんと全額入ってる?」
「大丈夫。ちゃんとあるよ」
そう言いながら封筒を僕に返してくる。いくら人が少ないとはいえ、道のど真ん中で大金の勘定をするわけにはいかない。
「それにしても、緊張したね」
カルアが微笑みながら言ってくる。その意味が解って僕は苦笑する。
「そうだな」
今訪ねたカフェは財団の管轄の研究施設だ。カフェにカモフラージュしているため、客がいなかったのである。以前に財団のメトセラに襲われたばかりなので、そこの施設に入るのには抵抗があった。だが、源綯さん曰く、余程の打撃を財団に与えてもいない限りこんな場所にまで手が回っているわけがないとのこと。信頼した結果うまくいった。
「それじゃ、さっさと戻ろう」
この街はやはり長居したくない。白衣を着た男性は健康そうに笑っていたが、この街を歩いている人からはあまり生気が感じられない。誰もが疲れたような顔をしていて、喋っているのは僕らくらいだ。
僕たちは逃げるようにこの場を立ち去ろうとすると――――――
バッカーンッ! と爆発音が響き亘った。振り返ると、さっきまでいたカフェの奥から煙が上がっている。更にそこから白銀色の巨人が殻を破る雛鳥のように出て来る。
「巨兵魔器!?」
「違う。アルマ・ミーレスだ!」
僕の言葉にエディックが否定する。
・・・・・・あれがアルマ・ミーレス。巨兵魔器とあまり変わらない外見に僕は戸惑う。エディックが二つをどう見分けているのかさっぱり解らない。
白銀の巨人は僕たちの方に歩み寄り、一旦動きを止める。
細身で、一見すると戦いに不向きにも感じられる。特徴的なのは体の後ろに付いている装備だ。一つは、腰から太い突起が二つ出ていて、後ろに垂れている。二つ目は背中から砲身なのか頭を越えるほど大きな棒が扇状に四つ飛び出ていた。まるで、その装備が細い巨人の威厳を示しているようだ。更にその左肩には教団のマークが入っていた。
「教団がどうしてこんなところに!?」
「驚くところはそこだけじゃないみたいだよ」
カルアの声で僕も気づく。白銀の巨人の手には見覚えのあるアタッシュケースが握られていた。
「目的はイニシャライズか!」
僕の声を合図に白銀の巨人はダッとその場から走り去る。足の裏にタイヤでも付いているのか、白銀の巨人は道を滑るように走っていった。モーターの駆動音だけ響かせて白銀の巨人はどんどん僕らから離れていく。
「ハシルナ!」
エディックが自らの守護神獣を呼ぶ。呼びかけに応じて虚空から人の姿をしたカンガルーの神獣が姿を現す。
「あいつを追うぞ! 俺とカルアを担げ」
「二人もですか!? いくらハシルナでも無理がありますよ・・・・・・」
「文句を言うな」
「わかりましたよぉ・・・・・」
エディックに言われて渋々とハシルナは二人を担ぐ。
「おい! 二人共!」
「俺たちが引き受けた仕事だ。終わったからってこんなんじゃ後味悪いから取り戻してくる」
「危険にならない程度に追いかけるから、ゆっくりと追いついてね」
「いっきますよーっ!」
一方的にそう言い残して三人は白銀の巨人を追って走り出した。走るというより、ジャンプしながら進んでいる。しかし、その一歩の跳躍が大きくて、あっという間に姿が見えなくなる。
「勝手にも程があるぞ」
呟いてみて、先日自分が同じようなことをしたのを思い出す。似通った仲間が集まったものだ。
「とりあえず合流しよう。ティエル、走れる?」
「うん」
僕の横にいたティエルが大きく頷く。それを確認して走り出そうとすると、
「おやー。見たことある顔がいますねー」
低い声が僕の耳に入る。声の方へ顔を向けると、二人の男が佇んでいた。
緑を基調にした服を着ている男は、服越しでもよく判るほど痩せた体をしている。何故なら、頬や手がミイラのようにこけているからだ。外見からかなりの年を取っているように見えるが、実際は三十代後半といったところだろう。その男の後ろにはがっちりとした体付きの巨漢が一歩下がったところで腕を組んでいる。
奇妙な組み合わせの二人組に僕は言う。
「誰だ、あんたら?」
「これは失礼。あたしはエノク」
気味の悪い笑顔で痩せた男が名乗る。一人称が“あたし”なんて男を僕は始めて見た。
「アモーク・メディオール。階級は少佐」
エノクに続いて巨漢も抑揚のない声で自己紹介する。
「あたしたちが一体何なのかは、言わなくても解りますね?」
「ああ・・・・・・わかってるよ」
アモークと名乗った男が着ているのは軍服だ。階級を聞いたことでそれが確信した。彼らは財団だ。
「それで、財団が僕に何の用だ?」
「特に個人的な用はありませんよ。五年前からやってきた永峰春幸さん」
「なっ!?」
エノクの言葉に僕は驚きを隠せなかった。そんな僕の様子を見てニヤニヤと不快な笑みをエノクは向けてくる。
「もう少し自分の立場のことを自覚した方が良いんじゃないですかねー。財団は貴方を含めた修山の連中があの事件の日に未来にタイムスリップしたことを把握済みです。まあー、何年後のどこに飛ばされたまではわかってないんですけどねー」
あの事件の日。それは《素戔嗚》が暴走した日のことで間違いないだろう。
「無駄話はここまでにして、あたしは行かせてもらいましょうかねー」
「どこに行く気だ?」
「言ったでしょう? あたしは別に貴方に用があるわけじゃないんですよ」
エノクが今も煙を上げている『フレスコ・アリア』の奥を眺める。あそこは財団管轄の施設。つまりは――――――
「目的はイニシャライズか!?」
「ええー。そうです」
あっさりと目的を暴露するエノク。そして、これで終わりと言わんばかりに僕たちに背を向ける。イニシャライズを追うということはエディックたちも襲われる可能性がある。行かせるわけにはいかない。
「待て」
僕がエノクを追いかけようとすると、その間にアモークが立ちはだかった。
いつの間にかその手には大斧が握られていた。太い三日月型の刃が二つ付いた斧。八〇センチくらい刃に対して、柄が三〇センチほどしかない。それでも、かなりの重量があるであろう両刃の斧を片手で構えている。
「悪いがそこを通してくれ」
僕は右腕に漆黒の闇を纏いながらアモークに告げる。隣ではティエルが既に『暗天』を握っている。
「悪いがそれには応えられない。武器を捨てて降服しろ。そうすれば危害を加えないことは約束しよう」
「そんなの信用出来るか!」
財団のメトセラは容赦なく攻撃を加えてきた。そんなヤツがいる組織が信じられるわけがない。
僕の答えにアモークが眉をひそめる。
「残念だ――――――『幻迷』」
斧が怪しく光を放つ。
しまった、と思いながらも僕の意識は落ちていった。
* * *
ピッピピ、ピッピピ――――――
携帯電話のアラームが僕を夢から目覚めさせる。目を開けると、見慣れた天井が見えた。アラームを切り、布団から上半身だけ起こして周りを見渡す。
「・・・・・・あれ?」
寝惚けた声で呟く。
ノートと教科書が置かれた学習机。漫画や小説が並んだ本棚。壁に掛かった修山学園の制服。そこは、どう見ても僕の部屋だ。
「あれは・・・・・・全部夢だったのか?」
自分自身に確認するように僕は思ったことを口にする。
ある日、姉に似た美少女に人型兵器を渡され、それで戦う僕。世界滅亡やらタイムスリップなどの波瀾万丈な物語。本当に体験したような感じだが、それは有り得ない話。
それが解ると苦笑が漏れる。
「我ながら子供みたいな夢を見るな」
大抵の夢は起きると同時に忘れてしまうのだが、この夢は殆ど憶えていた。ファンタジーの世界に未練でもあるのかな。
「いや、違うな」
夢の中では事故で死んだ姉の秋菜が秋名未来として生きていた。未練があるとすればそこだろう。
「夢って自分の願望が出てくることがあるらしいからなぁ」
どんな形でも秋菜には生きてほしかった。それが夢として出てきたのだろう。それにしても、僕にファンタジーの主人公願望があったとは驚きだ。一種の現実逃避かもしれない。
バカな考えを捨てて僕は布団から起き上がり、現実の予定を確認する。
「出来ればこれも夢であってほしかったな」
歴史学部の部室で僕は嘆息する。
今日は歴史学部部室の大掃除の日だ。夢の時と違って遅刻することなく部室に来た僕は山積みされた本を整理しながら呟いた。
「何の話?」
後ろで汚れた棚や窓を拭いていた栞が作業をしながら尋ねてくる。夢の中が劇的過ぎて栞に会うのがかなり久しぶりに感じられる。
恥ずかしいと思いながらも、今朝視た夢を一通り打ち明ける。自分の中だけに収めるには鮮明に記憶に残り過ぎていた。
「ププッ――――――春幸って普段からそんな夢視てるんだ」
僕が話し終えると、笑いを堪えるように手で口を押さえながら栞が言う。
「普段からじゃねーよ」
反論するも、栞は涙目でお腹まで押さえて笑っている。僕は話したことを激しく後悔しながら、それを誤魔化すように作業を続ける。
涙を拭いながら、でもさあ、と栞は僕に言う。
「そういうのもたまには良いよね」
「なにが?」
「夢のある物語。別にファンタジーじゃなくてもいいけど、夢ならそれくらい非現実的の方が楽しいと思うなあ」
楽しそうに僕を見ながら栞が語る。
「こうやって話すとバカ笑いされるのに?」
「そりゃあそうだよ。夢は自分だけのお話だもん。自己完結で終わっちゃうものなんだから、他人から言わせれば『何それ』って笑われるって」
「そんなものか」
「そうだよ。それとも、春幸は今日視た夢は嫌い?」
僕の視た夢では真堵と名乗ったもう一人の自分が殺された。仲間が突然いなくなり、僕自身も未来の言葉の通じない国に飛ばされた。でも、
「悪くはなかった」
酷い目にはあったと思うけど、それ全てが不幸というわけではなかった。
「ならそれで良いんじゃない?」
「そうかもな」
苦笑しながら答える。
所詮夢なのだからそれでいい。もう終わったことなのだから。
そう考えたところで違和感を覚えた。あれ、今日視た夢ってどんな終わり方をしたっけ?
「それじゃあ、私自分の部活に行くから」
いつの間にか作業を終えて道具を片付た栞が大きなスポーツバックを持ってドアに手をかける。
「ああ、おつかれ」
「良い夢をありがとう」
そう言って栞が部室を出ていく。
――――――また、違和感を覚えた。
放課後。
部活の掃除が終わり、夕日で茜色に染まった校庭を歩いていると懐かしい顔がいた。
道の端に設けられたベンチに座りながら談笑している男女。男は開けているのか判らないほど細い目をし、女子は手が完全に隠れるくらい長い袖の制服を着ていた。
第二生徒会の月島朱莉と根岸修策だ。
珍しい組み合わせに思わず声をかけてしまう。
「楽しそうだな。何を話してるんだ?」
僕が尋ねると二人してキョトンとしてお互いの顔を見合う。いつも無表情の朱莉の顔のギャップに若干驚きながらも僕は首を傾げる。何か変なことでも言ったか?
「えっと・・・・・・朱莉さんの知り合いッスか?」
「え? 根岸くんの友達じゃないの?」
二人のやりとりに、しまった、と頭を押さえる。そういうことか。
「ごめん。人違いだった。今のは忘れて」
適当に誤魔化して速やかに僕は二人から離れる。
そうだ。あの二人と知り合ったのは夢の中だ。どうやら修山学園に実在する生徒をモデルに夢は出来てたようだ。名前も合ってたようだし、僕はどうやって彼らを知ったのだろう?
「つっ・・・・・・!」
考えると同時に頭痛がした。頭を押さえ、壁に手をつく。
「な、なんだ・・・・・・?」
あの二人を知った時のこと思い出そうとしただけなのに、どうして頭痛がするんだ。まるで、これは思い出してはいけないことのように思えてしまう。でも、何故・・・・・・?
そう考えると、再び殴られたような衝撃が頭に痛みとなって伝わる。
「だ、大丈夫ですか!?」
僕の肩に小さな手が置かれる。顔を上げると、知った顔があった。
「陽山・・・・・・」
陽山沙月。クラスメイトで同じ部活の友人。
《素戔嗚》の一件以来久しぶりに会う。再会の喜びに思わず声を上げそうになるが、それを気づかれないように言葉を呑み込む。・・・・・・陽山が行方不明になったのは夢の話だ。
「辛いなら、保健室まで一緒に行きましょうか?」
「ああ・・・・・・ごめん。お願いするよ」
罪悪感を抱きながら僕は陽山に肩を貸してもらった。
夕暮れの光が入った保健室は静寂としていた。保険医の先生も席を外し、当然ながらこんな時間に来る生徒もいない。あまりにも静か過ぎてドアを閉める音や足音が無駄に大きく聞こえてしまう。
ベットに座ると陽山が小さく息を吐く。若干だが、疲れたような顔をする。
「ありがとう。重かっただろ?」
「いえ、これくらい平気です」
陽山はパッと笑顔を向け、そのまま薬品棚から迷わず薬を取り出す。
「頭痛だけですか?」
「そうだけど・・・・・・いいのか? 勝手に薬を貰って」
「大丈夫です。私、よくここで手伝いとかしてますから。後で先生に伝えておきます」
取り出した薬を僕に手渡しながら微笑む。そうしてもらうだけで癒される気分になる。そのせいか、薬を飲んでもいないのに頭痛がスッと引いていった。一応、薬を呑んでからお礼を言う。
「ありがとう。すごく気分が良くなったよ」
立ち上がり、鞄を手に取る。
すると、陽山が僕の肩に手を置いてそれを制した。
「ダメです。もう少し休まないと」
「いや、ホントに痛みが引いて――――――」
「ダメです」
陽山は強引に僕をベットに座らせる。普段は大人しいのに、妙なところで頑固だから不思議だ。そこらは源綯さんの性格に似てるんだろうな、と思った瞬間。
「うっ・・・・・・」
再び治まった頭痛が僕が襲う。
反射的に僕は陽山の腕を掴む。きゃっ、と小さく悲鳴を上げながら陽山もベットに倒れる。
「あ・・・・・・」
僕が腕を掴み、陽山が引っ張られる形で倒れた。それは、傍から見れば陽山が僕を押し倒したように勘違いしてもおかしくない体勢。鼻と鼻がくっつきそうな距離でお互い見つめ合う。混乱しているのか、陽山はハッキリと判るほど顔を赤らめながらも、そこから動こうとしない。僕もこの状態から動けないでいる。
「あの・・・・・・陽山?」
やっとの思いで僕は口を開く。
「はい」
陽山は短く返事する。しかし、動く様子はない。これはまずいと思いながらも、どこかで喜んでる自分がいる。だが、その感情にも何故か違和感を覚える。
「陽山。僕今朝すごい夢を見たんだ」
気づけば、自然と口が動いていた。
「有り得ない話なんだけど、僕が色んな場所を冒険するんだ」
学園の地下。軍の船で行った海。未来の世界。夢で視た光景が鮮明に蘇る。頭がチクリと痛んだが、気にせず続ける。
「その中には沢崎や栞、死んだ筈の秋菜。それに、陽山だっている。他にも普通なら出会うことすら出来なかった人たちとも友達になれた」
「・・・・・・」
「辛い戦いもあったけど、それでも楽しかった」
頭が万力で締め付けられるようにズキズキとする。
だが、同時に僕の中の違和感も膨れ上がる。痛いけど、止められない。口が勝手に言葉を吐き出していく。
「これからもっと辛くなるかも知れない。大切な人たちを失うかも知れない。だけど――――――」
「だけど・・・・・・なんですか?」
黙って聞いていた陽山が僕の言葉を遮る。その顔は相手を責めるような厳しい表情だ。
「辛い夢なら忘れればいい。そんな夢が続かないように現実で楽しく生きましょう。・・・・・・私、頑張りますから。永峰くんが幸せでいられるように。だから――――――」
泣きそうな顔で陽山は震える声で言う。
その気持ちに僕は素直に感謝する。だが、僕の答えは違った。
「ありがとう。でも、辛い現実を無視して幸せな夢に逃げることは僕には出来ない」
陽山の肩を抱きながら立ち上がる。その目には涙が今にも溢れそうなほど溜っている。
「どう、して・・・・・・?」
「現実逃避は中学の頃に散々やってたから」
苦笑しながら答える。
中学生の時に僕は沢崎や栞と出会うまで秋菜を失った現実からずっと逃げ続けた。そういうのは、もう繰り返してはいけない。
「もうそろそろ行くよ、現実に」
その言葉で保健室の壁や天井にヒビが入る。正確には、この空間に。
「やだ・・・・・・待って。行かないで!」
子供のように陽山が泣きついてくる。僕はそんな彼女を抱きしめ、
「ありがとう」
本日三度目になるお礼を僕は告げる。
例え夢でも、陽山は陽山だ。夢が覚め、体験するであろう辛い現実から僕を心配してくれる。もしかしたら、この幻を創った者による行動かもしれないが、今も頬に伝う涙が偽りでないと僕は信じたい。
「今度は現実で会おう。必ず迎えにいくから」
僕はハッキリと宣言する。
割れた空間が粉々に砕け散る。抱きしめた陽山も同じように消えていく。その消滅の中で僕の耳に届いた。
――――――待ってます、と。